旅の記録

てくてくてく・・・今、どこ?

隠された危険?(43626)

2009-06-30 09:57:41 | Weblog
 前回の投稿でネタ切れという感じであるが今回の旅行でもう1点不安になったというか、いい加
減な仕事をしていると感じた事がある。それはHISのHPを見ると世界のホテル予約がネット上
で出来るとか、オプショナルツアーを企画していろんな所へ行けますよ、また世界のあちこちに
支店があるように書いてあるが、実はニューヨークでのオプショナルツアーならそこの現地旅行
代理店に丸投げというのが実態である。旅行代理店と言っても小さな個人企業からいろいろある
が、ナイアガラツアーも現地“とらパス”という旅行社で、HISからこのツアーに参加の際、この
バウチャーを渡して下さいと予約番号や集合場所など必要な情報が書かれた書類を渡されていた。
その書類の集合場所に、J.F.Kennedy Int’l Airportと書かれているのである。JFK空港は
帰って来てからその大きさを知ったが、第8ターミナルまであるのである。成田は二つのターミナル
だけである。それでも外人観光客から”成田へやって呉れ”と言われたタクシーの運転手も困るが、
まして八つのターミナルがある空港から出発するツアー客にただJFKだけで良い筈がない。前日
送って貰った旅行社の人と会話をしなかったら、恐らくツアーに遅れていただろう。つまり参加でき
なかったであろう。


これはどう見ても、初めて日本に来た外国人に、“あなたの選んだオプショナルツアーの集合場所
は成田空港です”と言っているようなものである。日本に初めて来た外国人に集合場所が成田空
港といわれても、成田までタクシーで行けるかもしれないが、そのあとどこへ行けばツアーに参
加出来るか不安になる。ましてや、JFK空港と言えば成田空港より規模が大きい。ニューヨ
ークの海外からの空の玄関と言って良い。もうひとつ海外からの便を受け入れているニューアー
ク国際空港もあるが。
 
 いずれにしてもこんな仕事をしているHISの仕事振りに”感心”した。出発前の料金の件もあり、
“JFKは大きいのでターミナルを確認したおいた方が良いですよ”との忠告を我々が到着した時
に迎えに来て呉れた運転手の方に言われていなければ、大変な事になっていたかもしれない。
結局明日の飛行機は「第5ターミナル」のジェットブルーエアウエイズという所から発つという。
第5ターミナルである。タクシーの運転手もJFKと言われても、JFKのどこへ連れていっていい
かわからないだろう。
 一人でニューヨークに旅行に来ていた女性もターミナルは分かっていたのか、旅行社の人に
会うのに1時間以上もやきもきしていたと言っていた。

グランドキャニオンの方は前日(我々がニューヨークからラスベガスに向う日)に参加についての
リコンファームの連絡をする事になっている。時差もあり、一日前でなく、二日前では駄目かと
聞いたが一日前と日本で言われていた。9時から事務所が開くので、ニューヨーク時間12時で
ある。12時15分にラガーデイア空港へ行く迎えの車が来る。ニューヨーク時間の一番で電話
が出来れば安心して、迎えの車が来るまで時間が過ごせるのにと思ったが、アメリカは広い。
うまく12時に戻ってきてラスベガスに連絡が取れればと思いながら、残された時間を有効に過ご
そうと、思いきって自由の女神を見に行こう、その前に国連ビルに行こうと歩きまわった。地下鉄にも
うまく乗れ、クルーズに参加出来、11時半にはホテルに帰る事が出来た。そして12時を待って
電話を借りて掛けると連絡が取れ、集合場所や時間が案内され、こちらのツアーはリコンファーム
の面倒な面はあったが、無事に会う事が出来、天気も申し分なく、ツアーを楽しむ事が出来た。

 前回申込時の事について書いたが、今起こされている訴訟の話も有り得るような気がする。みんな
丸投げである。あんな集合場所を書いて参加者に渡しツアーの募集をしているようでは、HISも
安い航空券は提供出来ても、旅全体のマネージメントはまだまだ出来ない。勿論HISの為にお客
様相談室へこの件は連絡しておいたが。



成果主義?

2009-06-28 09:57:13 | Weblog
 アメリカ旅行が順調に終わったように見える(書いてきた)が、実はそうでもな
かった。
 
 当初予定を立てる時に行く先をアメリカに定め、一番遠いニューヨークにして
航空券を探した。

“今トルコへのツアーで、現地で自動車事故に遭った参加者が「過密な旅行日程を
組んだうえ、安全性を欠くバスを選んだ」と主張し、提訴されている” 例のHIS社の
ホームページを見て航空券を選び、予約を申し込んだ。その際、ニューヨークへ行って
帰って来るだけでは面白くないので、どこか良い観光地はないかと聞くと、「ナイア
ガラの滝」や「グランドキャニオン」などを紹介された。“詳しくは近くの弊社の事務所へ”
と大宮西口支店を紹介された。
 
そして次の日、その支店に行き、紹介された旨告げ、具体的に6月初めのこの日の
航空券の空きはどうかなど話して、正式に予約を申し入れた。その日に飛行機の予約は
取れ、担当者がメモ書きした書面にサインしてあとは電話連絡にてと言う事で帰って
来た。そのメモ書きの金額はラスベガスに立ち寄り、10万8千円と書いてあり、頭に
あった金額と同じであったので、サインした。ネットにあったニューヨーク往復の航空券
は8万8千円で1降機につき1万円のアップという事でナイアガラ観光はカナダ国境近く
のバッファローに泊まり、ラスベガスにもう1回降機するので、トータルで10万8千円と
言われ、それを頭にいれていた。それでサインしたわけである。

しかし、料金を振り込んだあと、ナイアガラ行きはオプショナルツアーで、ニューヨークから
バッファローへ飛び、その日に帰ってくる旅程になっているのに気がついた。これでは
1回の降機なので、航空券は9万8千円ではないか。そこで担当者に連絡し、その旨
話したらもともと9万8千円の航空券で1回降機なので、10万8千円ですとの回答に
納得が行かず、支店長と話がしたいと上記の事情を話したが、支店長も合計金額だけ
提示すれば良い事になっているので、10万8千円で間違いありませんと、2万円(二人
分)の返金には応じられないと頑固に主張する。
埒があかないので、本社の上司の名前を教えてほしいというと、それは出来ません、
若し本社の者と話がしたいならお客様相談室があるのでそこへ連絡してほしいと、
電話番号を教えられた。仕方がないのでそこへ連絡し、事情を話したら担当者はこちらの
話に理解を示したが一応支店長の話も聞きたいのでというので、連絡を待っていた。

結論から言うと我が方で、西口支店に行った時に最初に話を始める際、“電話で相談し、
8万8千円の話をした事”を証明できれば、2万円返金しますという。証明できなければ、
1万円だけで双方痛み分けという判断であった。メモ書きには、最初電話で話した事を
証明する内容のメモが無い。がここを紹介された旨は話をしており、金額の話をしていなく
ても、ネットで調べた事は伝えてある。ネットの商品を支店長が知らない筈がないだろう
とおもったが、結局結論は9万8千円プラス痛み分けで負担する5千円を入れた10万
3千円となった。5千円の二人分1万円の返金でけりがついた。
何となく釈然とせずに出発したのである。これが今言われている成果主義なのかと
思った。あまりに人を馬鹿にした話で出発からケチがついた格好であった。何事も
起こらねば良いがと思っての出発であった。

陽気なアメリカ人(43796)

2009-06-26 09:49:50 | Weblog
 ニューヨークの街は多種多様な人種が住んでいる。競争が激しく、忙しい彼らに
とって信号を守っているほどのんびりなどしていられないのだろう。街はごみが沢山
落ちており、お世辞にもきれいな街とは言えない。道はデコボコして車で走るとその悪さ
が体にもろに伝わる。成田に着き上野に着いてみると上野の街がきれいに見えた。
なんときれいな街だ、と一目でその違いを感じる。

 そんなニューヨークだけれども、陽気な人懐っこい感じの人達がいるのもニュー
ヨークだけではないだろうが、いるのは間違いない。

セントラルパークへ急いでいると写真を撮っている我々の方へ近づいて来て、写真
を撮ってやるからそこへ二人で並びなさいという。こんな事頼みもしないのにと思って
しまうが、日本人なら頼まれれば撮ってあげるというのが正直な所だろう。

 到着した日、トラベラーズチェックをキャッシュに交換しようと場所を聞いてそのビル
に入った。よくホテルなどで見かける周囲がエレベーターで真ん中にシャフトがあり、
そこに数字が並んでいるボードがある。そのシャフトは勿論きれいに化粧されたもので
数字が階数を表示し、その数字の上にアッルファベットが出て来る。その表示された
アルファベットがその階へ行く乗るべきエレベーターだと、これも親切に聞きも
しないのにネクタイを締めた紳士が教えてくれた。
ちょっとそのボードをじっと見ているのを見て近よってきて教えてくれたのだ。難なく
8階のアメックスの事務所に行く事が出来、キャッシュを手にする事が出来た。

またアイリッシュバーではこれも頼んでいないのだが、写真を撮ってやると言って我々を
撮ってくれた。何気ない事だが、ほんのり暖かいものを感じる。

6日にはヤンキースとタンパベイ・レイズとの試合を見に行く日だった。地下鉄で行く為
42番街の駅で列車を待っていると列車が入って来た。車両の横に星条旗が書いてあり、
珍しいと思った女房はその写真を撮ろうと構えると、ヤンキースのユニホームを着たファンが
その中に入って来てポーズを撮った。撮り終わった彼女はそのファンとハイタッチ。
うちのかみさんもすぐにのるが、そのファンも大分乗って来ている感じでこんな光景を
見ていると旅の気分が一層増して来て楽しい。

人のいい陽気なアメリカ人というのも“まだ”居るんだと実感したのは、今回の旅行の収穫で
今アメリカ横断中の間寛平も感じているのではないだろうか。子供の頃貧しくてアメリカをみる
と芝生のきれいなところに家が建ち、裕福な生活をしていて、その彼らが陽気で気さくに他人
(ひと)に話しかけて来るというようなイメージを持っていた。
そんな光景を思いださせる一面を垣間見る事が出来たという事である。子供の頃はなにせ
アメリカかぶれだったから。今は違うが。

しかしながら違う経験もした。地下鉄で行先を告げてこの列車が行くかと入口付近に座って
いた白人に聞いたら、知らないという。その白人3人組み(恐らくラテン系の感じの人達)が
座っている反対側の席に座っていた身なりがきっちりして本を抱えていた黒人のインテリ風の
女性は、我々の会話を聞いていたのか、前の席から止まると遠くから声を投げてきた。
彼女にお礼の握手をして空いている席に座った。急行列車なので、目的地の駅に着くまで
心配だったが、無事に着き「自由の女神像」のクルーズに間に合った。あの時ちょっとの
タイミングで確認を取れなかったら、「自由の女神」像のクルーズには参加できなかっただろう。

数回であるが出張でアメリカには行った事があるが、仕事なので市民に会うことは殆どない。
しかし、今回は直に市民というか地元の人達に接する事が出来、アメリカという国の人達に接して
少し、子供時代に持っていたイメージの人達がいるという事を確認できた旅であった。



ニューヨークの街

2009-06-24 05:24:01 | Weblog
 今日はニューヨークの街について書いてみたい。
3~4日の限られた滞在中見て、感じた事を自分なりに記録しておきたいという事
であくまでも個人的な記録なので大したことは書けないが。 

 滞在は6月3日から7日までの実質4日間であった。滞在中天気が良くない日が
多く、今(6月23日)ニューヨーク郊外で開かれている全米オープンも雨でタイガー
・ウッズが苦戦していると新聞に出ていたが、この所天気が良くない日が続いている。
そんな時期なのか。
 ニューヨークの地下鉄は地上に出てくる階段部分に屋根がない。雨が降ると階段
から雨が流れて中に入り込んで来る。集中豪雨的な雨でなかったので、水溜りが出来
た程度で済んだが、あれがもうちょっと長く多くの雨が降ると大変な事になるのでは
ないかと思った。しかしニューヨーク市民は地上に出る階段部分に屋根が無い事に
慣れているのか特に苦情など出て居ないのであろう。こちらは水溜まりを除けるのに
往生した。

 地下鉄と言えば、黒人がボンゴを担いで地下鉄車内を周り、演奏してお客からお金を
貰う光景を目にした。ラッシュアワーほどの混雑ではなかったが、席の前を通り、ドア
前の広いスペースで演奏し帽子を手に、周りを回っていたので1ドルを入れた。隣に
いた黒人の女性は慣れているのか、無視したような素振りであったが、隣の人が入れたん
だからと言って、その女性に帽子を出すと苦笑いしながらお金を入れていた。日本の
地下鉄では到底許されない行為であろう。寛容と言うか貧しい人の行為には目を瞑るので
あろう。ボンゴではないが、駅構内(改札を出た所)では本格的に4人ほどが楽器を演奏して
いた。やはり黒人が中心であったが、中に白人も一人混じっていたが陽に焼けていて
褐色になっていたのか、風呂に入っていない為に黒く見えたのか分からない。
 
 地下鉄は100年の歴史があり、古い。急行があると書いたが、車線が4本位ある所が
あり、横に広い穴が掘られたのだろう。駅の対向のホームが非常に遠い駅があった。
各駅が止まっている横を急行列車(?)が過ぎて行く。しかし急ぐ人には急行は便利で
慣れれば急行があった方が良いのではないだろうか。ただ我々旅行者には次の駅が何
駅かが分からない車両があった。日本の地下鉄のように行先、次の駅がどこかの表示が
ない。新しい車両に出会ったのか一両の車両の中間横(内側)に長い一本の線が書いて
あり、駅名が書いてある。どこを走るかが分かる車両もあった。
料金はマンハッタンの最南端からヤンキースの球場がある161番街(この先は行って
いないので断定的な事は言えないが)片道2ドル。急行も鈍行も同じである。鈍行で行け
ば40~50分いやもっと掛るだろう。それが2ドルである。
乗る前に駅で切符を買うが、英語の他にスペイン語かがあった。言語を選択して
から指示に従って買う。
出る時は誰もいない。ただ回転式のバーを腰で押して出る仕組みである。
また例のマリリン・モンローが地下鉄から吹き出てくる排気風でスカートを吹き上げられ、
押さえる映画のシーンがあったが、何本も列車が走ればそれだけ排気が出て来る訳で、
その鋼鉄製の排気孔が結構道を歩いていると見られる。そして大きな音がして列車の
走る音が聞こえる。
 
 街は多くの人種が行き交う。道は予算が足りないのか、至る所デコボコ道が多く、
旅行社の人も道の悪さには閉口しているらしい。それにやたらサイレンを鳴らしたパトカー
や消防車が行き交っていた。サイレンを聞かない日は無かった。
またいろんな人種がいるせいか、誰一人信号を守らない。赤(ニューヨークでは手の形を
した絵に変わる)でも車が来なければ平気で渡る。銀座では見かけない光景である。信号
を守っていれば、他人に先を越されるという事なのか。背広を着た人もTシャツを着た人も
守らない。これがニューヨークなのである。とにかく忙しい。
 
 しかし夜のネオンは綺麗というか規模が違う。タイムズ・スクエアなどにいると目がおか
しくなりそうである。やはり何か引き付けるものがあるのだろう。雨でセントラル・パークに
行きたかったが、公園で家族や恋人同士が沢山寛いでいるところをテレビなどで
みるが、ビールなど飲めないらしい。本当はビールでも飲んでゆったりした時間をすごし
たかったのだが。しかし魅力的な街である事は間違いない。

新型インフルエンザと豚インフルエンザ(30422)

2009-06-22 09:07:48 | Weblog
 新型インフルエンザが日本に広がる前に今回の旅行を計画し、予定を立て、
いろいろ調べて4月始めには旅行社へ航空券の手配を頼んでいた。
 そして5月始めに日本でインフルエンザの感染が確認され、そしてそれが
広がって行った。その内、だんだんと感染者が増え、水際対策が強化され、
航空機に入りこんでの検疫が始まり、隔離者が出てきたり、ホテルに止め置か
れる人がいたりして、深刻度を増して行った。

 旅行社は募集を中止するような動きは見せず、我々もキャンセルせずに時間だけが
過ぎて行き、中には修学旅行を中止したり、海外旅行を取りやめる人たちもいたが、
我々は旅行社がツアーを中止するようになった場合は、我々の手配した航空券もキャン
セル料なしにキャンセルできるとの約束で、手配した航空券等はそのままにしていた。
しかし、航空券とは別にホテルやその他野球の観戦チケット、ショーなどを予約して
いた為、予約した段階でクレジットカードから引き落とされているので、これらは旅行
をキャンセルするだけでも損害は大きい。出来ればツアーの中止など起こらない
よう願っていた。

5月中ごろから連日、テレビ、新聞はインフルエンザの報道から始まり、日本全体が
今から考えれば、異常なほど反応をしていたように思われる。
 結局、我々もキャンセルせずに旅行へ出発したわけであるが、アメリカへ着いてみれば
インフルエンザなどの話はどこの国の話かと思われるほど、関心が薄く、誰もマスクなど
しておらず、新聞はタブロイドの発行部数の少ない新聞と思われたが、依然豚インフル
エンザと言っており、テレビのニュースでもインフルエンザなどは全く話題になっていな
かった。こちらは天気が気になる程度で、天気予報を見た後は特にテレビを見るような
時間など無く、と言うよりは時差で眠たくすぐに寝るような状態であった。
 
こんなアメリカから日本を見ていると、日本という国はやはり物事に細かい、何事も
きちんとしていなくては気が済まない国民性が出ているなあと感じた。それだけアメリカ
は大きな国に思えてならなかった。そういう訳でインフルエンザには滞在中、全然気に
する事もなく、持っていった予防の“タミフル”は勿論の事、10個以上のマスク、手洗い用
の洗浄薬など一切出番がなく、持ち帰る事になった。帰国後1週間の潜伏期間が過ぎ、
特に熱がでるような事もないので、インフルエンザには罹っていないという事になる。
例えば野球観戦や劇場の中、エレベーターや混雑した地下鉄の中など、結構人混みの中
にいたが全く問題なかった。
 準備段階から予防薬としてタミフルを処方して貰ったり、マスクや手の洗浄薬など揃えたが、
まったく過剰反応と言っていいほどの準備をしていた訳で自分もやはり日本人なのかなと思った。
あるいは日本にいると周りに動かされるという、独自に行動するという事が許されない雰囲気
が出てくるというのが正しいのかもしれない。
 
 帰ってきたら見ごろを過ぎているかと思っていたユリが大きく花開いていた。

米国旅行8日目ラスベガスから帰国へ

2009-06-20 08:50:47 | Weblog
 6月10日ラスベガス
6時起床。6時40分チェックアウト。7時半に迎えがくる。車が来るまでホテル前で待って
いたところ、ホテルの周りを飾る電球が切れている所があり、それを交換している人がいる。
朝7時頃というのに既に作業をしている。夜をきらきらと飾る電球もよく見れば切れている所
が結構ある。結局我々が車を待っている間作業は終わらなかった。 8時半過ぎラスベガス
のマッカラン国際空港に到着。搭乗手続きを行う。例によって金属類からベルト、靴など身に
つけているものを外す。その後、朝食を取る。
 6月10日10時52分発ロスアンジェルス行きのユナイッテドUA289便に搭乗、11時45分
ロス国際空港到着。ロスから成田まで11時間25分のフライト。気流と逆方向の飛行のため、
飛行時間はニューヨークまでと1時間ちょっとしか違わない。帰りも長い一日を過ごし、到着は
日付けが変わって6月11日成田午後3時50分着。
空港検疫所を抜けて入国手続き。みなマスクを付けている。
 成田は出発と到着が別の階にあり、到着時は我々が乗った機のみの到着であったため、
余計に感じたが、これが日本の空の玄関成田空港かと思った。人がまばらなのである。
アメリカは大体出発と到着は同じ階にあり、人々が沢山行き交い、賑やかである。
それだけ上に伸びなければならない国土の狭さにあるのか。
 7時20分自宅に帰る。今回のエメラルド婚記念旅行も無事終わった。何より無事に帰宅
出来てほっとしている。ツアーであれば黙ってくっついていれば良いが自分で手配した旅行
は気を使う。でも予定していた内容はほぼ実行できて良かったと思う。
 今日の夕飯はいつもの健康食だ。量もちょうど良い。肉も少ない。今回の米国旅行について
感じた事など今まで通りの投稿ペースにもどし書いてみたい。読んで頂いた多くの皆さん、
ありがとうございました。

米国旅行7日目ラスベガスの夜(2)

2009-06-19 06:23:34 | Weblog
 今度は別の夫婦連れの所に行き、男性を舞台の上に招き、そして舞台上に
ある木箱に男性を入れる。鍵をかけてそのまま席にもどる。イルージョンかと思ったが
そうではない。シャンパンを開けて奥さんと乾杯。折角ショーを見に来たのに旦那は木箱
の中。案内係は奥さんと乾杯。乾杯後は長い30cm位のローソクに火を付け、ローソクを
持って手を上に挙げろと指示する。挙げさせた後、舞台へ戻り木箱を回すと後ろは鉄棒が
格子状になっていて旦那は奥さんの方が見える。時折、案内係は奥さんの方を見て、
手を挙げろと指図する。そして木箱は舞台裏へと運ばれ、舞台の上から時折奥さんの方を
見て手を下げるとあげておけ、と指示する。これらはすべて無言で演技されるので、余計に
笑いを誘う。
 
 ひとしきりこの案内係のパフォーマンスを見た後は本格的な演技が始まる。
 男性二人のうち一人が片手で体を横に支えその体にもう片方の人を乗せ、体をつけずに
上下逆に入れ替わる。これには鍛え抜かれた筋肉と力が必要だ。
 また左右両方の天井に鋼鉄製の四角形をした箱型の棒があり、その四隅に男性が立ち、
それぞれにブランコが下げられ2人が乗り、ブランコを揺すりながら交互に飛びあい、左右が
入れ替わったり、上の籠状の鉄棒から飛び降り、反対側の下でブランコをゆすっている相手
側の人に手を取ってもらう。タイミングの絶妙さが求められる。
 シーソーでは人を上に飛ばしてどんどん飛び乗り、最高4人まで肩の上に乗せた。
 ほかにもさまざまな演技が繰り拡げられたがそれぞれその世界の最高のパフォーマーを
揃えている感じであった。

 日本人の団員の出る演目の水を使った大掛かりな演技やバトントワリングの演技などが
あるが、これらは別の常設劇場でやっている。日本人だけでなく、中国人やフランス人、その
他カナダやアメリカなど世界中から人を集めている。
 隣に座った男性はカンザス州から家族でここラスベガスまで見に来たと言っていたが、学校
が休みに入りアメリカ各地から遊びにやって来ているのである。
 まあいろんな演技がおこなわれたが、我々にとって新鮮だったのは何と言ってもあいま
あいまに出て来るショーが面白く、このショーはやはり観客を巻き込んだ1級の洒落た
ショーであった。そしてその方に興味が移った感じの1時間半であった。
 
その後、この会場のある通りには、夜になってもあちこちで野外ショーをやっており、“Music Fountain”
での音楽に合わせた噴水や昼間は、水が滝のように流れる岩場が、夜は火山が噴火するような
仕掛けを見せたり、アーケード(天井がかまぼこ型のスクリーンになっている)に映像が写し出さ
れるような通りがあり、我々も見て回ったが皆が移動するため、バスが混んでなかなか発車しな
かったり、或いは来ない時もあり、ホテルに着いたのは12時近かった。この一角はホテルやカジノ
その他そとで見せるショーなどのある建物は映画で有名なMGMが所有しているところとのことで
あった。ホテルへ帰るとカジノはいっぱいの人達で、熱気を帯びている。100年に一度の不況
といわれ、その震源地であるアメリカ。
 しかしここラスベガスにいればそんな不況の波は押し寄せていないように見える。ラスベガスと
いう街は本当にカジノと観光産業でもっている街だと思った。

 

米国旅行7日目ラスベガスの夜(1)

2009-06-18 09:08:07 | Weblog
 今日は6月9日。今回の米国旅行最後の日。
 本日の予定は夜7時開始の「シルク・ド・ソレイユ」を見るだけでそれまでは
フリー。まず今夜のショーのチケットを受取りに、会場のあるトレジャー・アイ
ランドホテルへバスで行く。片道3ドル。一日間有効の7ドルの券を買う。
「シルク・ド・ソレイユ」は日本でも常設劇場をデイズニーリゾート内に持って
いる事を娘から聞いていたが、ラスベガスに行ったら本場のショーを見たいとネット
で予約していたもの。

11時チケット入手後、近くのフード・コートに行き昼食を取る。いろんな店が大きな
看板のもと、得意の料理を出している。中華、日本食、メキシカン、イタリアン、アメ
リカンなどいろいろあって安い。
 こんな店の中でチキンをベースに出している店があり、立ち止まって見ていると、
楊枝にチキンを刺して食べてみないかと言っている。“「コーベ・チキン」はおいしいよ”
と言っている。これには思わず噴き出してしまった。出された白人の男性は神妙に
食べていたが、中国人がやっている店である。“神戸”はやはり世界ブランドである。
 中国人の商売の仕方はやはりいわゆる偽物か便乗かパクリか、いずれにしても
神戸牛だけしか知らない人には神戸には旨いチキンもあるのかと思ってしまう。

1時半ホテル帰着。部屋で休憩。トロピカーナ・カジノ&リゾートという結構大きな
ホテルであるが、負けるのは分かっているのでカジノには手を出さなかった。ジャカ
ルタに駐在していた時にルーレットで儲けた事があったが、ラスベガスには別の目的
で来たのでやらなかった。

4時ホテルを出、バスでミステイア・ショーが行われるトレジャー・アイランドホテルへ行く。
開場は6時10分なので、それまでに腹ごしらえをする事に。ビュッフェ・スタイルのレスト
ランがあり、ここで夕食を取った。中国人のウエーターが飲み物を聞きに来たので注文を
すると、ストローを2本ポンとテーブルの上に放り投げて行った。呆れて二人で目を見合
わせた。
家内も寿司を食べようと寿司の握りが小さいので、もっと欲しいと言ったところ、中国人の
女性が寿司を放り投げてよこしたと呆れていた。やはり癖は抜けないのだろう。それとも
相手が白人でないのを見ての所業か。

 開場と同時に入場。前から3列目の席で舞台が丁度足の高さで見易い。だんだんと会場
が埋まって来て開始10分前の時、スポットライトが後方へ当てられたので、誰か有名人の
入場かと場内が騒わめいていると、蝶ネクタイをした案内係の人が、お客を3人ほど案内
している。案内係が客席に座っている人の前をあまりに通り過ぎるので、その内これは
おかしいと皆が笑い出した。この時点で既に始まっていたのだ。その3人をいい加減
連れまわして席に着かせたあと、今度はポップコーンが一杯入っている2リッター位
の紙製の大きなカップを持ち、食べながら、ちょろちょろと客席の座っている人の頭の
上に落として行く。まだポップコーンが残っているカップを座っている人の頭にかぶせて1個目が
終わり。次はパラパラと座っている人の頭の上にふり掛けて行く。会場は笑いの渦である。
ポップコーンが入った小さなバケツ状のカップを2~3個客席に放り投げて、ポップコーンは
終わり。今度はスキンヘッドの客の所ではタオルで頭を靴磨きのように擦ってまた笑いを誘う。
次にガムテープを二人の男性客の目をぐるぐる巻きにして眼つぶし。

米国旅行6日目グランドキャニオン(24744)

2009-06-17 05:42:57 | Weblog
 今日はグランドキャニオンを一日観光する日である。5時15分起床。
6時15分迎えが来る事になっている。玄関ホール全体がカジノとなって
いるこのホテルでは、朝6時過ぎというのに既にガチャン、ガラガラ、と
やっている人がいる。 それとも昨日からやっているのか?
 参加者は夫婦に娘さんの3人と計5人。大型の車でネバダ州ラスベガスから
グランドキャニオンのあるアリゾナ州迄片道460Kmのドライブである。
こちらは眠くなれば寝れば良いが、運転者はガイドしながらの運転で大変だろうな
と思いながら時差と疲れで、ついうとうととする。

 道はカジノの街ラスベガスを出て、だんだん緑というよりビルが無くなり、赤色
の小さな石で道路周りを覆ってある郊外へと出る。芝生は見られない。最近天気が
悪かったが、今日は晴れて気温は22~23度位という。地平線が見える道を走りに
走る。年間4000万人が訪れると言うラスベガス。一歩離れれば荒れた荒野が続く
道である。グランドキャニオンには500万人が訪れる。
そのうち、上記2州の州境にあるコロラド川のフーバーダムに到着。コロラド川
下流の砂漠地帯の灌漑に使われているダムである。行った時はこのダムの上を跨ぐ
大きなアーチ型の橋脚が、両方からせせり出てもうすぐ繋がるという時で大林組が
建設しているとの事であった。

景色はさして変わらず、そのうちトイレ休憩を兼ねて土産物屋が2-3軒建つ所に
立ち寄る。ここは“ルート66”というテレビ映画があったが、その国道を昔の
ように復活させようと頑張っているエンジェル小父さんの経営している土産物屋で
ある。最近知れ渡って観光バスも来るようになったとの事。
11時40分、目的地近くにあるレストランにて昼食。昼食後すぐにグランドキャニオン
・サウスリムに到着。
グランドキャニオンはコロラド川がコロラド高原の一部である、カイバブ・プラトーと
ココニノ・プラトーに刻んだ峡谷で、深さ1.6km、長さ400km以上、幅が7kmから
29kmもある大峡谷(グランドキャニオン)で、我々が行ったのはそのサウスリムと
いう南側の縁である。赤色系の色の岸壁で、下にかすかに緑色のコロラド川が見える。
その景観は壮大で、自然が造る雄大さはナイアガラの滝が”動”であれば、グランド
キャニオンは”静”の時間が止まっているかのようである。悠々とした時間の中で人間
がいかに小さいかが分かる。
 
 サウスリムを歩きながらシャッターを押すが、縁があまりにも長い為、ちょっとぐらい
動いただけでは似たようなアングルでしか写真が撮れないのが残念である。2時間ほど
過ごしポイントを替えて見学。
 7時20分ラスベガスに戻る。8時夕食後ホテル近辺を散策。ド派手なネオンがホテルを
彩り、あちこちで人工の美が演出され、ナイアガラやグランドキャニオンといった自然の
美しさとは正反対の華やかさが渦巻き、一攫千金を狙う人たちが世界からやって来ている
のだろう。ガイドの話では日本人で最近2億円稼いだ人がいたが、宝くじを当てるより
難しいとの話であった。それにしても、砂漠の中に咲いたあだ花と言った感じの都市で
ある。街なかを歩く人の肥っている事、まさに肥満大国といった所で街もそれなりに
造ってある。至る所にエスカレーターやエレベーターがあり、手押し車で押して貰って
いる人がいる。ネオン輝く街をあとに、早めにベッドに体を休めた。

米国旅行5日目ラスベガスへ移動

2009-06-16 05:09:19 | Weblog
 今日は午後の便でニューヨークを発ち、シカゴ経由ラスベガスへ行く予定である。
 午前中を有効に使おうと8時ホテルを出、国連ビルまでタクシーで行く。
国連ビルと言っても何の変哲もない、テレビによく出るあのビルで、日曜の為旗も
はためいておらずすぐに地下鉄に乗り、「自由の女神」像を見るべくマンハッタン
南端のボウリング・グリーン駅まで急行で行く。バッテリーパークの横を通って
フェリー乗り場に。1時間で元へ戻って来られると言う事なので、何とか乗れそうだ。
9時55分発のフェリーに乗る。一人10ドル。今までマンハッタンの北の方から
しかこの方面を見てこなかったが今度は逆に見る形になる。大きなビルが林立して
いる。海風が心地良い。
 この「自由の女神」像は御存じのようにアメリカ独立100年を記念して1886年
フランスより贈られたもので、エッフェル塔を設計したエッフェルもこの像と一緒に来て
建設に立ち会ったそうである。台座から天辺まで46mあり、頭の部分は現在、9.11
テロ以来上れない。頭の角は7本あり、七つの大陸と七つの海に自由が広がるという
意味があるという。それだけアメリカという国に自由を求めて人々が世界各地からやって
来たのだろう。現在世界遺産に登録されている。
リバーテイ島からエリー島を回って出発地まで丁度1時間、10時55分に帰着。
すぐに地下鉄に乗り北上。11時半ホテルへ帰る。ラスベガスとは3時間の時差。
ニューヨーク時間の12時を待って現地旅行代理店に明日のツアーの確認の電話を
入れる。ホテルチェックアウト後、送迎を依頼していた車でラガーデイア空港へ。
国内線ながらチェックは厳しい。ニューヨーク到着時は指紋から顔写真まで取られた。
国内移動でも結構厳しい。靴は脱がなきゃならない、ベルトは外さなければならない。
音がピーツとなれば何回も探知機を通らなければならない。
 結局出発が予定より35分遅れてシカゴへ向け離陸(これは飛行機のせい)。夕方
4時44分着のところ、5時15分着。
シカゴ・オヘア空港は非常に大きく、沢山の便が離着陸し、それだけ空港も大きい。
初めての空港はいろいろ気を使う場合もあるがこのオヘア空港は以前来た事がある
のでまごつく事もなく、空港にて夕食を取り、3時間45分飛んでラスベガスに8時10
分着。シカゴとは2時間、ニューヨークとは3時間の時差がある。
9時45分ホテル到着。11時風呂に入りすぐに寝る。どうも体が現地時間について
いけない。しかも明日は早い。