いま、深夜の丁度2時。眠れぬまま起きている。なぜか、高石友也の『私に人生と言えるものがあるなら』をヘッドホーンで聴いている。 これに関しては、後日、高野喜久雄の詩『独楽』の解説の中で述べたい。
我が家のハクレンです。山野にはコブシも咲いています。北国の春はもう少しでしょう。
いま、深夜の丁度2時。眠れぬまま起きている。なぜか、高石友也の『私に人生と言えるものがあるなら』をヘッドホーンで聴いている。 これに関しては、後日、高野喜久雄の詩『独楽』の解説の中で述べたい。
我が家のハクレンです。山野にはコブシも咲いています。北国の春はもう少しでしょう。
「私に人生と言えるものがあるなら」も、マンドリンやバンジョーの聞こえる、明るい感じでした。
でも一度だけ、厚生年金のコンサートで、メンバー全員のアカペラで聴いたときには、鳥肌が立つほどに感激しました。ナターシャのアルバムでおなじみの、笠木透の作詞だそうですね。
いまはLPも手許になく、FMから録音したカセットも、音がかなり怪しくなりました。ただ、この記事を読ませていただいて、あのたった一度のアカペラが、頭の中で静かによみがえりました。
CDは『高石ともやとザ・ナターシャセブン』。LPは『フィールド・フォークVOL.1 from 中津川』と『高石ともやとザ・ナターシャセブン 京都・祇園祭・宵々山・顔見世コンサート(2枚組)』です。ここに、フォークとは何か、の真髄があります。
残念ながら、LPのプレーヤーは廃棄してしまい、現在手元にありません。「私に人生~」の曲も、CD のを聴いています。
※カーター・ファミリーのCDも高石友也の影響で購入しました。