朝早く 外へ出ると 涙が出てくるのです
拭っても 拭っても 出てくるのです
悲しい わけではありません
辛い わけではありません
感動の涙 でもありません
いかなる感情も ありません
あなたは 眼をこすりましたね
と女医は言う。
--はい。
いけません。いけませんよ。
痒いからといって つまんで揉むなんて とんでもない。
失明しても知りませんよ。
あなたは 網膜が弱っているのです。
光を 見てはいけません。
明るい空も 見てはいけませんよ。
日差しの強い道を歩くときは 影を選びなさい。
サングラスをかけるんですね。
ついでに言いますが
逆立ちも 水への飛び込みも ヘディングも
みんな みんな いけません。
とにかく 頭への衝撃は厳禁です。
学生時代 北軽井沢の森で
キラキラと風にそよぐ木漏れ陽を 眼で追ったからでしょうか
仲間のサイクリング車に 次々と反射する太陽を見たからでしょうか
新任教師のころ 九十九里の砂浜で
砕け散る白波を横目に 千恵子の碑目指して
外房の娘たちと まばゆい光の中を 走ったからでしょうか
春浅い 蔵王のゲレンデで
眼も眩む一面の白銀に タカさんやケンさんたちと
ゴーグルもつけずに 光の先兵たちを追い回したからでしょうか
夏の終わりに 黄色く色づき始めた
どこまでも続く 稲穂の上に
もくもくと 白く湧き出た あの積乱雲
もう見つめては いけないのですね
そうです。
それは 青春のあかしとして
あなたのフィルムに 焼き付けておきなさい。
そう言われると 思いあたるのです
夢の中で 線香花火のように
小さな光の玉が 私の網膜の上で
音もたてずに 跳ねています
近頃は 恐いのです
朝 真向かいの電車の窓から 次々に飛び込んでくる
光のヤイバに 眼を覆うばかりです
夕方 大地のかなたに 去っていく
光のペイジェントも もう 見据えることができません
劇場のライトが 恐いのです
助手席でも 対向車のライトは なおさらです
読書をすると すぐかすみます
テレビを見ると すぐ疲れます
こすってはいけない 揉んでもいけない
・・・・・
何もできません
日没とともに 寝床へ向かい
日の出とともに 寝床から起き出す
それに近い 日々です
朝早く 外へ出ると 涙が出てくるのです
拭っても 拭っても 出てくるのです
悲しい わけではありません
辛い わけではありません
感動の涙 でもありません
遠い記憶の 涙でしょう