りょーこのマネージャーな日々

ブログタイトル仮変更。子供達のマネージャー状態な日々をダラダラ書いてます。

戦艦ミズーリに突入した零戦

2013-09-12 17:55:17 | れっつすたでぃ
読書感想文です。
今回は勉強のためではなく、完全に個人的な興味の読書です。

今回読んだのは、可知晃著「戦艦ミズーリに突入した零戦」、2005年5月21日第1刷。
永遠の0の読後、主人公の宮部久蔵のモデルを知りたくてネット検索していった中で出会った本です。
以下、永遠の0のネタバレも多分に含まれますのでご注意を。

宮部久蔵の衝撃的な特攻シーンのモデルが、1945年4月11日に沖縄近海で戦艦ミズーリに突入した特攻機であると、ネットで知りました。
そしてその特攻隊が誰であったのかを探し当てたのが本書だったわけです。
戦艦ミズーリは現在、ハワイの真珠湾に展示されていて、一般公開もされているのですが、そこで筆者は2000年、このミズーリに突入した特攻機の存在を知り衝撃を受け、この特攻隊が誰であったのかを知りたいと思い、調査を開始しました。
何人もの元パイロットや指揮官、テレビ局の人達の協力を得て、日米の膨大な戦時資料を読み解きながら、この日突撃した何部隊何人もの特攻隊員の軌跡を追い、少しずつその特攻隊員が誰だったのかをしぼりこんでいく過程は、戦争をまるで知らない私にとって、戦争がこのような作戦のもとで進められていって、実際の戦場ではこのようなことが起こっていたんだということがよく分かり、改めて戦争の凄惨さを感じると共に、日本の特攻隊員の精神力とひたむきさに胸を打たれました。
最終的に著者は、この特攻隊員が誰であったのか、ひとりにしぼることは不可能で、ふたりの名前をあげて、このふたりのどちらかという結論に至っていますが、この調査書を読んでいけばこの結論は至極妥当だと思われます。
ただ、著者が初めてミズーリを見て調査を開始してからわずか1年後の2001年、著者が再びミズーリを訪れた時にはすでに、現地ガイドから、この特攻隊員は99%の確率でこの人である、という話が出ていて、現在ではその特攻隊員についての案内書きや写真もミズーリ甲板に置かれているようですね(YouTubeで見ました)。
ちょうどこの頃、ホノルル在住の日米元軍人によって同じ調査がなされていて、この99%の特定に至ったそうです。
しかし、著者はその調査ではまだ不明点が多いとして、独自に調査を進め、著者としての「ふたりのうちのどちらか」という結論に至ったわけです。
筆者の努力と執念、また特攻隊員達の鎮魂への思いの深さ、素晴らしいと思いました。

いつか必ず私も、真珠湾に行って、ミズーリをこの目で見たいと、改めて感じました。
幸いにも(?)、娘の幼稚園では希望者のハワイ短期留学があるので…それは在園中にぜひ行きたいと思っていたので、その時にでも機会を作って行きたいなぁ。
幼稚園つながりで、そういえば…以前幼稚園主催のハイキングで鎌倉に行った時に、建長寺がスタート地点だったのですが、ここに、まさに本書の調査対象の特攻隊員達、神雷戦士の碑があるということも、本書で知りました。
あの頃(半年前)はまだなにも知らなかったし、もし目にしたところでなんの感慨もなかったと思われますが…また建長寺に行く機会があれば、今度はきちんとその碑を見てきたいものです。

ところで、永遠の0の最後の場面のモデルがこの特攻隊員だったわけですが、本書を読んでいると他にも永遠の0の中に出てきた記述がいくつか見当たりました。
桜花隊の方の昔語りで、一式陸攻から桜花に乗り移る時が一番怖かったという話とか。
特攻機のパイロットは麻薬を飲んでいるとか、操縦席に鎖で繋がれているとかと、アメリカ側にいろいろ思われていたとか。
改めて、永遠の0の作者百田氏が、どれだけの戦争関連の本を読んであの小説をまとめ上げたのだろうと、感服する機会にもなりました。

そしてなによりも驚いたのは、最後の最後、あとがきに書かれていた衝撃の事実。
著者があとがきを書いたのが、2005年3月、そしてそのすぐ横に編集部の付記で、2005年4月、著者は逝去されました、とある―。
なんてことだろう…著者は、この本を書き終え、この本が出版される前に、この世を去っている…。
まるで、このパイロットを特定すること、この本を書きあげることが、著者の天命であったかのような…。
本書の中で、著者はこの調査を進めるに当たっていくつもの数奇な巡り会わせを述べていましたが、まさにこの最期こそが、これらの巡り合わせ全てが偶然ではなく著者の運命であったと思わされずにはいられませんでした。
このような大調査を成し遂げ、特攻隊員達の鎮魂を成し、自らも満足のうちに天に召された…と信じたいです。

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