田中良平 切り絵・切り紙制作所

Ryohei Tanaka`s Killer Cuts&Killing Shapes

マーカー考

2021-05-27 21:55:44 | つぶやき
マーカーで絵を描くのが好きだ。
フェルトの先っちょのペンだ。
有名なのはゼブラのマッキーだ。
どこにでも書ける油性のマーカーペンはマジックだ。
実家では油性マーカー全般のことをマジックと言ったりするぞ。
丸芯だったり、角芯だったりして太さも違うぞ。
斜めになっていて彫刻刀でいうところの切出し刀の厚めのやつみたいなのもあるぞ。
あのズバッと描けるところが好きだ。
あのズバッと描かなければ滲んでしまうところも魅力だ。
だから、今のところコピックのような重ね塗りして色を混ぜていくような使い方はしていない。
それは苦手だ。
俺の中にあるマーカーの後戻り出来ない感、そこから抽出されるある種の潔さからは離れてしまう。
油性マーカーを使うとき躊躇するとインクがジワリと紙に沁みる。
それを効果として使うならよし。味としてプレゼンできればよし。
だが、着地点の見えないまま停止すると染みがどんどん広がり、迷った痕跡として残る。
狙っていないのなら、それは失敗だ。
油性マーカーで迷いなく描くのは「書」に近い。
筆を墨につけて書くのに近い。
一筆入魂の感がある。
だから、ブレンダーに隔たりを感じるのかもしれない。
二度書きだから。
色は線でつけたい。
塗るときもあるけど。
筆で描くのは、それはそれでまた全然違う競技みたいなものだから、並べるのもおかしな話だが、マーカーはその速乾性が利点だ。
あと先の硬さ。筆は柔らかい。かなり違う。
江戸時代の絵師たちがマーカーを手にしていたらどう描くだろうかと夢想。
北斎のマーカー画が見たい。
筆を使って書いていた古の絵師たちの、その下書きの無い絵に憧れる。
もちろん下書きをする場合もあるのだが、字を覚えるように描き順を覚え、膨大な練習の末、
とめ、はね、はらい、等のバリエーションをインストールし、使い、応用して、いわゆるなぞり書きの下書きを必要としない、線でなんでも描けるようにしてしまう、そのスタイルに憧れがある。そういうマーカー画が描きたい。
絵を描くタイプのアーティストとしてはサボりすぎているので、大したところには到達できないのは知っているが、自分で「まぁ、がんばって描いたな」と思えるくらいのものは少し見てみたい気もする。
もちろんインクが枯れてきて、かすれていく様も好きだ。

と、ここまで書いたところで精神電池が切れた。

100円ショップで売っている、有名ブランド以外のマーカーの良さや、
匂いのこと、そして紙用マッキーの驚きと、プロッキーのこと。
何故マーカーが好きかというのを紐解くと、結局めんどくさいからという、
自分という作家を分析するきっかけにもなる。(切り絵もそう)

ハッ!

自分という作家は「めんどくさい」という気持ちなしでは生まれてこなかったという発見を、
今さっきしたぞ。あ、すごい。めんどくさいの肯定が出来た。わかっていたことを大悟した。
めんどくさいでいいんだ。めんどくさかったから今こうで、それはそれでいいんだ。
グリーンヒルというマンガにある「人生最大にして、最強の敵「めんどくさい」に打ち勝って、
立派な大人になりたいなぁ~」というセリフ、まったくもってそうなのだが、こういう打ち勝ち方もあるんだ。立派な大人かどうかは知らん。だが、よし。グッドだ。
イッセー尾形と堀内誠一のマーカー画についても触れたいが、疲れた。
寝るぞ。
おやすみ。



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