四国遍路(108箇所)の旅

お遍路(88+別格20)の準備計画と実際の歩き通し打ちの記録を、5月11日から(実行は6月3日スタート)記録しています。

松屋旅館と、明日は金山出石寺?遍路20日目

2007年06月22日 | Weblog
「宇和の名旅館…遍路20日目」

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天気:ほぼ、一日ずっと雨!
気温:20度~28度位
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クレメント宇和島 6:15発
第41番龍光寺  8:35着   9:00発
第42番佛木寺  9:35着  10:10発
第43番明石寺 14:10着  14:40発
松屋旅館    15:10着
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歩行距離:約26Km
歩数:38,600歩
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主な出費
納経代:300円×3寺=900円
飲物代:150円
昼食代:1,100円(中ジョッキ含む!)
宿代: 7,800円(2食付)
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総合計:9,837円
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昨日の夜、ビール3本(500ml)に、缶チュウハイ1本(350ml)と、更
にホテルの自動販売機で日本酒を1合飲んだら、7時過ぎには、そのままベッドに
倒れるように寝てしまい(当たり前だぁ~!)、一度11時過ぎに目を覚まして、
シーツ(布団ではないのがホテルですねぇ~)を掛け直し、朝までぐっすり寝てし
まった。

今日の予定は、34番までの約25キロ程度と決め、珍しく昨日のうちに、宇和の
松屋旅館に予約を済ませておいたので、時間的にはかなりの余裕があるので、いつ
もより少し遅めの6時15分にホテルを出発した。

41番龍光寺は、宇和島中心部から約10キロ程度。雨が降らずスピードが落ちな
ければ、2時間半程度で十分に到着する距離だが、ホテルを出て駅のバス停で、荷
造りをしている若者遍路を発見。おはよう!と、話しかけると、彼は、1番から歩
き遍路で頑張ったのだが、足に痛みがひどく、徳島の中心部で断念しかけたのだが、
その後は交通機関を使いながら、ここまで来たらしい。今日も宇和島からバスで、
41番に向かうため、このバス停で荷造りをしていたようだ。

ある意味、無念なのだろう。歩き遍路に対しての思いもあり、出てきたのだろうが、
我々のように歩き続ける遍路に、少し気後れしているような気がした。「そんな気
にする事はない。痛みがあっても、それでも、続けているだけたいしたもんだ!そ
して、歩きも、交通機関併用も、バスも、自動車遍路も、差別は無いのだ!ゆっく
り、自分の都合で進めば良い!」と、挨拶した後、一人「心の中で彼に」そう話し
たような気がした。

その後、踏み切りを渡り線路を越え、県道57号に入り、後は務田(むでん)駅近
くまでは、やや登り道の単調な県道歩きが続く。昨日、一番宇和島の出口にある
(つまり次の寺に一番近い・・・)クアライフホテルという大浴場施設を備えたホ
テルの前を6:50に通過。ここは、Willcomの電波が届くのかな?と心配
で、宇和島駅周辺ならば安全(つながる!)と判断した。

のだが・・・ここにしたかった(大浴場があり、次の寺まで一番近い)のを考えな
がら通過した。多分、Willcomは、微妙な電波状態だろうと推測。何故なら、
若干宇和島中心部より登りに掛かっており、大都市以外では、周辺部に少しでも入
ると、四国ではWillcomはかなり電波状態は悪いのだ。

その後、1時間半程歩き、へんろ小屋で休憩(7:40~8:00)。ここで休憩
していると、一昨日三原村から宿毛まで、豪雨と雷雨の中を同行した、名古屋から
のSさんとばったり再会した。宿毛のホテルで別れてから2日ぶりである。

同行していた、福岡の若僧侶Hさんはどうしましたか?と聞くと、彼は、昨日まで
Sさんと同宿していたそうだが、今朝、今日は40キロ歩いて大洲まで歩くと、朝
5時半に先に出て行ったとのこと。Sさんとも、互いのブログのアドレスを交換し
て(彼は携帯ブログ)、「私はもう少し休憩していきますので、お先にどうぞ」と
言って先に彼は出かけました。

彼は、あまりダラダラと休憩はしないタイプで、私のように細かく休憩を取らない
タイプである。人それぞれであり、自分のペースがあるので、敢えて一緒にならな
いことも重要なのだ。

その後、ゆっくり休憩して8時に出発。へんろ小屋から30分ほどで、41番の龍
光寺に到着した。(8:30~9:00)

お参りをしようろザックの中からお線香、ローソク、経本、納経帳などの、私のお
参り道具一式を取り出し用意をしていると、彼がちょうどお参りが終わり、納経所
に向かうところであった。彼は、朝食を取っていなかったので、ちょうど山門下の
食事処で食事をしてから行くとの事。挨拶をして別れる。

私も、お参りし、納経を済ませ、駐車場横のトイレで所要を済ませ!(笑)、気が
付くと、その駐車場脇の墓地から次の寺への遍路道が続いている事が分かった。彼
は長い階段の山門下まで降りたので、ここまで登ってくるのだろうか?と思いなが
ら、この旧道へんろ道を登り、さらに下り、5分ほどで県道に出た。

この遍路道はあっという間だったが、後で聞いたところによると、山門下まで降り
ると500m位遠回りとなるので、41番を打った後は、駐車場横の遍路道を登り
近道をする事をお勧めする。この遍路道は、急勾配は無く、静かな山道で、それも、
5分程度なので、この道が確実だと思う。

次の寺42番佛木寺までは3キロ程度なので、ゆっくりと朝からの雨の中、ここま
で激しい雨では無かったのでずんずん!歩く。佛木寺の1キロくらい手前で、前か
らお婆さんが歩いてきて、私に「お接待じゃ」と飴を1個頂いた。伊予弁なのだろ
うか、少し聞き取りにくい部分あるのだが、私も、讃岐弁なら分かるので、おおよ
そ理解はできる!ので、少し立ち話をしていたら、「ご主人が、数年前から寝たき
りになり、負けてなるもんかぁ~!と、毎日、私は佛木寺にお参りしとるんじゃぁ
~」と、小柄な可愛らしいお婆さんが、元気に話していた。素敵なお婆さんだった。

「頑張りやぁ~」と、励まされ、最後には、私に向かって、手を合わせられ、本当
に何か、不思議な気持ちになった。強くなった雨にくじけそうな自分がいるのだが、
「よし!頑張らなければ」と、気持ちを新たに、また歩き出す。

9:35に佛木寺に到着。境内は静かで、私一人で、お参りし、納経を済ませ、山
門下の、へんろ小屋で休憩していると、先程、逆に追い抜いてしまった形になった
名古屋のSさんが山門に到着。食事をしていたので、追い越してしまったようだ。

雨の合間をぬって、出発。降り続く小雨で、一時激しくはなるが、それ程、歩くの
に苦しいと言うほどではない。

ここから、歯長峠となる。遍路道に分岐する道で、少し躊躇してしまい、結局、今
日は山道の危険性もあり、県道歩きを選択する。これが失敗だった!

県道は、ずいぶん遠回りで、最終的に歯長地蔵までの約5キロの道のりを、県道だ
と7キロ近い道のりになるのだ。峠越えまででも約2キロの道を実質1キロ以上遠
回りとなり、あっという間に、峠の手前のへんろ小屋で休憩していると、Sさんに
追いつかれてしまった。

その後、彼と話しながら同行していたら、結局、下りの遍路道の入り口を見過ごし
てしまい、彼と下りの4キロ近い県道を歩いてしまった。彼にも申し訳ない事をし
てしまったかも知れない(笑)。

歯長地蔵から県道29号に入り、3キロ程進んだところで12時半を回っていたの
で、彼と一緒に「民宿みやこ」の食堂で昼食を取ることになった。

ここで定食(うどんとご飯)を頼み、私だけ・・・残りの距離はもう3キロ程度な
ので、中ジョッキを頼み!(アハハ・・・)昼食を取ることになった(12:45
~13:15)。

彼の予定は、今日は次の43番を打ち、その後、3キロ程進んだ、宇和パークホテ
ルで宿泊予定との事で、ここで別れる事になった。「私は、これから別格周りで時
間を取られますので、もう会う事はないでしょう」と、挨拶をして別れた。

この「民宿みやこ」のご主人と話していたところ、私が別格も一緒に回っていると
話すと、彼は、次の、別格7番金山出石寺は、大洲まで行って打ち戻らず、宇和パ
ークの横の新しいバイパスを、八幡浜まで抜け、そこから、金山出石寺まで行く方
が無駄がない!と言う情報を頂いた。

私は、明日、大洲まで20キロ程進み、そこで1泊して、翌朝、荷物をホテルに預
けて、約30キロの山道の往復をとる予定だったのだが、健脚であれば・・・?!
宇和パークホテルに泊まり、そこから「30キロ弱の登り!」で、金山出石寺を打
ち、金山出石寺の宿坊がやっていればここに宿泊し、元気があれば!?、大洲まで
の15キロを下るのが良いのでは?と言うのだ!

彼の宿(民宿みやこ)からでも、健脚だと、稀に?(笑)、そんな物好きもいるの
で、彼の宿からだと、更に、宇和パークからの道のりより5キロ程度長いのだが、
私の泊まる予定の松屋旅館からだと、約32キロで金山出石寺、その後、15キロ
で大洲となるが、強行スケジュールだが、不可能な距離ではないのだ・・・

民宿みやこの親父!が言うには、「ほとんどの人は、大洲まで行って、1泊し、打
ち戻る」との事。但し、2年前程に、八幡浜までのバイパスが完成し、別格向けの
地図は、歩いて回る人が少ないので、更新される頻度も低い(彼によると、4年に
1回程度しか更新されない!?)ため、まだ、金山出石寺まで打つためには、八幡
浜経由は少ないが、この方が、大洲まで20キロ進んで、真横に30キロ往復する
よりも現在は効率的だと、その民宿みやこのご主人は言うのだ。

さて・・・どうするか・・・である。ただ、ここから、約2日掛けて金山出石寺を
打つことを覚悟していたのだが、そんなルートもあるのだと、少し元気になってき
たのは「自称・・・スーパー健脚の性(さが)」かも知れない(アハハ・・・)。

そんな思いを頂きながら、43番明石寺に向けて出発。山門手前から400mの急
坂にビールを飲んだ事を少し後悔しながらの、辛い、雨の中の登りとなった。

納経所の横を通過するとき、先程のSさんにまた遭遇。挨拶をして、私は、団体の
バスツアーのご一行様の少しガヤガヤした中で、一人でお参りを済ませ、納経をし
て、松屋旅館に向かった。

今日、この宿に決めた理由は、実は、函館のSさんのHPで始めて知ったのだが、
その後調べてみると、この町は江戸時代には伊達宇和島藩の宿場町として政治・文
化の栄えたところで、そのころを髣髴とさせる古い町並みが大切に保存されていて、
オランダ人医師シーボルトの娘・おイネが医学を学んだ町としても有名で、西日本
一古い校舎の「開明学校」や、江戸末期に幕府に追われた反骨の蘭学者・高野長英
がかくまわれていたという隠れ家などが遺されているのだ。

また、今日の宿、松屋旅館は、江戸時代から続くという老舗で、幕末から明治時代
にかけては政治家など多くの有名人が泊まったという由緒ある旅館だそうで、政治
家の犬養毅、尾崎行雄の書や多くの俳人の書いた色紙、掛け物などが伝えられてい
るとの事である。

また、この旅館では先祖代々受け継がれてきたという「ぬか床」で作った漬物が名
物になっていて、この日の夕食で各種の漬物が食膳に出る事があり(オプションで
す!800円から!私もお願いしました!)、わざわざ東京からこの漬物が目当て
でこの町に来る人も多いと言うのだ。

後藤新平、犬養毅、浜口雄幸、若槻礼次郎、尾崎行雄、浅沼稲次郎・・・・などな
どの歴史上の大人物の名前が、実際に、ずらっと並んでいた。

私は3時過ぎに旅館に到着したのだが、今日は一日雨で、25キロ程度の道のりで
健脚の私でも十分過ぎる!程の距離だった。昨日~今日、少し距離を落として歩い
ていたことの幸運に感謝して宿に入った。

ぬか床の話や、また有名な政治家や文壇が訪れたこの宿について、少しだけ知って
いると話をすると、若旦那が、ちょうど時間的に余裕もあったので、部屋を案内し
て頂いた。時の犬養首相趣の遊説時に立ち寄り、宴会を開いたとされる部屋や、そ
の犬養氏の書などの額のかかっている部屋を案内して頂き、古い宿だが、こんなと
ころで、ゆったりとした時間を過ごすのも遍路の旅の楽しみだろうと思う。是非、
時間の合う方は、この宿に訪れ、ゆっくりと過ごす事をお勧めしたい。

宿は、到着した時間から、たまたまだが、若旦那が案内して下さった。まだ若いが
丁寧な方で、その後、明日の金山出石寺への「強行日程」の事を細かく相談すると、
わざわざ、少しの間事務所に戻られて、インターネットで詳しく地図を検索し、プ
リントアウトのカラーコピー3枚に、更に、四国の全体地図まで頂戴し、丁寧に説
明までして頂いた。

インターネットでの検索だと、金山出石寺までは、この宿から、(1)八幡浜経由
で約31キロ、(2)大洲経由で35キロとなるようだ。

つまり、
(1)八幡浜で大洲に下りると約46キロ。(31+15)
(2)大洲に出て、金山出石寺を往復すると50キロとなる。(20+15×2)

ただ、日程が、(1)1ならば1日で済むが、(2)だと、2日、あるいは、1日
半以上掛かると言う事である。

1日で強行するのが厳しいのは承知だが、天気予報は、明日は一日曇りの予報だが、
明後日日曜日は、もう一度、雨になるとの予報である。よって、明日、決行(46
キロ)するのが妥当だと判断する。(トホホ・・・)

万一、明日の足の具合や、天候の変化があった場合は、金山出石寺の宿坊にお願い
する事も念頭に入れ、標高800mの山寺への片道30キロ超の挑戦となる予定も
もう一度、冷静に考えてみたいと思う。

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さて、今日は、少し歩きながら考えていた事がある。四国88箇所参りの周辺の人
の優しさや、お接待の風習、善根宿・善人宿の無料宿泊所、そして、へんろ小屋の
新設や運営、へんろ旧道の復元や維持運営、その他まだまだ見えないものに支えら
れていると思う。

他の国でも同じようなものもあるのだとは、この旅に出る前、少しだけだが知りえ
た情報で、有名な世界遺産になっている「スペイン巡礼の旅」として有名なサンディ
アゴ・コンポラティス巡礼の旅である。サンディアゴ大聖堂の柱に手を触れ、聖ヤ
コブを偲ぶ若者の巡礼者が多い事でも知られており、お四国参りと同じように、巡
礼の道には、無料の宿も多いと聞く。

情熱の国スペインの北の果て、大西洋沿岸に近い街に奇跡が起きたのは9世紀初め
の事。星に導かれた羊飼いがキリスト教徒12使徒の一人聖ヤコブの墓を発見し、聖
ヤコブ信仰はたちまち広がりキリスト教三大聖地のひとつになったと言う。その物
語が「星の巡礼」を生み、巡礼の道は、世界遺産にも指定され、年間約50万人の
人々が精神修養を求め、800キロの道のりを約1ヶ月かけて踏破すると言う。

国や宗教が異なっても、四国遍路にも重なる部分も多いのだろう。何故、巡礼の旅
の街に無料の宿を維持する人々が存在するのだろう。その人たちの気持ちは、どこ
から来ているのだろう。善根宿や善人宿と同じ気持ちなのだろうか。

スペインの巡礼の旅も、年間50万人と言えども、いわゆるバスツアー等も含まれ
ていて、年間15万人と言われるお四国参りも、そのほとんどがバスツアーと自動
車遍路であり、歩き遍路は年間2000人程度ではと言われている。

この遍路の旅を終え、もう少し時間を空けて、もう一度遍路に出るのか、それとも、
スペイン巡礼も良いかな?と、思うのだが、明日の、金山出石寺の事で、頭の中は
5時に出て、8時間で打てるか!?その後、大洲まで4時間で戻れるか!?と、時
間の計算ばかりしている「健脚おじさん」がいるのだ・・・(笑)

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食事を美味しく頂き、ビールも大瓶2本も飲み、自動販売機で缶チューハイも買い、
部屋に戻ると、布団が敷かれていた。そう!ここは、旅館だった!素晴らしい!
もう清算も済ませて、明日の朝の食事はキャンセルして、明日は早出となるので、
準備をしてもう寝よう!

そうなのだ!私は、酔った勢いで・・・既に、金山出石寺への決行と決めている!

まだ・・・夜、7時過ぎなのである・・・もう寝よう・・・