いろいろあったんです。長くなりますが。
前回の日記で、お義母さんが、また病院へ行ったとまで書いて。
その後、CCUにずっと入院していて。入院1週間後の8月9日(木)の
朝早く。義父から、電話で。お義母さん、危篤で、旦那に連絡してすぐに
ネパールに戻ってきてくれと。が~ん。とうとう来てしまった、、、と思い。
旦那に電話。ロンドン朝の3時半だけど、連絡。ちょうど起きたところで。
帰ってくる旨を伝えると。朝仕事場に行って、話してきて、その後、チケットを
取ってからまた連絡すると。すぐに折り返し、旦那が直接、義父にも電話したようだ。
何時間後かに連絡があり。仕事場は、了解で。10月に取るはずだったお休みを
前詰めにして1ヶ月戻ってくると。チケットがその日取れなくて、翌10日の夜の便で
帰ってくることに。
で、10日の金曜。この日は朝から公共交通のストライキ。二人が学校へ
行ったら、病院へ行こうと思っていたが、ストのせいで学校が休みに。その上、
公共のバスがすべてストで、どこへもいけない、、ので、自宅で待機。
くしくも、この日は、結婚記念日。10年がたった。早い、、、。
この日、午後5時過ぎに旦那と最後に話、ネパールへ帰途。
11日の朝。この日も公共交通スト。ルビーの補習校どうしよう、、と思っていたが、
大家さんのバイが、バイクで乗せていってくれて。助かった。お迎えも彼が行ってくれて。
よかった。で、実家の義妹から電話で。かなり、お義母さん、悪いらしいと聞き。
旦那は午後5時にカトマンズ空港に着くと聞いていた。お義父さんからも電話があり
まだか、、と。5時すぎる旨を伝え。5時半に義父より電話で。5時20分にお義母さん他界。
もう、涙が止まらなかったよ。まじで。その10分後に旦那が家に着いた。旦那に伝えて、
すぐに病院へ。旦那、義弟と一緒にロンドンから戻っていた。二人で病院へ。
夜、連絡があり、この日は、実家に泊まると。親戚一同、みんな泊まったらしい。
翌12日。この日もストかと思っていたら、スト中止になり、学校ありに。よかった。
この日は、パシュパティというお寺で、お葬式の儀式がある。が、ルビーとショーンを
連れてじゃ大変だ、、、と。学校があったので、二人を学校へ落とし。9時過ぎに
そこへ。親戚一同がいた。お義母さんと最後。花をかけ。最後に話しかけ。
その場で、火葬。ほんと涙が止まらなかったよ。ネパールに来て、2年半。お義母さん、
なしでは、絶対に無理だった。ほんとにお世話になったお義母さん。ほんとに涙が
止まらなかった。旦那もずっと泣いていたよ。で、亡くなってから13日間、喪に服さないと
いけないヒンドゥ。それも旦那と義弟は、そのお寺で。髪をそり、タオル一枚ですごす。
13日間、誰からも触られてはいけない。そして、これ。塩、肉、魚、ミルク、卵だめの
一日一食。それも、Gheeというバターをライスにかけて食べるのみの一食。まじですごかった。
これは、旦那のメニュー。かと思い気や。あたしも義妹もお寺で過ごさないといけないと!
が、子供がいるから、自宅でいいからと。でも、食は、旦那と一緒と。まじで。一食以外は、
フルーツのみ。ビスケットもだめ、スナックもだめ。全部だめ。もうありえない13日が始まった。
でもね、子供は、お肉だけがだめで、それ以外は、普通どおり。やってられないよね。
最初の二日で激痩せ。でも、このままでは、二人の面倒を見ているあたしが倒れると思い。
だめなものは、食べなかったが、少しずつ食べれるものを食べてしのいだ。
子供たちは、月曜から3日間、学校は休ませろといわれたので、休ませた。が、3日目の
水曜の夜から、また調子の悪そうなショーン。まったく。翌木曜、朝、ちょっと調子が悪そう
だが、熱もなかったので、学校へ送った。というのも、この日は、大使館へ行ってパスポートの
更新をしないといけなかった。その後、お寺へも行かないといけなかった。午後お寺へ
行って。旦那に会った。元気そうだった。で、ショーンも心配ですぐに帰宅。案の定
3時前に学校から電話。ショーンが熱いと。迎えに行ったら、ほんとに熱い。すぐに
薬を飲ませ。その日は、やっぱり、夜中も熱が出て。また、、、。
翌金曜、ルビーを学校へ落とし、その足で、ショーンを病院へ連れて行った。また、
扁桃腺がはれていると。またか、、。自宅に帰り、安静。この日もお寺へ行く予定
だったが、いけず。
ちょうど1週間後の18日。また、バイがルビーを学校へ連れて行ってくれて助かった。
そして、なんとこの日の朝、生理になってしまい。そう、ヒンドゥ。生理になったら、
プジャをすることは、だめ。不浄らしい。ということで、この日から、お寺にはいけなくなり。
でも、そのおかげで、断食から開放された。ま、適当にやっていたものの、ほんとに助かった。
ショーンは、熱が上がったり下がったりを繰り返したが、なんとか。20日の月曜にフォロー
アップに行って。火曜からは学校へ送っていいと。よかった。
火曜、水曜と家で過ごし。
23日の木曜が喪があげる日。朝からプジャで、お寺へ来いと。ただ、あたしは、
プジャできないから、外で。旦那がルビーにティカをつけないといけないらしく。
ショーンも学校を休ませて、お寺へ。すっかり痩せていた旦那。お疲れ。
プジャも終わり、ここで、初めてご飯を食べる。久々の塩入りのものを食べたら、
胃がきりきりして大変だった。終わった、、。お寺から実家へ帰り。夕飯を食べ。
13日間の喪をあける儀式をして。終わり。家へ帰ってきた。13日ぶりのお家。
旦那お疲れ。
と、いうわけで、突然、旦那が戻ってきて。お義母さんが、なくなり。ほんとに
ばたばたしていた。ちなみにあたしも痩せたよ。
24日からは、普通の休暇となった旦那。友人に会ったり、親戚、従兄弟に
会ったりと、毎日、出かけている旦那。あたしも一緒に行ったり、一人で行ったり。
9月9日にロンドンに戻る。おうちに帰ってきてからのことは、次回の日記に。
ほんとお義母さん、ありがとう。安らかに。そして、これから、どうしよう、、、、(涙)
前回の日記で、お義母さんが、また病院へ行ったとまで書いて。
その後、CCUにずっと入院していて。入院1週間後の8月9日(木)の
朝早く。義父から、電話で。お義母さん、危篤で、旦那に連絡してすぐに
ネパールに戻ってきてくれと。が~ん。とうとう来てしまった、、、と思い。
旦那に電話。ロンドン朝の3時半だけど、連絡。ちょうど起きたところで。
帰ってくる旨を伝えると。朝仕事場に行って、話してきて、その後、チケットを
取ってからまた連絡すると。すぐに折り返し、旦那が直接、義父にも電話したようだ。
何時間後かに連絡があり。仕事場は、了解で。10月に取るはずだったお休みを
前詰めにして1ヶ月戻ってくると。チケットがその日取れなくて、翌10日の夜の便で
帰ってくることに。
で、10日の金曜。この日は朝から公共交通のストライキ。二人が学校へ
行ったら、病院へ行こうと思っていたが、ストのせいで学校が休みに。その上、
公共のバスがすべてストで、どこへもいけない、、ので、自宅で待機。
くしくも、この日は、結婚記念日。10年がたった。早い、、、。
この日、午後5時過ぎに旦那と最後に話、ネパールへ帰途。
11日の朝。この日も公共交通スト。ルビーの補習校どうしよう、、と思っていたが、
大家さんのバイが、バイクで乗せていってくれて。助かった。お迎えも彼が行ってくれて。
よかった。で、実家の義妹から電話で。かなり、お義母さん、悪いらしいと聞き。
旦那は午後5時にカトマンズ空港に着くと聞いていた。お義父さんからも電話があり
まだか、、と。5時すぎる旨を伝え。5時半に義父より電話で。5時20分にお義母さん他界。
もう、涙が止まらなかったよ。まじで。その10分後に旦那が家に着いた。旦那に伝えて、
すぐに病院へ。旦那、義弟と一緒にロンドンから戻っていた。二人で病院へ。
夜、連絡があり、この日は、実家に泊まると。親戚一同、みんな泊まったらしい。
翌12日。この日もストかと思っていたら、スト中止になり、学校ありに。よかった。
この日は、パシュパティというお寺で、お葬式の儀式がある。が、ルビーとショーンを
連れてじゃ大変だ、、、と。学校があったので、二人を学校へ落とし。9時過ぎに
そこへ。親戚一同がいた。お義母さんと最後。花をかけ。最後に話しかけ。
その場で、火葬。ほんと涙が止まらなかったよ。ネパールに来て、2年半。お義母さん、
なしでは、絶対に無理だった。ほんとにお世話になったお義母さん。ほんとに涙が
止まらなかった。旦那もずっと泣いていたよ。で、亡くなってから13日間、喪に服さないと
いけないヒンドゥ。それも旦那と義弟は、そのお寺で。髪をそり、タオル一枚ですごす。
13日間、誰からも触られてはいけない。そして、これ。塩、肉、魚、ミルク、卵だめの
一日一食。それも、Gheeというバターをライスにかけて食べるのみの一食。まじですごかった。
これは、旦那のメニュー。かと思い気や。あたしも義妹もお寺で過ごさないといけないと!
が、子供がいるから、自宅でいいからと。でも、食は、旦那と一緒と。まじで。一食以外は、
フルーツのみ。ビスケットもだめ、スナックもだめ。全部だめ。もうありえない13日が始まった。
でもね、子供は、お肉だけがだめで、それ以外は、普通どおり。やってられないよね。
最初の二日で激痩せ。でも、このままでは、二人の面倒を見ているあたしが倒れると思い。
だめなものは、食べなかったが、少しずつ食べれるものを食べてしのいだ。
子供たちは、月曜から3日間、学校は休ませろといわれたので、休ませた。が、3日目の
水曜の夜から、また調子の悪そうなショーン。まったく。翌木曜、朝、ちょっと調子が悪そう
だが、熱もなかったので、学校へ送った。というのも、この日は、大使館へ行ってパスポートの
更新をしないといけなかった。その後、お寺へも行かないといけなかった。午後お寺へ
行って。旦那に会った。元気そうだった。で、ショーンも心配ですぐに帰宅。案の定
3時前に学校から電話。ショーンが熱いと。迎えに行ったら、ほんとに熱い。すぐに
薬を飲ませ。その日は、やっぱり、夜中も熱が出て。また、、、。
翌金曜、ルビーを学校へ落とし、その足で、ショーンを病院へ連れて行った。また、
扁桃腺がはれていると。またか、、。自宅に帰り、安静。この日もお寺へ行く予定
だったが、いけず。
ちょうど1週間後の18日。また、バイがルビーを学校へ連れて行ってくれて助かった。
そして、なんとこの日の朝、生理になってしまい。そう、ヒンドゥ。生理になったら、
プジャをすることは、だめ。不浄らしい。ということで、この日から、お寺にはいけなくなり。
でも、そのおかげで、断食から開放された。ま、適当にやっていたものの、ほんとに助かった。
ショーンは、熱が上がったり下がったりを繰り返したが、なんとか。20日の月曜にフォロー
アップに行って。火曜からは学校へ送っていいと。よかった。
火曜、水曜と家で過ごし。
23日の木曜が喪があげる日。朝からプジャで、お寺へ来いと。ただ、あたしは、
プジャできないから、外で。旦那がルビーにティカをつけないといけないらしく。
ショーンも学校を休ませて、お寺へ。すっかり痩せていた旦那。お疲れ。
プジャも終わり、ここで、初めてご飯を食べる。久々の塩入りのものを食べたら、
胃がきりきりして大変だった。終わった、、。お寺から実家へ帰り。夕飯を食べ。
13日間の喪をあける儀式をして。終わり。家へ帰ってきた。13日ぶりのお家。
旦那お疲れ。
と、いうわけで、突然、旦那が戻ってきて。お義母さんが、なくなり。ほんとに
ばたばたしていた。ちなみにあたしも痩せたよ。
24日からは、普通の休暇となった旦那。友人に会ったり、親戚、従兄弟に
会ったりと、毎日、出かけている旦那。あたしも一緒に行ったり、一人で行ったり。
9月9日にロンドンに戻る。おうちに帰ってきてからのことは、次回の日記に。
ほんとお義母さん、ありがとう。安らかに。そして、これから、どうしよう、、、、(涙)