定年夫婦の暮らし方(店長日記)

盛岡に住む定年夫婦(昭和20年生)の暮らしを分ち合います。

シルクロードの旅(9)

2008年02月01日 | 思い出の旅行

10月31日
   08時41分 敦煌駅着 朝食後専用バスで敦煌市内
   敦煌観光(莫高窟、鳴沙山、月牙泉)  宿泊:敦煌山荘
 モーニングコールの前に目が覚める。寝台車は列車が動き始める時の連結器の不快なショックがなく快適であった。東京盛岡間の新幹線が開通していない時代、特急寝台を良く利用したがその当時の国鉄時代の寝台車より格段に優れていた。
 外は荒涼たる砂漠が延々と続いている。そんな風景を見ながら二人で朝のコーヒーを飲む、旅の醍醐味である。


 8時41分、敦煌駅着、駅は建物は新しいがエレベーターもエスカレーーターも無い、ポーターもいないので各自重いスーツケースを持って階段を昇り降りさせられる。女性やお年寄りは大変、余裕のある人は手伝ったがきつかった。
 敦煌駅はかって柳園と言いう駅名であったが敦煌観光が脚光を浴びるようになって駅名を変えた。しかし駅から敦煌の町までバスで2時間もかかる、空港は十数分の距離にあるから鉄道は苦戦を強いられそうである。
 出迎えのバスに乗り込むと大柄で元気のよい回族の若い女性ガイドの「ヤー」さんが迎えてくれた。まず、駅の近くのレストランまで移動して朝食をとることになる。外国人用ではなく中国人用のレストラン?食堂で店内は肉か香辛料か、それらが入り交じった独特の臭いが充満しムッとなる。皆さんめげずに肉料理は避けたものの、あっさりしたお粥や野菜をしっかり食べていた。トイレも外国人向けではなかった。

 バスは砂漠の道を一路敦煌目指してひた走る。イスラム教徒のヤーさんはラマダンに入っているので朝食は食べなかったと言う。近代的な雰囲気の女性だったので厳しい戒律を守っていることが意外であった。
 ガイドが今日は蜃気楼が見える天候だと言う、皆半信半疑で目を凝らして外を見ていると本当に蜃気楼が見えてきた。地平線にもやのようなものがわき上がり大きな湖があるように見える。蜃気楼も立派な観光資源であることを確認する。1時間程走ると今度は右手遠方に漢時代の万里の長城が見える、2000年に渡る風化でかなり崩れているが壮大な規模を実感することができた。客の希望でトイレタイム、砂漠の中にはドライブインもトイレも無い、男も女も好きなところで雄大な気分に浸りながら用を済ます。


 バスはようやく敦煌市内に入る、飛天のオブジェがある交差点を左折しホテル敦煌賓館に到着、ここで昼食となる。1階には和食レストランを発見、日本人客が多いことが伺える。我々は2階の中華レストランで昼食をとる。下から爆竹の音が聞こえる、結婚披露宴が終わった新郎新婦を祝うためとのこと。
 敦煌はかってシルクロードの交通の拠点として栄え,現在は小麦、綿花等の農業、土産品等の手工業と観光を主な産業とする人口18万人のオアシス都市である。莫高窟が世界遺産に登録されたこともあって中国を代表する観光地として注目されている。ホテルでの結婚披露宴も敦煌の繁栄を物語っていると言えよう。
 いよいよ旅のクライマックス、莫高窟へ向かう。砂漠を30分程、東に向かって走ると写真で見た景色が目に入ってくる。莫高窟は鳴沙山の東壁面に南北1.8kmに渡って僧侶が修行するために掘られた石窟である。前秦時代366年に着工され元代まで1000年間堀り続けられた。
 最初に96窟の前で記念撮影をして中に入る。ここもカメラ、ビデオの持ち込み禁止。見学する窟もガイドが決める、我々の希望は受け入れられない。私たちは全部で10窟(328,17,16,427,428,259,249,96,130,158)見学できた。
 ガイドは派手な色のセーターを着た60代の小太りのおばさん。まず、入口近くの328窟見学から始まる。盛唐時代の窟で保存状態が良く,塑像も美しい。17窟は有名な敦煌文書が発見された窟、1900年に偶然に16窟の中に封印された窟(現在の17窟)が発見された。中から5万点に及ぶ仏画、教典、古文書が発見された。窟を塞いで描かれた壁画が宗時代のものであることから900年間封印されていたことになる。井上靖の「敦煌」はこの封印された窟をテーマにした小説である。そこには樹下美人像を思わせる素朴な壁画が描かれている。
 259窟は北魏時代の高さ1m程の小さな仏像の美しい姿と微笑が印象的。249窟は西魏時代の壁画がある。動きのある狩猟図は騎馬民族が描いたと言う。白虎、朱雀は高松塚古墳と近い。動物の描写が素晴らしい。96窟は九層の楼閣に35mの巨大な仏像が納められている。像の足下から見上げるためにその迫力に圧倒される。作者はその効果をしっかり計算している。これほど巨大な仏像が納められているとは外観からは想像出来ない。130窟は盛唐時代の窟、長さ15mの涅槃像、窟全体が棺の形をしている。天井から壁まで千仏像でうめつくされている。
 ガイドは窟の扉の鍵を開け、見学が終わると鍵をかける。ガイドのペースで見学は進む。16、17窟始め代表的な窟が見られたことに満足した。


 まだ余韻が消えないうちに次の観光地鳴沙山に到着。入口から双こぶラクダに乗って月牙泉まで行くことになる。それぞれゼッケン番号が付いている。帰りも同じラクダに乗るように指示される。ラクダはいきなり立つのでしっかり掴まっていないと振り落とされる。
 ラクダ使いのおばさんを先頭に妻と私の二頭立てのキャラバンが出発する。行く手はイメージ通りの美しい砂丘が広がる、揺られながら逆光を進む妻はあたかもお姫様、私は王子様、まさに童謡「月の砂漠」の世界であった。しかし、コンクリートの貯水池や砂丘を滑る観光客の姿が見え直ぐに現実に戻された。
 月牙泉の手前でラクダを降り、40分程の自由時間が与えられたので周囲を散策する。月牙泉は砂漠の真中にありながら枯れない不思議な泉である。文化革命で壊され再建された寺院を見学し裏の砂山を登る。靴を脱ぐと冷えた砂の感触が気持ち良い。喘ぎながら頂上に登ると眼下に月牙泉、目を上げれば鳴沙山、そして遥か彼方まで砂漠が続いているのが見える。
 帰りは青年のラクダ使い、日本語で一生懸命話しかけてくる。ウイグルの子どもも日本語をこのようにして学んだのであろう。調子外れの歌まで歌ってくれるサービスぶりだった。


 ホテルは鳴沙山近くの敦煌山荘、ロビーは大きく天井もやたらに高い、香港人の経営とのこと。シャワーを浴びて砂漠のほこりとラクダの汚れをとり夕食まで休憩する。今日は余りにも色々な体験があったので頭の中を整理しないといけない。
 7時ホテルのレストランで夕食、夜はなかり冷える、屋根しかない長い廊下を通ってレストランに着くと既に皆揃っている。まず、ビールで乾杯する。今日も素晴らしい一日であった。




 気になった人々
  ガイドの回族の「ヤー」さん
  敦煌、莫高窟の派手なセーターのガイド
  懸命に日本語を学ぼうとするラクダ引きの青年
  敦煌の帽子売り


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