定年夫婦の暮らし方(店長日記)

盛岡に住む定年夫婦(昭和20年生)の暮らしを分ち合います。

シルクロードの旅(10)

2008年02月15日 | 思い出の旅行

11月1日
 敦煌空港発11:50 →HU-532便→ 西安空港着15:20
   西安でイスラム寺院(清真寺)見物 夕食は餃子宴の予定であったが…

 9時ホテルを出発し敦煌空港に向かう。時間があるので土産屋に寄ると言う。入口で絨毯の製作実演と説明があって体育館の様な大きな売場に誘導される。どこの土産屋も同じ商品構成とディスプレイ。シルク製品、夜光杯、玉等同じ所から仕入れていると思われる。店員は全員流暢な日本語を話す。若い女性が多く真剣に売る姿はいじらしい。価格はあってもないも同様、場合によっては10分の1、それ以下にまけるとも言う。シーズンが終わり間もなく店を閉めるので安くすると言うが信用出来ない。

 

 買う気がないので妻をおいて店を出る。周囲は畑と集落があるだけ。家は日干しレンガ製、中庭があってそれを囲むように建っている。入口には不釣合いな立派なドアがある。そのドアには何か書いてある、魔除けか。 
 道路に面した家に数人の農夫が集まって何やら懇談している。道路際に収穫が終わった綿花の茎が山のように積まれている。畑では10頭程の羊を老農夫がのんびり追っている、その脇で一人農夫が黙々と畑を耕す。時間が止まっているような風景があった。
 10時30分ようやく土産屋を出発、空港には10分程で到着。ウルムチ発の飛行機が霧のため遅れていると言うので止むを得ず市内に戻り予定外の昼食となる。食後はレストランの近くあった小さな野外市場をのぞく。白菜、タマネギ、瓜、カボチャ等野菜だけを扱っていた。市場の一角に食品店があったのでツアーの一行と入る、えらく安いのでマテ茶と老酒を買う。日本人と分かっても吹っかけてこなかった。
 飛行機がウルムチを出ていないとのことなので敦煌賓館にバスを移動させロビーで休むことになる。我々は街を見るチャンスとばかり周囲を歩き回る。表通りには観光客相手の土産屋が並ぶ、暇なのか店の前で日本のものよりひと回り大きいパイで麻雀をやっている風景も見える。脇道に入ると食品街があった。生きている鶏、鳩、鯉、うなぎ、ドジョウから肉、野菜、香辛料等豊富な食品が並ぶ。ジャスミン茶、ザーサイ、干し柿を買う。
 1時間程でホテルに戻ったが未だ飛行機が飛んでいないとのことだったのでまた、散策に出かける。本屋があったので入って見る、種類は少ないが絵本、小中学校の教科書が目立った、教育熱心なことが伺える。次に大きな靴屋に入る、種類も多く安い。妻がスニーカーを買おうとしたら中年の女店員が76元と書かれている値札に1を書き加え176元だと言う。元の76元の値札を付けたて同じ靴を見つけ、なぜ176元なんだと交渉、当然日本語と中国語のやりとりであったが意思は通じ元の値段で買うことができた。日本人と分かっての吹っかけであることは明白、不愉快であった。
 ホテルの戻るとウルムチの天候が回復したとの情報が入ったので空港に戻ることになった。しかし,空港での情報では客の一人がごねて飛べない状態になっているとのこと。このまま欠航になれば予定通り帰国することは難しいので成田のホテルや新幹線のキャンセルを考え始める。
 5時になって飛行機がウルムチを離陸したとの情報が入り皆ほっとする。荷物をバスから降ろして出発ロビーに移動。元気なガイドの「ヤー」さんと握手をしてお別れする。
 売店で自分用に夜光杯2個1000円と妻は藍染めの中国服を買う。
 10時間遅れの20時ようやく搭乗開始、小さなタラップを登り機内へ,飛行機は30人乗り,座席12Aは最後部のトイレの隣。粗末な機内食にビールにウーロン茶、寂しい限り。
 9時45分西安空港着、専用バスで市内へ移動し鐘鼓楼大酒店にようやく到着。待たされた1日であった。中国国内は必ずトラブルがあると聞いていたが実証することになってしまった。


 気になった人々
  ・羊を追う老農夫
  ・敦煌空港で待たされた白人老夫婦



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