3210 あほうむ びぎゃn

暁に逝ってよしとはいわなんだ、千年の幽囚を経ておなぢみあおきひとし伝説が遂に復活!飲んだら詠むな、呼んだら呑むな

囲碁よろしくネットワークだよ~本因坊戦の前哨戦、NECカップ

2006-06-29 23:51:07 | 囲碁
 第26期NECカップ一回戦 山田規三生九段対羽根直樹九段

 この碁はよくみると、なにやら本因坊戦の第5局と似ている。この碁の白は山田規三生九段だが、右下の星の白に黒がケイマガカリした時に白8とコスミツケて、白10と高く四線に一間に開いた形は、本因坊戦で右上の黒の星に高尾紳路本因坊がケイマガカリした形とそっくりだ。そしてこの碁では黒23と早い段階で黒に三々に入られた地の甘さを反省したのか、山田規三生本因坊戦挑戦者(黒番)は右上を黒23とケイマに締まってこの碁の教訓を早速生かしている。どうやら、山田規三生挑戦者にとって、このNECカップは本因坊戦第5局のための良いトレーニングになった模様である。
 

囲碁よろしくネットワークだよ~高尾戦機を誤まる、本因坊戦第5局

2006-06-28 23:05:53 | 囲碁
 第61期本因坊戦七番勝負第5局 高尾紳路本因坊対山田規三生九段

 トルストイの『戦争と平和』ではアウステルリッツの戦いにおける76000人のフランス軍と87000人と数に於いて優るロシア・オーストリア連合軍の壮烈な戦いを描いている。この戦いでナポレオンは11000人少ない劣勢を覆すため、態と自軍の右翼に隙をつくり、そこに敵の主力に集中的な先制攻撃をかけさせておいてから、右翼から迂回してきた自軍の全戦力を集めて一挙に中央突破を謀り敵を壊滅させるという戦略の冴えを見せつけたものである。
 この碁における高尾本因坊も前半はナポレオン並みの冴えを見せていたといえる。威風堂々とした本格的な序盤戦の布陣の中で一瞬の隙をついて、右下の黒が中国流に三手かけた地模様に突入、全体的な白の厚み=コウ材豊富をバックにコウをちらつかせつつキレイに先手で荒らして先制点を挙げ、左辺に戻る。白44の三々受けと白46のケイマによる威嚇は“二階オルガン、下ピアノ”という比喩そのままのバランスの良い布陣である。そして黒の51から55という強引な策動にも慌てず、白56、58と打ち込んでおいてから60、62と塗りつけ、黒63の抱えを黒の譲歩と見てここ(左辺)は形を決めずにいったん退き、今度は右上64と地雷を仕掛ける。左辺、右上とふたつの仕掛けはいずれ起こるであろう上辺から中央にかけてのの戦い~これが両軍の決戦になると高尾は見ている~に備えたものでり、形を決めてしまわないのは、中央決戦に対して最も有効に対応するためであり、上辺~中央に態と隙を作って黒の惷動を誘う高等戦略であった。はたせるかな黒は65とさっき51と一間に飛んだ黒の顔を立てて、上辺を動きだしたのである。だがこのタイミングで動くことは、あえて戦略的対峙の構えの白も待ち受けていた事態であり、黒が65、67、69と動く間に白石も66、68、70と上辺に展開すれば、もとから上辺にあった黒1、23、47の黒の陣も影響を受けるわけで、すると先程仕掛けてあった白64の地雷が爆発して白72と敵の懐の中で反乱の狼煙をあげれば上辺の黒も死活にかかわることゆえに黒73の受けが必然で、その瞬間、いつのまにか右辺の白は右上と繋がって完全に生き(右上にできた一眼がとてつもなく大きいのだ)てしまい、こと右辺に関しては右下からの黒の厚みが白によって脅かされ、黒29と39の間の断点ばかりが目立つ仕掛けになっているのが分かる。つまり、サッカーでいえばワン・ゴールをあげたわけで、前半戦とはいえ白はここで以降の戦いの主導権を握ったことになる。
 それは言葉をかえれば、一点でもリードしている白軍は二点目を狙って敵陣に攻め入り決定的な差をつけてしまうか、虎の子の一点を後生大事に守って後方でボールをもて遊んで敵をジリジリさせるか、両様の作戦がありえるわけで、ということはそのいずれともつかず敵をじらすという高等テクニックもまたありえた、という優位に白はあったわけだ。
 ところが白の高尾はここでミスをおかしてしまう。左辺を白74~黒85と決めた、ということは左辺を黒に地として与えても中央に勢力を築き、中央の黒軍と戦いますよ、と宣言したことである。これは、いわば後半戦の開始早々に、敵にこちらの作戦=手の内をさらしてしまったことで、ならばと黒も対応策を立て易くなった。つまり白は104の一子を囮にして黒の中央大包囲網を布いたわけだが、大風呂敷はとかくホコロビ易いというわけで、黒も覚悟を決めて黒111の切断、刺し違え覚悟の開城決戦に出てきたのである。
 窮鼠猫を噛む、という。大軍同士の睨み合いから一挙に接近戦になってしまうとこれは敵味方入り乱れての乱戦、泥仕合の様相を呈してくることであり、1-0で睨みあって圧倒していたゲームを一挙にPK戦に持ち込んだような趣き、危うさに陥ってしまった。
 つまり、1-0と一点リードしている状態で停戦に持ち込む機会が実に三度あったのである。詳しくは棋譜のコメントに参考図とともに抄録してあるが、白112、118、122という絶好の休戦条約の締結⇒勝利の確定のチャンスを白は三度ともに逃してしまうのである。
 そして「死兵は強し(死を覚悟した、死に物狂いの兵は手に負えない)」という言葉のとおり、黒113、117、121の死活の要点をいつのまにか占めた黒軍は力関係においていつのまにか白に逆転してしまっていて、黒123と牙を剥いてきた時に白は中央の白九子を見殺しにして逃走する破目になってしまったのだから勢いというものは恐いといわざるをえないのだ。
 そして、もはや形勢が覆ったとき、一打逆転のバクチ(白130での居直り)を打つこともなく、ずるずると土俵を割っていったのは、高尾にしても不完全燃焼の悔いが残ったのではないのか。
 各所に兵を散らばらせておいて敵の仕掛けを誘い、敵陣の最深部で反乱を起こして一挙に緒戦の効を挙げておきながら、矛を収める時期を見誤って急戦=乱戦に持ち込まれ、そのまま退却戦を負けたという情けない戦い方は高尾の若さを露呈したともいえないだろうか。
 
 

囲碁よろしくネットワークだよ~コウ自慢、本因坊戦

2006-06-26 21:25:32 | 囲碁
 第61期本因坊戦七番勝負第5局 高尾紳路本因坊対山田規三生九段

 黒番山田規三生九段の中国流から割と古典的な(本格的?)な布石で始まった本因坊戦第5局だが、地に辛い現代流の特徴は黒11の三々入り、黒23のケイマ受け、白28の“殴り込み”のような荒らしなど随所に見受けられる。
 そして第一日目の午後、白46のカケまでは流れるような名調子かと思われたが、白の56、58のツケハネから一転、60、62と五線を塗りつける方針に転じた高尾の意図がわからない。又、それに呼応するかのように黒63で常識的は四線のヒキではなく実戦63のアテ切った山田の真意が不明である。このあたり、テレビの解説を前半だけしか見ていないからサッパリである。石田芳夫解説名人ならそのあたりを明解に教えてくれただろうに...。
 で、封じ手の予想は石田Pの白コウ材豊富を信じて、黒63の上の当て返し、と。
 

囲碁よろしくネットワークだよ~寄せ上手、NHK杯

2006-06-25 20:46:39 | 囲碁
 第54回NHK杯囲碁トーナメント一回戦 柳時薫九段対金秀俊七段

 NHK杯の場合、解説は両対局者あるいはそのどちらかに縁が深い棋士が選ばれることが多い。今日の場合、柳時熏九段、金秀俊七段の両対局者、それに解説の趙善津九段の共通項は韓国出身ということだった。成る程。
 だから、という訳でもないだろうが、試合は序盤から激しい戦いの連続の、スリリングなゲームであった。
 金がのっけから仕掛ける。右上の白4~8に手を抜いて左上~上辺に黒9、11と先着し、更に13ハサミと急戦に持っていく。ここで始まった戦いは息を呑む先手争い、裂帛の気合の切り違え、天下利かずのコウ争いと、激しい攻防の末、123手目で黒が上辺の白の十五子の白の大石を仕留めて決着がついたかに見えた。この段階では確かに上辺に40目の地を得た黒が優勢に見える。
 しかし白も132手目で右下の星にカカリ、危機を察知した黒が中央のさまよえる大石を黒135と補強している間に白138と右下の星の黒に両ガカリしては右辺と下辺の白の地模様が俄然盛り上がって地合いで白逆転したかにも見えた。
 ところが、右下の黒を生きるその一瞬に黒149と右辺深々と打ち込んで先手で荒らして切り上げた“侵分”、下辺で白が178から180と大きく白地を盛り上げるのにも動揺することなく黒175の押さえから197、199のハネツギとじっと耐えて白200の抱えこみを許した後の黒213の二間の“大飛び込み”の“奇策”の見事さはどうだろう。
 確かに、この碁を黒優位にもちこんだのは100手に及ぶ序盤からの先着の効を活かした激しい戦いの帰趨によるものであることは言うを待たないが、勝利を確定せしめたものはシロートには到底及びもつかぬ飛躍した発想からくる上記の二手の寄せのおかげだといえよう。
 まことに、先人が言ったように「終盤に強い者が、碁に強い者である」ということを、しみじみと感じ入った次第である。
 

 

囲碁よろしくネットワークだよ~ダブルヘッダー第1試合、NHK杯

2006-06-22 21:02:20 | 囲碁
 第54回NHK杯トーナメント一回戦 清成哲也九段対山田規喜九段

 『週刊碁』(2006.6.26)は月曜日発刊の週刊紙だが、宅配では大都市などでは前日の日曜日の朝に配達されてしまうので、以前は新聞表記期日(実際の販売開始日の次の週の月曜日の日にち)の前の週の月曜日、つまり放送日の翌日の発売開始の筈が実は放送日の朝にその日OAの記事が載っていた不都合があり、現在ではもひとつ前の週のOA分の記事を載せるということになった。それはだからやむをえないとは思うのだが、こうなってみると、6月11日(日)OAの記事が6月19日(月)発売のNPに載るということになり、ニュースとしては古いという感じがするのは、テレビやインターネットが発達した時節柄やむをえないことかもしれない。
 そこで、こちらとしてはニュース性に劣る分、OAの段階からはより一段と深い分析を加えた記事を期待するのだが、今週は“外れ”だった。
 というのも、くだんの記事に添えられた番組司会者中島美絵子プロの「美絵みえブログ」というコラムで「この日の収録は二日(二回)分あって、この対局は一局目だった」という記述があったから分かったのだ。どういうことかというと、テレビ収録は放送(OA)の約二ヶ月前に二日(二回)分まとめて行われるので、一局目は試合が終わったら、次の対局のためにスタジオを明渡さなければならないということなのである。(ということは、二局目が終わるとスタジオはもう予定がないので、検討戦は論理的には無制限に出来るということになる。まぁ、現実には長くて二時間位、平均1時間のようですが)そのために、6.11のOAから一週間遅れて手に入れた『週刊碁』(2006.6.26)の記事には「白38はがんんばりすぎたかなぁ」という清成Pの反省のコメントが紹介されている位で、勝敗のポイントに関する掘り下げはあまり無かったように察せられるは残念である。
 


囲碁よろしくネットワークだよ~元棋聖対前棋聖、竜星戦

2006-06-21 21:13:07 | 囲碁
 第15期竜星戦本戦Aブロック 小林光一九段対羽根直樹九段

 “ベルリンの魔物”再来といったところか、終盤時間に追われた羽根は棋聖戦第1局の再現であるかのような大ミスを犯し、あたらの勝ち碁をフイにしてしまった。そして、小林もそうだったが時間つなぎに打った黒139、141、143の三手が絶好の近所コウだったにもかかわらずコウにする前に打ってしまったためコウ材がなくさしもの名局もパーにしてしまったのが早碁の恐さであり、コクのなさでもある。羽根はつまらないミスで一局の碁を落としてしまった。それが実力といえばそうなのかもしれないが...。ガンバ、四天王、“忍の貴公子”さんよ。あなたはともかくもNHK杯選手権者ではあるのだから。
 

囲碁よろしくネットワークだよ~“巨大詰め碁”対局者が一番読んでいる

2006-06-20 22:46:29 | 囲碁
 第61期本因坊戦七番勝負第4局 山田規三生九段対高尾紳路本因坊

 白52ポン抜きまでの左上の大フリ替わりの評価、形勢判断は対局者と控え室では大きく分かれた。大竹英雄とか結城聡(場外では藤沢秀行)といった“厚み派”は一子ポン抜いた白持ちだったが、両対局者は形勢不明と見ていた。だからこそその後の展開に関する評価も盤上と盤外では大きく異なる(盤外では白の勝ち逃げを目指し、盤上では互いに形勢不明の打開のハカリゴトをめぐらしていた)のはやむをえない。さもあらばあれ、局後、山田規三生プロが示した巨大詰め碁は“ビューテイフル”の一語に尽きるし、またそれを喝破した高尾紳路プロのハタラキは本因坊の名前に恥じぬ機敏な処置だった、と後からでは言える。しかしまあ、ふたりともたいしたもんだ。おそれいりました、流石はプロ!
 

囲碁よろしくネットワークだよ~サッカーW杯、ギリシア悲劇、ポカ

2006-06-19 21:18:41 | 囲碁

 中日囲碁交流功労賞受賞公開早碁対局 聶衛平九段(中国)対藤沢秀行名誉棋聖(日本)

 三題噺を一席。

 「サッカーW杯」。
 日本-クロアチア戦を見ていたが、素人目にも日本が弱いのがよ~くわかった。だって、パスがぜ~んぜんなってないんだもん。だいたいがサッカーとは動くビリヤードみたいなもんでしょう?最終的には相手のゴールにシュートすればいいのだが、敵もいることだから、ビリヤードのクッションボールのように球をパスしながら繋いでいく。そのパスだが、日本選手の場合立ち止まっている味方選手にパスするか、誰もいない所にパスして場外というケースばかりで呆れてしまった。これじゃ、相手は守りやすいよ。止まっている選手を探してそこにパスすれば「ボールキープ率」は上がる(クロアチア戦では日本57%!。前回の40数%とは大違いだが、それは数字のマジックで、前回のオフェンシンブパスがデフェンシンブパスに後退した結果にすぎない)かもしれないが、それでは攻撃に不可欠のスピードに欠ける前近代的とさえ酷評しても言い過ぎではない、ハイスクールレベル以下のあれはサッカーだった。近代というとオーバーな表現になるが、いやしくもW杯レベルで戦おうというのなら、パスは立ち止まっている選手に向けて発するものではなく、彼(パスする相手の見方選手)が1.5秒後に到達するだろう、シュートするのに最適のポイントに向けて放たれてこそ、それはオフェンシブなパスたりうるのである。日本の選手はそういうアクティブなパスは全然できていなかった(それは、クロアチアも、豪州もほぼ同じではあるが、それは要するにこの三カ国が三流の証明でしかないのだろう)し、しようとする気配も無かった。普段からそういう練習さえしていない(そういう思想すらない?)んじゃないのか。これじゃ、W杯に参加する資格はない、と見たね。
 
 「ギリシア悲劇」。
 これはブーメランのようなアクロバットな論説なので少々長くなるが、がまんして読んでね。
 田草川弘はその著書「黒澤明vsハリウッドー『トラ・トラ・トラ!』その謎のすべて」で、映画『トラ・トラ・トラ!』での監督解任というトラブルは「史上最大の作戦」のようなスペクタル映画を作りたかったプロデューサーと山本五十六の「ギリシア悲劇」のような物語を作りたかった監督黒沢明の対立にその原因があった、と述べている。ではその“山本五十六の「ギリシア悲劇」のような物語”とは何か、というと以下はあおきの推論であるが...
 日米開戦という今からみれば暴挙としか見えない“衝動”を起こしてしまった所以のものは、日本陸軍の西南戦争の教訓から来る歩兵主戦力論=精神主義と、日本海軍の見事なまでに神がかってしまった技術主義の“手術台の上の傘とコウモリの出会い”のようにシュールな融合に他ならない、というのがあおきのかねての持論なのである。
 西南戦争とは実は奇妙な戦争=内戦であって、薩摩藩という旧体制による明治政府という新体制=政府への反乱と見られているが、兵士と兵器の側面から言うと、“刀という旧式兵器を用いた戦争のプロ”と“鉄砲という最新式兵器を用いた戦争のアマ=徴兵されたばかりの民兵(元・百姓)”の戦いであった。そして例の歌にも唄われた田原坂で決戦をおこなうのであるが、この戦い、一説によると少数の決死の覚悟の「抜刀隊」の獅子奮迅のハタラキにより、精度の低い(命中率の低い)鉄砲を持たされた百姓上がりのにわか兵隊たちは恐怖に駆られて前半戦は薩摩軍(というより旧藩士)がおおいに意気があがり、あの山県有朋が真っ青になったという。これはありそうなことで、19世紀のピストルというのは命中率が悪く、10メートル離れていればまず急所には当たらなかった、というから山県ら政府軍首脳があわてたのは至極当然の事態だっただろう。それでも持久戦にもちこんでなんとかできたのは、数に於いて劣る薩摩士族軍が疲弊してきて刀の切れがわるくなったからに他ならないが、山県ら政府首脳はここから「近代戦争といっても、刀や鉄砲といった武器の威力には限界がある。それよりも大事なのは、そんなもの(武器)にはひるまない歩兵(武器の機能には限界があるから、それを扱うテクニックはなくともかまわない!)を次々と投入すれば、相手の疲弊を誘い、物量作戦=肉弾戦の様相を展開し、勝つことができる」という教訓を引き出し、<愚劣で最悪の戦争思想>(司馬遼太郎)を日本陸軍の脳髄の中核に据えたことであろう。それは30年後の日露戦争において、乃木将軍による旅順=203高地攻略において何の戦略もなく歩兵を投入していたずらに戦死者を増やしたという痛ましい戦史に受け継がれていった。(もっとも、陸軍軍人が陸軍のそれも歩兵を戦争の主力とする発想は万国共通のものであるらしく、最近見たアメリカ映画でも徴兵係の退役した傷痍軍人が「君も歩兵志願か?俺もそうだよ。なんたって歩兵は軍の華だからな」と言ってエバってたね。また我が国の飛び道具軽視的傾向は戦国時代からあったらしく、徳川家康も「桶狭間の戦いで、織田軍は竹垣に篭って(敵には当たらない)無駄弾を撃つばかりで役にたたず、実際に武田騎馬隊を破ったのは徳川の歩兵軍だった」とイバっているが、これは一面の事実ではあるらしい)
 一方、海軍の技術主義とはこうである。山本五十六も一平卆として従軍した日露戦争において日本海軍は当時世界最強と言われたロシアのバルチック艦隊を戦艦どうしの砲弾戦の末に完膚なきまでに撃破するのだが、そこで出した勝利宣言がかの参謀秋山真之が起稿したとされる「一発百中の大砲一門は百発一中の大砲百門に優る」という有名な(『その時歴史は動いた』でも、かの松平アナが嬉しそうに謳っていた)言葉である。当時の日本連合艦隊の旗艦「三笠」には、当時最も最近の世界的海戦「米西(スペイン)戦争」に辛勝したばかりのアメリカ海軍の武官も乗っていて「観戦」していた筈であるから、そのアメリカ軍人が驚嘆する様を山本五十六は見ていたに違いなく、その時に山本には「武器の性能はどの国もちょぼちょぼ、それを扱うテクニックは日本が抜群」という信仰が生まれた、といってもやむをえないだろう。そして事実、1947年ミッドウエィの戦いまではそれは事実だったらしい気配がある。というのも、その頃の戦闘機が搭載している機銃は口径12.7ミリというというヤワなシロモノで、推進力も弱く、百メートルも飛べば頭がお辞儀をしてしまうというはなはだ素人には扱いにくい難儀なブツであったのである。つまり戦闘機のパイロットは数秒後の敵戦闘機の飛行位置を割り出して、その地点に“山なり”の放物線を描いて“弾を据えてやる”、W杯サッカーのパス(やっと、ハナシがつながった、はあはあ)そこのけの高度のハイ・テクが必要で、その点日本軍は陸海空を問わず、ともかくも日清、日露、第一次世界大戦(局地戦だけど中国で独逸軍と戦っている
)、日支事変と立て続けに実戦を経験しているのでベテランパイロット=機銃照射の名手だけは数百名単位で保有していた世界有数の技能者集団(“世界に冠するゼロ・ファイター”!!!)ではあったのである。その一点だけは、数少ない優秀な軍人は全てヨーロッパ戦線にまわしていて太平洋は手薄だったアメリカ軍(対戦当初は新兵と退役軍人の再登板率が異常に高かった。なお、この傾向は日本占領当時も続いていたらしく、だからこそ平和憲法を始めとする理想主義的日本再建という“ジャック&ベティ伝説”《若いアメリカ兵たちが母国で実現できなかったユートピアを日本で実現しようとした、という...》が生まれもした、という...)に優っていたらしい。それもこれも1947年、口径20ミリ、700メートルは低弾道で直進する機銃を搭載という最新式高速戦闘機グラマンが大量生産されて、ドシロートのアメ公でもゲームセンター並みの操縦性、扱い安さで戦場に登場してからは形勢は一変するのだけれども...。

 そして「ポカ」。
 この度、秀行軍団が中国に行った。14回目らしい。何しにいったのか、というと、中日囲碁交流功労賞を受賞したというのでその授賞式に招待されて、ついでに公開早碁もし、その後はかのクンゲン君(韓国の1980年代NO-1)や結城P、坂井Pを助手にして大盤解説までやった、という。そうなんよ。秀行さんは物好きで、むかし弱っちかった中国に1981年から13回も若手棋士を引き連れて乗り込み、中国人棋士を教えた、という...。まあ、現代中国囲碁界の育ての親といったところで、あっちでは秀行さんは田中角栄並みの国賓扱いらしい。
 つまり、そのう、囲碁界では日本も昔は世界を牽引していた時代もあったのだよと...。戦争も一瞬は最大風速も記録していたと...。だから、サッカーも投げたらあかん、と....。

 わ~ん、つながらんわ。(´Д`)

 P・S:しかし、落語だって円朝なんかが客席からお題を頂戴してその場で即席ででっちあげた三題噺から発展したというから、あおきがこんなへんてこな文章を書いても許してあげるのだよ、みんな。
 


囲碁よろしくネットワークだよ~孫悟空、天を飛ぶ、NHK杯

2006-06-18 17:31:03 | 囲碁
 第54回NHK杯囲碁トーナメント一回戦 加藤充志八段対苑田勇一九段

 「キレイな碁風の二人」という解説の武宮正樹九段のご宣託だったが、ごは序盤から激しい戦いに終始した。その序盤戦は加藤充志八段が一本取ったのだが、中盤91手目の打ち込み(?左辺の白模様に臨んで、三線の石に肩ツキならぬ“ケイマツキ”を打ったのよ)から一気呵成に132まで、左辺の白の地模様を荒らすついでに、上辺の白の大石をあっというまに包み込み大逆転。黒石が盤上の中天を所狭しと駆け巡る様は、さながらキント雲に乗った孫悟空さながらに、“飛天流”苑田勇一九段の面目躍如たるものだった。
 

囲碁よろしくネットワークだよ~年の功

2006-06-16 21:54:09 | 囲碁
 第15期竜星戦Fブロック9回戦 園田泰隆九段対宮本義久九段

 宮本義久九段は“天下五目”の宮本直毅九段と兄弟で共に関西棋院所属。二人はプロプロ置き碁を企画し本を出すなどなかなかのアイデアマンである。1970年代から顔をみかけていたが、その頃から既に爺いだったような気がする。どうしてなかなかしぶといベテランである。
 碁の内容も1960年代の古典的な黒番逃げ切り作戦の勝利だ。おめ。まあ、あおきせんせいは関西棋院はご贔屓なのら。
 


囲碁よろしくネットワークだよ~秀行の目

2006-06-14 21:23:58 | 囲碁

 第61期本因坊戦七番勝負第3局 高尾紳路本因坊対山田規三生九段

 『週刊碁』(2006.6.19)を見ると、白の左下の打ち込みの変化で、白64ツギといううまい手があって、楽生きだという。この手を発見したのは高尾の師匠で先の副将軍じゃない名誉棋聖藤沢秀行という斯界最高の権威あるジサマの一言だから、誰もさからえない。ま、水戸黄門か笹川良一、あるいは田中角栄
みたいな人です。当の本因坊紳路クンが師匠に電話して「白64では65のツギからのコウのほうが、近所コウも多く、生きが楽だったでしょうか?」と聞いたら「ばかもん、参考図K60の左ツギにきまっているじゃないか、ヘボ」と叱りつけられたそうだ。現役の本因坊が一言も言い返せないのだから、これはもう信じるしかないのである。w
 


囲碁よろしくネットワークだよ~下駄の音

2006-06-13 23:48:20 | 囲碁
 第61期本因坊戦七番勝負第4局 山田規三生九段対高尾紳路本因坊

 夕方6時のテレビ放送終了の段階では、黒が中央、右下、左下をいずれも巧妙にシノいで悠々の逃げ切りかと思われたが、実は左下のサバキで黒が間違えており、白は左下の一子ポン抜きを決めて、右辺を両先手6目のハネツギを決めれば勝っていたという。ゲゲゲの鬼太郎ではないが、「カッタカッタ(勝った勝った)と下駄の音」が聞こえていたと、山ちゃんは言うのだが、ほんたうかしら。
 

囲碁よろしくネットワークだよ~本因坊昭宇

2006-06-12 21:44:31 | 囲碁

 第61期本因坊戦七番勝負第4局 山田規三生九段対高尾紳路本因坊

 歴代の本因坊はその二期目から号(というのか)を称したものである。本因坊薫和(岩本薫)、本因坊昭宇(橋本宇太郎)、本因坊秀格(高川格)、本因坊栄寿(坂田栄男)、本因坊秀芳(石田芳夫)、本因坊瞼正(加藤正夫)の類である。名前の一字の代わりに昔の本因坊の名前の一字「秀」とか「和」を頂いてあやかってつけるのであるが、栄寿なんてのも華やかでよろしい。昭宇の昭は「昭和時代の本因坊」の意の「昭」だろうか。加藤瞼正の瞼は後援者の政治家から一字を貰ったらしい。林海峰が本因坊号を名乗らなかったのは、外国人ということもあろうが、海峰自体が立派な名前でこれ以上飾れないことにも原因があるように思える。本因坊秀峰よりは本因坊海峰のほうがどっしりとした横綱にふさわしい名前である。これが本因坊秀峰では小結止まりの印象がある。しいてつけるとつれば「林海峰 改め 森海峰」だが「本因坊」+「名前」の通称からすれば、「本因坊海峰」で代わり映えがしないので失格。
 じゃあ、高尾紳路と山田規三生はどうするって?勿論、高尾道路と山田道頓堀だな。

 え~と、対局はどうなってるかというと、テレビの『本因坊戦』(BS2)はOAが17:00~18:00なもんで、放送に入った時は封じ手が終わった所、実戦の進行はなく、解説の結城聡九段がいっぱい変化図、参考図をあげて、解説してました。そのあまりのスピードに司会の巻幡Pもついていけず、放送はさながら“結城劇場”で、おいらは「いろいろあるもんやね」ということしかわかりませんでした。
 封じ手の予想は白62J-7(9-十三)ハネ、黒63H-7(8-十三)ハネ返し、白64H-6(8-十四)二段バネの三連単で万馬券確実!買いやでぇ、みんな。
 
 

 

 


囲碁よろしくネットワークだよ~旧布石、NHK杯

2006-06-11 23:47:44 | 囲碁
 第54回NHK杯囲碁トーナメント一回戦 清成哲也九段対山田規喜九段

 この布石は黒3の急なカカリから下辺先行と黒が流行りの先行手順でいったが、白が8空き隅と落ち着いた受け答えをしたものだから、一転9のツギから11の変則開きと“変則ミニ中国流”(解説の横田茂昭九段)と俄然先祖帰り、旧布石に戻った感がある。その後も黒は右辺から右上の大場を手厚く打ち下辺23と構えて全局的な大模様をめざしている。
 白24の打ち込みにも黒27,29と白を骨太に絶って争う構え。右辺の31~37、71~77のシノギも案外(失礼)華麗で白に決め手を与えず、又左辺の38の打ち込みによる戦線拡大にも黒39~53と正面から受けて立ち、中央のせめぎ合いにも一歩も譲らない。
 この懐かしい、20世紀の黒の大模様作戦による戦いはなかなかに見事で、白の清成九段の反撃のイトマを与えずわずか109手で勝利を決定づけてしまった。
 個人的には清成クンのファンなのであるが、この見慣れぬ関西棋院の中堅もなかなかにやるもんだね。