3210 あほうむ びぎゃn

暁に逝ってよしとはいわなんだ、千年の幽囚を経ておなぢみあおきひとし伝説が遂に復活!飲んだら詠むな、呼んだら呑むな

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古田野球はID野球か~野村ノート2006

2005-10-30 18:04:37 | プロ野球

 あの古田(敬称略)が監督に就任した。恩師野村以来のプレイング・マネージャーの誕生である。
 とかく、監督と選手を兼業するプレイング・マネージャーは評判が悪かった。一人二役は集中力が分散してどっちつかずになるらしいのである。
 古田氏本人もそのブログで秋季キャンプ初日でのとまどいを率直にのべている。曰く「居場所がわからなかった」「練習したい...選手ですから」。謙遜はあるにしても監督と選手という二つの立場は同時には立つことができないもののようである。
 古田のヤクルト時代の監督で、南海時代プレイング・マネージャーだった野村もその困難な立場を認めて、
 「(私の場合は)ブレイザーという優秀なコーチがいたから、監督の部分を任せていた(だから監督兼選手が成立した)」
と書いているほどだ。
 それに、野村のプレイング・マネージャーの時期は選手としても晩年だったから、実力的にも下り坂で不動のレギュラーというわけにもいかず、若手育成という意味からも、自らは準レギュラーか代打のポジションに甘んじることが多かったように思う。はっきり言ってそれは痛々しい姿ではなかったか。野村がID野球なる耳新しいキャッチフレーズを掲げ、知将の名をほしいままにしたのは監督専任になってからである。
 そんな野村のケースを思い浮かべると、2006古田スワローズにも?マークがつきまとうのだが、にもかかわらずファンの期待はしぼむ気配はない。
 それは、つまりプロ野球における監督の役割というものの正体がいまだ未知数であることによるのだろう。かって巨人の川上監督は前人未踏の9連覇を成し遂げて名将とうたわれたが、
 「監督の力によって勝てるゲームは年間5試合がいいところ」
と認めている。野村がボヤいたように、監督の力なんて選手次第というのがほんとうのところで、川上にしてからが、王と長嶋という二大看板選手を擁するという奇跡に恵まれなかったらどうだったか、というifにはまだ解答は出ていないからだ。
 野村の言葉に“集団戦(総力戦)の時代”というのがある。一握りのスター選手の活躍によって優勝が決まる時代は過ぎ去り、今は選手の力はどんぐりの背比べ、ならば監督の采配が球団優勝に占める割合は増すというものである。
 オリンピックも経験してグローバルな視野からプロ野球を眺めることはお手のものではないのか?また捕手というポジションは選手でありながらゲームのコンダクターを勤める役割をもっていることも、野村の例をみても明らかだ。これらのデータは古田にとって有利にはたらかないものか?
 2007年、21世紀日本プロ野球を担うべく古田スワローズは始動する。バレンタイン監督が日本シリーズを制するワールドワイドな時代に、その処女航海はスリリングな見ものになると断言して間違いはない。
 

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囲碁よろしくネットワークだよ~棋譜並べの効用

2005-10-29 18:09:06 | 囲碁

 例によって囲碁ブログをザッピングしていたら、棋譜を何手まで並べるべきか、ということについてちょっとした論争が起きていた。そこのブログではプロの棋譜を百数十手までしか掲載せず、その後の手順は省略して結果のみを書いていた。ところが、それに対して投書があり、「ヨセの部分を省略するのはもったいない。ヨセの勉強にならないではないか。」という趣旨だった。
 実をいうと、そこのブログのオーナーさんも最初は棋譜を最後まで並べていたのだが、「ヨセはよせ」と言って棋譜並べを百手あまりでやめるように勧告したのは<余>である。なもんで、責任ある立場に立っているという自覚があるので、ここで棋譜並べに関する<予>の所感を述べてみたい、と思う。

 ただし、部分的には以前にこのブログの別のエントリーで書いていて、重複することになるがその点はご寛容を。

 <余>はかって小杉清八段(現在は引退)が主宰する囲碁サークルに通っていたことがある。週二回土曜日曜に開かれるそのサークルのうちの一日は、最初に最近話題になった囲碁対局の解説で始まるのが常だった。小杉プロが日本棋院から取り寄せた棋譜(勿論、総譜である)のファックスを手に大盤の傍らに立ち、指名された会員がその日の助手を務めるのである。一手一手助手が磁石碁石を大盤のここと思う個所に置いていき、それが正しければそのまま、間違っていれば師匠は首を振る。で、置き直すのだが、3~4回続けて間違うと正解を教えてくれる。そうして区切りのいい所で、その解説が行われるのだが、それが終わると助手はまた次の一手を考えなければならない。つまり助手に指名された者はサークルの会員全員が注目する中で次の一手クイズを立て続けにやらされることになるわけで、やってみると解るがずいぶんとプレッシャーになる。それで皆普段から「週刊碁」や「棋道」「囲碁クラブ」に眼を通す(棋譜並べを目で行ったり、実際に盤に並べたり、とそのやり方は様々であるが)習慣が身につくという効用があったように思う。
 そして、その解説が大変ためになった。プロが打つ一手一手の着手についてその意味を、その手を打つプロの心理に立ち入って説明してくれるのである。

 余談だが、プロはトッププロの打つ次の一手の99%はわかるものだそうである。無論、候補を3~4手に絞っての話であるのだが、“想定外”の手は一局に2~3手しかない、とのことだった。

 だから、単純に「一手の意味」といっても、その一手の必然性とその行き着く先、それも無数の枝葉があるわけだからその代表的なものの帰趨を紹介し、それは死活に係わることは必ずしも多くはないから、その帰趨のそれぞれについての形勢判断を積み重ねてゆく。そしてまた、最初に立ち返ってそれ以外の有効そうな手の解説、有効ではない手の「有効ではない理由」の説明、と「一手の意味」の解説は多岐に渡ってくり広げられていく。
 そして重要なのは、我らが師匠小杉プロが、そんな解説を遮っての我々の質問を大歓迎してくれたことだ。無論、我々が発する質問=疑問は、師匠が説明しなかった(我々サークル・メンバーは解っていると思って省略した)くらいだから、説明されてみれば自明のことなのだけれども、そんなことすら理解していなかったというのが我々の現実であり、理解レベルなのだから、このあたりのやりとりこそが、我々にとって勉強になり、身にもつくというわけである。情けない話だが、小杉プロの話す「その一手の必然性」はフンフンと聞いて受け流すくらいのものであり、「感覚的になんとなくわかった」というレベルの頼りない理解なのだった。
 まあ、そのようにして解説は続いていくのだが、我々レベルの低い者には解説が必要な“手どころ”は随所にあり、だからそれは百手あまりで中断されることになった。「まあ、おおよその勝負がついた(あるいはがっぷり四つのまま勝負は進展して、ヨセ勝負になった)のはこのあたりまでであって、面白いところは終わってます(ヨセは面白くない。勉強にはなるだろうが)からこれで止めます。ヨセに興味がある人は自分で並べてみてください」というのがいつも決まりの結語だった。

 また小杉プロからは自分の打碁の棋譜採りを推奨されてもいた。それも打ちながら採譜するのではなく、終わってからやることを。
 「自分なりの必然性に従って打っていたら、その理屈の筋道を追っていけば後からでも、棋譜は書けます。1時間かけて百手あたりまで書ければ、初段ですね。」

 まあ、こうした体験をそのブロガーに紹介したのだが、要するに我々がひとりで棋譜並べをする場合、ほとんど着手の意味や面白さを理解できずにただ石を並べるだけの作業に終始している、というのがポイントである。
 前に別なエントリーで書いたが、最終的に碁は勝ち負けを争うゲームであり、するのも見るのも、ボクシングに喩えるならば殴り合いをはらはらしながら楽しむゲームである。ヨセ勝負、つまり判定にもちこまれたゲームはクロウト受けはするだろうが、見るぶんには地味すぎてイタダケナイ。
 そもそもヨセという分野は、序盤、中盤、終盤とある囲碁の分野のなかではもっとも理論化が容易な分野である。ということは、なにも千変万化の実戦で実地にあたっていくことよりは、体系化されている一冊のヨセの参考書を読んだほうが勉強にはなるはずである。また、ヨセは勉強することで最も即席に効果が上がる分野である。
 というようなわけで<余>はかのブロガーに棋譜並べを中途で止めるように勧めたわけである。
 なおこれはパソコンで総譜(あるいはせいぜい10譜に分かれた棋譜)をたどりながら入力する面倒くささ(次の一手が発見しにくい)を憂え、そのために勉強にもならず、楽しくもない作業を行うつらさ(そのために棋譜作りをやめてしまう)に言及しているのであって、出来上がったそれを画面で見るだけの読者の、一手ごとの局面をいちいち「>」のボタンひとつ押すだけで再現できる楽さ、楽しみはまた別な問題であることをお断りしておかなければならないだろう。
 
  

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囲碁よろしくネットワークだよ~蛤はつらいよ

2005-10-27 23:38:19 | 囲碁

 例によって囲碁ブログ・サーフィンをしていたら気になる記事を見つけた。囲碁の白石はチョウセンハマグリからできる、というのである。(『電脳秘書執務日誌』)う~む、大変だ。碁石って、黒石が那智黒で、白石は日向と昔から決まっていなかったっけ。確かものの本(『囲碁雑学ものしり百科』日本棋院:刊)には、高級品は日向産の蛤から作るがそれは最近は品薄で、一般に普及しているのはメキシコで採れたものを使うと書いてあったよな。それで生まれも育ちもヒノモトは高千穂の日向蛤碁石に対し、生まれは異国だが加工は碁石作りの伝統技術を伝える日向でなされた“日向碁石”なる造語が生まれたという。
 念のため、「碁石」「日向」でググってみると、あったあった。日向市関連のホームページには、日向には日向産碁石の祭りまであって、地域ブランドとして大切に保護しているらしい。しゅんせつ船で蛤を捕獲している写真まで載っていてそれで見る限りは日向から出荷される碁石の原料となる蛤はすべて日向市の海で獲れる、という印象を与えてしまう。そのページは市内には碁石製造業者が8社ある、とある。が、検索で引っかかってきた地元業者は2社だけで、「幻の日向特産」と銘打ってはいるもののメキシコ産の蛤についてはふれてはいない。その点、全国展開している「楽天」や「三越」といった業者は市販の99%はメキシコ製です、と認めてしまっている。
 実はこういった日本独自の産物であったものが、実際の流通ではとっくにグローバル化されている、といったことは最近どんどん明らかになってきた。皆さんだってスーパーにいけば、寿司ネタになる魚がほとんど輸入モノで占められているのをみたことはあるでしょう。三重県出身の<余>の知る範囲でも昔から松坂肉の生産地は兵庫県但馬であることは常識だったし、社会科の授業では東京都大島みやげの海苔の90%が三重県産であることはむしろ誇らしげに教わってきた。近年知ったことだが、浜名湖周辺の養鰻業者は中国、韓国、台湾あたりから仕入れてきた稚魚を半年あまり浜名湖に‘漬けておいて’出荷するのが90%だという。(鰻の本場浜名湖にしてこうなのだから、他の地方製はおしてはかるべし。専門家にいわせると「輸入モンは目付きが悪いので一発でわかる」そうである。ホンマかいな)越前蟹は出漁しても乱獲のために水揚げ量が寡なくて、船員の人件費とガソリン代のほうがかかるため船主は出漁をしぶり、ほんのすこし獲れた蟹も高値で東京の築地へ行ってしまうために地元では一人前4万5千円~の料亭でさえオール輸入物でしらんぷりをしている、とこれはF県の観光課長さんから直々に聞いた。日本にしかない、と思い込んでいたあの山葵(ワサビ)でさえ生モノは知らず、メーカーが製造するねりわさびの原料の99%はベトナム産だとH社の名古屋工場長は白状したもんだ。
 ところで法律が変わって来年の4月から、商標登録が厳格になるという話を聞いた。「久谷焼き」「讃岐うどん」「北海道バター」といった特産地名+商品名が商標登録されることになり、その名前の現地で“生産”されたものしかその商標を使えなくなる。先の例でいくと三重県で採れて大島で袋詰めされた「大島海苔」はアウトということになる。そこで今から各地の特産物製作現場は大混乱に陥っているらしい。北陸地方でいうと、輪島を始めとして漆塗り工芸は盛んだが、原材料となる土から地元のものを使う純粋現地のものと、土は独自の技法で漆の絵付け技法を用いて仕上げる現地の漆器(現地総生産の1/3を占める)の間にどのような線引きをおこなうのか地元漆器業者組合でもおりあいがついてないのだという。
 話を碁石に戻せば、明確な商標登録を求められる来年4月以降は、「日向蛤碁石」という商標登録をするのか、旧来の「日向蛤碁石」「日向蛤碁石」というあやしげな共存状態をひきずっていくのか、「メキシコ産日向製蛤碁石」という隠されてきた地域ブランドに光の目を当てるのか、韓流ブームにのっかった新ブランドが出現するのか、すくなからぬ興味があるところである。
 まあ国産の日向蛤と言ったって手入れを怠れば黄ばんでくるという欠点はあるわけだし、目に優しいグリーン碁石だって出現してくる時代である。新しかろう⇒粗悪だろう、とはなからきめつけてしまうもいかがなものだろうか。
 東京は葛飾柴又の寅さん(渥見清)を「ばかだねぇ」といっていとおしみながらも、一朝何か事がおこれば葛飾柴又(第8話「寅次郎恋歌」によれば北海道産)の博(前田吟)を頼りにするのが妹のさくら、おいちゃん、おばちゃん、そして我々すべての日本人なのだから。
 

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囲碁よろしくネットワークだよ~我が囲碁幼年期の始まり

2005-10-25 23:26:50 | 囲碁

  「囲碁」+「ブログ」で検索をしていたら14歳で2段という未成年(って、差別用語かな?馬鹿にしている?少年法に触れる?わっはっは)のブログを発見した。なんと、なんと14歳で2段なのだ。天災だぁ~(´Д`)
 我が身を顧みて思い起こせば...

 あの頃、<余>はお馬鹿さんだったよな~orx
 厨房の頃、ガッコで授業中に回覧版五目並べが流行していた。隣りの机に座っている(机の椅子に座っている?!)赤シャツに坊っちゃんがノートの切れ端(っていうか、1ページ)に19路盤を書き、初手を書き込んで回すと、赤シャツは2手目を書き込んで坊っちゃんに返し、すると坊っちゃんが3手目をカキコして赤シャツに回すと、赤シャツは4手目をカキコして坊っちゃんに…以下繰り返し。
 ダーウィンは間違っている。
 ある時、坊っちゃんが何手目かを書き赤シャツにマワシたところ、何と返信は変身じゃない、突然変異した。つまり、洋画の字幕のように碁罫紙の右欄外にコメントが書き込まれていたのです。
 「君の黒石は死んだので、取ります。悪く思うなよ!」
 えっ、なんだ、なんだ?聖子わっかんな~い、説明してくださいナ。
 「縦、斜めの白石のラインで囲まれた君の黒石(群)は死んでいるので、取り上げます。それが“囲碁”のルールですよ。」
 そっ、そっ、ソックラテスは考えた。じゃない、坊っちゃんは考えた。う~む、“囲碁”かぁ、よっしゃ、受けて立とうじゃないの、この野郎!
 で、坊っちゃんと赤シャツ(赤いシーツと思った君、不純だよ)の間には新しいゲームが始まったのでした。という次第で、二人はこの長ったらしい、いつまでたってもオワらないを始めてしまったのです、お笑いだよね。そうこうするうちに、賢い坊っちゃんは囲碁必勝法を編み出したのです、えっへん。
 では坊っちゃんが草案した囲碁必勝法とは何か?!
 初手1-二。これが坊っちゃんの発明した囲碁必勝法でした。なんとなれば、赤シャツが二手目を2-1以外のところに打てば、坊っちゃんは三手目を2-1に打つわけです。すると、まぁどういうことでしょう!碁盤の端っこと端っこをラインで結んだ地所に置かれた白石は、1-二と2-1によって形成されたラインの内側に存在するわけで、ということは、「縦、斜めの黒石のラインで囲まれた君の白石は死んでいるので、取り上げ」られてしまうのです、嗚呼無情!なもんで、これではいかんと、赤シャツが二手目を2-1に打つと、坊っちゃんは三手目を2-2に打つ、と。こうして『ウサギと亀』のウサギと亀のように、1線と2線でいたちごっこの鬼ごっこを展開するわけですが、この駄文を読んでいる懸命なる読者のあなたにはもう想像がついたでしょうが、37手目に坊っちゃんが打った19-二によって赤シャツの打った18ヶの白石は打ち揚げられてしまうのでした、なんと可哀相な因幡の白兎なんでしょう!
 という、お粗末な囲碁ルールを作ってしまった坊っちゃんって、賢いのか、アホなのか、議論は分かれて現在にいたっている。
 じゃんじゃん。
 

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囲碁よろしくネットワークだよ~タイゼム進出を果す

2005-10-24 22:33:58 | 囲碁

 ネット碁のタイゼムに乗り込んだ。ネット碁はyahooとハンゲームでやっていたのだが、ブログを通じて知り合った(といっても、こちらから強引にトラック・バックしかけていって、の話だが)仲間での一番人気がこれだったので、共通体験を持つことがブログのネタにつながるかも、という思いが、出発点である。
 ネット碁の魅力は何といっても、碁会所へ行くのと違って手軽であり、しかも同レベルの対戦相手(というか、自分が望む強さの対戦相手)がふんだんにいる、ということである。この点からすると夜のゴールデンタイムに登録されている対戦相手数は500人を超えていて、yahooやハンゲームとほぼ同じ規模らしい。しかし、これらが組み合わせが成立していて手空きの相手が少なく、対局交渉もいちいち自分から申し込みをしなければならないのに対し、タイゼムの魅力は手空きの人がふんだんにいることと、対局交渉も個別交渉とサイト一任の二通りあってまず一分以内に望む強さの相手が見つかるということである。
 その一方で、欠点も存在するようだ。
 ただし,その前に有料サイトと無料サイトの違いに触れて(以前、別なエントリーでも書いたが)おいたほうがいいだろう。<余>は両方を体験しているが、そこから推し量ると登録の仕組みも厳格で個人情報をサイトに明らかにせねばならず、対局料を一局ごとに徴収する所謂有料サイトの方が、レーティング・システムが確立されていてレートと実力がほぼ拮抗していることと、途中で投げ出すような輩が存在しにくい(対戦相手からの通報でサイトがふざけた打ち方をする会員を査問、処罰してくれる)ことの二点において優れていると、いわざるを得ない。やはり、個人情報を質に取られていて、金もからむ有料サイトの方が皆責任感をもって対局するという理屈なのだろう。
 ということは、現在ここで論じているタイゼム、yahooやハンゲームなどの欠点はまさにその逆、つまり登録手続きも簡単で、お金もかからない無料サイトはその匿名性、無料ということから、いいかげん雑に打ってしまう傾向が強い(恥ずかしながら<余>にもそれは、あてはまることを認めざるをえない)ように思われる。 そしてその雑に打つという欠陥が最も顕著に現われるのが終局の手続きにおいてである。負けを自覚した方が、口惜しさの余りか投了しないで接続を切断してしまう(ある一定の時間内に復帰しないと負けになる)、あるいは打たないまま時間切れ負けまでほったらかしておく、というのは無料ゲームが内包する必要悪でどうしようもないが、問題は双方が終局を確認した段階で地の計算の場合である。yahooやハンゲームにおいてはそれを機械がやってしまう(全自動)ので問題はないのだが、タイゼムの場合それを対戦した両者が行い、それが合致した場合だけ勝敗の決着がつく(手動)という仕組みになっている。ここに敗者の抜け道があって、相手の地の計算に同意しなければ、あるいは自分の計算作業をほったらかしにしておけば、いつまでたっても勝敗は決着せず、ゲームも終わらない、ということになる。
 <余>自身、まだここでの対戦システムに慣れていない(例えば、対戦相手指名がなぜかできない)ので確かなことはいえないのだが、段級位に比べて実力差が大き過ぎること、終局がすんなりといかないこと、どうもこのあたりにタイゼムの問題点があるように思えてならない。
 

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テレビの場合、新幹線が一万本~マンガ背景風景映像著作権とライブラリー構想について

2005-10-23 17:40:01 | マンガ
 参考までに、テレビの場合の類似のケースをご紹介します。
 例えば、ドラマなんかの場合、誰かが大阪方面から東上するケースがありますよね。すると、デレクターは新幹線を撮影するためにわざわざ半日つぶすわけですよ。そうなんです、太平洋から日本列島を見たおなじみの構図、富士山をバックに新幹線が下手から上手へ走りぬける絵柄を、その度に新撮するわけです。
 いや、プロデューサーなんかは、言いますよ。そんなの、有り物を使えばいいって。事実資料室に行くと、テレビの著作権意識が高まってきた1980年代からの、その局が放送に出した全番組が保管されています。検索も、それ専門の下請け会社経由で資料室に保管される仕組みになっていて、かなり整備されています。
 「新幹線」「富士山」で検索すると、ニュースがほとんどなんですが、一般番組も含めて約30000本のVTRがリストアップされてきます。それで、その細目が書き込まれたリストを参考に、とりあえず100本程を借り出してきて試写するわけですが、だめですね。使えるものが一本もないんです。なんというんでしょうか、“表情”が微妙に違うんですよね。主人公が東京へ出て行くその時の心情を体現している映像は、これはないわけですよ。例えば「平成の三四郎が勇躍意気込んで東京に乗り込む時の、朝日を浴びて富士山脇を通過する時の新幹線」「日帰りのサラリーマンが乗っている夕日に滲んだ疲れ果て薄汚れたひかり」なんてものは、これはあるわけはないでしょう?で、新撮して編集し、アップしたものを試写室でスタッフだけで見るわけですが、ここで「新撮する価値があった」
「いや、それほどの映像じゃない」とプロデューサーと揉めるのはいつものことです。
 あるときは、羽田の民家という設定のドラマの1シーンで、主人公が苛々する気持を表現するのにその安アパートの上空ぎりぎりを航空機が大音響で通過するという実景をはさむことを思いつき(台本にはなかった、が)、ありものを3日ぶっ続けの徹夜で調べましたがやはりなく(騒音公害裁判なんかの参考資料VTRを見ても、全然迫力のあるのはなかった)、1日30万円の映画用クレーン(テレビだとトラックの荷台に乗せた安物で5万円ですむ)を借りて新撮して、始末書を書かされ(台本が指定していないというのが、敗因)ました。
 まあ、これは映像がそれ自体で完結してしまっているテレビの場合ですが、作品の一部を構成する実景映像としてのライブラリーというのは難しいという気がします。参考資料として用いるマンガの場合は、これはまた、話がややこしくなるとは思うのですが。
 

 註:この一文は、ブログ【たけくまメモ】で問題になっている背景画に関するエントリーにトラックバックしたものです。
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囲碁よろしくネットワークだよ~英国囲碁事情③

2005-10-22 00:22:55 | Weblog

 ふと気がつくと我々の周囲には幾人かの人垣ができていた。左右の席にいた英国人たちも片肱をついてこちらを伺っている気配がある。やはり囲碁の本家ジャパンから来たGO playerは珍しいということなのだろうか、多くの視線がこちらに集中していて、そのうち<余>の頭越しに早口の英会話が飛び交い始めた。“○○○○”“××××”それぞれがいっぺんに言っているから、何をいっているのかさっぱりわからない。が、話題はつい今しがた黒が打った一手であるらしい。それは彼等の視線がそこに集中していることで覗われる。と、そのうちに彼等の指先がその黒石のあたりを露骨に突付き始め、その指先は鍵状に正しい直角を描いて盤の隅の方向に伸びていった。
 “Is it shicho?”
 突然、相手の言葉が飛び込んできた。なんかつんぼだったのが急に聴力が回復したような気分である。すると、他の者の言葉にも皆“shicho”がからんでいるのがわかってきた。そのうち代表格らしき役割の男が改めて<余>に向かい
 “Is’nt it shicho?”
と、問いかけてきた。そうだ。
 「こりゃ、シチョウじゃないのかね?」
と、尋ねているのだとわかると、<余>はそれまで張りつめていた気持ちが急に落ち着いてくるのが自分でもわかった。なぁんだ。旅行前に詰め込んだ囲碁英語ではシチョウは確か“ladder”だった筈だが、イギリス人も“shicho”って言うんだ。そう、たった今黒が打った石は、続いて<余>の打った白石によってシチョウに取られているのだ。で、
 「そうだよ、シチョウだよ」
と、こっちはつい日本語で言ったのだが、彼等は「ほら、日本人もシチョウを認めているぜ」という感じで<余>の対戦相手を責め、すると当のホームズ氏も「そうか。そうだな、シチョウだな」といった様子で問題の着手のあたりを眺めていたが、やおら右手を突き出すと最前打った黒石をひっぺがしてしまった。すると周囲も「そう、それ(待った)がいい。せっかくの緊迫した良いゲームをたったひとつの悪手でもってぶちこわしてしまうのは惜しい」という雰囲気で、その中のひとりが親切にも<予>の置いた白石をはがして箱に戻してくれた。
 それらの動作があまりにも堂々としていて、また自然だったものだから、こちらも戸惑っているうちに、次第に笑いがこみ上げてくるのをおさえることはできなかった。するとそれまで秘密結社の錚々たるメンバーかなんかのように見えた英国人たちが、急に身近な存在に感じられてきて、こわばっていた気持ちがすぅーとリラックスしていくのがわかった。
 「OK、OK、やってやろうじゃないの。さあ、続けようじゃないか。Let's continue the gameだ」
 すっかり打ち解けた間柄になった我々は試合を再開し、相手は英語だが、こちらは日本語で押し通し、それでも王銘王宛(えん)の名言「碁は楽しい会話です」の通り、以後の意思の疎通は円滑におこなわれたのだった。
 「おやまあ、イモ筋に来たねえ、potate lineだ」「う~む、カタチがいいねえ、Good jobじゃ」「そいつぁ悪手だね、No goodよ」「な~るほど、You are strongね」
 なんとなく通じているらしく、相手はにやにやしている。ハンディは次第に減っていって3kyuから2kyuになり、最後には1kyuにまで昇格したが、助言アリアリの団体戦で挑んでくる毛唐さんを相手に4連勝したのは日本男子の誉れ、極東の島国の国威を充分に掲揚して戦いを終えた。とりわけ最終局を白番ジゴにまとめたのは我ながら見事な収束であった。
 “♪Should old acquaintance be forgot,and never come to mind”(「故旧忘れ得(う)べき」(高見順の小説のタイトルでもある。We'll take a cup of kindnessという一節が泣かせる)
 興に乗って最後にはスコットランド民謡『蛍の光』を原語で歌い、合唱を強制し、餞別にと磁石碁盤と扇子(彼等が対局の時、扇子を使う習慣を知らなかったのは残念だったが)をプレゼントして別れた。
 その後、地下鉄に乗って帰ったが、やはり緊張していたのだろう、乗り過ごして終点まで眠りこけ、それは最終電車だったから、引き返してホテルまで戻るのにタクシー代20ポンド取られたのは痛かった。
 

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大竹美学

2005-10-20 00:08:50 | 囲碁
http://blog.seesaa.jp/pages/my/blog/article/edit/input?confirmed=1&id=8317484

 
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囲碁よろしくネットワークだよ~英国囲碁事情②

2005-10-19 23:14:55 | Weblog

 ロンドン郊外の森を切り開いて造ったとおぼしき新開地に建てられた教会は、昔の面影を残すこんもりとした林の中にあったのだが、長かった夏の日もさすがに暮れてくると、教会の裏手の林の方向から少しひんやりとした風が吹いてくるようになった。そして夜の帳が下りてくるのをまちかねたように、四方の様々な方向から英国人たちが集まってくる様子は、あたかもコナン・ドイルの小説の一節にあるような、秘密結社に集まってくる怪しい紳士たちのようでもあった。たぶんそれは一世一代の異国旅行をしているという興奮と感傷がもたらした感興だったのだろうが、その中のひとり、シャーロック・ホームズをホウフツさせる大男が<余>とインターネットで今日の会合のことを知らせてくれた《North London Go Club》の世話人だったようで、<余>の姿を認めると大股で近寄ってきて“From Japan?”と言い、<余>の名前を言ってネットで連絡を取った本人であることを確認すると、大仰に何度も頷き、さも嬉しそうに握手の手を差し伸べてくるのだった。
 毎週日曜の夜6時から開いているという例会は先ほど見当をつけた通りの、さほど広くはない、殺風景な教会裏手の小部屋で始まった。皆で手分けして部屋の脇に片寄せてあったテーブルをひろげ、造り付けのロッカーのような所から持ち出した桂らしい一寸ばかりの厚さの碁盤と、紙箱に入ったプラスチック製の石を並べ終わると、ホームズ氏は小さな椅子にどっかりと腰を降ろし、その正面の席を指して<余>を座らせると、メンバーへの<余>の紹介もそこそこに対戦が始まったのである。手合いのだんどりをつける段になって、かねてから中山典之プロの欧州囲碁旅行記などを読んで、あちらの段級位が日本より5~7子辛いという知識は仕入れていたので、目一杯の3kyuuと自己申告すると、相手はすかさず黒石を引き寄せて向う先で対局が始まった。白番ということもあり、なんか囲碁の本家ニッポンの威信を賭けて戦っている、というような妙な気分があって(それはこっち側だけの事情のようだったが)、一戦目はとりわけて慎重に打った、ように思う。それでも小一時間とはかからなかったように思う。いや、実際は30~40分で終わったのではなかったか。考慮時間もほとんどはこっちが使った。
 中山プロの話ではヨーロッパ人は一局に6~8時間かけるのが当たり前、ということだったが、どうしたことか私の相手の英国人の世話人氏は早打ちマックである。おいおい話がちがうじゃないか、という間もあらばこそポンポンと石を撒いてくる。<余>は暑くもないのに、日本から持参した扇子を使って間を取りながらも、呆気に取られていた。ホームズ張りに推理が早く着手の決断に時間がかからない、という訳でもなさそうな雰囲気だったからである。
 <この項続く>
 

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竹宮宇宙流豪快大模様作戦

2005-10-19 19:28:09 | 囲碁
http://blog.seesaa.jp/pages/my/blog/article/edit/input?confirmed=1&id=8272396

 竹宮宇宙流が炸裂した一戦。舞台は第11期プロ十傑戦1974。相手は時の第一人者石田秀芳本因坊。
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ブログ工事中

2005-10-18 20:54:47 | Weblog

 このブログに棋譜の掲載をしたいと思い、いろんな人に聞いたりしました。
それで「GoodShape」というページで棋譜を書き込み、それをseesaaブログ(このgooブログではだめらしい)に取り込み、そこからこのブログ(goo)にリンクするという作業をしようと思い、とりあえずseesaaブログまでは出来た(『3210 あほうむ びぎゃn 棋譜ファイル』)んですが、それから先がわからないので、『できるブログ~gooブログ対応』という本を買ってきて研究中です。(´Д`)
 なもんで、このブログの更新はしばらくお待ちください
 

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豪快大模様作戦~竹宮宇宙流爆発す

2005-10-18 00:04:26 | Weblog

これをみてほしい。若き日の竹宮正樹宇宙流の真髄だぁ。

↑わ~ん、大失敗だ。え~ん、理恵子泣いてお家に帰るぅ~。

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棋譜「あおき式目外し三連星」

2005-10-17 11:13:44 | Weblog

3210 あほうむ びぎゃn 棋譜ファイルですぜ。 その変化図がこれ。  もいちど掲載、棋譜です。これや。
 http://blog.seesaa.jp/pages/my/blog/article/edit/input?confirmed=1&id=8311002

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GoodShape棋譜だぜ、イエィ!

2005-10-15 23:36:26 | 囲碁
<APPLET codeBase=http://playgo.to/java/ height=450 width=450 code=mori.go.GoodShapeApplet><PARAM NAME="advancemoves" VALUE="true"><PARAM NAME="size" VALUE="19"><PARAM NAME="moves" VALUE="B[qe]W[dd]B[oq]W[dp]B[pk]W[pc]B[od]W[oc]B[nd]W[nc]B[md]W[lc]B[ld]W[kc]B[qp]"></APPLET>  あおき式目外し三連星なのだ、えっへん。
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囲碁よろしくネットワークだよ~英国囲碁事情①

2005-10-15 15:40:43 | Weblog

 イギリスに遠征した。ものの本によれば、かって英国にはヨーロッパ囲碁クラブ連合(みたいなもの)の総本山(のようなもの)があった(今は、オランダにある)が、現在はつぶれてしまっているらしい。それでも「西洋囲碁事情」(別冊囲碁クラブ37『囲碁雑学ものしり百科』日本棋院:刊1981に掲載されていた記事)を読めば1万人の囲碁人口はあるらしいということなので、インターネットで「England」、「Go」、「Club」で検索したら7~8のヒットがあった。そこで、各クラブにこちらの旅程を知らせ、その期間に会合を開催しているかどうか、していればそれに参加させてくれるかを問い合わせたところ、たったひとつだけロンドン郊外の囲碁クラブから連絡があり、某日町の教会で例会を開いているから参加させてやる、との招待状が舞い込んだ。
 <余>の英国旅行というのは、家族一緒の団体旅行で、英国留学中の娘が案内して英国各地を回る、という一種のツアーのようなものだったが、7泊9日の旅程のうちのその某日だけは半日皆と別れて単独行動を取り、地下鉄に乗って、ロンドンの北部郊外にある、指定された教会へと向かったのである。
 <余>の英語力というのは、中学一年生以下のレベルのひどいもので、単語を羅列するだけというクラス。何年か前にイギリスのBBCのスタッフとテレビ番組の共同制作をした時はLとR、BとVの発音の使い分けが相手に通じなくて、しかたなく胸に白板をたらして、こみいった話は筆談で済ませた、というていたらくだ。だから異郷の地で単独行動をとるのは秘境のジャングルを冒険するような悲壮感が漂う。地下鉄に乗っているだけでも足がガクガク震えているのがわかる。降りた地下鉄の駅の駅員に道を聞く(口頭の説明はさっぱり理解できず、駅から教会までの略図を書いてもらった。お礼をする時、Thank you.と言って、映画で見たように左手で十字を切ったのだが、あれは正しいマナーだったのか不安である。)のも、こちらは体全体を使ってのジェスチャー混じりの“一大事業”である。駅から教会までは1km位の距離しかなかったはずであるが、英国首都ロンドン郊外というのに道路は碁盤の目状ではなく左右に曲がりくねっていて方向感覚が麻痺してくる。おまけに駅を離れるとすぐ住宅地なので道を聞く商店などもなく、かといって見ず知らずの(当たり前だ)個人の住宅に入っていく度胸もなく、小一時間かけてなんとか目的の教会に辿りついた時は、シルクロードを制覇した旅人の気分だった。
 それでも着いたのはまだ日の落ち始めていない午後4時頃で、約束の6時までにはずいぶんと間があった。それで会場を下見しようとしたのだが、英国の教会というものはどこでもそうなのだろうか、正面玄関は営業時間外ということなのか鍵がかかっていて開いていない。仕方なく、敷地内を建物に沿ってぐるり一周した。牧師の住居スペースらしきドアはあったのだが、意を決してベルを押してみても返事はない。なおも行くと、教会の裏側にあたる場所に裏玄関らしい造り付けになっていてその左右の部屋は地域の趣味などのサークル(我が《North London Go Club》も、そのうちのひとつであろう)に貸す部屋になっているらしいことは、窓ガラス越しに見て取れた。
 それで、約束の6時まで待つことに決め正面に戻ったのだが、おめあてのベンチには先客がいて、しかたなしにその向かい側に腰をおろすことにした。すると、その先客が話し掛けてくる。見ると菓子箱にバラバラの種類の異なる煙草が入っていて、1本単位でバラ売りしているようだ。英国はアメリカなんかと違い禁煙を押し付けるようなことはしない(例えば、エリザベス女王の別荘のエジンバラ宮殿は、観光スポットになっていて観光客に有料で見学を許しているが、何と館内のいたる所に観光客用の吸殻入れが設置してある)が、その代わりに法外な税金(最低一箱4ポンド。1ポンド=当時170円だったから、一箱720円という計算だ)をかけていて、煙草はたいへんな贅沢品(身なりのいい若いカップルが1本の煙草を回し飲み?している光景はしばしば見かけた)なのだ。日本じゃこれだけ(一箱20本)でたったの1ポンドだよ、と言ってやると、商売はあきらめたようで菓子箱を大事そうに自分の膝の上に戻した。それで二人はなんとなく向かい合う形で黙ったまま時を過ごすのだった。<余>は旅行用に3カートンのチェリーを保有していたので、それを売って外貨を稼ごうという気もおこらず、いっこうに暮れようとしない異国での時間を持て余していた。
 <この項続く>
 
 

 

 

 

コメント (3)
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