3210 あほうむ びぎゃn

暁に逝ってよしとはいわなんだ、千年の幽囚を経ておなぢみあおきひとし伝説が遂に復活!飲んだら詠むな、呼んだら呑むな

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眞鍋かをりブログ普及委員会総統に花束を

2005-12-06 23:25:37 | ブログ
 あっ、かをりんこだ、ばんだ~い、ばんだ~い、おばんだい。
 ブログ普及委員会委員長眞鍋かをりに眞鍋(学べ)!
つわけで今日から<余>こと蔵山車理恵蔵ことあおきひとしは眞鍋かをりの手下になったのだよ、うむ。えっへん、だ~ら偉くなったのか、女王さまにまとわりつく働き蜂の一匹になりさがったのか、世をしのぶカリの姿なのかそのへんのところはあやふやなんだけど、しばらくはここにも出入りしてみて様子をうかがってみようと思うので、同じ下っ端同士のみなさん、よろしくよろしくなのだ。わっはっは。ま、地雷を踏んだらさようなら、ということで。ちゃお。
 
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僕らの幼年期は今始まったばかりのサナギなんだ~ブログの可能性を検証する

2005-11-01 12:12:12 | ブログ
 「はじめに言葉ありき、言葉は神とともにあり、言葉は神であった。」とはヨハネによる福音書の書き出しであるが、ブログも又始原にあって神性を帯びつつ、その本性を露わにしているとは言いがたい状態にまだある。アメリカの倣いはニッポンの先進技術であるが、ベースボールがそうであるようにジャパナイズされていく過程に於いて独自の進化をはたすのも和流の特質である。
 一方において、楽天的ブログ論がある。ひとつのブログが主体的に一つの話題を展開していくと、トラックバック、コメントの形で第三者の意見がそこにからんできて、そのブログの書き手はそれらを弁証法的に止揚しつつ話をすすめてゆく、というものである。だとすればまことにけっこうなことであるがこの論が成立するためにはいくつかの条件が必要である。
 ①そのブロガーの提供する話題が多数の第三者をひきつける魅力をもっていること。
 ②寄せられた意見を彼が恒常的に編集、要約する情熱を持っていること。
 ③②の作業を止揚して、彼がそれまでに書いた文章を発展させていくこと。
 ④①~③の作業を不断に続けること。
どうです。目がくらんできませんか?つまり彼はひとつの議会のただひとりの魅力的で有能なオリジナリティあふれる発言者でありながら、不定期におしよせてくる来訪者の批判の声を聞き、整理する司会者、議長の役目をも引き受け、その上でひとりの発言者にたちかえって発言を修正する、そんな作業をひっきりなしに続けていかなければならないんです。しかも、大切なことはこのブロガーと批判する第三者の文章はともにかなり高いレベルが要求されるということです。
 これが、私たちにとって絶望的なハードルの高さであるといったら言い過ぎでしょうか。ひとりの有能なブロガーが果たして無料でブログを書き続けることが可能かと考えてみればいい。これまで魅力的な文章を書ける人は、作家として作品を有料で活字媒体に発表することで生活してきていた。それが無料でブログに書けるのか?また、その作品に自信があれば、それは彼にとって最初から完結した作品である。とすれば、他人の批判に謙虚に耳を傾けて修正に応じるなんて可能性はありえない。とすれば、永久運動であったはずのサイクルは必然的にその動きを止めてしまうのだろう。
 では、彼の力量と批判者たちのの力量がともに高い水準で拮抗していたらどうか?デスカッションは活発に展開されると考えられるかもしれないが、それは嘘だ。そんな高い水準の作家たちがロハで、堂々巡りの終わらない議論に時間をつぶすわけがない。彼らはめいめい自分の蛸壺からそれぞれ勝手におのれの発信を世間にむけてばらばらにやっているにちがいない。
 広告代などという対価はなきに等しいと思ったほうがはやいだろう。
 平等な発言を認め尊重しておきながら、他方でそれを牛耳るという態度はやはり自己撞着があるといっておかしくはない。開かれていながら、仕切りがしっかりしているブログが難しいということがこれでおわかりだと思うのだが如何なものか。
 個人的な見解ではあるが、枡野センセのやっている”かんたん短歌”のような、お題⇒投稿⇒まとめとなる塾形式のブログのなりゆき、つまり質の高さと本人の情熱の持続を見守っていくことが、ブログの可能性を見極めるひとつの指標になるように思う。
コメント (3)
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トラバー友(ゆう)の輪は不幸の手紙よ~ヤクルトの古田?ああ、あいつはダチでもおいらの後輩ね

2005-01-12 20:46:37 | ブログ
 古田選手がブログを始めたというので、見に行ってきた。オフでのハワイからの投稿が初ブログのようでういういしい。でもso-netの担当者にたきつけられたらしく、めざす目標はトラックバック数日本一の真鍋かおりのブログだそうで、現に745という数字が並んでいた。で、ミーハーのおいらもさっそくこのトラックバックをやっているって訳。これで、はれておいらもあの古田のトラバー友(ゆう)の仲間入り。ってこれ、中学の時の修学旅行で行った神宮球場のスワローズのロッカールームに自分の名前を金田正一の隣りにサインして以来の因縁だな。う~ん、歴史は繰り返すものであるらしい。
 それはいいとして、おいらのトラバに古田からおかえしがくるとは思えない。そもそも、古田がなんでブログなんか始めたのかもよくわからないが、そもそもブログの機能、というよりもその可能性はアメリカでの先例もまだ一定の結論らしきものも出ていない様子、つまりどこでも誰もが、手探りで始めたばかりのところといえば当たらずといえども春遠からじなのかいな。
 RSの機能性を高めたという意味ではホームページの改良版というよりは拡張バージョンという所で、議場を各自のHPに起きつつ相互乗り入れを許すという点で2チャンネルのような書き込み板との棲み分けも期待されるが、要は各自の文章力が問題になってくるのは明らかで、3年後には数千のパワフルな恒星群とその周辺にまとわりつく数万の惑星の群れに収束されていくのは目にみえるようだ。まあ、やくざと同じでフリーランサーが生きていられる牧歌的な時代はいまのうちのようだ。夏の間のキリギリスみたいなもんだ、今のうちにせいぜい鳴いておくとしようかね。
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