
久しぶりのブログ更新です。
お仕事や総会やなにやかや・・・いろいろあるものでございます。
お坊さん、亡くなった方だけを相手にしているわけではありません。
生きている人も、もちろん大事です。
お檀家さんの相談に乗ったり愚痴を聞いたり、場合によっては手紙書いたり、保護観察の仕事もそうですね・・葬式、法事、掃除に精進料理、坐禅やお経だけではありません。
法務以外で人と会っている時間は、結構多かったりします。
人と会うのが好きな人にはいいかもしれませんが、苦手な人には、この仕事、辛いかも・・・。
私は人と会うのが嫌いではないので、どんな人が来るんだろうとか、どんな話が聞けるんだろうとか、結構楽しみにしてることもあります。
でもたまに、相談で来られて何度面談しても、幾度となく手紙のやりとりをしても、こちらの思うことがまったく通じないことがあって、結局「激疲れ」することがあります。
伝え方、話し方が悪いのかな、上から目線の言葉遣いになってないかな、などと反省したりもするのですが・・・・それだけでもないようなことも多いのですね。
こんなお仕事ですから、葬儀前後のトラブルに関しての相談が多いのですが、丁寧に解きほぐしていけば、なんで日ごろからちゃんと付き合ってなかったんだろう?と思うことがかなりあります。
結局、ほんの些細な行き違いが、大きな問題を招いてしまってているのですね。
人の世の中でございます。いろいろありますが、うらみつらみや妬み怒りばかりでは、その人の生が貧しくなるだけです。
わがままの「我」なのでございますよ、様々なトラブルの素は・・・。
「我」のせいで眼が曇って、ちゃんと判断できなくなってしまっている方が多いのでございます・・・。
コマーシャルじゃないけど、固いもの同士ではぶつかったら壊れてしまいます。どちらかが柔らかい心を持たないと・・・。
あの人を説得せよ、このひとに説教してくれ、といわれても、ワタシはそこまでかかわれません。
情にほだされて口を出しても、下手すれば両方から恨まれることになります。「そんなつもりじゃなかった」では済まなくなることもあります。
肝心なのは、誰もが知っているはずの「思いやる心」なんですけどね。
どんな宗教でも大事なところは、そんな誰でも持っているはずの「想う心」に目覚めることでもあるのです。
知らぬうちにずぶずぶと「我」の泥沼にはまってしまわないよう、気をつけなくちゃいけませんね。
・・・・・・
夏椿が満開。まだまだ咲きそうです。雨の日の姿が美しい花であります。
アジサイも色濃くなってきました。
アジサイは一つ一つの花弁やつぼみの色が微妙に違うところに、その美しさがあります。遠目でよし、近づいてよし。
梅雨の晴れ間に山下公園まで出かけてきました。
内陸生まれの私には、潮の匂いが憧れの匂いであります。ドキドキ感は相変わらずです。何年住んでも、横浜はエキゾチックな街です。
今日はここまで。
さんぜのまなざし goo別院 1605