『みんなのお寺』 ブッダによる幸せの種がまかれた園

宗派を超え、国境を超え、時を超えて、仏教・ブッダの教えの真理に触れる事の出来る幸せの精舎を目指す『お寺』です

禅定・瞑想④ 『第二の瞑想段階』

2009年04月25日 | 修行法 『戒・定・慧』
『さらに尋(じん)と伺(し)が無くなることによって、心が清浄で一点に集中(定)され、心の安定より生じた喜びと安楽のある、第二の禅定に達してそこにおります。かれはこの身体をば、心の安定により生じた喜びと安楽によって潤し、あまねく浸し、あまねく満たし、あまねく浸透させるのです。かれの体全身、どこも心の安定によって生じた喜びと安楽に触れないところはありません』


心が一点に集中される

これはサマーディーといって、漢訳で三昧とも音訳されています

今でも〇〇三昧といった形で使われる言葉です

一つの対象に心が集中される

頭がスーッとして何とも言えない気持ちよさを感じます

言葉で表現しにくい世界です


心が一つの対象に集中するとはどういうことか

我々坊主はお経を唱えますがそのお経に完全に集中しているときに気持ちよさが訪れます

どんな分野の活動でも何か一つに対して興味が一つに集中した時は何とも言えない楽しさがあります

その極致が『定・三昧・サマーディ』です

そこに至る方法は種々様々です

壁にしろ炎や朝日や夕日など何かの一点・対象を見つめ続けるという方法もありますし、何か一つの概念を念じ続けるという方法もあります

とにかく思考を一つのことで満たすのです


『真理(無常・苦・無我)』で心を満たすことは素晴らしいことです


ここで一つのことに心が集中すれば

『心の安定より生じた喜びと安楽』が自己に訪れます

その状態が第二の禅定の段階です



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