『みんなのお寺』 ブッダによる幸せの種がまかれた園

宗派を超え、国境を超え、時を超えて、仏教・ブッダの教えの真理に触れる事の出来る幸せの精舎を目指す『お寺』です

禅定⑩

2008年01月11日 | 修行法 『戒・定・慧』
第八番目の瞑想の境地、無色界最後の境地は
「想があるのでもなく想がないのでもないと観じる境地です」(非想非非想処)
言い忘れましたが七番目の境地は釈尊が出家してすぐ弟子入りしたアーラーラ・カーラーマ仙人が到達していた境地です
そして今回の八番目の境地はその次に弟子入りしたウッダカ・ラーマプッタ仙人が到達していた境地です
その二つの境地をすぐに覚った釈尊
釈尊は六年間の苦行に入る前に実はここまで体得していたのです
あと一つ上の境地に行けば覚ることができたのにその壁をすぐには超えられなかったのです
瞑想は釈尊在世よりもさらに以前から存在していました
(そこから派生した一つとして最近流行っているヨガがあります)
しかしその瞑想法だけでは涅槃・解脱の境地には到達できません
そこで釈尊は、苦行を六年間耐え抜いた後に、自らが発見し覚った永遠不変のこの世の真理を体得した上でここまでに述べてきた瞑想を利用して当時知られていた第八の瞑想の境地を超えていくのです
(釈尊が発見した真理に基づく瞑想は安全ですが、ほんのごく一部で、ただただ誤った知識のもとに瞑想を行って殺人を起こしたり不道徳な行為を行ってしまった怪しく危険な宗教が存在していましたし、もしかしたらまだ存在しているかもしれませんのでご注意を!)
その第九番目の境地は次回に述べたいと思います

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