『様々な欲と悪を離れて、大まかな思考(尋)と細かい思考(伺)をまだ伴ってはいるが、欲・悪から離れることによって生じた喜びと安楽のある、第一の禅定に達しています。かれはこの身体を、遠離によって生じた喜びと安楽によって、潤し、あまねく浸し、あまねく満たし、あまねく浸透させるのです。かれの体全身、どこも遠離によって生じた喜びと安楽に触れないところはありません。』
ここから色界に入りますが、色界は欲望の心がない、心の対象が物質だけになる世界です
外界の物質を認識しながらも心は清らかさで満ちた状態です
心にある欲と悪を全部捨てます
欲と悪を忘れればいいのです
もちろん七つの戒めにより、やましさ・後ろめたさが何も無くなっています
そのような欲望の世界から抜け出た状態にある心を楽しみます
例えるならば、絶景の露天風呂に入った後に綺麗な衣服に身をまとった時の体がまことに気持ちがよい状態
そのような気持ちが心に訪れます
ただ『尋』と『伺』が残っています
『尋』とは六つの感覚器官(目耳鼻口体心)が感じるものを意識が認識した瞬間・対象です
『伺』とは尋が心に残っている時間・対象です
落ち着きがなく集中力がない人というのは『尋』が意識の中に次から次に流れ込んでそれに振り回されているのです
そんな人は脳がそういうつくりで物事を長くじっくり続けにくい傾向があるので一つのことを考え続けれる環境をつくる必要があります
座禅で言う『無の境地』になるためにはこの二つを消さねばなりません
その二つを瞑想中に消せれば次の第二の禅定の段階へ行くことができます
ここから色界に入りますが、色界は欲望の心がない、心の対象が物質だけになる世界です
外界の物質を認識しながらも心は清らかさで満ちた状態です
心にある欲と悪を全部捨てます
欲と悪を忘れればいいのです
もちろん七つの戒めにより、やましさ・後ろめたさが何も無くなっています
そのような欲望の世界から抜け出た状態にある心を楽しみます
例えるならば、絶景の露天風呂に入った後に綺麗な衣服に身をまとった時の体がまことに気持ちがよい状態
そのような気持ちが心に訪れます
ただ『尋』と『伺』が残っています
『尋』とは六つの感覚器官(目耳鼻口体心)が感じるものを意識が認識した瞬間・対象です
『伺』とは尋が心に残っている時間・対象です
落ち着きがなく集中力がない人というのは『尋』が意識の中に次から次に流れ込んでそれに振り回されているのです
そんな人は脳がそういうつくりで物事を長くじっくり続けにくい傾向があるので一つのことを考え続けれる環境をつくる必要があります
座禅で言う『無の境地』になるためにはこの二つを消さねばなりません
その二つを瞑想中に消せれば次の第二の禅定の段階へ行くことができます