子どもに教える時、何がよい事で、また何がダメな事なのか。
これは簡単な様でとても難しい事です。
それでは道徳的な善悪についてはどうでしょうか。
私が言うまでもなく、誰でも解る事であるかと思います。
礼儀を持って人と接する事や、他人の物を取らない事。
他人や社会に迷惑を掛けない事や、嘘をつかない事など。
このような道徳的によい事やダメな事というのが子どもに教える時にそのまま通用すると思われますか。
答えはノーです。
大人がそれまでの長い人生において学んできた道徳というのはいったん頭の片隅に置いておかなければいけません。
大人が認識している道徳をそのまま子育てに取り入れることは歓迎できません。
なぜならば、子どもは道徳的な善悪に付いて無知の状態から出発しているからです。
もしもそのような子どもの立場という点を大人が認識していなければ、子育てにおいて、子どもを導くべき善悪の指針が一方的なものになってしまう危険性があります。
「挨拶をしっかりしなさい」「嘘は泥棒の始まりだよ」など。
その様な環境のもとの育ちでは、その子どもは、将来何かの問題や壁にぶち当たった時に、自ら道徳的に正しい道を見出し人生を歩んでいく力が弱くなるかもしれません。
善悪を漠然と理解していても、なぜよいのか、なぜ悪いのか、という根本的な意味合いが解っていないからです。
私がここで言いたい事は、なぜよいのか、なぜダメなのか、を時に応じて子どもにしっかりと伝えなければいけないという事です。
仏教では『縁起』を大切にします。
それは簡単に言えば、結果には常に原因がある、ということです。
であるから自らの行動に対しても客観的に結果を予測して、その原因を選び取っていく事。
そのことが幸せにつながっていくのです。
これらの教えから導き出される答えはシンプルです。
何がよいのかといえば、根本に思いやりの気持ちを持っているかという事で、何がダメなのかといえば、根本に自分の事だけしか考えていない事です。
思いやりの気持ちが大きければ大きいほど、目に見えなくても多くの人に伝わりその人自身に知らず知らずの内に幸せを呼び込んでいく事になるでしょう。
また自分の事だけしか考えていなければ、善き友はどんどん離れていくでしょう。
全ての人間が思いやりのある心根のやさしい人間に育っていって欲しい、そのための教えでもあるのです、
仏教とは。