『みんなのお寺』 ブッダによる幸せの種がまかれた園

宗派を超え、国境を超え、時を超えて、仏教・ブッダの教えの真理に触れる事の出来る幸せの精舎を目指す『お寺』です

世界平和に貢献する人  世界平和を壊す人

2007年10月10日 | 真理
真の宗教者は、世界が平和になりますように、と願います。

世界平和、と言うとなんだか壮大なメッセージに感じられ、眉をひそめてしまいがちですが、仏教=平和と言っても過言ではないし、ブッダの智慧の立場から書かせて頂いているので、世界平和を含んだこのテーマは選ばざるを得ない、必然的なものでしょう。

そして世界平和に『貢献する人』と『壊す人』とこの両者を明確に分けて示す事が、『子育て』を学んでいる我々にとっても1つの指針になるし、まことに意味のある事であると思うのです。

それではまず『世界平和』とはどんな世界なんでしょうか?

私は『世界平和』とは主人公がいない世界だと思います。

「善人ばかりの家には争いが絶えない」

といった言葉を聞いた事があるでしょうか。

善人しかいないのなら争いが起こる事はありません。

しかし善人しかいないのに争い事が絶えないのです。

なんだかキツネにつままれたような話ですが、ここで疑うべきは『善人』です。

『善人』とは誰から見て『善人』なのでしょうか?

この世の中で生きている限り、一番大切な存在は『自分』です。

その『自分』が主人公になりがちなのが人間の常です。

もし『自分』が主人公になってしまったならば、おのずと主人公である『自分』は『善人』です。

『自分』の行動すべてが正当化され、『自分』中心に周りの物事を判断していくでしょう。

その『善人』に人々は陥りがちなのです。

『自分』の意見が正しいんだ!

こうするのが正しいんだ!

お前は間違っているぞ!

と相手を批判する『善人』ばかりなら、争いが絶えないのは目に見えています。

1つの小さな家族の話ですが、世界はすべて繋がっています。

争い事の原理は、大も小も同じです。

規模が大きいか小さいかだけの話で、小さな心掛けが寄り集まれば大きな働きとなって社会を動かしてゆくでしょう。

一人一人の心掛けが大切なのです。

環境問題も同じです。

『善人』である主人公ばかりの世界ならば、戦争などの争い事は絶えず、平和とは反対の道を歩んでいくでしょう。

だから私は『善人』である主人公がいない世界が『世界平和』をつくっていくのだと思うのです。

自分の尺度でしかものを見る事ができない人々の苦しみの世界を哀れんで、ブッダは人間における永遠不変の絶対的真理を示してくださったのです。

その智慧の目は、すべての対象に差をつける事のない無分別の智慧です。

それぞれがそれぞれの色で輝く世界です。

仏法が栄える事は『世界平和』の近道です。

仏の智慧で『子育て』すれば、その子どもは必然的に世界平和に貢献する人になるでしょうし、その反対の道を歩めば、世界平和を壊す人になるでしょう。

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