理系大生のつぶやき

某理系大学にかよう学生が日々感じたこと、考えたことを記すブログです。

3月14日

2016-03-14 03:22:57 | 日記
マナーについて今日は考えたことを書こうと思います。
そもそもなぜマナーなるものがあるのか?
私はそれが甚だ疑問でした。マナーなんて常識じゃないか、普通に考えればわかる…
この「普通に」という言葉、「常識」という言葉が落とし穴でした。
今までの私はこの「普通に」という言葉、「常識」という言葉を多様した結果失敗したことが多々ありました。

私たち人間は意味のあることが好きです。そして、意味のあることでなければ行動しようとしません。
しかし、私たち人間の考える「意味」ってなんでしょう。これは私たちが考え出した言葉であって、そもそも「意味」なんてありません。究極のことを言ってしまえば、私たちが生きている意味なんて考えれば考えるほどないと思います。(意味のある行動、意味のある…これらは人間が勝手に意味をつけ加えたものであって、実際のところ意味はないと考えていった究極の行き先という意味で書きました。)
いや、あなたこのブログ書いて、大学生楽しくやってるじゃない、生きてて意味ないとか何を言ってるの?なんて疑問が飛んでくるかもしれません。
ここで私はよくよく考えてみました。
確かに生きてる意味なんてない、しかし私たちが生きていて考えられる能力と言葉があれば自分でその意味を見出せばいいじゃないかと。意味があるからやる、ではなく、自分にとって意味のあること、価値のあることだと思う、だからやる。こんな感じです。

と上記の様な私なりの簡単な死生観を語ってみました。多分読んでみて、何言ってんだこいつ。と思われた方も多いと思いますが、こういった簡単な死生観ですら私の価値観というものは大なり小なりズレていると思います。コアの部分は同じだとしても、生きているバックグラウンドが違う限り自分の中にある言葉の組み合わせ方も違うと思いますし、完全に考えが一致しているなんてありえないと思います。


ここまで話が脱線しましたが、本題に戻ります。
価値観の話を挟みましたが、なぜそんな話をしたか…私たちは生きていて、ほとんどの世界の生きている人と交わることはありません。交差点ですれ違う人、電車の中に乗っている人…こんな感じで関わってはいるけれども偶然出会うだけで、直接話したり、バックグラウンドを知ることなんてほとんどありません。いろんな場面でこういった人に出会いますが、その際に大切になってくるのがマナーです。いろんな価値観、バックグラウンドで生きている人と間接的に交わる際に、ある一線を決めて行動すること、それがマナーだと私は考えます。じゃあマナーって、その一線ってどうやって決めるの?常識でしょ?普通に考えればわかるでしょ?…ここまでくればわかると思いますが、常識って架空の浮いた状態の言葉で、みんなが共通している認識のことを指しますが、私はそんなものあってないようなものだと考えます。
だから、マナーというものをいたるところで言葉で書いたりすることが重要だということに気づかされます。みんなが最低限の約束を守って、最低限のサービスを受けられる空間にする共通認識のことをマナーっていうのかなとも考えました。いづれにせよマナーを守ることは人間として最低限の義務だと、考えた結果認識しました。
「あらゆる常識に疑いの目を向けろ」という方がよくいらっしゃいますが、私もそれが大切だと思ったので、まずその常識という言葉の定義を考えるついでにマナーについて考えてみました。簡単な言葉で片付けられているものほど一考の価値ありだと、この考察でわかりました。これからも簡単な言葉で片付けられているものを考察してみようと思います。

以上、久しぶりに長く論じてしまいました。最後まで読んでくださった方ありがとうございました。

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