My Favourite

旅と映画と音楽と・・・
Riezoの旅、映画、音楽等のBlog。

Bridget Jones

2005-07-31 03:01:54 | movies


 さてさて、やっと見ましたよ、ブリジットジョーンズの2作目。歯の治療、足の爪の手術を今日一気にしたので、家で安静に。というわけで、ブリジットジョーンズの1作目から2本続けてDVDを見ました。

 レニーは本当に体格の変化が凄いですね。前作のブリジットジョーンズ(以下 B.J)の後、かなりのダイエットをして、今作では前作以上の体格にしてきていますから。ハリウッド女優、恐るべし!

 ヒュー・グラントは相変わらずですね。ヒュー・グラントって感じがするし、それが似合ってるし。

 コリン・ファース。やっぱりこの人!まあ、この人もコリン・ファースって感じですね。スーツ姿が定番になりつつある気もしますが・・・。

 ヒュー・グラント演じる役は、典型的な女癖が悪い男性。いくつになってもこのままでしょう。でも、こんな生活が続くのは、口が上手く、相手を楽しませ魅力的なことを言う。女性の扱いになれているから、こちらとしても居心地がいいのかも。もちろん、the one でなければ楽しい相手。

 一方、コリン・ファース演じるハイクラスに生まれたまじめな(ちょっと高慢でもある)男性。家柄、社会的地位、ルックスともに文句なし。複数の女性と付き合えるほど器用な男性ではない。the one にするにはいい相手かもしれないが、物足りない感が残るかも。

 しかし、この映画、他の見方をすれば、2人ともB.Jのことよりも、実はヒューがコリンの元妻を寝取った恨みで、ヒューが付き合っている女性(2股にしても)を奪うという男同士のプライドみたいなものを感じないこともない。もちろん2人ともB.Jが好きなんだろうけど。オレがオレが(hey,look at me !)タイプのヒュー・グラントと表に出さないタイプのコリン・ファースだけど、2人の女性の趣味が共通というのも面白いですね。

 

 コリン・ファースはあまりかわらないけど、ヒュー・グラントは年取った感じがするのは私だけ?

 今度は本で読もうかな?と考えています。きっと感じ方も違うと思うから。

 


we are great?!

2005-07-29 23:31:17 | travel
 2年前に比べて間違いなく英語はできるようになっていた。しかし、フランス語の方はコミュニケーションをとれるほどではなかった。そこが今回ももどかしい。福さんはパリ在住だし、どんどんフランス語を話し、誰にでも声をかけていた。

 今回の参加者は、フランス人、その次にスペイン人、スロベニア人が多かった。それ以外には日本人、スイス人、オランダ人、フィンランド人、イギリス人、クロアチア人・・・こんなところだろうか?ヨーロッパ以外からの参加は私たちだけだった。

 それに今回は宿舎が別れていて、フランス人の多くは別の建物に宿泊していたようだ。そのため、夜、カフェテラスで演奏したり、毎晩のようにいろんな国のパーティーをして楽しんだ前回とはまた雰囲気が違っていた。

 なんだか、少し寂しい感じもしたが音楽を勉強しに来たんだから、これでいいのだろう。私のルームメイト・メラニーも毎晩早く寝てしまうのだから、私も彼女と共に規則正しい生活をするのも悪くない。

 それに今回は、Gapの後に南フランス、スペイン、パリの旅も待っている。学校が終わってからヴァカンスというのもいいだろう!

 レッスンは順調に進んでいた。

 カルテットのレッスンや練習では、意見をどんどん出した。ニーナも私も2度目のGapだったので、このオーディションにはどうしても受かりたかったのだ。

 ダミアンとのカルテットのレッスン時間がかなり押してしまっていた。私たちのレッスンは午前最後の時間帯だったため、次のレッスン時間を気にしないでよかったのだ。浅リンはバリトンサックス歴がかなり長く、玄人とでも言えばよいだろうか?吹けばみんなが感心する、そんな状況が続いていた。

 お昼ごはんの時間になってもダミアンがなかなか現れないため、ファブリッチオが私たちの部屋へやってきた。演奏を聞き、なかなか気に入ったようで、自分も楽器を持って参加し始めた。ダミアンとファブリッチオを待っていたミシャー先生まで登場。そして、ミシャー先生も楽器を手にし演奏に参加。つまり、私たちのカルテットプラスダミアン、ファブリッチオ、ミシャー先生の7人で楽器を吹き始めたのだ。

 ハイドンのカルテット、その部屋にあったいくつかの楽譜を次々に出し、コレは?コレは?というように演奏していく。ダミアン、ファブリッチオ、ミシャー先生がテンポをどんどんあおる。コレでもついてこれる?とでも言うかのように。

 世界トップレベルのプレーヤーとこんな風に演奏する機会なんてめったにない。

 調子にのって3人のトッププレーヤーがふざけて演奏をしていると、そこにドゥラングル先生が登場する。無言でドアを開け、それに気付いた3人はちょっとばつがわるそう・・・。

 「バスがもう出るよ。」

 とボソっとつぶやいて出て行く。部屋にいた7人は無言でそそくさと楽器を片付ける。

 ものすごく神経質、自他誰に対してでも厳しいイメージのあるドゥラングル先生は、我々以外の3人のトッププレーヤーにとってもそんな存在なんだろうな~というのがよくわかった。

 とにかく、楽しい時間だった。

 そして、私たち曲はまたしても、”ハイドン”のカルテットになったのだった。

 

beef??

2005-07-27 02:15:45 | travel
 いよいよ、レッスンが始まる。

 前回同様、4人のソロの先生、ダミアン・ファブリッチオをカルテットの先生兼アシスタント。

 今回のレッスンでは以前よりも先生が何を言っているのかなどがよくわかるようになっていた。前回よりは明らかにスムーズに全てが進んでいる。福さんはとっても明るく、話すのが大好きな人で、みんなとどんどん話をしていた。私たち日本人のムードメーカーっぽいところがあった。

 カルテットのレッスンをしてびっくりしたことがあった。ニーナは前回ほとんどフランス語が話せなかったのに、今ではペラペラになっていた。オランダ人と日本人で組んでいたカルテットなので、英語で会話するのが常だったのだが、相変わらずファブリッチオは英語が話せない。ダミアンはケンブリッジ(英国)で普段は教えているので、もちろん英語はペラペラ。そこで、ニーナがニーナがフランス語から英語へ、私は英語から日本語へ、この手順で会話は続いた。
 
 前回のGapからはみんな成長していて、楽譜を渡されてすぐに合わせられるくらいにはなっていた。2曲渡されて、その場で合わせる。

 まるで以前にも一緒に吹いていたかのように私たちは演奏をした。

 浅リンと私は日本で一緒にカルテットを組んでいたし、ニーナとイヴォンヌも一緒に演奏をしていたようだ。というわけで、私たちは数曲演奏し、先生たちがどの曲がいいかをえらぶことになっていた。

 今回は大丈夫。そう思えるカルテットだった。

 昼ごはんの時間、バスに乗り宿舎へ帰る。この道のりも今ではあまり遠く感じなくなっていた。

 またまた、いつものパン、スープもしくはサラダで食事がスタート。またまた懐かしいフランスの家庭料理を食べ始めた。

 浅リンはあまり好き嫌いがないようで、食事もちゃんととっていた。

 しかし、私は見たことのないものや嫌いなものが出てくると手をつけなかったり、他の人が食べてから、それは何?とかおいしい?とか確認し、その後、食べたり食べなかったりした。

 今日のメインは肉。この肉はどう見ても牛肉じゃない。豚のように見えなくもないが、なんだか少し違う気もする。

 一応私も肉をもらい、手をつけずに他のものを食べていた。すると、食べないの?という質問が始まり、私は牛肉以外はあまり食べないと答えた。コレ何の肉?と聞くと、フランス人数名が肉を食べ、牛肉と答えた。絶対違うよ!と言い続けたが、牛だよ!と何度も繰り返され、少し食べてみる。肉を切り口に運んだ瞬間牛じゃないことは明らかに分かった。

 何コレ?と浅リンに聞く。

 「どれどれ・・・」

 と言いながら浅リンが肉を食べる。

 「コレは羊だね」

 と浅リンが答える。

 やっぱり!みんな、牛か牛じゃないかすらわからないのか?!

 とにかく、こんな調子で食事は進んだ。

 
 今回の写真は私のルームメイト(スイス人)。8頭身 いや、もっとかな?
とても大人しい女の子です。 

new quartet

2005-07-21 00:26:50 | travel
これが今回のカルテットのメンバー。浅リン、riezo、イヴォンヌ(オランダ)、ニーナ(オランダ)。この4人で今回はオーディションにのぞむ。今度こそ!という思いを胸に。

 曲の候補はいろいろあるようだ。

 今回、ソロは前回より少し難しいものを用意した。ピアノ伴奏者は日本人だったが、前回とは違った。とっても親しみやすい女の人だった。これは一安心。

 2回目の参加ということもあって、練習室の使い方、レッスンの形態、休憩時間の過ごし方、街のどこに何があるか、いろいろ分かっていたから不安な気持ちはなかった。

 前回、スケジュールがかなり詰まっていたので、今回は、ソロのレッスン、カルテットのレッスン、ピアノとの伴奏合わせがレッスン。毎日ラージアンサンブルのレッスンがなくなった分、カルテットの合わせの時間が増えることになる。今回はオーディションをどうしてもパスしたい。ちょうどいい時間割になっていた。

 しかし、この3人大きいな~。浅リンは私より1段低い(2段かな?)階段に立っている。この2人のオランダ人は間違いなく170センチ以上ある。浅リンはもっと背が高いので、1人子供の気分・・・。しかし、こんなに小さく写っていても、私riezoは160センチあるのです!みんな大きいな~。

 そして、イヴォンヌはなんと19歳!見えない・・・。大人っぽい。

 99年、Gapでの挑戦が始まった。

 

view

2005-07-19 00:01:47 | travel
ハエ入りジャム(ハエがたかっているジャム)にバゲット、ショコラ(ココア)にプディング、朝食のメニューは変わっていなかった。また~?と思う反面、コレコレ!と思う自分もいた。
 身支度を済ませ、朝露に濡れる芝生の上を歩き、バスに乗り込む。本当に観光バスのようなもので毎日、みんなと行動を共にする。

 懐かしい。本当に懐かしい。2年ぶりに戻ってきたこの場所は、開発が進むわけでもなく、のんびり穏やかな風景が広がっていた。今回はしばし、Gapの風景をお楽しみください。












Gapというところは、パリとは全く違う。しかし、ほんとうに自然に恵まれ、すばらしいところ。

 フランスでも、ヴァカンス地として訪れる人が多いところ。

 私が今でも訪れたい場所の1つ。Parisだけとは言わず、フランスを訪れるときは是非ここにも!



 

only 1??

2005-07-18 00:17:31 | travel

2年前と同じ先生たちが目の前に並んでいる。ダミヤンにファブリチオ、ホールに入ると、懐かしい顔があった。

「salut?」と近づいてきたのは、スペイン人のFederico。2年前はニーニョと呼ばれていた男の子だ。ほっぺたにキスをして挨拶する。2年前に比べて随分背が高くなっていた。英語も勉強したようで、簡単な会話は英語で出来るようになっていた。
 前回マルタイン(私と一緒にカルテットを組んでいた女の子)の友人のオランダ人ニーナも来ていた。
 イギリス人のBach、スイス人のメラニー、フランス人のアントナン、そのほかにも数名前回参加していた人たちがいた。みんな名前も覚えていてくれて、挨拶とキスをしてきた。思ってた以上にたくさんの知った顔がある。なんだか懐かしい友人との再会がとても嬉しかった。それぞれ新しい友人を連れてきていたため、お互いの友人を紹介しあっていた。

 浅リンと私は、伸さんの友人である福さんにも会うことができた。福さんはとてもおしゃべりで個性的な人で、人見知りをする様子もない。私たちはすぐに打ち解けることができた。

 回りを見渡しても日本人の女の人はいなかった。つまり、今回参加の日本人は全部で3人。福さん、浅リン、そして私の3人だったのだ。ということは、ルームメイトが日本人になることはまずない。

 パーティーでジュース(もちろんワインも出ている)、スナックを食べ、先生たちとも会話を交わす。みんな、覚えていてくれたことが何よりも嬉かった。

 パーティーの後バスに乗り込み、宿舎へ向かう。2年前と同じく絶景が広がる。ナポレオン街道を登り、宿舎へとたどりついた。

 恒例の部屋割りがあり、今回は、スイス人のメラニーとフランス人フランソワ、私の3人部屋になっていた。フランソワはグループBだったため、数日後にやってくる。最初は2人でのスタートだ。

 メラニーは細くて背が高く、ブロンドの長い髪のおとなしい女の子だった。2年前にはお互いに学校にいたことは知っていたが、話したことはなかった。2人ともお互いを覚えていたため、過ごしやすいルームメイトだった。彼女はジュネーブからきていて、もちろんフランス語を話す。英語が苦手と言っていた。私が話していることは分かるらしいが、自分が英語で話せないから、と言っていた。まあ、なんとかなるだろう。

 浅リンは福さんと同じ部屋。2人部屋だったのかな?その部屋は楽しいこと間違いなし!だったのだろう。

 さてさて、荷物を解く十分な時間もないまま、夕食の時間となった。今回は、宿舎に他の団体も結構いるようで、テーブルの上に"SAXO"と書いてあるところが私たちの食べる場所となっていた。

 今回は前回ほどナーバスにならずに食事のテーブルについた。何が出てくるのか大体予想はついているし、もう、虫つきサラダも味のない野菜スープも、分離したマスタードドレッシングも、朝食のハエ入りジャムも、驚かない。むしろ懐かしい。

 人は意外と、いやなことや驚いたこと、苦労したことなんかが思いでに残りやすい。おいしいと思ったものもいくつもあったはずだが、やはり今しがた挙げたものを強烈に覚えている。

 浅リンはフランスに来たからその土地のものを楽しもうというすばらしい考えの持ち主で、このGapの食事も興味津々に楽しんでいた。

 食事の後は、カフェへ。懐かしい再会をした数名といろいろ話した。

 カルロスはその後結婚、マルタイン、ジェロームはパリ音楽院へ。ひげがザラザラしていたクマのようなThomasも結婚したそうだ。Federico以外のスペイン人もみんなカルロスのことを知っていた。どうやらカルロスは先生のようだ。

 懐かしい話をしながら、1日目の夜は更けていった。明日からまた学校が過密スケジュールで始まる。でも、今回は様子が分かっているから、楽しみな気分も半分あった。

 部屋に帰ると、部屋は既に真っ暗で、メラニーはもう眠っていた。彼女はびっくりするくらい規則正しい生活をしているのだ。メラニーを見ているとアルプスの少女ハイジの世界が想像できるようだった。メラニーはハイジの見た目とはかけ離れているが・・・。

 今回は学校でどんなことが待ち受けているのだろうか?
 

Gap 99

2005-07-17 00:23:04 | travel
ユーロパス・ユースに今日の日付を書き込み、Paris-valenceの地名、列車の時刻、日付をパスの下についている"your journey"というところに書き込む。次に、ユーロマップを広げ自分が乗っている列車の線をペンでなぞっていった。わくわくする作業だ。

 世界の車窓からをまた思い浮かべ、田園風景にすっかり舞い上がる私とは全く違い浅リンは普通に景色をみていた。この風景は浅リンにはあまり珍しくないようだ。出身地が違うと感じ方がもちろん違うのだろう。

 TGVはValenceに到着。そこで乗り換えをするため、私たちは下車した。各駅停車の列車に乗換えだ。

 今回はユーロパス(ユース)を持っていたため、チケットを買う必要がなかった。これは、前回の旅に比べるととても楽なことだった。

 列車は山岳地帯を進み、目をみはるような風景が流れていった。途中、丘の上にお城のようなものを見かけたりした。この列車からの風景は本当にすばらしい。

 途中、遠足なのか、サマーキャンプなのか、フランスの小学生の集団が乗ってきた。みんなリュックをしょい、キャンプで寝る時にしたにひくようなマットを丸めて持っていた。

 車内は一気ににぎやかになった。でも、まさにフランスの子供たちの生活を見れているような気がして楽しかった。

 しばらくすると、歌声が聞こえてきた。みんなで合唱をしている。

 聞きなれた曲だった。でもフランス語で歌っている。

 ♪~ オ~ シャンゼリゼ~、オ~ シャンゼリゼ~ ♪

 そう、オーシャンゼリゼだった。「本当にオーシャンゼリゼ~って歌ってるよ~」
と感動しながら、列車の旅は続いた。

 そうこうしているうちにGapへと着いた。2年ぶりに訪れたこの地に懐かしさを感じた。駅を出て、学校へと向かう。今回はそんなに不安はなかった。どこになにがあるか、大体分かっていたからだ。

 学校の前には、もうすでに生徒がいた。荷物を校内に入れ、また、オープニングのパーティーがあるため、そこに向かった。

 そこには・・・・

tickets !

2005-07-16 12:22:58 | travel
相変わらず時差ぼけはあるものの、明日に備えて眠ることにした。
 
 目覚ましをセットし、朝早く起きた。身支度をし、食堂で朝食をとった。懐かしいホテル、懐かしいフランスの朝ごはん。

 とりあえず、10時半のTGVの出発までにオーステルリッツ駅へ行って戻ってこなければならなかったため、ホテルを後にした。

 地図によると、そんなに遠くはないはずだ。今日は、天気も良かったから、歩いていくことにした。

 Parisの朝は気持ちがいい。今日は月曜だから、普段の通勤風景といった様子をみることができた。学校に行く子供たち、少し混んでいる道路、足早に歩くビジネスマンたち。

 そんな中、ビデオを片手に歩く。道に多少迷いながらも地図をみながらオーステルリッツ駅に到着。トーマスクックでどのチケットを買うかを決めてあったのだが、なかなかそのチケットが買えない。

 コレをくださいと指定しているのに、学生かとかユーロパスがあるかなどを聞き、一番安いチケットを進めてくるのだ。窓口のお姉さんは親切でこれが一番いいよ、と進めてくれているのだろうが、こちらにも予定があるため、むしろ早くほしかったチケットを買い、Paris-Lyon駅へもどらなければ。

 私たちがほしかったチケットは、Madrid-Paris間の寝台列車 " フランシスコ デ ゴヤ 号"。(画家や芸術家の名前が列車の名前になっていて、違う方面に行くヨーロッパの列車には、ダリ号、パブロ・カザルス号などもある)何度も別のチケットを進められた挙句、もともとほしかったチケットをなんとか手に入れた。Madrid-Parisでなんと14時間ほどかかるから、日本に帰れる時間になる。それでも、飛行機で飛ぶよりずーっと安かったため、私たちは寝台列車を選んだ。

 途中、こんなかわいい広告をみつけた。広告1つとってもかわいいな、この国。Paris-Lyon駅に戻り、チェックアウトをし、サンドイッチを購入。前回のソムリエの彼から学んだことを実行。そして、TGVに乗り込んだ。

 私たちの席に行くと、既に女の子が座っていた。何度確認しても私たちの席だ。

 Excuse me,....と話しかけるも彼女は英語がわからないようだ。しかもかなり若い女の子で外国人に何かを言われ、ナーバスになっている様子だった。

 すると、向かいに座っていた老夫婦が、どうしたの?チケットを見せて?というように私たちのチケットと座席番号を確認していた。そして、その女の子のチケットも見せてもらい、彼女にフランス語で説明をしてくれた。

 その老夫婦のおかげで着席できたが、この国ではこういうことが多い。なんのための指定席なんだろうと思うほど、結構勝手に違う席に座っている人が多い。空いているときはいいが、混んでくるとなかなか困るものである。

 Gapに向けての長旅スタートだ。

Paris 99

2005-07-12 01:17:11 | travel
 雲行きが怪しくなったきた。伸さんが、この先に行くとセーヌ川、そこからはエッフェル塔が見えるよ。と教えてくれたため、そこまで行ってみることにした。

 ピカ ! ゴロゴロ ゴロゴロ

 雷鳴と共に大粒の雨が降り始めた。私は雷鳴と稲光が怖い。普段なら雨宿りをするか、家から外に出ないかのどちらかだが、もう、途中まで歩いてきてしまったし、雨宿りが出来るような場所が見当たらなかったため、そのまま歩いてセーヌ川へと向かった。

 道路を渡ると突然景色が開けた。そこはセーヌ川にかかる橋の上で、遠くにはエッフェル塔が見えていた。初めてこの街に来たときに見たくても見れなかった景色を今日はParis初日にして目にした。何度みてもいい景色だ。

 大粒の雨がまだ降り続いていたため、ホテルの方向へ戻ることにした。

 小さなスーパーマーケットの店先には、赤や青のりんご、プラム、バナナなどたくさんのフルーツが鮮やかに並んでいる。この光景が大好きだ。

 そのお店の1つで、飲み物とプラムを買い込んだ。伸さんはどこが安くてどこが高いなどということをよく知っているようなのだが、この近辺にはあまりないようなので、とりあえずの分だけの買い物をした。

 駅のそばまで戻り、近くのイタリアンレストランで食事をすることにした。メニューを読むのには悪戦苦闘。2年ぶりのParisでは、かなりのフランス語を忘れていた。(伸さんが一緒だから説明してもらえるのだが。)伸さんがいる今夜、少しでもフランス語を思い出さないと!英語の方はこの2年間に多少勉強したため、少しは鍛えられていた。

 ネスティーというものがある。ご存知の通りネスカフェはコーヒーで、ネスティーは紅茶。ネスクィックはココアなのだが、このなんとも言えない粉で作ったアイスティーのようなネスティーに私はハマる。イギリスでの飲むアフタヌーンティーとはかけ離れているのだが、なんとも言えない癖になる味だ。(100%のオレンジジュースがあるのに、オレンジエードがやめられないような感じ)

 ネスティーとイタリアンの夕食を食べ、伸さんからParis在住の日本人・福さんが今回のGapに参加するよ、という話を聞いた。伸さんと福さんは知り合いのようで、私たちの話を福さんにしておいてくれたようだ。明日、会ったときにわかると思うよ、と言ってくれた。

 知り合いがいるということは心強い。多少なりとも今回は懐かしさを感じているから、前回ほどナーバスになることはなかった。

 食事の後、伸さんは家に帰っていった。Gapの講習が終わったらまた会おう!と約束して。

 明日の朝、TGVの時間までにオーステルリッツ駅まで行って、Madrid-Paris間の夜行列車の切符を買わなければならない。そう、今回はGapの講習の後、スペインを旅する予定なのだ。日本ーParis間の往復航空券とユーロパス・ユースだけを持っていて、鈍行の列車はコレに日付を記入していけば乗れる(最初の窓口の手続きは伸さんに手伝ってもらった)のだが、夜行列車、特急、スペイン内での移動手段となる飛行機や長距離バスなどのチケットも今回は全く持っていなかった。

 そんなわけで、明日は早起きして、朝のParisを散歩しつつ、駅で切符を買う。その後、Paris Lyon駅からValenceへTGVの旅。その後は鈍行に揺られてGapまでという長い列車の旅が待っている。

 

London-ロンドン

2005-07-08 01:48:45 | travel
 ウィンブルドンの記事を毎日のように投稿していたし、ロンドンには片手で数え切れないくらい行ったし、今住んでいる場所の次に長く住んでいたことのある場所だから、今、コレを書かずにはいられない。

 ウィンブルドンの大会はやっぱり好きだし、すばらしいし、また行きたい、そう思っていた数日前。

 オリンピックの開催が決まった昨日、ロンドン関係の友人たちと話したし、来年もまたLondonへ行きたいと思っていた。英国人の知り合いは大喜びしていて、その時は絶対にロンドンに帰るんだ~と言っていた。

 今日の日本時間の昼、London-Tokyo間の航空券を調べていた。マイルも貯まっているし、いつロンドンへ行こうかと考えていた。

 そして、今日。とうとう起こってしまったlondon underground でのテロ。バスでも。London public transportが完全に麻痺している。日本のワールドカップの間、エリザベス女王の即位50周年、ウィンブルドンなどの時、今の仕事の関係で滞在していたとき、旅行したとき・・・。

 見慣れた路線図に爆発のあった場所がマークされている。CNNニュースを見ると、私が何度も訪れたスーパーマーケット、何度も使った駅、滞在したことのあるホテル、食事に行ったレストラン、一目でどこだかわかるその場所にバリケードが張られていた。その駅でも爆発があった。NYで起きたそれよりもずっと身近に感じるし怖さが伝わってくる。

 9・11の衝撃はもちろん忘れられない。つい、2ヶ月前にground zeroに行って来たばかりで、崩れかけてそのままになっているビルを目の当たりにしたばかりだ。

 2002年2月、Londonへ2回目の旅へ。ガイドブックを手にBTタワー(ロンドンで一番高い塔)の近くに行き、そこでテロがあった事実を知る。BTタワーは不気味に見え、テロが再び起こらないことを願っていた。

 2002年4月、再び渡英し、8月まで滞在。6月の終りだったか7月ごろだったか、今テレビの画面に映っているようなバリケードがBTタワーの前に張られ、警察が道路を封鎖している現場に遭遇した。学校へ行こうと歩いている最中だった。何があったのか警察は教えてくれず、ただ「ここには入れない。離れなさい。」と言い続けていた。目の前のBTタワーで「何か」が起こっていることは確かだった。

 近所のnews agentのおばさんが、爆弾を仕掛けたっていう強迫があったんだって。と教えてくれた。以前テロがあった場所と同じ場所だった。そう、2月に不気味に見えたあの塔。

 今、この瞬間にその爆弾が爆発したら??大使館に在留届を出していなかったことなどいろんなことが気になった。

 携帯からすぐ日本の家族に電話し、ロンドンでのテロについてニュースでやっていないかを聞いた。

 結局、調べたところ爆弾は見つからず、翌日の新聞で強迫だけで仕掛けなかったとテロリストからの声明が発表された。

 2002年7月、ミラノへ。ミラノ市内の駅前のビルに小型セスナが突っ込んだという現場は私たちが利用する駅だったため、そのビルと対面することになった。ビルの低さに驚いた。そして、何ヶ月もたった後だったが、ビルは痛々しくセスナが突っ込んだ後を残したままだった。この衝突の衝撃で辺りの店のショーウィンドウはみんな砕け散ったという。

 2003年年末~2004年年始、LondonとSpainを旅行。留学時代に行ったお気に入りのレストランへ行った。まさに、今日、爆発された駅、edgeware road stationで降りて、今、バリケードの張られているスーパーへ入り、近くのレストランへ入った。
 Spainまでは飛行機で、Spain内はAve(新幹線)で。

 Londonへの帰りの飛行機が出発の時間になっても待たされ続けた。最初はヒースローが混んでいるからと言われ、2時間、3時間と待つ。飛行機に一度乗り込み、また空港へ戻される。真実を教えてもらえないまま、9時間空港に閉じ込められた。

 Londonへ戻り、ターミナル駅Paddington駅のホテルでテレビをつける。エジプト付近で飛行機が空中爆発したニュースが報道されていた。
テロか事故かがわかるまでイギリス行きの飛行機は全て止められたようだった。

 2004年、帰国後数ヶ月、Madridの駅で爆発があった。テロだった。私が電車に乗った、まさにその駅だった。

 2004年5月、再渡英。ホームステイをしながら、今の仕事の関係のことをしていた。毎日地下鉄に乗っていた。サッカー(マンチェスターユナイテッド)の試合がある競技場がテロの標的になっているというニュースがあり、数日後、スタジアム付近から爆弾が発見された。

 仕事に行こうとしたある日、よからぬ新聞の見出しが目についた。新聞を買い、目を通す。夜中、終電が終わったあとに警備の人が点検していたら、地下鉄の線路内に数人の不審者を発見。逮捕したということだった。何をしに地下鉄の路線内に入っていたのか?考えると恐ろしくなる。

 私のホストマザーは地下鉄を絶対に使いたくないと言い、バスを毎日利用していた。

 しかし、今日のテロでは、地下鉄もバスも、いわゆるLondon public transportが狙われた。いつかは起こるのではないかとは思っていたけれど、いざ起こるとなんともいえない気持ちになる。

 今日は眠れそうにない。

 爆発マークのつけられた路線図に登場する king's cross stationはターミナル駅。Harry Potterがホグワーツに向けて出発するあの駅、93/4ホームのある駅、本物だ。

 サミット中ということもあり、ブレア首相がコメントをした映像にブッシュ大統領、シラク大統領などが一緒に映っているのがなんだかすごい。今、このタイミングでサミットに集まったメンバーが全員いる国(彼らはスコットランドにいたが、UKには間違いない)でテロを起こすという意味はすごく大きなものである気がしてならない。

 日本から距離は遠いが、私にはそんなに遠いように感じられない。私だって、時間の流れが少しでも変わっていたら、その爆発の中にいたかもしれないから。

 声明の通り、UK以外の場所で、EUの国であといくつか今日のようなことが起こったら、世界はどうなるのだろう。

 1日1日を大切に生きることを忘れないようにしたい。いつ、何が起こるかわからない世の中なのだから。