先日旅行で訪れた徳島県の祖谷渓(いやけい)にある東祖谷村は、
平国盛が戦に破れて、落ち延びた場所で日本3大秘境の一つ。
写真のかずら橋は、その名の通りかずらで編んだ橋で
(今の橋はワイヤが入っているが)、
源氏の追っ手が来たときにいつでも切って橋を落とし、
逃げおおせるように造られたものということだ。
四国や中国地方には、こうした平家の落人の集落がたくさんある。
私が良く釣りに行く川の上流にも、平家という姓ばかりの集落がある。
以前川から上がり何気なく歩いていると、
表札が全部「平家」(平ではないのがまた不思議だが)だったので驚いたことがある。
恐らくここも平家の落人の集落であろうと推測している。
音信の途絶えた、私の釣りの先生が昔くれた、自らの釣行記のメールの中に、
集落についての興味深い記述があるので、紹介させていただく。
前日仕事中に地図を見ていて妙に気になる川があり、
1人釣行では珍しく朝6時に出立。
釣れないフライマンのオアシス○○の裏手から
源流へパッシングルートが伸び、あっという間に到達。
山深い狭隘地に数軒からなる集落がある。
朝靄の消え残る中を前方と溪を交互に見やりながらゆっくりと上流へ。
そもそも集落というものは古来より生活水確保の利便性を重んじるが故
川沿いに発達し、河口から遡って形を成してゆく。
しかし、最終集落から車で数十分も上った処に
これ忽然と姿を現わす集落がある。
その途上に生活に適した好地があるにもかかわらずに、である。
民俗系の本に拠ればこれらの集落は上がって来たのではなく、
背後の山を越えてきたものらしい。
物資や血脈等、止むにやまれぬ交流も川下の集落とは疎遠、
わざわざ山越えをして(昨今では行政区分を異にする)行ってきたという。
苔むした造物や陽の当たらぬ畑地を散見するにつけ、異人-落人、
木地師あるいは山窩といった山人の系譜、
それでも降りて移住・同化などとは思いもよらぬ、
閉じた生活圏と出自に拘る集落民の悲哀と矜持…等々、
瘴気に中てられた訳でもないが、
まとまりのつかない思いにブッシュ帯に突っ込む気力も萎えてしまった。
云々と続くがこれくらいにして。
著者の了解は取れてないが、昔のよしみで許してもらおう。
確かに川沿いに伝う細い道を上って行くと、
もう人手の及ぶ場所ではないだろうと思う疎地に2,3軒の家が、
現れ驚くことがある。
ここでどんな生活が営まれているのだろうと思いを巡らせるが、
まるで廃屋であるかのように、人影は滅多に見えないことが多い。
車でなら何のことはないが、人の足か牛馬しかない時代に、
よくあんなところまで到達したものだと思う。
あくまでも人目を忍んで生きようとする、
強靭な精神力に人間の業といったものを感じる。
現在、祖谷はそんな秘境と呼ばれるほど、
裏寂れた場所ではない。
それどころか、川崖に鉄骨の櫓を組んで100台は、
停まれそうな大駐車場がしつらえられている。
それでも紅葉のシーズンには車が大渋滞するそうだ。
今や真に秘境と呼ばれる土地はもうないのかもしれない。
人目を忍んで暮らすには、
大都会の高層マンションの一室の方が、
むしろ適しているのかもしれない。
平国盛が戦に破れて、落ち延びた場所で日本3大秘境の一つ。
写真のかずら橋は、その名の通りかずらで編んだ橋で
(今の橋はワイヤが入っているが)、
源氏の追っ手が来たときにいつでも切って橋を落とし、
逃げおおせるように造られたものということだ。
四国や中国地方には、こうした平家の落人の集落がたくさんある。
私が良く釣りに行く川の上流にも、平家という姓ばかりの集落がある。
以前川から上がり何気なく歩いていると、
表札が全部「平家」(平ではないのがまた不思議だが)だったので驚いたことがある。
恐らくここも平家の落人の集落であろうと推測している。
音信の途絶えた、私の釣りの先生が昔くれた、自らの釣行記のメールの中に、
集落についての興味深い記述があるので、紹介させていただく。
前日仕事中に地図を見ていて妙に気になる川があり、
1人釣行では珍しく朝6時に出立。
釣れないフライマンのオアシス○○の裏手から
源流へパッシングルートが伸び、あっという間に到達。
山深い狭隘地に数軒からなる集落がある。
朝靄の消え残る中を前方と溪を交互に見やりながらゆっくりと上流へ。
そもそも集落というものは古来より生活水確保の利便性を重んじるが故
川沿いに発達し、河口から遡って形を成してゆく。
しかし、最終集落から車で数十分も上った処に
これ忽然と姿を現わす集落がある。
その途上に生活に適した好地があるにもかかわらずに、である。
民俗系の本に拠ればこれらの集落は上がって来たのではなく、
背後の山を越えてきたものらしい。
物資や血脈等、止むにやまれぬ交流も川下の集落とは疎遠、
わざわざ山越えをして(昨今では行政区分を異にする)行ってきたという。
苔むした造物や陽の当たらぬ畑地を散見するにつけ、異人-落人、
木地師あるいは山窩といった山人の系譜、
それでも降りて移住・同化などとは思いもよらぬ、
閉じた生活圏と出自に拘る集落民の悲哀と矜持…等々、
瘴気に中てられた訳でもないが、
まとまりのつかない思いにブッシュ帯に突っ込む気力も萎えてしまった。
云々と続くがこれくらいにして。
著者の了解は取れてないが、昔のよしみで許してもらおう。
確かに川沿いに伝う細い道を上って行くと、
もう人手の及ぶ場所ではないだろうと思う疎地に2,3軒の家が、
現れ驚くことがある。
ここでどんな生活が営まれているのだろうと思いを巡らせるが、
まるで廃屋であるかのように、人影は滅多に見えないことが多い。
車でなら何のことはないが、人の足か牛馬しかない時代に、
よくあんなところまで到達したものだと思う。
あくまでも人目を忍んで生きようとする、
強靭な精神力に人間の業といったものを感じる。
現在、祖谷はそんな秘境と呼ばれるほど、
裏寂れた場所ではない。
それどころか、川崖に鉄骨の櫓を組んで100台は、
停まれそうな大駐車場がしつらえられている。
それでも紅葉のシーズンには車が大渋滞するそうだ。
今や真に秘境と呼ばれる土地はもうないのかもしれない。
人目を忍んで暮らすには、
大都会の高層マンションの一室の方が、
むしろ適しているのかもしれない。
私は川が近くにある古民家がいいですね。
水生昆虫の羽化の状況を観察したりして・・・
毎日イブニングだけ、
釣りに行くという生活を夢見ています。
でも日本の川は谷底を流れるのが多いので、
信州の高原か、やっぱり北海道ですかね。
言うだけなら好きなこと言えます。
現代に産まれてしまったのだから仕方ないですが・・。
しかし、私の家から車で1時間も走れば”まさに田舎”と言った風景が広がっています。
その辺りに暖炉があり、土間のある家が欲しいな、なんて考えいます!
考えているだけですが・・・。
マンションよりいいと思いません?