WoodSound~日綴記

山のこと、川のこと、森のこと、その他自然に関することをはじめ、森の音が日々の思いを綴ってみたいと思います

宗教は世界を救えるか?

2019-04-23 | Movie
「魂のゆくえ」という映画と、「ある少年の告白」という映画を続けて観た。
この二つの映画に共通して出てくるのは、キリスト教。

宗教学をやっていないので宗派がどうだとかよく分からないけど、
基本的に宗教とは人がよりよく、より豊かに生きるために、
救う手助けをするものだと認識している。

「魂のゆくえ」ではある夫婦が子どもを宿す。
地球温暖化に対して危機感を抱く夫マイケルは、
生まれてくる子どもに自然環境が破滅に向かう、
これからの地球上で生きさせるわけには行かないと思い中絶を迫る。
アマンダ・セイフライド演じる妻メアリーが、
イーサン・ホーク演じるトラー神父に相談に来る。



夫は思い悩んだ結果、自死を選んでしまう。
残された妻は、トラー神父に救いを求めにくる。

答えが見いだせないトラー神父は自分の教会自体が、
環境破壊をしている企業からの献金から成り立っていることを知り、
宗教で人類は救えないとやがて価値観を変えていかざるを得なくなり…

この夫マイケルの悩みは結構多くの人が持っている悩みではないか?
ひょっとしたら結婚しない人や結婚しても子どもを持たない夫婦の、
何パーセントかはこの理由が関与しているのではないか。



本来であれば宗教は環境破壊に対して、
救世の道を説かなければならない。
しかし、宗教はそんな理論武装はできないし、
年々激化していく異常気象を前にしてなすすべを持たない。
もはや、ノアの箱舟しか生き残る道はないのではないかとさえ思える。

「ある少年の告白」
こちらはルーカス・ヘッジズ演じるジャレッドという少年が、
ゲイであることに目覚めていく話。
神父であるラッセル・クロウと妻のニコール・キッドマンは、
そのことが許せず、彼を矯正施設へと通わせる。
そこでは、ひたすらゲイやレズビアンであることを、
恥じるような告白をさせたり、聖書で体を叩いて悪魔払いのようなことをさせる。

逃げて帰ったジャレッドに対して母は同感するが、
神父である父は厳粛な教義のためゲイの息子を許すことができない。

もちろん、LGBTQの問題も含んでいるが、
私は親と子の対立の映画だとして観た。



息子の生き方を許せない親と、今までは親の期待に応えようとしていた息子。
これはお互いの自立がないと成り立たない関係である。
そして、自立に対して宗教が大きな障壁となって立ちはだかる。

結局、どういう展開でこの対立を昇華するかは
良い映画なのでぜひとも観ていただきたいが、驚くべきはこれは実話である。
アメリカではこんな矯正施設がいまだにたくさんあるということである。



長くなってしまったので、そろそろ結論めいたことを…
もはや宗教では世界は救えないし、かえって人間の自由な意思を、
阻害する防壁でしかなっていないのではないか…

事実、これらの映画に出てくる教会の日曜礼拝では数人の信者しかいないし、
実際にもめっきり減っているらしい。

「宗教は民衆の阿片だ」とマルクスは言った。
その阿片さえももう効かなくなっているのが今の宗教の姿かもしれない。

ネタバレ承知で言うと「魂のゆくえ」ではトラー神父は
マイケルが遺した爆弾チョッキを着て自爆テロを試みようとする。
そこが、監督のポール・シュレーダーが50年前に脚本を書いた「タクシー・ドライバー」と
通じているという感想が目立つ。
確かにそういう面があるが、ロバート・デ・ニーロが演じたトラヴィスは
自己実現を究極的に追求していった上のキャラクターだったと思う。

トラー神父はもっと大人であり、自分が何者かも分かっている。
自らが信仰する宗教では救済できないと考えて
自爆テロをこころみようとする姿は
イスラム教の過激派のジハードに通じるものがある。

答を出すことは難しいが、厳かで人々を正しい方向に導いてくれるはずの
宗教がそんな局面に立たされてしまっているのが、悲しいかな昨今の世界である。

果たして宗教は世界を救えるのか?
それとも、この世界にはもうそんな余地はないのか?

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