WoodSound~日綴記

山のこと、川のこと、森のこと、その他自然に関することをはじめ、森の音が日々の思いを綴ってみたいと思います

先生と名人

2006-05-01 | Flyfishing
私がフライフィッシングを、始めたとき、毎週のように一緒に釣行し、
この敷居の高い釣りを手ほどきしてくれた、人がいた。
私は彼を先生と呼び、彼は私をなぜか名人と呼んだ。

フライフィッシャーは得てして、薀蓄たれで格好ばかりつけてという、
イメージが強いが、彼は全く正反対の人だった。
どちらかというと釣り師のタイプで、釣りあがりを得意とした。
道具にこだわりもなく、修道僧のようにフライを毎夜しこたま巻いて、
フライボックスは佃煮のようにいつも一杯だった。
手ほどきといっても、一から十まで教えてくれるのではなく、
たまに一言二言アドバイスをくれる、そんな押し付けのなさがまた心地よかった。

釣りの友人というのは実はなかなか難しい。
相手が釣れると羨ましいし、こっちが釣れても気がねする。
かわるがわるに両方釣れるのが理想だが、そうは行かない。
お互いのペースが合うときもあれば、気が乗らない時もある。
我々も夜討ち朝駆けでいろいろな釣りをしたが、
関係がギクシャクしたことはなかった。
彼は山岳部の出身で、道なき道を藪漕ぎしたり、
鬱蒼とした山岳渓流もどんどん遡行していく後姿に、
もと山屋の顔を彷彿とさせた。

私が1尾釣るところを、彼は3尾、いや5尾釣るときもあった。
情報ばかり気にして頭でっかちの私は、彼に経験と実績こそが、
最も大切だということを自然に学んだ。

渓相を読んで、ここの岩下には絶対大物がいるとふんだら、
何十回と流して終に魚を導いたりした。
また、こんな小渓流にと思うところで、尺ものを上げたりといつも感心した。
イマジネーションが渓流釣りの最も大事な要素だと思うが、
それがとても豊富な人だった。

その先生と数年前から、音信が途絶えた。
勤めていた会社を辞めてしまってから、連絡が取れなくなった。
故郷に帰ってしまったのか。
私も人生の節目にあった時期なので、最後の年は、
数回一緒に行ったきりだった。

さあ、これからまた一緒に行こうと思っていた矢先だったので、
ぽっかりと心に穴が空いたような。
しょうがなく独りで渓に立っても、ふと彼の釣り姿を思い出したり、
ここは二人で大釣りしたなぁと感慨にふけったり・・・

どうしても先生の姿を追ってしまう。
迷惑ばかりかけていた少しものお返しに、
腕によりをかけて作った桜の木のグリップのランディングネットを、
プレゼントしていたことが救いだ。
「軽くて使いやすいでんなぁ」と
喜んでくれたネットが、まだ彼の獲物と一緒に、
カメラに写っているだろうか。
それを見てたまには私を思い出してくれるだろうか。

いつかきっとよく一緒に通った渓で、「久しぶりでんなぁ」と
手を振る先生に出逢えそうな気がする。

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