岩手人の廃校探訪記

岩手県の懐かしの学校の記憶を貴方へ…

九戸村立戸田中学校

2025-04-02 12:16:48 | 岩手県二戸地区
1979年閉校【伊保内中+戸田中+江刺家中→九戸中】

・コメント
九戸村南部、戸田地区にあった学校。
学区内の小学校数は3校(戸田小、山根小、宇堂口小)と九戸村で最多でした。

学校跡は戸田小学校よりも南で、宇堂口小学校よりの妻の神地区にあります。北にある山根小学区の人たちは遠くなって大変だったことでしょう。
跡地には崩壊しながらも校舎が残っていましたが、訪問後(2020年ころ)にすべて解体されました。
訪問時もほぼ崩壊しており、玄関と体育館側の2教室、半分になった特別教室棟のみが残っていた状況です。
往時は木造平屋で長大な一線校舎だったそうです。
しっかりとした造りの車寄せを持つ玄関は気品があり、個人的なお気に入りポイントです。
閉校後は工場に転用されていましたが2000年代後半には撤退したようです。

体育館は校舎左手にありました。
2000年あたりまでは工場がまだ稼働しており、体育館も残されていたそうです。

校庭は広々したものでしたが、残土置き場となっています。

この学校は祖母の出身校であり、いろいろと思い出を聞かせてもらっていました。
印象に残っているのは、当時バレーボール部で外でネットを張って活動していたという話です(体育館あるのに…)。
現代ではあまり考えられませんね。


正面玄関

横から見ると…

校舎残存部分

崩壊部分

崩壊部分2

特別教室棟

往時の校舎(たしか祖母の卒アルから拝借)

八幡平市立田山中学校

2025-04-02 12:15:52 | 岩手県岩手地区
2013年閉校【安代中へ統合】

・コメント
旧安代町西部、田山地区にあった学校。そこそこの山間部にありますが、JR花輪線が通っていることからへき地等級は無級でした。
開校時は田山小学校(現役、すぐそばにある)に併設でしたが、現校舎完成とともに独立。
閉校時の生徒数は23名だったようです。
学区内(というか花輪線と高速を挟んですぐそば)にはスキー場がありますが、初心者×の難易度と噂されています。

学校跡は田山地区中心部にあります。
校舎は鉄筋コンクリート造の3階建てです。往時はかなりの生徒数がいたことでしょう。
平屋部分もあり、こちらは特別教室のようです。
造りから見るに、1960年代の建築でしょうか。

体育館は校舎左手にありましたが、閉校後に火災で燃えてしまいました。

校舎前には卒業制作と思わしきモニュメントが。

正面玄関には配置図が掲げられていました。
閉校時は1学年1クラスだったようですが、用途変更されたと思われる教室が多数あり、かつての栄華を感じさせます。

ブログ的にはどうでもいいことですが、友人の一人に最後の卒業生がいます。


校門

校舎

校舎前の像

記念碑

校内配置図

岩泉町立釜津田小・中学校滝ノ上分校

2025-04-01 20:40:20 | 岩手県下北地区
小:1972年閉校【釜津田小へ統合】
中:1972年閉校【釜津田小へ統合】

・コメント
岩泉町西部、釜津田地区にあった学校。へき地等級は3級でした。
本校である釜津田小・中学校(当時は中学校が独立しておらず併設校でした)からは大川つたいに7kmほど。
開校は1951年と遅め。
閉校時の児童数は27名でした。生徒数は不明です。
学区の基幹産業は林業や製炭でしたが、輸入材による木材価格下落やエネルギー革命により徐々に衰退。
それに続くように子供たちも姿を消していきました。

学校跡は道路から一段高いところにあります。
跡地には半壊状態の校舎と講堂が残っていました。
校舎の残っている部分は昭和33年に増築された中学教室で、往時は手前に向かって職員室や小学教室(こちらは昭和30年に新築)が続いていました。
講堂との接続部分は昇降口でしょうか。

講堂は校舎に比べて大柄です。
併設なので、小規模ながらそれなりに児童・生徒数がいたものと思われます。

この辺りは谷の幅が狭く平地がほぼない場所ですが、広めの校庭が確保されていました。


校舎と講堂

道路から見た講堂

校庭

岩手町立豊岡小学校

2025-04-01 20:33:20 | 岩手県岩手地区
1986年閉校【水堀小へ統合】

・コメント
岩手町北部、御堂地区にあった学校です。へき地等級は2級でした。
豊岡地区は樺太から引き揚げてきた人々が開拓した地区で、樺太の都市「豊原」と「真岡」から1字ずつ取って名付けたそうです。
そのため、開校も1949年と小学校にしては遅めです。

跡地には校舎と講堂が残っていました。
校舎は木造平屋で、3教室+職員室(&特別教室1?)でした。
かつてはキジ繁殖センターとして活用されていたそうで、少し改造が施されています。
現在は放置状態のようです。

講堂も木造で、講堂としては一般的なサイズでした。

校舎から一段下がったところに校庭があり、その手前には記念碑がありました。
記念碑の立派さに、開拓民の魂を感じます。


校舎

玄関

講堂

記念碑

一関市立達古袋小・中学校

2025-04-01 20:32:08 | 岩手県西磐井地区
小:2013年閉校【厳美小へ統合】
中:1974年閉校【厳美中へ統合】

・コメント
一関市西部の厳美町にあった学校。へき地等級は1級でした。
「達古袋」と書いて「たっこたい」とよみます。おそらくアイヌ語の「タプコプ(=独立した小高い丘)」が元ではないでしょうか。
小学校の閉校時児童数は26名だったようです。
中学校は厳美第二中学校として開校。途中で達古袋中学校に改称しました。

跡地には校舎や体育館など一通りの学校施設が残っています。
ここで特筆すべきは校舎でしょう。木造平屋の非常に長い一線校舎です。
廊下の長さは114mあり、時折雑巾がけレースが開催されているとのことです。
市民センター分館として利用されています。
一見するとあまりわかりませんが、防火壁から右側の方が築年数が古いそうです。

体育館は昭和50年代あたりのスタンダードな鉄骨造でした。

校舎前には閉校記念碑がありました。
小学校のものは校歌の楽譜が書かれていて、とても素敵です。


玄関

校舎全景

体育館

閉校記念碑(小)

閉校記念碑(中)