日本史大戦略 ~日本各地の古代・中世史探訪~

列島各地の遺跡に突如出現する「現地講師」稲用章のブログです。

伝飛鳥板蓋宮跡|奈良県明日香村 ~飛鳥時代の政治の中枢~

2020-08-17 12:46:54 | 歴史探訪
 *** 本ページの目次 *** 

1.基本情報
2.諸元
3.探訪レポート
4.補足
5.参考資料

 

1.基本情報                           


所在地


奈良県高市郡明日香村大字岡



 

2.諸元                             



 

3.探訪レポート                         


2016年10月16日(日) 初めての奈良古代史探訪 2日目



この日の探訪箇所

藤原宮跡 → 藤原京朱雀大路跡 → 奈良県立橿原考古学研究所附属博物館 → 橿原市藤原京資料室 → 奈良文化財研究所飛鳥資料館 → 飛鳥京跡苑池 → 伝飛鳥板蓋宮跡


 ⇒前回の記事はこちら

 飛鳥京跡苑池から伝飛鳥板蓋宮跡へ向かいます。

 説明板がありますよ。



 これが吉野川分水ですね。



 ヤマト王権が強い勢力となった原因の一つは、奈良盆地が稲作に適した土地であったことが挙げられます。

 ただ、記録を見ると水の確保に苦労しており、中・近世には古墳の周濠を灌漑用水として利用するために、かなり古墳の周濠の形が改変されていることが分かっています。

 そしてこちらに来て驚くのは溜池の多さですね。

 あちこちに溜池があって、それらのルーツのほとんどは江戸時代まで遡ると思いますが、4100ヶ所は確認されているそうです。

 そんななか、県南は多雨なため吉野川から水を引いてこれないか、江戸時代にはすでに構想があったようですが、ようやくそれが実現したのは戦後のことでした。

 今は吉野川分水のおかげで美味しいお米や野菜が育つようになったんですね。

 あ、随分最近の話をしてしまいましたが、古代に戻りましょう。

 遺跡っぽい場所に着きましたよ。



 あらま、遺跡の真ん中で昼寝をしている人がいますね。



 昼寝の邪魔をしないように見学しましょう。

 ・・・あ、正直言うと「邪魔」ですよ、貴方たち。

 説明板がありました。



 クイズもありますよ。



 クイズの問題にも書かれていますが、この場所には重層的に遺跡が存在し、古い順(地中の下から順)に示すとこうなります。

 ・Ⅰ期遺構 ・・・ 飛鳥岡本宮(630年~)
 ・Ⅱ期遺構 ・・・ 飛鳥板蓋宮(643年~)
 ・ⅢーA期遺構 ・・・ 後飛鳥岡本宮(656年~)
 ・Ⅲ-B期遺構 ・・・ 飛鳥浄御原(きよみはら)宮(672年~)

 さきほど訪れた飛鳥資料館の展示パネルで確認してみましょう。



 飛鳥板蓋宮(あすかいたぶきのみや)は、乙巳の変の舞台となった宮で、わざわざ「板蓋(板葺)」と呼んでいることから、この時代は板葺は珍しかった可能性があります。

 そして、飛鳥浄御原宮(あすかきよみはらのみや)は壬申の乱で勝利した天武天皇の宮で、この宮で政治を執った天武は律令国家への道を邁進し、「飛鳥浄御原令」と呼ばれる令(法律の一種)はこの宮で制定されたことになります。

 なお、天武が崩じたあとはその妻の持統が即位しますが、持統は694年に藤原宮へ遷り、それにより飛鳥が日本の中心であった約100年間の時代が終わりを告げます。



 上述した通り、時代が重複している遺跡ですので、こういう場合は史跡整備する際にどの時代の遺跡を見せるかが問題となります。

 現在、石敷きで復元されているこの場所は、蘇我入鹿が活躍していたころの飛鳥板蓋宮の中心に近い場所ではあるのですが、目で見られる井戸跡や石敷きなどの復元はⅢ期のものです。



 もで、目で見られないとしても、この近くで乙巳の変が起こったと思うと感慨深いものが有ります。



 私が歴史を好きになったのは小学校6年生の時の担任の先生の影響が大きいのですが、その時授業で習ったことはあまり覚えていないものの、当時はまだ蘇我氏が悪人として認知されていた時代ですから、入鹿が暗殺されたことを喜んだものです。

 さらにその前段階で、聖徳太子が天皇にならなかったことを非常に残念に思ったりしていて、私の古代史への興味のルーツはもしかしたらこの場所かもしれません。

 ちなみに今は、蘇我氏LOVEですよ!



 ということで、ひとまず飛鳥のファーストタッチはここまでです。

 そういえば、今回は初めて奈良にやってきましたが、ここ飛鳥を含めてあまり遺跡を見ていませんね。

 でも、天候に恵まれましたし、唐古・鍵考古学ミュージアム、桜井市立埋蔵文化財センター、橿原考古学研究所附属博物館、そして飛鳥資料館の見学はじっくりして、資料も集められたので良かったです。

 今後は集めた資料を元に勉強して再度訪れたいと思います。

 ※この時点では考えていなかったのですが、この探訪のあと、クラブツーリズムから奈良の古代史めぐりの仕事の依頼が来て、そのお陰で年に数回は奈良へ行けるようになり、私自身の経験と知識も深まり、クラツーと参加してくださったお客様には大変感謝しております。

 さて、時刻は15時20分。

 東京に帰るとしますか。

 昨日来た道を逆に向かいます。

 天理まで戻り、恐怖の名阪国道を順調に走り、東名阪の亀山JCT近くになったら渋滞にはまりました。

 どうもこの辺はいつもボトルネックになっているようです。

 全然進みません・・・

 ようやく渋滞を抜けたところで休憩しましょう。

 伊勢長島PAに入ります。



 長島一向一揆の集団の襲撃を警戒しながら建物に向かいます。



 あれは、長島スパーランドかな?



 時刻はもう19時半になっていますが、ここでは夕飯は食べません。

 今日は食べたい場所があるんですよね。

 ジュースを買ったらすぐに出発です。

 今度は快調に巡航できますよ。

 1時間ほど走り、新東名の長篠設楽原PAに到着!



 昨日は通り過ぎてしまったため、帰りは寄ろうと思っていたのです。

 武田菱が見えるということは、PA上りは武田サイドという設定なんですね。

 私は信玄ファンなので嬉しい。



 よし、夕飯を食べよう!



 美味そうなメニューが並んでいますよ。



 お、味噌ラーメンか、いいなあ。



 しかも、滅多に食べられない猪の肉か・・・

 これは美味そうだ、決定!



 おー、今回の旅で食べたものでこれが一番美味い!

 ※後日注:この味噌ラーメンは後から思い出しても食べたくなるほど印象深かったです。

 あれ、そういえば信玄ファンなのに三河武士のラーメンにしちゃいましたね。

 謀反だ謀反。



 追手が来る前に逃げろ!

 敵に襲われるかもしれない恐怖心からか、ここから高尾の自宅まではノンストップで帰りました・・・

 (了)

 

4.補足                             



 

5.参考資料                           


・現地説明板
・『飛鳥の宮と藤原京』 林部均/著 2008年
・『シリーズ「遺跡を学ぶ」102 古代国家形成の舞台 飛鳥宮』 鶴見泰寿/著 2015年


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