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秋山街道を西へ向かいます。
おー、ようやく眺望が開けた。
南西方向です。
低くなっているところに北浅川が流れ、その先の手前側の低い丘陵を右手(西側)に向かうと八王子城跡にたどり着きます。
「桜株」の交差点からは、地図上であきらかに旧道と思える道に分岐していますよ。
行って見ましょう。
でもなんか、下り坂だ。
お、石仏が並んでいる。
ああ、ここもか・・・
八王子市内西部のお地蔵さんって頸が無いのが多いんですよね。
明治初頭の廃仏毀釈の影響でしょうか。
一番右側の石碑にはお地蔵さんしきものが刻されています。
供養塔とありますね。
サイドを見ると明治13年とあります。
高橋さんあたりなら知ってそう。
この場所は、秋川街道の崖下です。
石仏や供養塔が向かっている方向には直線道路が続いています。
でも多分、この直線道路は単なる住宅街の区画の都合で造られた新しい道でしょう。
したがって、これらの石仏や供養塔はある時期にここに集められてきたものに思えます。
五輪塔の一部分がありますが、この辺りの中世武士・川口氏と関係がありそうです。
旧道に分岐かと思ってこの場所にやってきましたが、正確にはここからまた坂道を登った地点からが旧道かもしれません。
でも結果オーライで石仏などに会えたので良かったです。
旧道は段丘涯の地形に沿うように続いています。
おや、前方に1本だけ高い木が生えており目立ちますよ。
古墳の墳頂にはたまにひょろっと木が生えていることがあるのでもしかしたらあそこに古墳があるのか?
いや、崖の際に生えていて墳丘らしきものはないですよ。
というわけで、この辺が東京都遺跡地図に「八王子市№30遺跡」として掲載されている場所です。
東京都はその遺跡を「古墳」としていますが、情報はまったくありません。
『多摩地区所在古墳 確認調査報告書』(多摩地区所在古墳確認調査団/編)には、項目としては存在しますが、古墳については何も書いていません。
古墳があったと思われる場所に建つ民家の庭を何気なく見たら、石が好きな方がお住いのようで、道路に面した側には横穴式石室の天井石のようなものが置いてあります。
気になる・・・
さて、それでは次は本日の古墳探訪の最期の目的地である調井古墳を目指しますよ。
⇒この続きはこちら
秋山街道を西へ向かいます。
おー、ようやく眺望が開けた。
南西方向です。
低くなっているところに北浅川が流れ、その先の手前側の低い丘陵を右手(西側)に向かうと八王子城跡にたどり着きます。
「桜株」の交差点からは、地図上であきらかに旧道と思える道に分岐していますよ。
行って見ましょう。
でもなんか、下り坂だ。
お、石仏が並んでいる。
ああ、ここもか・・・
八王子市内西部のお地蔵さんって頸が無いのが多いんですよね。
明治初頭の廃仏毀釈の影響でしょうか。
一番右側の石碑にはお地蔵さんしきものが刻されています。
供養塔とありますね。
サイドを見ると明治13年とあります。
高橋さんあたりなら知ってそう。
この場所は、秋川街道の崖下です。
石仏や供養塔が向かっている方向には直線道路が続いています。
でも多分、この直線道路は単なる住宅街の区画の都合で造られた新しい道でしょう。
したがって、これらの石仏や供養塔はある時期にここに集められてきたものに思えます。
五輪塔の一部分がありますが、この辺りの中世武士・川口氏と関係がありそうです。
旧道に分岐かと思ってこの場所にやってきましたが、正確にはここからまた坂道を登った地点からが旧道かもしれません。
でも結果オーライで石仏などに会えたので良かったです。
旧道は段丘涯の地形に沿うように続いています。
おや、前方に1本だけ高い木が生えており目立ちますよ。
古墳の墳頂にはたまにひょろっと木が生えていることがあるのでもしかしたらあそこに古墳があるのか?
いや、崖の際に生えていて墳丘らしきものはないですよ。
というわけで、この辺が東京都遺跡地図に「八王子市№30遺跡」として掲載されている場所です。
東京都はその遺跡を「古墳」としていますが、情報はまったくありません。
『多摩地区所在古墳 確認調査報告書』(多摩地区所在古墳確認調査団/編)には、項目としては存在しますが、古墳については何も書いていません。
古墳があったと思われる場所に建つ民家の庭を何気なく見たら、石が好きな方がお住いのようで、道路に面した側には横穴式石室の天井石のようなものが置いてあります。
気になる・・・
さて、それでは次は本日の古墳探訪の最期の目的地である調井古墳を目指しますよ。
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