前二子古墳は大室古墳群の大型古墳の中で最初に築造された前方後円墳で、東国に横穴式石室が採用された初期の頃のものを実際に石室内に入って見ることができます。
発見容易
墳丘登頂可能
石室入室可能
詳しい説明板あり
お勧め度:(ただし、草が刈ってあれば!)
*** 本ページの目次 *** 1.基本情報 2.諸元 3.探訪レポート 4.補足 5.参考資料 |
1.基本情報
所在地
群馬県前橋市西大室町2545
現況
日本キャンパック大室公園
史跡指定
国指定史跡
史跡指定日:昭和2年4月8日
出土遺物が見られる場所
2.諸元
築造時期
前方後円墳集成編年:9期
墳丘
形状:前方後円墳
墳丘長:93m
段築:前方部・後円部ともに2段
葺石:あり
埴輪:円筒Ⅴ式、人物埴輪
主体部
横穴式石室(袖無型・自然石乱石積み)
出土遺物
多数
須恵器:TK47~MT15
周堀
楯形
周堤あり(埴輪配列)
3.探訪レポート
2017年4月2日(日)
この日の探訪箇所
太田天神山古墳(前編) → 女体山古墳 → 太田天神山古墳A陪塚 → 太田天神山古墳(後編) → 円福寺茶臼山古墳および新田荘遺跡 円福寺境内・十二所神社境内 → 生品神社 → 中溝・深町遺跡 → 岩宿博物館 → 岩宿遺跡 → 前二子古墳 → 中二子古墳 → M-4古墳 → → → 高崎市歴史民俗資料館 → 八幡遺跡20号墳 → 観音塚考古資料館 → 八幡観音塚古墳 → 八幡二子塚古墳 → 平塚古墳
岩宿遺跡の見学を終えるとまだお昼まで時間があったもののお腹が空いていたのでお弁当を購入しました。
自分一人だとやっぱり効率重視になってしまいますね。
食べ物屋さんに寄ってゆっくりランチを楽しむのは時間がもったいないです。
そのため、岩宿遺跡の駐車場に出ていた屋台でお弁当を買ったわけですが、その場では食べず、かといって運転しながらでは食べづらいため、大室古墳群の駐車場までやってきて、まずはお弁当を食べてから古墳探訪を開始することにします。
お、少し甘くて好きな味付け。
美味いねえ。
では古墳を見ますよ。
大室古墳群は大室公園という広大な公園の中にあります。
駐車場から歩き出して最初に目に付くのは、前二子古墳です。
大室古墳群には100m前後の大型前方後円墳が3基あって、前二子古墳のほか、中二子古墳、後二子古墳というふうに、前・中・後とネーミングされています。
そして築造時期はそれに対応し、前二子古墳は3基のなかで最も古く、6世紀初めの築造です。
いきなり、急角度の後円部墳丘を直登しますよ。
後円部から前方部を見ます。
北隣には中二子古墳が間近に見えます。
前二子古墳は二段築成になっており、形状の復元の結果、1段目と2段目の間のテラス部分がはっきり分かるようになっています。
前方部から後円部。
あ、猫ちん!
逃げられた!
前二子古墳の横穴式石室は、テラス部分に開口しているのではなく、1段目の法面に開口しているのが特徴の一つです。
今もなお開口しているので中へ入ってみましょう。
おーっ、ちゃんと電灯が点く!
細長い石室ですね。
前二子古墳の築造時期は6世紀の初めなので、東国に横穴式石室が伝播してきた初期のものが見れますよ。
古墳時代終末期の7世紀になると石室の石は近世城郭の石垣のようにカッチリと加工したものが増えますが、初期のものはまだ自然石を多少加工した程度で積んでいました。
前二子古墳の石室は明治11年に初めて調査され、そのとき副葬品の配置についても綿密な記録を残しています。
そのため、このように復元できるわけですね。
壁面が全体的に赤っぽく見えるのは、ベンガラを塗っていたからです。
前二子古墳の石室の特徴の一つは、玄室の一部と羨道の床に白い凝灰岩が使われているところで、発掘時に調査した方がコンクリートだと思ったそうです。
石室の全長は14mありますが、細長いのも特徴の一つですね。
羨道から玄室に入っても横幅が広がらず、こういうのを「無袖型」といいます。
※後日注:「前方後円墳データベース」には、「無袖型」とあるのですが、平面図を見ると両袖型に見えますし、『シリーズ「遺跡を学ぶ」063 東国大豪族の威勢』にも両袖型とあり、やっぱりこれは両袖型でしょう。
石室の中から入口方面を見るのも好きです。
まさに「これから生まれる!」という感覚。
死の世界から生の世界へ戻る前にもう一度石室を振り返ります。
黄泉の国から戻って参りました。
周堀を歩きます。
詳細な説明板。
墳丘の部分を拡大。
こちらにも説明板がありました。
形状が綺麗に復元された素敵な古墳ですね。
では次に、中二子古墳を見てみましょう。
⇒この続きはこちら
2017年4月8日(土)
クラブツーリズムにて案内してきました。
探訪記事は制作中です。
2019年8月18日(日)
この日の探訪箇所
前二子古墳 →
2年ぶりにクラツーで大室古墳群を案内することが決まったため、ツアーの直前の下見に出張ります。
大室公園は広いため、さらに効率の良い歩き方ができないか調べてきますよ。
いつものごとく雷電號を駆って出発。
圏央道から関越道に入り、ひとまず上里SAで休憩。
あれ、ちょっと朝早く来すぎたかな?
少し休憩して再出発。
関越道から今度は北関東道に入り、伊勢崎ICで降りて県道57号線を走って行くと、大室古墳群の東側すぐ近くまで来ました。
赤城が見えます。
左側にパン。
さらに左側にパン。
白い建物の向こう側に丘が見えますが、あそこに大室古墳群があります。
到着!
あれ、前回と違って「日本キャンパック」の文字が追加されている。
日本キャンパックってなんだ?
※帰宅後に調べたところ、株式会社日本キャンパックの公式HPによると、「日本キャンパックは、各種飲料の調合から充填、包装、物流までを一貫して行う国内トップクラスの受託充填企業(コントラクトパッカー)」だそうです(公園は市営だったはずですがスポンサーになったということでしょうか?)。
それはそうと、まだ5時半ですよ。
でも駐車場は開いているんですね。
さっそく探訪開始!
まずは、前二子古墳の現況を探りましょう。
あれ・・・
草茫々じゃん・・・
南側の横穴式石室開口部へ回ります。
あれ、石室に入れなくなっている。
朝早すぎて開いていないようです。
カメラを突っ込んで内部を撮影。
ライトは点きましたね。
南側の周堀部分は完全に藪化しており、ここを突破するのは嫌だ。
もと来た方へ戻り、北側側面から説明板がある方へ回ってみます。
あ!
早速会いました。
あなた可愛いお顔をしているね。
私は結構「ブー」な猫が好きなんですが、この子は目が大きくて可愛い。
行ってしまいました・・・
北側の周堀跡も歩けない・・・
北側側面から見ます。
左側が後円部で右側が前方部になりますが、後期古墳らしく高さが伯仲していますね。
前方部側へ回ってきましたが、説明板までたどり着くことは困難。
これはかなりヤバい状態ですね。
ツアーは一週間後なんですが、お客様にこの状態をお見せするとしたらどうすればいいのでしょうか・・・
ひとまず次の中二子古墳を見てみましょう。
※後日注:この探訪レポートはツアーに参加予定の方が見るとショックを受けると思い、探訪当時はブログにアップしませんでした。
(つづく)
2019年8月25日(日)
クラブツーリズムにて案内してきました。
探訪記事は制作中ですが、一週間前に下見で行った時と何ら変わらず酷い状態の古墳をお客様に案内してきました・・・
4.補足
5.参考資料
・現地説明板
・『群馬県史 資料編3 原始古代3』 群馬県史編さん委員会/編 1981年
・『群馬県史 通史編1 原始古代1』 群馬県史編さん委員会/編 1990年
・『シリーズ「遺跡を学ぶ」063 東国大豪族の威勢』 前原豊/著 2009年
・『赤城南麓の大豪族の威勢 前橋市大室古墳群』 前橋市教育委員会/編 2017年
・『群馬の古墳物語 上巻』 右島和夫/著 2018年
・「国指定文化財等データベース」 文化庁
・「前方後円墳データベース」 奈良女子大学
24名様全員参加で、午後から雨になってしまいましたが、みなさん楽しんでいただけたようで良かったです。
仰る通り、群馬の歴史は面白いですよね。
好奇心ある皆様へ生きている情報をいっぱい与えてくださいね!6942