日本史大戦略 Side-B 附 歴史を歩こう協会 ~日本各地の古代・中世史探訪~

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【新田荘遺跡】円福寺茶臼山古墳・伝新田氏塁代の墓

2017-10-29 21:25:01 | 歴史探訪
 太田天神山古墳を見た後は、西へ向かいます。

 あれが以前登ったことのある太田金山城がある山かなあ。



 20分ほど走ってたどり着いたのは、太田市内の円福寺です。



 円福寺は御室山金剛院と号する真言宗のお寺です。

 古墳目当てできたのですが、実はここは「新田荘遺跡」なのだー!



 山門。



 御室山の額。



 山門から伸びる参道。



 境内にお邪魔します。

 本堂は朱色と白色ですね。





 説明板に円福寺茶臼山古墳と周辺史跡の説明が書いてあります。





 そしてここには新田氏塁代の墓があるのです。



 新田家の系図。



 こちらが五輪塔群。



 義貞の祖父基氏の五輪塔。



 基氏の法名・沙弥道義。



 享年は72歳のようですね。

 新田荘遺跡のイラストマップ。



 円福寺に隣接して十二所神社があります。



 では、墳丘に登りますよ。

 一段登ると後円部の西側裾部分に千手観音堂があります。





 後円部はこのお堂を造るために削っているのが分かりますね。

 墳丘は2段築成のため、もう1段登ると墳頂です。

 後円部墳頂に来ました。

 え・・・、く、国良親王!?



 南北朝時代、後醍醐天皇は大勢いた皇子たちを日本各地に派遣したのですが、国良親王の父宗良親王もそのうちの一人です。

 宗良親王は、義良親王や北畠親房らとともに海路陸奥国府へ向かったのですが、座礁により遠江国に漂着し、井伊谷の豪族井伊道政に庇護されました。

 その後、越後や越中などに滞在し、1344年に信濃国伊那郡の豪族香坂高宗に招かれ大河原(長野県大鹿村)に入部します。

 それ以降、1373年までの約30年間そこを拠点とし、「信濃宮」と呼ばれました。

 そして、1374年には36年ぶりに吉野に戻り1385年に亡くなっています。

 宗良親王の妻は、新田義貞と勾当内侍の子である山吹姫で、二人の間に生まれたのが国良親王なんですね。

 もちろん茶臼山古墳が国良親王の墓である可能性は低いですが、こういう伝承があるのはさすが新田の聖地です。





 墳頂から見下すと3段築成のように見えますが、黄色い社殿を造るときに後円部をガッツリ削ってしまったようです。



 こういう石は往時の葺石かもしれませんよ。



 後円部の斜面。



 墳頂。









 墳丘はこのようにかなり崩されていますが、墳丘長168mを誇る前方後円墳なんですよ。

 これは何でしょう?





 おー、馬頭観音だー。



 普通、観音様というのは優しい表情をしていますが、六観音の一である馬頭観音だけは憤怒の表情をしています。

 ところが江戸時代になると馬頭観音という名前からか、馬を供養するために馬頭観音が建立されるようになり、こちらは文字だけですが、きちんと観音様を刻した石碑を造ることもあります。

 ただ、その場合も頭の上にお馬さんの顔がついています。





 殺到ということは、苦情の電話が鳴りやまないのでしょうか。

 その場合はコールセンター業務をやっている会社に委託するのも一つの手です。



 前方部へも行ってみますか。



 麓に下りてきました。

 境内入口の池に水はありません。



 境内には遊具も置いてあって児童公園の役割も担っているようですね。



 おや、なんか近所の人たちが参集してきましたよ。



 何かやるようなので、私は退散します。

 堀口氏は新田氏4代政義の三男家貞が新田荘堀口郷を与えられ、地名を取って堀口を称しました。



 関東地方でも屈指の大きさの古墳を見に来たはずですが、新田氏の存在の方が大きい場所でしたね。

 少し走って遠景を撮ります。



 もう少し経てば桜が綺麗でしょうね。

 それではせっかく新田荘に来たので、新田氏関連の遺跡をもう少し見て見ようと思います。

新田義貞 (人物叢書)
峰岸 純夫
吉川弘文館



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2 コメント

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五輪塔と馬頭観音 (りひと)
2017-10-29 22:16:14
大好物が出てきました。由良というキーワードも良でラなので安曇系と気になってます。まさか群馬にその地名があるなんてびっくりでした。和歌山あたりにはありそうでしたけど、群馬と尾張がどうも繋がってきそうです。南朝もいつも父系で気になるんけど新田さんに由良の血が入るとなると関係出てきそうなので面白くなります。
で五輪塔がびっちり並んでいて爽快でした。

馬頭観音も縁がありそうである所はとても大事に感じるんですよね、嬉しいです。
神奈川東京奈良熊本大阪近江岡山ときて福島宮城岩手そして群馬がそろそろ来ますね、マイブームが。群馬には毎年行こう行こうと思いながら行けずです。新田さんの五輪塔観に行きたいです。7885
Unknown (りひと)
2019-08-17 09:16:23
ランキングで来ましたけど、私のワークの伏線みたいですね。この後群馬行ってますよ。行くところ新田荘関係で確か去年は新田神社にも大きい木に会いに行ってます。

馬頭観音もこの前ぶっちゃけ寺の番組内で三尊の一つにあったので嬉しかったのが12日です。
あと石幢(字が違ったらすみません)も最近に二箇所で見たような?一個は葛西神社だったかな?葛西三郎さんがどうも父の方だけでなく絡んでくるんですよ。

あとこの後に行った新田荘の博物館で子持ち勾玉見てきましたよ。奈良の率川で頂いたようなギザギザ型です、凄すぎませんか?群馬!

でそれを継承しているのが源氏と徳川なのも明確ですよね。そんなビックネームと絡んでいるならもっと古墳調べて欲しいですよ、特定の方だけ得してうまく生きれるなんずるいです。ありのままに昔の情報が知りたいですね。そうすると才能や適性の分野でも妬みや無意味な競争もなくなるので妥当な人財が適正に配置出来て古代にやっと戻るくらいの人間の凄さを見せつけられるのでしょうね。

由良も反応していますけど、どうも三山信仰と関係あるかも?徳川は3大好きですよね。双葉よりも三つ葉の方が好きなようですので。
淡路島三山って出てきたんんですけど、その関係で出てきた神社の元の場所が近畿側じゃないかな?と思うんですよ。はっきり調べられていないくらい最近なんですけど。でそれが和歌山に近いんですよね。古墳の石とか運んだらこの辺り行き来しているはずで裏の奈良方面までも陸路なのか迂回してなのか?でそこに由良なんですよ。頼朝はあまり好きではないんですけど由良に関係あるのはちょっと好きなので。そう上毛三山からのヒントで各地の三山も探し始めてます。
今年も七夕は上毛三山の縁を頂くプロジェクトしたんです。

この記事がランキングで上がったので石幢調べないといけないなあと思いました。幢だとしたら旗も関わるかも?卑弥呼の辺りも。

そう三山大分にもあったような?栗の探求も同時にやってるので千栗八幡も関わってきてどうも鳥も関わっているんです。鶴か鳩で悩み中です。鶴とか白鳥とか鷺とかに傾きかけてたんですけどどうも違う。古墳だと水鳥なんですよね、鳩でもなく鴨?鵜?これはこっちのワークですので置いておきます。

八幡神のそもそもと繋がっているのはどうも知識ある一族のみのようなんですよ。戦いで利用されていますけど本来は誉める事それも他者からのほまれの神さんだと思うんですよね。なので南朝系のように負けてもどうもファンが付くというか結果よりも軌跡が大事にも思います。

歴史の中でもそうしたチャレンジが多々あったように思うんですよね。そこで実際どうなったか?
勝ち負けじゃなく美しさってあるんですよ、ただ美しい方が讃えられないといけない時代になってきているように思うんで信念と心や人間味のある本来の名君が各所に評価されてくるといいですね。

太田もかなり複雑だと思うんですけど、名君は目の上のたんこぶで隠されても、そこを慕っていた一族の子孫はそれなりにいるはずでもちろん今後出てくるんだと思います。

古墳の種類同様、各地域にそれぞれ凄い方々がいたはずで中央集権にしたとしても個性は評価してあげないといけないでしょう。群馬と東京はかなり接点あるのでひょっとして同じトップが関わっていそうに思うんですよね、徳川や松平さんで考えるとね。群馬と栃木も川をどう捉えるか?明らかに文化が違うとか風習が違うとかで県単位でみないようにする姿勢も大事ですよね。
稲用さんなら安心ですけど。

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