日本史大戦略 ~日本各地の古代・中世史探訪~

列島各地の遺跡に突如出現する「現地講師」稲用章のブログです。

横瀬古墳|鹿児島県曽於郡大崎町【初の鹿児島古墳探訪 ③】

2020-10-05 16:07:47 | 歴史探訪


 ⇒前回の記事はこちら

 念願だった唐仁古墳群と塚崎古墳群の見学を終え、宮崎県の青島神社へ向かいます。

 ナヴィが示す道を確認すると、青島までは海沿いの国道を使って行きますがここからは結構遠いですね。

 ナヴィに脳内を支配されながら土地勘のない道を走ります。

 肝属川だ!

 海がすぐそこじゃないですか!



 志布志湾ですね。

 都城で育った母は海水浴で志布志湾に来たことがあるそうです。

 上流側。



 ※註:運転中の撮影は危険なためしないように。

 どこかに車を止めて川をよく見たい気持ちが湧いてきますが、時間がないので寄り道はしないのだ。

 肝属川を渡って数分後、ナヴィに「横瀬古墳」の文字が表示されました。

 見たいけど時間が・・・

 ナヴィの地図で示されている車窓左手を気にしていると、広い畑地の中にかなり立派な墳丘が見えました。

 でかいなあ・・・

 でも今日は時間がない。

 「また来ます!」と古墳に向かって叫んだ直後、横瀬古墳を指し示す大きな看板が前方に現れました。

 これだけアピールされたらやはり寄らないわけにはいきません。

 寄り道します!

 畑の中の道の邪魔にならない場所に車を止めて歩いて近接します。

 「やっぱり来ちゃった!」



 綺麗な古墳ですねえ。

 立派な説明板もありますよ。



 えーっ、墳丘長140m!

 中期古墳ということで、主体部は横穴式でないため、主軸は東西に造る必要も無く南北方向になっていますね。



 ここに書いてある通り、元々の砂州の上に造られており、自然地形を利用した選地です。

 こういうのを稲用語では、「ナチュラル選地」と呼びます。

 今は古墳の北側の後円部側にいますよ。

 しかし予備知識なしで来るとこういう出会いがあって本当に楽しい。

 歩いていると前方部が見えてきましたがでかいですねえ。



 この素晴らしいボディは是非ともいつものアングルで写真に収めたい。

 墳丘の反対側のあぜ道に回り込みます。



 太陽光もバッチリ!

 もうちょっと離れてみよう。



 いいねえ。

 ではつづいて、墳丘に取り付きます。

 前方部に登りますよ。



 前方部墳頂から後円部を見ます。



 中期古墳らしいバランスの良いボディです。



 裾の方を見下ろします。



 後円部墳頂の中央は少し凹んでおり、もしかしたら盗掘の跡かな?



 生えていた木が倒れたあとも穴ができるので、さてどちらでしょうか。

 後円部墳頂から前方部を見ます。



 完全に柄鏡形から脱却して、きちんと中央の古墳の形の流れに沿って造られています。

 地方の前方後円墳を訪れていると非常にヤマトチックな感じがする古墳と出会うことがあり、そういう古墳はその地域でナンバーワンの大型墳であることが多いです。

 でも地方の首長墓がすべてヤマトチックかというそうではなく、例えば出雲地方は古墳時代全体を通して(もっと言えばその前の「よすみ」の時代から)あまりヤマトのフォーマットに沿っていないような雰囲気もあり、一口に前方後円墳と言っても、本当にバラエティに富んでいてどの地方に行っても新たな発見があって全然飽きないです。

 西側の眺望。







 今日初めて鹿児島の古墳探訪をして、県内の古墳の数基を見ただけなので偉いことは言えませんが、もしかしてこの横瀬古墳って、鹿児島県でもっとも美しい古墳じゃないでしょうか?

 寄り道してよかった!

 では、急いで青島へ向かいますよ。

 志布志湾沿いの道はドライヴにいいですね。

 どこかで海の写真を撮りたいなあ・・・

 この辺はどうかな?



 綺麗な海ですねえ。

 白いフェリーが見えますが、あの塗装は「さんふらわあ」じゃないですか!

 呪力ズーム!



 ※帰宅後調べてみたら、大阪と志布志を結ぶ便は1日に1往復で、ちょうどタイミングよく大阪からやってきた船が志布志港に到着するところだったようです。

 なんか、軍艦っぽい船も見えます。



 呪力ズーム! 



 ※帰宅後調べてみたら、115番は護衛艦「あきづき」でした。

 結局、海を見るために寄り道をしましたが、さんふらわあと軍艦が見られて良かった。

 あ、青島に行く途中、鵜戸神宮に寄ってみようかしら。

 (つづく)



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