毎年10月に八百万神が集う出雲の地へ行ってきました。
目的は、古代大和の地域に先立って発達した鉄器と青銅器の生産が行われていた古代出雲の地を発見することとともに、日本における八百万神への信仰を知るヒントをつかむことでした。
夜6時半に群馬県の前橋市を出て、車でおよそ15時間、休憩を交えて出雲へ。
神話の国出雲、伊勢が日が昇る国であることに対して、出雲は日の沈む国。
神話の故郷は、大和王権が勢力を強めるよりも昔。弥生時代のころには朝鮮半島や高志国(北陸)、九州との交易を通じて発達した勢力と、青銅器と鉄器の文化がありました。非常に面白く興味深い旅でした。群馬を含む多くの地方では、古墳時代以後の出土物では発達したものも多くありますが、それより古い弥生時代に出雲地方は青銅器と鉄器、盛んな交易で栄えていました。
最初に立ち寄ったのは、稲佐の浜でした。出雲を治める大国主神が天照大御神に国譲りをした神話の舞台として有名な浜です。古事記には、「伊那佐之小浜」として登場します。出雲大社からは車で5分ほどすぐ近くです。

写真右側に見える岩は「弁天島」といい、今では砂浜の上にあります。かつては、はるか沖に浮かぶ島だったそうです。ここには鳥居があり、豊玉毘古命(トヨタマヒコノミコト)がおまつりされています。神話に出てくる「初代天皇」こと神武天皇の祖母にあたる女神です。

稲佐の浜では、砂をいただき次に行ったのは、島根県立古代出雲歴史博物館
出雲大社の東隣にあり、ここから出雲大社への近道にもなっています。
まずはここで古代出雲の歴史をしる情報収集。
常設展のチケットを買い、最初に入るホールには巨大な3本の柱の根っこが。
「宇豆柱」といい、3本の巨木を鉄バンド束ね一本の柱とし、これを9本作り社殿を支えました。かなりの巨木で壮大な神殿が作られていた模様です。この宇豆柱は、出雲大社の境内の発掘調査で見つかったもので鎌倉時代のものだそうです。

この柱を束ねてどんな壮大な神殿が作られていたのでしょうか。
様々な学者さんが建てた仮説に基づく復元は見事です。ぜひ模型を見てください。

常設展示室に入ると、古代の神殿の様子が線刻されている弥生式土器がありました。

古代弥生人のこの線刻をみると、出雲大社の社殿像に通じるものがありました。
出雲国風土記にも、土地ごとに在地の神が登場しますが、出雲における古い信仰の歴史を垣間見ることができます。出雲大社は、まさにその信仰の象徴として重要な役割を果たした場所なのでそう。実際、出雲の地域だけは、出雲の祭祀を行う出雲国造家が律令政治の成立後も独立の地位を保ち、世襲し続け今に至り出雲大社の祭祀をおこなっています。今は出雲国造家は千家家と北島家にわかれ、大社は千家家が世襲しておまつりしているようですが。
古代出雲は、独自の文化を持ち、朝鮮半島との交易を通して当時の日本列島において先進的な青銅器と鉄器の文化が発達していました。それに象徴されるのが、加茂岩倉遺跡の銅鐸と荒神谷遺跡の銅剣群です。
展示は実に見事でした。まずは荒神谷遺跡の銅剣。

続いて、加茂岩倉遺跡の銅鐸。

よく見ると鹿の絵が刻まれたり、×の字が刻印されているものも。ぜひ現地で見てみてください。ここではそれ以外の銅鐸や銅剣もたくさん見ることができます。
次に弥生人の顔を表現した弥生式土器が印象に残りました。トサカのような頭になっています。弥生時代のシャーマンの表現かもしれないと書かれています。

続いて、古代出雲の地といえば玉作りが盛んにおこなわれていました。
勾玉や管玉の材料や、完成品、未完成のもの、製作途中のものどが豊富に展示されています。玉を磨く砥石などもありました。

そして、今回出雲に来た最大の目的の一つは四隅突出型墳丘墓を見ることでした。ここでは模型が展示されていました。

この博物館は、古代、とりわけ発達した青銅器や鉄器生産が盛んにおこなわれた弥生時代の出雲の出土物が一日いても時間が足りないほどに展示されていました。
出雲大社を見た後に復習として歴史博物館に行くもよし、予習としていくもよし。
おなかいっぱい古代出雲を楽しむことができます。ぜひ古代出雲歴史博物館は、訪ねることお勧めします。
続いて、出雲大社へ。大国主(大黒天)をおまつりし、毎年10月は「神在月」として全国から八百万神が集う神社として有名です。
歴史博物館からは、出雲大社へショートカットで行くことができます。
博物館を出ると、出雲の空は見事な雲に空が覆われていました。

まさに「八雲立つ」出雲国です。
高校生の時に行ったときは、青空が広がり非常に見私がよかった印象があったのですが、この日は天候不順で四方が霧と雲が空や遠くの山々に滞留していました。
境内に入る手前には、大国主の「国譲り」の像がありました。

出雲大社の社殿は、非常に壮大でした。あまり社殿の正面からは撮りたくないので、鳥居の前からとりました。

太い注連縄が印象に残りますが、出雲地方の神社の多くで採用されています。

本殿のわきには、長屋のような建物が。

ここは十九社といい、毎年10月の「神在月」に全国の八百万神が集う際の宿舎だそうです。ここで神様たちも夜は宴たけなわとなるのでしょうか。集ってどんな会議となるのでしょうか。
次に、出雲大社は荘厳な神殿ばかりが注目ポイントではありません。境内いたるところに、ユニークなうさぎの像を見ることができます。中には千家家が献納したものまであり、出雲大社をおまつりする千家家はなかなかユーモアの通じる一族なのかなと想像してしまいます。




なんでウサギか。出雲大社がおまつりする大国主命は、「因幡(稲羽)の白兎」の話に登場する神様としても有名ですね。
この神話は、隠岐に暮らす兎が、隠岐島から稲羽にわたるためにワニザメをだまして、ワニザメを並ばせて渡ろうとしたことがばれ、怒ったワニザメに皮をはがされ泣いた白兎を、大国主が救ったという神話として有名ですね。
非常に地方に伝わる神話らしく、ユニークで残酷ながらも少し笑える話でもあります。
島根県には、ウサギの細工やお菓子、お土産など兎グッズもたくさんありました。
大国主に救われた兎が、大国主に手を合わせているのでしょうか。
出雲大社には、様々な社殿があります。兎の像ももっとたくさんあります。ぜひ出雲詣りに行ったら、ウサギ探しもしてみてください。

出雲大社は、町中より一段高い場所にあることがわかりました。一の鳥居の方向を見下ろすとなかなか見事な風景が広がっていました。晴れていると、また違う趣の風景が見えたことでしょう。
最後に、出雲そばを食べておしまい。私がいただいたのは田中屋さんの割こそばでしたが、こしと香りがしっかりしていておいしいお蕎麦でした。ただし、成人男性には3枚では少ないかもしれません。普通の割こそ場なら枚数も選べるので、5枚、6枚と食べてちょうどいいかもしれません。

ということで、出雲大社へのお参り編はこれで終わり。
次は、四隅突出型墳丘墓などを紹介します。
いつもブログを見ていただき、ありがとうございます。
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目的は、古代大和の地域に先立って発達した鉄器と青銅器の生産が行われていた古代出雲の地を発見することとともに、日本における八百万神への信仰を知るヒントをつかむことでした。
夜6時半に群馬県の前橋市を出て、車でおよそ15時間、休憩を交えて出雲へ。
神話の国出雲、伊勢が日が昇る国であることに対して、出雲は日の沈む国。
神話の故郷は、大和王権が勢力を強めるよりも昔。弥生時代のころには朝鮮半島や高志国(北陸)、九州との交易を通じて発達した勢力と、青銅器と鉄器の文化がありました。非常に面白く興味深い旅でした。群馬を含む多くの地方では、古墳時代以後の出土物では発達したものも多くありますが、それより古い弥生時代に出雲地方は青銅器と鉄器、盛んな交易で栄えていました。
最初に立ち寄ったのは、稲佐の浜でした。出雲を治める大国主神が天照大御神に国譲りをした神話の舞台として有名な浜です。古事記には、「伊那佐之小浜」として登場します。出雲大社からは車で5分ほどすぐ近くです。

写真右側に見える岩は「弁天島」といい、今では砂浜の上にあります。かつては、はるか沖に浮かぶ島だったそうです。ここには鳥居があり、豊玉毘古命(トヨタマヒコノミコト)がおまつりされています。神話に出てくる「初代天皇」こと神武天皇の祖母にあたる女神です。

稲佐の浜では、砂をいただき次に行ったのは、島根県立古代出雲歴史博物館
出雲大社の東隣にあり、ここから出雲大社への近道にもなっています。
まずはここで古代出雲の歴史をしる情報収集。
常設展のチケットを買い、最初に入るホールには巨大な3本の柱の根っこが。
「宇豆柱」といい、3本の巨木を鉄バンド束ね一本の柱とし、これを9本作り社殿を支えました。かなりの巨木で壮大な神殿が作られていた模様です。この宇豆柱は、出雲大社の境内の発掘調査で見つかったもので鎌倉時代のものだそうです。

この柱を束ねてどんな壮大な神殿が作られていたのでしょうか。
様々な学者さんが建てた仮説に基づく復元は見事です。ぜひ模型を見てください。

常設展示室に入ると、古代の神殿の様子が線刻されている弥生式土器がありました。

古代弥生人のこの線刻をみると、出雲大社の社殿像に通じるものがありました。
出雲国風土記にも、土地ごとに在地の神が登場しますが、出雲における古い信仰の歴史を垣間見ることができます。出雲大社は、まさにその信仰の象徴として重要な役割を果たした場所なのでそう。実際、出雲の地域だけは、出雲の祭祀を行う出雲国造家が律令政治の成立後も独立の地位を保ち、世襲し続け今に至り出雲大社の祭祀をおこなっています。今は出雲国造家は千家家と北島家にわかれ、大社は千家家が世襲しておまつりしているようですが。
古代出雲は、独自の文化を持ち、朝鮮半島との交易を通して当時の日本列島において先進的な青銅器と鉄器の文化が発達していました。それに象徴されるのが、加茂岩倉遺跡の銅鐸と荒神谷遺跡の銅剣群です。
展示は実に見事でした。まずは荒神谷遺跡の銅剣。

続いて、加茂岩倉遺跡の銅鐸。

よく見ると鹿の絵が刻まれたり、×の字が刻印されているものも。ぜひ現地で見てみてください。ここではそれ以外の銅鐸や銅剣もたくさん見ることができます。
次に弥生人の顔を表現した弥生式土器が印象に残りました。トサカのような頭になっています。弥生時代のシャーマンの表現かもしれないと書かれています。

続いて、古代出雲の地といえば玉作りが盛んにおこなわれていました。
勾玉や管玉の材料や、完成品、未完成のもの、製作途中のものどが豊富に展示されています。玉を磨く砥石などもありました。

そして、今回出雲に来た最大の目的の一つは四隅突出型墳丘墓を見ることでした。ここでは模型が展示されていました。

この博物館は、古代、とりわけ発達した青銅器や鉄器生産が盛んにおこなわれた弥生時代の出雲の出土物が一日いても時間が足りないほどに展示されていました。
出雲大社を見た後に復習として歴史博物館に行くもよし、予習としていくもよし。
おなかいっぱい古代出雲を楽しむことができます。ぜひ古代出雲歴史博物館は、訪ねることお勧めします。
続いて、出雲大社へ。大国主(大黒天)をおまつりし、毎年10月は「神在月」として全国から八百万神が集う神社として有名です。
歴史博物館からは、出雲大社へショートカットで行くことができます。
博物館を出ると、出雲の空は見事な雲に空が覆われていました。

まさに「八雲立つ」出雲国です。
高校生の時に行ったときは、青空が広がり非常に見私がよかった印象があったのですが、この日は天候不順で四方が霧と雲が空や遠くの山々に滞留していました。
境内に入る手前には、大国主の「国譲り」の像がありました。

出雲大社の社殿は、非常に壮大でした。あまり社殿の正面からは撮りたくないので、鳥居の前からとりました。

太い注連縄が印象に残りますが、出雲地方の神社の多くで採用されています。

本殿のわきには、長屋のような建物が。

ここは十九社といい、毎年10月の「神在月」に全国の八百万神が集う際の宿舎だそうです。ここで神様たちも夜は宴たけなわとなるのでしょうか。集ってどんな会議となるのでしょうか。
次に、出雲大社は荘厳な神殿ばかりが注目ポイントではありません。境内いたるところに、ユニークなうさぎの像を見ることができます。中には千家家が献納したものまであり、出雲大社をおまつりする千家家はなかなかユーモアの通じる一族なのかなと想像してしまいます。




なんでウサギか。出雲大社がおまつりする大国主命は、「因幡(稲羽)の白兎」の話に登場する神様としても有名ですね。
この神話は、隠岐に暮らす兎が、隠岐島から稲羽にわたるためにワニザメをだまして、ワニザメを並ばせて渡ろうとしたことがばれ、怒ったワニザメに皮をはがされ泣いた白兎を、大国主が救ったという神話として有名ですね。
非常に地方に伝わる神話らしく、ユニークで残酷ながらも少し笑える話でもあります。
島根県には、ウサギの細工やお菓子、お土産など兎グッズもたくさんありました。
大国主に救われた兎が、大国主に手を合わせているのでしょうか。
出雲大社には、様々な社殿があります。兎の像ももっとたくさんあります。ぜひ出雲詣りに行ったら、ウサギ探しもしてみてください。

出雲大社は、町中より一段高い場所にあることがわかりました。一の鳥居の方向を見下ろすとなかなか見事な風景が広がっていました。晴れていると、また違う趣の風景が見えたことでしょう。
最後に、出雲そばを食べておしまい。私がいただいたのは田中屋さんの割こそばでしたが、こしと香りがしっかりしていておいしいお蕎麦でした。ただし、成人男性には3枚では少ないかもしれません。普通の割こそ場なら枚数も選べるので、5枚、6枚と食べてちょうどいいかもしれません。

ということで、出雲大社へのお参り編はこれで終わり。
次は、四隅突出型墳丘墓などを紹介します。
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