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初心者御朱印男子の歴史散歩ときどき撮り鉄ブログ

最近御朱印集めを始めたアラフォーのおっさんです。遺跡や歴史博物館巡り、寺社巡り、趣味の記録をアップします。

出雲へ行ってきました ~出雲大佐と古代出雲歴史博物館編~

2018-12-30 16:06:39 | 旅行記
毎年10月に八百万神が集う出雲の地へ行ってきました。

目的は、古代大和の地域に先立って発達した鉄器と青銅器の生産が行われていた古代出雲の地を発見することとともに、日本における八百万神への信仰を知るヒントをつかむことでした。

夜6時半に群馬県の前橋市を出て、車でおよそ15時間、休憩を交えて出雲へ。


神話の国出雲、伊勢が日が昇る国であることに対して、出雲は日の沈む国。
神話の故郷は、大和王権が勢力を強めるよりも昔。弥生時代のころには朝鮮半島や高志国(北陸)、九州との交易を通じて発達した勢力と、青銅器と鉄器の文化がありました。非常に面白く興味深い旅でした。群馬を含む多くの地方では、古墳時代以後の出土物では発達したものも多くありますが、それより古い弥生時代に出雲地方は青銅器と鉄器、盛んな交易で栄えていました。

最初に立ち寄ったのは、稲佐の浜でした。出雲を治める大国主神が天照大御神に国譲りをした神話の舞台として有名な浜です。古事記には、「伊那佐之小浜」として登場します。出雲大社からは車で5分ほどすぐ近くです。


写真右側に見える岩は「弁天島」といい、今では砂浜の上にあります。かつては、はるか沖に浮かぶ島だったそうです。ここには鳥居があり、豊玉毘古命(トヨタマヒコノミコト)がおまつりされています。神話に出てくる「初代天皇」こと神武天皇の祖母にあたる女神です。


稲佐の浜では、砂をいただき次に行ったのは、島根県立古代出雲歴史博物館
出雲大社の東隣にあり、ここから出雲大社への近道にもなっています。

まずはここで古代出雲の歴史をしる情報収集。

常設展のチケットを買い、最初に入るホールには巨大な3本の柱の根っこが。
「宇豆柱」といい、3本の巨木を鉄バンド束ね一本の柱とし、これを9本作り社殿を支えました。かなりの巨木で壮大な神殿が作られていた模様です。この宇豆柱は、出雲大社の境内の発掘調査で見つかったもので鎌倉時代のものだそうです。


この柱を束ねてどんな壮大な神殿が作られていたのでしょうか。
様々な学者さんが建てた仮説に基づく復元は見事です。ぜひ模型を見てください。



常設展示室に入ると、古代の神殿の様子が線刻されている弥生式土器がありました。


古代弥生人のこの線刻をみると、出雲大社の社殿像に通じるものがありました。

出雲国風土記にも、土地ごとに在地の神が登場しますが、出雲における古い信仰の歴史を垣間見ることができます。出雲大社は、まさにその信仰の象徴として重要な役割を果たした場所なのでそう。実際、出雲の地域だけは、出雲の祭祀を行う出雲国造家が律令政治の成立後も独立の地位を保ち、世襲し続け今に至り出雲大社の祭祀をおこなっています。今は出雲国造家は千家家と北島家にわかれ、大社は千家家が世襲しておまつりしているようですが。

古代出雲は、独自の文化を持ち、朝鮮半島との交易を通して当時の日本列島において先進的な青銅器と鉄器の文化が発達していました。それに象徴されるのが、加茂岩倉遺跡の銅鐸と荒神谷遺跡の銅剣群です。

展示は実に見事でした。まずは荒神谷遺跡の銅剣。


続いて、加茂岩倉遺跡の銅鐸。


よく見ると鹿の絵が刻まれたり、×の字が刻印されているものも。ぜひ現地で見てみてください。ここではそれ以外の銅鐸や銅剣もたくさん見ることができます。

次に弥生人の顔を表現した弥生式土器が印象に残りました。トサカのような頭になっています。弥生時代のシャーマンの表現かもしれないと書かれています。


続いて、古代出雲の地といえば玉作りが盛んにおこなわれていました。
勾玉や管玉の材料や、完成品、未完成のもの、製作途中のものどが豊富に展示されています。玉を磨く砥石などもありました。


そして、今回出雲に来た最大の目的の一つは四隅突出型墳丘墓を見ることでした。ここでは模型が展示されていました。


この博物館は、古代、とりわけ発達した青銅器や鉄器生産が盛んにおこなわれた弥生時代の出雲の出土物が一日いても時間が足りないほどに展示されていました。

出雲大社を見た後に復習として歴史博物館に行くもよし、予習としていくもよし。
おなかいっぱい古代出雲を楽しむことができます。ぜひ古代出雲歴史博物館は、訪ねることお勧めします。

続いて、出雲大社へ。大国主(大黒天)をおまつりし、毎年10月は「神在月」として全国から八百万神が集う神社として有名です。

歴史博物館からは、出雲大社へショートカットで行くことができます。
博物館を出ると、出雲の空は見事な雲に空が覆われていました。



まさに「八雲立つ」出雲国です。
高校生の時に行ったときは、青空が広がり非常に見私がよかった印象があったのですが、この日は天候不順で四方が霧と雲が空や遠くの山々に滞留していました。


境内に入る手前には、大国主の「国譲り」の像がありました。


出雲大社の社殿は、非常に壮大でした。あまり社殿の正面からは撮りたくないので、鳥居の前からとりました。


太い注連縄が印象に残りますが、出雲地方の神社の多くで採用されています。


本殿のわきには、長屋のような建物が。


ここは十九社といい、毎年10月の「神在月」に全国の八百万神が集う際の宿舎だそうです。ここで神様たちも夜は宴たけなわとなるのでしょうか。集ってどんな会議となるのでしょうか。

次に、出雲大社は荘厳な神殿ばかりが注目ポイントではありません。境内いたるところに、ユニークなうさぎの像を見ることができます。中には千家家が献納したものまであり、出雲大社をおまつりする千家家はなかなかユーモアの通じる一族なのかなと想像してしまいます。









なんでウサギか。出雲大社がおまつりする大国主命は、「因幡(稲羽)の白兎」の話に登場する神様としても有名ですね。
この神話は、隠岐に暮らす兎が、隠岐島から稲羽にわたるためにワニザメをだまして、ワニザメを並ばせて渡ろうとしたことがばれ、怒ったワニザメに皮をはがされ泣いた白兎を、大国主が救ったという神話として有名ですね。

非常に地方に伝わる神話らしく、ユニークで残酷ながらも少し笑える話でもあります。
島根県には、ウサギの細工やお菓子、お土産など兎グッズもたくさんありました。

大国主に救われた兎が、大国主に手を合わせているのでしょうか。

出雲大社には、様々な社殿があります。兎の像ももっとたくさんあります。ぜひ出雲詣りに行ったら、ウサギ探しもしてみてください。


出雲大社は、町中より一段高い場所にあることがわかりました。一の鳥居の方向を見下ろすとなかなか見事な風景が広がっていました。晴れていると、また違う趣の風景が見えたことでしょう。

最後に、出雲そばを食べておしまい。私がいただいたのは田中屋さんの割こそばでしたが、こしと香りがしっかりしていておいしいお蕎麦でした。ただし、成人男性には3枚では少ないかもしれません。普通の割こそ場なら枚数も選べるので、5枚、6枚と食べてちょうどいいかもしれません。



ということで、出雲大社へのお参り編はこれで終わり。

次は、四隅突出型墳丘墓などを紹介します。

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紅葉に彩られる吹割の滝に行ってきた

2018-11-11 23:32:22 | 旅行記
紅葉の吹割の滝を見てきました。

群馬のご当地かるた「上毛かるた」では、
滝は吹割 片品渓谷 と「た」のかるたにあります。

紅葉が綺麗でした。吹割の滝と鱒飛の滝という2つの滝がありますです。

この写真は鱒飛の滝です


落差は5mほどですが、水量が多いので大迫力の滝です。どうしても吹割の滝のおまけみたいに見えてしまうかもしれません。

鱒飛の滝からさらに遊歩道を進むと吹割の滝に着きました。




でも何気に気に入ったのは、市営の無料駐車場から歩いて渡る橋から見下ろせる片品渓谷の景色でした。


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伊勢うどんと出来立ての赤福を食す

2018-10-09 20:46:17 | 旅行記
伊勢神宮の内宮のすぐそばには、おはらい横丁とおかげ横丁があります。ガイドブックでも必ず紹介されていますが、伊勢神宮観光の最大のテーマパークと言った感じでした。

私は、伊勢うどんと赤福本店でできたての赤福を食べるため立ち寄りました。



まずはおはらい横丁に入り、そのまましばらく真っ直ぐ進むとおかげ横丁の入り口があるのですが、おはらい横丁の時点でお土産屋や飲食店も広がります。松阪牛のコロッケとかアワビの焼き串とか食べておけば良かったな、と今更ながら思います。

しばらく進むと右側に赤福本店、左側はおかげ横丁の入口です。



ひとまず赤福本店は横目に、おかげ横丁へ。



伊勢うどんの名店、ふくすけというお店で伊勢うどんをいただきました。



いわゆるコシの強いうどんとは違いますが、ふわっとした感じの不思議な食感でした。伊勢うどんを食べて思い出したのが、ベトナムのホイアンで食べたカオラウというもの。



伊勢うどんがルーツで、朱印船貿易でホイアンにやってきた商人たちが醤油だれで食べる麺を作ったと一説によるとそう言われているようです。しかし、実際にはカオラウはコシがあり、伊勢うどんにはほとんどこしがなかった。

伊勢うどんを食べながら、ふとホイアンに行った時のことを思い出しました。

伊勢うどんを食べ、食後のデザート赤福。



あたたかさが残り、もちもちと柔らかい赤福は美味しかった。五十鈴川の流れを見ながらほうじ茶でホッと一息つけました。ほうじ茶と赤福2個で210円はお買い得感がありました。

最後に、こんなんを見つけました。



蒙古襲来のおりに祈願法要を行なったとされる場所だそう。蒙古襲来といえば、外宮には風宮、内宮には風祈宮と神風を吹かしたとする神様がお祭りされていました。蒙古襲来が、当時においていかに国家存亡の危機だったのか、国も宗教界も上げててんやわんやだったのかもしれません。

以上で、おかげ横丁編はおしまい。伊勢うどんと赤福だけじゃなく、こんどはもう少しのんびり楽しみたいところでした。

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はじめまして、お伊勢参りに行ってきました

2018-10-04 21:10:05 | 旅行記
貧乏日帰り旅行で群馬からお伊勢参りに行って来たことをキッカケに、きょうからブログをはじめました。

全国や海外の遺跡や歴史博物館を見て歩いています。
そんな旅の記録と思い出を紹介して行くのでよろしくお願いします。


今回の弾丸旅行の日程

平成30年10月2日
高速バスで高崎から東京へ、東京駅からは青木バスのあおぞらライナーで宇治山田駅へ

10月3日
早朝宇治山田駅到着
モーニングを食べた後、徒歩で外宮へ
宇治山田駅に戻り、レンタカーを借りる
内宮 → おかげ横町 → 猿田彦神社 → 月読宮 → 倭姫宮 → 二見興玉神社 → 御塩殿神社 → レンタカーを返す
近鉄電車で斎宮へ。斎宮跡と斎宮歴史博物館を見学
快速みえで名古屋へ。名古屋から新幹線乗り継ぎで群馬へ


回った神社や史跡は小出しに紹介します。

今回の旅は、今まであまり興味のなかった神社への魅力を発見する旅になりました。

神社信仰の起源となるこの国の自然信仰
外国ではすでに少数派となってしまったアミニズム的な信仰がいまもこの国では根付いているという事実と一緒に、アジア諸国の起源や神話との関係性を研究する上でも、日本における神話の時代の研究をすることはとても大切なことだと実際に伊勢神宮を思いりしていて感じました。御朱印集めもこれをきっかけにはじめました。

超ダイジェスト

早朝、宇治山田駅に着く。旅の意欲がそそられる歴史を感じる駅舎だった



まずは外宮(げぐう)へ。いかにも神域に入ったという雰囲気に圧倒される



今日は、外宮の中にある別宮の風宮を紹介。風雨を司る級長津彦命、級長戸辺命がお祭りされています。風は農作業におおきな影響を与えます。そこで伊勢神宮でも別宮で大切にお祭りされています。



外宮を見た後は、内宮へ。ここでは入り口の宇治橋を紹介。天照大神を祀る内宮です。太陽をお祀りするわけです。太陽への信仰というと、私はモンゴルのテングリの信仰を思い出します。古代の天皇は、伊勢神宮への祭祀を通して災害をはらい、天の恵を祈り続けた。神々の祀りの主催者としての天皇、古代シャーマニズムとの関連性にも強い関心を持ちました。



お伊勢参りの後は、伊勢市の郊外へ。

今回の旅の目玉でもある斎宮跡に行って来ました。斎宮は、天皇に代わって伊勢神宮の祭祀をおこなう斎王の宮が置かれ、伊勢神宮に関わる役人が活動した場所です。鎌倉時代まで、斎王が置かれていたそうです。



移動に当たって宇治山田駅で近鉄電車もたくさん見ました。近鉄バファローズファンだった私には近鉄の響きが心地よい。



最後は松坂駅から、快速みえで名古屋へ。快速みえは早かった。



番外編 内宮に行った後は、ぜひおいで横丁も行ってみてください。私は赤福本店で出来立ての赤福をいただきました。美味しかった。




個別には、今後のブログで紹介していきます♪

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