元祖 ♪みっつめのめ~♪

なんでんかんでん史

まだまだですが。

2012-02-14 14:05:40 | 宝箱
今日、やっとおじいちゃんの初七日が終了しました。

もう1週間。

長いようで早いなぁ。

肺炎の熱が下がって、じゃあ転院をしましょうか、という話になっていたおじいちゃんが院内感染でインフルエンザにかかったと聞いて

私もインフルエンザもらってはいけないから、暫くお見舞いもいけないなぁ・・と思っていたとき。

様子がおかしいと言うことで病院に駆けつけたのが7日の夕方。

友達とご飯に行く車の中だったからそのまま送ってもらったんだなぁ。

その時はまだ、声をかけたら反応がありました。

大丈夫そうだから、各々、日付が変わる頃うちに戻りました

夜中4時前。 

また電話が鳴り、母と父がまず病院へ。

寝ぼけていた私は弟を起こし、そのまま2人で病院へ。

もうみんな来ていましたが、そのままその日は朝を向かえました。 

一生懸命肩で息をするおじいちゃんに空気を送ったり、手や足をさすったりしていると不思議なもので意識は戻らないものの、酸素濃度が上がっていくので、みんな代わる代わるにやっていました。

お昼前になり、とりあえずまた交代でと言うことでお昼過ぎにうちに帰り、私はそのまま寝ていました。

何度か目が覚めたものの

電話で目が覚めたのが夜の8時半過ぎ。。

またまた寝ぼけたまま準備をしていると

亡くなった・・という知らせが入ったのが8日。

病院に行く車の中で流れるサンドウィッチマンさんのコントをボォっと見てました。

病院について病室に入ると呼吸器もはずされて動かなくなったおじいちゃんが。

涙が溢れてきました。

それでも色々とすすんでいくもので

気がつくとあっという間に霊安室に。

おじいちゃんが白くなっていく。

なんか、たんたんと葬儀屋さんがきて色んな段取りが進んでいくんですね。。

葬儀屋さんも大変ですね、うちから又もう一件行くと出たのが深夜1時過ぎでした。

夜が明けると各々また自宅に戻り準備。

葬儀場でお風呂に入り、私が行ったときにはお化粧も済んでいました。

お気に入りのスーツにも着替えさせてもらい、ボルサリーノもしっかり3つも入れてもらってかっこよくきまっていて。

最後に、私が耳横の髪の毛を切ってあげられました。

年末に床屋に行けないからと、最初で最後に散髪してあげられたのが最後でした。

切り終わった後に、鏡でチェックするじいちゃんの姿がまだこないだのよう。


お通夜、お葬式は孫だから受付やなんやとあり。。

バタバタですね。

お葬式にはテレビ局の取材が入り。。。

お通夜の日に流れたのはおじいちゃんの若いときの映像が流れていてびっくり。まだ白黒の映像でした。

お葬式当日は夕方のニュースが他のニュースが入った為にじいちゃんのは短くなっちゃたみたいですが、
母や私はドアップで写ってしまい・・・絶句。。

まさか。

深夜にもう一度フルで流れたみたいだけど、それは見られず。。

それにしても自分は子供から大人に成長しているので、何十年ぶりに会う親戚達は私には全くわからず(^^;)
私から見たらおばちゃん、おじちゃん達は変わらないから不思議な感じでした。

不思議なもので、みんな長崎に帰ってきたりして。。近くにいたのにびっくり。。

きっと少しずつじいちゃんが呼び寄せたんだろうね・・と。

おじいちゃんが亡くなって色々とびっくり。

生前に家系図を作ったり、色々と準備をちゃんとしていたみたいで。

なんだか、本当にまだまだちょっと信じられないですが

時間だけが過ぎていきます。

もう
「勉強しろ」とか
「それ以上太るな」とか
言われないのかと思うと本当に寂しいです。

わからない事がああればおじいちゃんちに言って調べたり、聞いたりして、どれだけ年をとっても本当に頼りになるおじいちゃんでした。

あと3年生きなくちゃ、と言っていたみたいですが、あと3年で原爆70周年なんですよね。
でも、充分がんばったと思います。

おじいちゃん、83年間お疲れ様でした。
安らかに過ごせるといいね。