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人生の想い出ーその1昭和の想い出・1『家の前の飯場と八幡神社と』

2023-06-09 20:00:00 | 人生の想い出
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昭和の想い出ーその1

『家の前の飯場と八幡神社と』

 
1969年(昭和44年)生まれの僕は、既に人生を折り返しているんですね。
 
子供の頃に一緒だった祖母と両親はすでに旅立っているので、最近は“生と死”について考えたりもするんですよ。(実はあんまり考えてませんけど)
 
旅立ってしまった友達も沢山いますし、人はいつ旅立つのか誰にも分かりません。
 
40年後かもしれないし、明日かもしれない。
 
そんなわけで、自分が生きた証というか、これまでの人生の想い出を書き綴ってみたいと思います。
 
昭和を知らない人には「へ~日本もそんな時代があったんだ~」とか思ってもらえたり、同年代の人には懐かしんでもらえたら良いな~とか思うのです。
 
※小学校1~2年生頃の給食時の一コマ。左側後ろで変な顔をしているのが僕です。
隣にいるのは、戸田さんで向かいに居るのは田中くんです。(意外と覚えているもんなんですね)
 

飯場のお兄ちゃん“ちんじ”

 
ということで、僕が生まれたのは1969年(昭和44年)1月23日、第二次ベビーブームの頃で、小学校は6クラスありました。
 
高井戸第三小学校という小学校に通っていました。
 
当時はたしか全校生徒1200人くらい居たんじゃないですかね。
 
僕は1~2歳ごろまで下井草に住んでいて、それから下高井戸に引っ越ししたそうです。
恐らく下井草時代だと思うのですが、バスだか路面電車だかを家族で待って乗り込んだような風景を、一コマだけ覚えています。
 
このころの写真は白黒のものが多いですね、時代を感じます笑
 
テレビも古い昔のテレビですね、週に一度の道徳の時間に見る「明るい仲間」が好きでした。(理由はお察しの通り)
 
僕が幼い頃の下高井戸辺りは、空き地も多くてアスファルトではない土の道路があちこちにありました。
 
だから雨の日は靴が泥だらけになるんですね、それが嫌で雨の日は長靴を履いていました。
 
まだ幼稚園に通う前の3~4歳頃、僕の家の前は土の山が高く積み上げられていて、その片隅には飯場がありました。
 
幼い頃の僕は積極的な子供だったらしく、その飯場に毎日遊びに行っていたそうです。
 
飯場に行くと、飯場の人たちに元気よく『おっちゅ!』とか言っていたみたいです。(まだ幼く舌足らずでオスっていえなかったみたいです)
 
そこの飯場に僕より少し年上のお兄ちゃんがいました。
 
※当時慕っていた飯場のお兄ちゃん“ちんじ”と家の前の飯場で
 
 
 
『シンジ』っていう名前だったんですけど、いつも僕は『ちんじ~、ちんじ~』って言いながら後をついて回っていたのだと父から聞かされました。
 
ハッキリとした記憶としては残っていませんが、ほんの少しだけ頭の片隅に残っている想い出です。
 
僕が幼稚園に上がるころには、もう飯場は引っ越ししてまったように思います。
 
ちんじと会うことはもうないけれど、元気でいてくれたらいいな~、とか思います。
 
 
とっても昭和の時代を感じさせる一枚だと思いませんか?
 
写真向かって右側に土の山があり、その奥に飯場があって、飯場の向こう側には畑が広がっていました。
 
キャベツ畑に、モンシロチョウの幼虫を取りに行ったりしてました。
 
 

下高井戸八幡神社ー階段の想い出

 
幼稚園に上がってからの話。
 
これはもう何歳頃の話か覚えていないんですけど、とにかくまだ幼い頃の話です。
 
家から徒歩5~6分のところに八幡神社がありました。
 
 
 
昨年の2022年に、下高井戸八幡神社に行った時に撮った写真ですけど何だか神々しいですよね。
 
当時階段ではなくて、土の坂になっていて下り坂になっていたんです。
 
幼い日のある日、僕は自転車で八幡神社に遊びに行った帰り、勢いよくその坂道を駆け下りていきました。
 
いつもは減速しながら下っていたのですが、その日に限って魔が差したのでしょうか、減速することなくブレーキをかけずに駆け下りていったのでした。
 
その刹那、悪い予感がしたのですが、そういう悪い予感て当たるんですよね~。
 
左側から走ってきた自動車と接触事故を起こしてしまったんです。
 
倒れて頭を打ったように記憶しているのですが、幸いにもお相手の車はそれほどスピードを出していなかったので大事故には至りませんでした。(あの時のお相手の方、本当にすみませんでした。m(__)m)
 
頭のレントゲン写真を撮ったのは覚えていて、頭から出血していたように記憶しています。
 
大事には至らなかったのですが、大事を取って、その頃予定していた家族旅行は医者から止められました。
 
旅行に行けなくなってしまったことを後悔しましたし、家族にも迷惑をかけてしまいました。
 
 
その後すぐに僕が起こした事故がキッカケで、階段がつけられたそうです。
 
母から聞いた話では、僕が事故を起こす前からたまに事故があって近所の住民から『階段をつけて欲しい』という声が上がっていたらしいです。
 
何はともあれ、その後すぐに取り付けられた階段によって接触事故はなくなりました。
 
僕は今でも、“下高井戸八幡神社に命を救ってもらった”と思っていますし、感謝しております。
 
僕に何かあったら、お相手の方にもご迷惑をおかけするわけでしたし。
 
あの頃一緒に住んでいた祖母や両親は旅立ってしまっているので、あの頃の実家は無いし下高井戸八幡神社に行くこともめっきり減りましたが、下高井戸八幡神社に感謝する気持ちはずっと残っています。
 
下高井戸八幡神社の階段をみると、あの日のことを想い出します。
 
 
今でもたまにお祭りの日には、同級生が何人か集まったりしますし、子供の頃の友達とか想い出って、ある意味僕にとっての“故郷(ふるさと)”だったりします。
 
 
 
 
 
 
皆さんの忘れられない想い出ってなんですか?
 
 
 
 
 
 
 
最後までお読みいただきありがとうございました。
 
 

あなたにとって、素敵で幸せな日常でありますように。

 
 
 
 
その2へつづきます