Re-Bone

自社ブランド製品やエキゾチックレザー情報などをご紹介。

テクスチャーム発売開始

2022-12-28 16:04:31 | 新商品
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生命の質感をたずさえる 

MADE IN TOKYOのカード型お守りアクセサリー

『テクスチャーム/Texcharm』

 
鞄や財布のアクセント、コレクション、 ブックマーク、贈り物にも
 
 
 
かつてその生命の一部であった“質感(Texture)”は私たちにある特定のイメージを生じさせ、エネルギーへと昇華させる“おまじない(Charm)”となり得るかもしれない。

 

公式lnstagramアカウント: https://www.instagram.com/texcharm_official
 

公式オンラインショップ: https://texcharm-official.stores.jp
 
 
 
 
 

Frog -蛙-

 

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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懐かしい想い出~ご縁を紡いでいく~

2022-12-17 19:36:41 | ブログ
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2014年から2016年の2年間に渡る実体験を綴る特許にまつわる彼是(アレコレ)の後日譚

2年かけて辿り着いた特許取得までのバック(背景)ストーリー

 

幾度となく通った虎ノ門駅からの風景

 

ひとりで特許出願~その後~


2022年11月25日、久しぶりに特許庁へ行ってきました。


2016年以来ですから、6年ぶりになります。

銀座線の田原町駅から虎ノ門へ・・・

想えば、あの頃は銀座線の浅草駅から虎ノ門へ通っていたんですね
 

 

懐かしい想い出


2015年のクリスマスを最後に母親が会社に来ることもなくなっていたので、2016年から特許庁に行く時は、会社を早い時間に閉めて特許庁に通っていたんだなぁ・・・とか


母親の病院に見舞いに行ってるときは、よくMさんの話をしていたなぁ・・とか、あの頃に見た日枝神社の階段からみた街の風景とか。

 

 懐かしい風景

 

虎ノ門から特許庁へと歩いていく風景とか懐かしくて、いろいろな感情を噛みしめながら再び特許庁を訪れました。


2014年9月から2016年9月までの2年間に渡る特許出願から取得に至るまでの出来事を、全13話で書かせて頂いております。
今回はその後日談として当時の状況を振り返りながら書き綴ってみたいと思います。


右も左も分からないど素人が、初めて特許庁を訪れたときの話に始まり、特許や商標登録にまつわる話です。
個人で特許出願をしようと思っている方には参考になるかもしれません。
よろしかったらご覧くださいませ。
 


Re-Bone Wallet リボーンウォレット/特許出願編

 光の箱

 

【01】“始動”<最初の一歩>

【02】“発明協会(会館)”<続けることによってひらけてくる道もある>

【03】“模倣から始める”<先人たちの礎>

【04】“弁理士会館と商標登録”<一期一会>

【05】“特許出願”<背中を押してくれたひと>

【06】“国内優先権の主張”<ひとりでは何処にもいけない>

【07】“運命的な出会い”<縁(えにし)>

【08】“諸刃の剣”<戦略としてのグレー>

【09】“面接”<淡い期待>

【10】“最初の拒絶通知”<余命数ヶ月の宣告>

【11】“原点に戻る”<実より名を取るー桜の咲く季節>

【12】“最後の面接”<ひとりではない>

【 ∞ 】“感謝の気持ち”<恩返しと恩送り>

【2022】◆ひとりで特許出願~その後の話~◆

 

◆製品開発と同時進行で行っていた、特許出願までに至る経緯とその後のことなど特許情報などを含めて掲載しています。
◇特許にまつわる情報(特許庁や発明会館、弁理士会館や商標登録等)を掲載しておりますので、ご自分で第一歩を踏み出そうと考えていらっしゃる方のご参考になればと思い執筆致しました。

Re-Bone Wallet 製品開発編
 


6年ぶりの特許庁

 

今回は6年前に取得した特許料の納付と、商標登録の為に特許庁を訪問しました。

特許庁に入ると、白い幕が掛けられていて大規模な改修工事がされているようでした。

何だか“時の流れ”を感じる光景でした。
 

特許庁から見た風景

 

特許取得時に、6年分の特許料を支払っていたので、今回は7~9年分の特許料を支払ってきました。

10年目からの特許料は、グッと上がってくるので、この3年間で更に頑張らねばと思います。

もう一つの目的であった商標登録は、年末頃から発売開始予定のレザーアイテムのネーミング(ロゴ)についてでした。

財布に忍ばせるレザーアイテムで、店舗にいらっしゃったお客様からいただいたアイディアを形にしたものに成ります。

このアイテムも、特許のときの“Mさん”と同じように、素敵な“ご縁”によるものでもあります。

クリスマス頃までには販売開始予定ですので、楽しみにお待ちくだされば幸いです。

 

 

 

2014年

自社製品販売のホームページを作ろう!


そう思いパソコン教室に通い始めたのが、2014年6月頃でした。

HTMLの基礎から教わり始めたんですけど、自分一人でHTMLだけでホームページを作るにはとても時間がかかってしまうんですね。

そこでHTMLの基本を覚えた頃に、パソコン教室の先生のアドバイスもありホームページビルダーを使って、ワードプレスでホームページ作りを始めました。
 

土日や平日の夜に通っていて、途中から特許出願に時間を割かれることになったので、半年位しか通えませんでしたが、何とかホームページを開設することができました。

もう当時のホームページは残っていませんが、今思うと本当に幼いホームページでした。
ド素人なりに頑張っていた記憶だけが唯一の財産です。

 

 他にないものを模索しながら


そんな中で財布のデザインも考えていました。

「エキゾチックレザーを、より多くの方に知っていただくには?」

「ここでしか手に入れることができない財布を作ることができないだろうか?」

そんなことを考えている時期でもありました。
 


そんな中で生まれたのが 『巻蛇』 と 『ピンクスノー』 でした。

 

 巻蛇


巻蛇は、異なる2種類のへび革である水蛇とカロングを使って生前相まみえることがなかったヘビの“出会い”と、風水的にも縁起が良いといわれているヘビが“お金を護る”ようにとヘビが財布に巻き付いているようなイメージをしました。


ピンクスノーでは、4種類のへび革を使って目に見える贅沢と目に見えない贅沢をイメージしてデザインしました。

2つの異なる色合いの命の上から、1つの大きな命が包み込み、その2つの命の内側には小さな命が宿る。隠しテーマは“幸せな結婚”です。

ピンクスノーはパイソンの下に銀箔と銅箔(ピンクゴールド)のへび革を忍ばせていて、財布内側には紫色の水蛇を使用しています。

 ピンクスノー


とにかく、他にはないオリジナル財布をと考えていました。


『和財布』もその時に考えた財布です。

和財布の中で特に“武将”は、昔読んでいて好きだった漫画、“花の慶次”の傾奇者(かぶきもの)をイメージした革財布です。


 和財布
 

花の慶次 -雲のかなたに-』(はなのけいじ くものかなたに)は、原哲夫による日本漫画隆慶一郎作の歴史小説一夢庵風流記』を原作としている。
 

戦国の世を、当代きっての傾奇者として生きた漢・前田慶次の奔放な生きざまを描いた作品である。『花の慶次 -雲の彼方に-』と題を変えて再版もされた。
 

Wikipedia「花の慶次」より抜粋


一夢庵風流記』も読ませていただきましたが、大変面白かったです。


 

自分と向き合う


でも、幾ら自分で考えたオリジナル財布と言っても他に似たようなものは存在するし、これだけでは弱いな、と思っていました。

誰が見ても文字通り“ここでしか買えない財布”って何なんだろう?

パソコン教室に通いながら、ずっとそのことばかり考える日々が続いていました。


 高尾山からみた初日の出

 

 

ある日、“自分の人生は自分だけのオリジナルである”ことに気付きました。

世界中の何処を探しても自分と全く同じ人生を歩んでいる人はいないのだから、自分の人生の中で感じていることを形にすることができたなら、と。

その形は何なのだろう?



そして、自分の人生を振り返って考えてみることにしました。


幼少期は3人兄弟の末っ子ってことで親父が俺に甘いとか言われて、兄弟からの風当たりが強かったなぁ、、、とか

小学生の時は、『明日のジョー』とか『リングにかけろ』を見てボクサーにあこがれたなぁ、、、とか


『リングにかけろ』は、途中からアレですけど、最初は現実的なボクシング漫画だったんですよ。
でも、人気がでたのはアレからですけど・・・

高校時代には何億円積まれても二度と戻りたくないなぁ、、、とか

 

役者をしていた頃は随分と親父に迷惑かけたなぁ、、、とか

 

親父に連れて行ってもらった最後の旅行、ジンバブエから帰ってきた時のサプライズとか、あの時は本当にビックリしたな、、、とか


そんなことを考えていました。
 

 自宅前で姉兄と、近所のお兄ちゃんと(昭和47~8年頃)


今の自分が感じていることを形に

 

今思うと、親父には愛されていたんだなと思います。

僕が何かいっても、それを否定することはせずに“お前がそう思うんだったらやってみれば良い”と言っていました。

そんなわけで随分と甘えさせていただいていたのですが、2007年に、その親父が旅立ちました。


2009年には離婚により、妻と当時4歳だった娘と別れて、長男次男と男3人での生活が始まりました。

2013年には、大好きだった祖母が旅立ちました。

2014年にもちょっとした別れを経験していたので、“人生って別ればっかりだな”なんて思っていました。

 

 

祖母、母、姉兄と

 

家族

そんな中で他者との関わり合い“ご縁”をテーマにした着脱財布、リボーンウォレットでの特許出願を願って、最初の一歩を踏み出したのが2014年9月のことでした。

 

翌年2015年1月16日に特許出願し、その後Mさんとの運命的な出会いがあり、特許願を練り直し【国内優先権の主張】を使って、2015年7月7日に再度特許出願

 

5ヶ月後の12月2日に特許庁から最初の拒絶通知が届いて、年末に母の末期ガンの告知。


年が明けた2016年1月末に、拒絶理由に対する補正書と意見書を提出して、特許庁からの返答を待っている時に病院から、母危篤の連絡がありました。

2016年9月の特許査定を待たずして5月6日に母は旅立っていきました。

 

 

母を見送った5月に届いた【拒絶理由通知】を見たときは失望感に包まれましたが、Mさんの存在のお陰で、伸るか反るか最後の勝負で、再度拒絶理由に対する補正書と意見書を提出して、夢のお告げ通り特許取得に至りました。



実は、2015年の2月に病院から緊急連絡が入ったことがありました。
出社したばかりだったのですが、緊急事態なのですぐに病院に来るようにとのことでした。

病院に行ってみると、母は瀕死の状態で『転移した頭のガンが増大していて脳を圧迫しているので、今日手術をしないと24時間もたない』と言われました。

その日のうちに手術ができるという病院に、母を連れてタクシーで移動して手術をしていただき、何とか一命を取り留めることができました。

ただ、その時に執刀医の方から「圧迫された脳がかなり腫れていたので、頭の骨の一部を閉じることができなかった。だから頭をぶつけないように注意してください」と言われました。

母はそれから帽子をかぶる様になりましたが、やはり女性ですし「頭の骨を閉じて欲しい」と強く願っていました。

お医者さんにそのことを告げると、「肝臓の数値が悪いので肝硬変を起こす可能性が高い、今の状態では手術は危険だ。」と言われたので、手術ができるようになるくらい良くしていこう!と母と話しました。

実際、母も私も全く諦めていませんでした。

母はよく『良くなったら、みんなでお寿司屋さんに行って、カウンターで好きなお寿司をお腹いっぱいになるまで食べよう!』と言っていて

僕もその日を夢見ていました。

 

 

若かりし頃の父と母と姉兄と
 
 

手術から数週間後、主治医に呼ばれて話をさせてもらいました。

手術後の様態が落ち着いてきたので、また元の病院へ転院することになったからです。

今でも忘れられないのは、最後の別れ際にそのお医者さんが両手で握手をしてこられて
『ご苦労様でした』と、涙をボロボロと流されていたことです。

今は少し良くなっていると思っているかも知れないけれど、もう、、、



グッとくるものがありましたが、それでも、母と私は良くなることを信じて疑っていませんでした。

4月には会いに来てくれた娘と息子たちを連れて、4人で母の病院を訪ねたときには元気に笑っていたので、良くなっていく未来しか考えていなかったのですが、、、、。



5月6日に母が旅立った時に思ったのは、子供時代の家族が半分になっちゃったなぁ。ということでした。

3人姉弟の末っ子に生まれてから、僕が育った家族の数は6人でした。

一緒に住んでいた母の母である祖母、そして親父と母親、姉、兄。

6人いたのに、3人になっちゃったんだ。人生ってお別れの連続なんだな。


でも、よくよく考えたら出会いがあるから別れがあるわけですよね。

子供時代の家族は3人になってしまったけれど、僕には3人の子供たちが増えたわけだし。

出会いも別れも、素敵な“ご縁”によるもの。


想像していなかった別れと出会い。

人は他者との関わり合い“ご縁”の中に生きている。

 




そんなことを考えている時に思いついたのが、分かれるはずのない財布が別れて、新たなる財布との出会いがあったなら、これは“ご縁”を形にすることではないのか?
もしもできたなら素敵なことなのではないか?でした。


『人は0から生まれて0へと還る。でも俺には3人の子供たちがいるからそれだけで勝ちじゃないか』

親父が生前言っていた言葉です。


それは正に“紡いでいくこと”だと思うんです。

どのような形であれ、一人の人間が生まれて生きて旅立っていく、その想いを次の人間が紡いでいくことによって、旅立った人たちの想いは永遠だと。


“ご縁” “紡ぐ” この2つのキーワードを形にしようと、リボーンウォレットが生まれました。



 2022年11月25日に見た、どこまでも長く伸びていく雲


沢山の人たちに支えられて


そして現在へと続いていくわけですが、当時は浅草駅から徒歩15分くらい歩いた浅草6丁目に会社がありました。

2016年に母が亡くなったこともあって、それ程広くなくて革製品の販売をするのに適した場所はないか模索していた時に、リボーンの職人さんから蔵前を勧められて蔵前に引っ越ししたのが2016年の11月のことです。

引っ越しの時に、父の代から懇意にさせていただいている革業界の社長さん、当時大学生だった長男、それと高校時代の先輩に手伝っていただいたことには大変な感謝を致しております。

やはり“一人では何処にも行けないな”と、心から思いました。


 

日枝神社の階段から見た風景

 

ライティングオブジェ“光の箱ワークショップ


ちなみにですが、【特許出願編】の画像は、以前に娘と会ったときに子供たち3人とライティングオブジェに行って『光の箱ワークショップ』で作ったものです。

沢山のハート(想い)に囲まれている自分(白っぽく映っている)というテーマで作ったものです。(ハートが崩れて分かり辛いですが)

『光の箱ワークショップ』には、3~4回位行きましたが、とても良い時間が過ごせると思うので、おすすめです!

2022年の今年も開催するようなので、ご興味がある方は是非!行ってみてください。

光の箱ワークショップは、当日でも空きがあれば参加できるようですが、予約された方が確実かと思います。

12/17(土)A.11時~ B.14時
12/18(日)C.11時~ D.14時

今年の『光の箱ワークショップ』は、上記4回の開催のようです。


https://illuminat.co.jp/LO_official/event.html#event-04



光の箱ワークショップ以外にもアートな展示物がご覧いただけます。
2022年は12月15日から24日のクリスマスイブまで開催されるようなので、お出かけになられてはいかがでしょうか?

・ライティングオブジェ
https://illuminat.co.jp/LO_official/

東京ビルTOKIAガレリア
東京都中央区新富2丁目4-6 アーベイン三井3F
T.03-3555-5881

 

光の箱




 

◆ひとりで特許出願ーもくじー◆




最後までお読みいただきありがとうございました。

 

あなたの日常が素敵でかけがえのないものでありますように願いを篭めて。

 

光の箱


【感謝の気持ち】<恩返しと恩送り>個人で特許出願体験記【∞】

2022-12-16 19:59:32 | ブログ
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2014年から2016年の2年間に渡る実体験を綴る特許にまつわる彼是(アレコレ)完結編

自身の体験を基にした初物づくしの特許出願ドラマチックストーリー第十三話

 

【感謝の気持ち】<恩返しと恩送り>

 

【感謝の気持ち】<恩返しと恩送り>

新しい審査官との面接で、手ごたえを感じた旨と共に審査官の方からいただいたアドバイスなども含めて一部始終を“Mさん”にご報告して明細書の読み直しと訂正の毎日です。

 【請求項】を補正しなければならず、呼応している明細書も補正して補正した箇所には下線をひいて、何度も読み直しては補正の繰り返しでしたが希望の光が見えてきたので、辛くは感じませんでした。
 

ゴールに向けて最終形態を見据えて煮詰めていく作業。

 

お忙しい合間を縫って“Mさん”から補正案や補正する際の注意事項などを教えていただきながら期日前に間に合うように補正書を仕上げていきました。

その際も非常に些細な疑問や稚拙な質問なども“Mさん”に質問させていただきましたが、全ての問いかけに対して快く返答してくださったことも大変有り難かったです。

 

そしてついに7月15日(金)完成した【補正書】【意見書】を手に特許庁に持参して提出。


帰り道はやはり日枝神社に参拝とご報告をして、階段の上から赤坂の街をボーっと眺めながら

この時は、‘やれることは全てやり尽くした’ ので後悔や未練といった感情はありませんでした。

唯々肩の荷がおりてホッとしたような….そんな気持ちでいました。

 

光の箱



審査結果は、数週間程度で送付されると伺っていたのですが、一か月経っても送られてくることがなかったので、少しだけ不安な気持ちになりました。



もしかしたら、何か不備が見つかったのか?それとも?・・・・

 


そんな頃に不思議な夢を見ました。


以前母が住んでいた家の近くにお地蔵さんがあり、いつも行くとそこでお参りしていたのですが、夢の舞台はそのお地蔵さんがある非常に狭い石畳でした。


そこで三匹の魚の神様が何者かと戦う夢で、3対3の戦いでした。


魚の神様の一番手が相打ちで、二番手が健闘して相手のボスを引きずり出そものの、もう少しで勝てそうなところで負けてしまいます。

最後に残された魚の神様が瀕死のボスを打ち取って終わるのですが、相手方の3匹と神様の味方2匹が、天に昇っていくのを自分が見つめているところで目が覚めました。


何となく良いことが起こるような予感を感じました。
 

浅草のビルに映った東京スカイツリー


 

特許査定

 

8月も終わりを告げた9月8日に特許庁からの郵便物が届きます。


淡い期待と共に、前回の時の記憶が甦ります。
 

深呼吸をして気持ちを落ち着けて開封すると、そこには【特許査定】の文字がありました。


何度読み返しても【拒絶理由通知】の文字はなく【特許査定】と記してありました。


この時ばかりは感無量というか、やっと辿り着けたという達成感と、“Mさん”への多大なる感謝の気持ちと……素直に嬉しかったです。

 

さっそく“Mさん”に、特許査定のご報告と共に、言葉では言い尽くせぬ程のご尽力を頂いた事への感謝の気持ちを伝えさせていただきました。


“Mさん”からは
 

『特許査定やっと来ましたか。少し時間がかかっているので心配していました。

 なにはともあれおめでとうございます。』
 

とのお言葉をいただいて恐悦至極でした。
 

感謝の気持ち


感謝の気持ち

 

大変お世話になった“Mさん”に今まで何の御礼もできていないので御礼をさせて下さいと申し出たところ“Mさん”から


『ご報告ありがとうございます。

  お礼などお気遣い無く。御社の事業が順調に発展することが何よりです。』

とのご返答をいただきました。

 

“Mさんと出会うことができたこと” そのことがまさに奇跡なんだと思います。



弁理士会館で初めてお会いしたとき、Mさんが『請求項を僕が考えてあげる』と言った理由について、“請求項以外の明細書の部分がしっかりとしていたから”だと仰られたことがありました。

 

【発明会館】【弁理士会館】でお会いした方々から頂いたアドバイス一つひとつを、必ず明細書に反映させていたことが少しずつ実っていったのかもしれません。

ド素人が作った明細書がプロの方々のご意見を頂戴して、その都度明細書を書き直していったことによって少しずつ当初よりはマシなものになっていったのかな?…と思います。

 

もちろんそれ以上に、“Mさん”の人間的な寛容さがあってこそのご提案であったことには言葉に尽くせぬ感謝しかございません。


一つとしてムダな出会いはありませんでしたし、そのどれが欠けても結果は違ったものになっていたかもしれません。


“Mさん”へのご恩返しも、もちろんですが、あの時の自分のように何かのアイディアを思いついた方、何かを始めたいと思いながらも迷っている方が最初の一歩を踏み出すキッカケ、若しくはヒントになってもらえれば….そう思って、この特許編を執筆した次第です。


当時の会社近くで撮った風景

 

中秋の名月


最初は自分の頭の中だけにしかなかったものが、最初の一歩を踏み出したことによって沢山の方々と出会うことができました。


そして出会った全ての方々に支えられ、助けられてここまでくることができました。

今まで出会えた方々の誰か一人が欠けても結果は違ったものになっていたかもしれません。
 

 

人間はひとりでは何もできないことを教えていただきましたし“Mさん”の存在がなければここまで辿り着けることは出来ませんでした。



これを99,999人の方が読んでも、何の参考にもならないし、つまらなく感じるかもしれません。

でも、いつか誰かの背中を押すキッカケ、何かのヒントになってもらえればと思っています。

 

【特許査定】の通知から一週間後の2016年9月15日に、特許庁へ行って特許料の納付をしてきました。

とうとう特許の権利が実現した日です。
 

2007年に他界した父の命日である“中秋の名月”がこの年は9月15日だったので、生きているうちには何の恩返しもできずにいた父への、せめてもの感謝の気持ちでこの日にしました。

 

そして今まで何度となく通った【発明会館】や【弁理士会館】を辿りながら、今までの出会いや、お世話になった方々への感謝の気持ちや、その時のことなどを思い出しながら歩いて特許庁に御礼を告げると、いつもの道を辿って日枝神社へ。
 

階段を踏みしめながら上って参拝、今までの御礼とご報告をすませて、日枝神社の階段から今までのことを想い出していました。


日枝神社から見た風景

 

恩返しと恩送り


【特許取得を絶対目標】としていたのには理由がありました。

2007年に父が亡くなり母が代表を引き継いでいた会社でしたが、父の代の売り先の会社社長の突然死による売掛金の未回収や、フロリダに展開していたアリゲーターの皮鞣し工場の失敗による負債が残されていました。
 

父が亡くなってから暫くの間は、母とは会社の経営方針の違いなどからの対立もありコミュニケーションもままなりませんでした、ある日詳細を知り父の作った会社と、母を護るための“傘”として考えたのが特許でした。


かといって当時は弁理士に依頼できる状況ではなかったので、‘自分でやるしかない’ そう思って最初の一歩を踏み出しました。

 

その後、様々な方々との出会いがありアドバイスやアィディア、叱咤や激励などをいただき、その出会い全てが血と成り肉と成っていきました。

(弁理士会館でお会いしたときに “Mさん” にだけは自分の置かれている状況を打ち明けていました)


ホームページ制作と特許書類作成、製品のデザインなどを並行して行っていたのですが、そんな自分を見て母が変わっていくのがわかりました。

お昼ごはんを買いに行く時間も惜しんでいた自分のために、お弁当を買ってきてくれるようになり、お互いに少しずつコミュニケーションを図るようになってきて、本当に良い雰囲気になりかかっていた…そんな矢先に母の末期ガンが宣告されたのです。


母が、がんの宣告を受けるほんの数日前に、チラシをみて買ってきてくれた二人で食べた最後のお昼ごはん “キジ丼” を、あの日のことは一生忘れないでしょう。

 

自分もショックでしたが、誰よりも母の受けたショックは計り知れないものがあったと思います。

 

『なんで私が・・・』そう呟いている母がいました。


 

中目黒付近の目黒川と桜


“姉や兄と相談して最終的な治療方針の決定をして欲しい”と母から任された自分は、気休めでも良いからとガンについて勉強し民間療法を検索したり、ガン治療についての病院などを探して病院を訪ねたりしながら、入院中の母のもとを1週間に3、4回ほど訪ねていたのですが、この頃が一番コミュニケーションを取っていました。
 

その昔…西暦2000年頃、父に、ジンバブエに象皮の落札に同行させてもらったことがありました。(思えばこの旅行が父との最後の旅行となりました)


象皮の落札後ビクトリアの滝を二人で見に行き、帰国した時に母が “ギランバレー症候群” で入院していました。

ギランバレー症候群は、免疫システムが自己の末梢神経を攻撃する稀な疾患で、当時の母は両手足の自由が利かなくなっている状態でした。

10万人に1~2人がかかる病気と言われていて、病院を退院した後も、最後まで薬を飲み続けていました。
 

ガンもですが、人間の免疫力に “深呼吸” が効果的だと何かに書いてあったので、自分が母にそのことを伝えた翌日、病院に行くと母が嬉しそうに  『深呼吸ができたこと』  

また 『深呼吸をすることの気持ち良さと、ギランバレーの発症以降、深呼吸をしていなかったことを、深呼吸をしてみて自分で理解してビックリした!』 …

などのことも話してくれて嬉しかったことを覚えています。


 

病院に行くといつも“母を笑わせること”ばかり考えていました。

お互いに笑いながら話しもできたので、短かったけれどある意味幸せな、良い時間を過ごすことができました。

 

“Mさん”への感謝も度々口にしていました。




でもそんな母も、もう居ない・・・





“傘”は、やっと手に入れられたのに、その“傘”で護る人はもういないんだな・・・



そんなことを想いながら。


 

『ごめんね、間に合わなかった・・・』




そう呟いたときに



 

『これからはその傘で子供たちを護ってあげて』 




そう言われたような気がしました。






ちょっぴり切なさが晴れた気がした2016年9月15日 “中秋の名月” の日のことでした。








終わり



美しい夕焼け



 

【最後に】

今回の特許取得にあたって “Mさん” を始めとして自分のわがままを聞いて製作していただいた職人さんや協力してくださったファスナー屋の社長、何も知らなかった自分に対して寛容に接してくださった特許庁の方々、審査官の方々、【発明会館】の方々、【弁理士会館】の方々、応援して激励の言葉を掛けてくださった友人知人の皆さま、その他関わり合った全ての方々に御礼と感謝申し上げます。

 

自分ひとりでは何もできないのだということを教えていただきました。

本当に有り難う御座いました。

 

最後になりますが、沢山のメールのやり取りをしていただいた “Mさん” から送って送って頂いた文章の一部を抜粋して記載させていただきます。


いつも『こんにちは、がんばってますか』で始まるメールに、どれほどの勇気と希望をいただいていたことか計り知れませんでした。


本当に“Mさん”からのメールは感謝の言葉が見つからぬ程に感じておりましたし、自分の活力でした。

 

◆“Mさん”の貴重な財産であり、私自身の貴重な財産の一部であると認識しておりますが、“Mさん” にお世話になった自分がいたから現在の自分が存在できているのだと思っています。

(Mさんから掲載のご許可をいただいております)

もしもご自分で道を切り開こうとしている方がいらっしゃったなら、些細なヒントにでもなればと思ったので掲載させていただきます。



 



こんにちは。がんばってますか。

 

 

○請求項に対応する文言はほぼそのまま、全請求項につき【課題を解決するための手段】の項目に記載してください。
 (例)

第1の発明は、・・・を特徴とする収納具である。

・・・・・

第3の発明は、前記第1または第2の発明において、・・・したことを特徴とする収納具である。


その他、以下のような明細書を記載するうえでのセオリーがあるので、これを参考に明細書を記載してください。


1・請求項に上位概念で記載した構成(本発明の場合は「連結部材」「収納部」など)は実施の形態(または実施例・・・本発明ではどちらでもよい)の説明にて必ず具体例を2つ以上例示すること。

たとえば「連結部材」としてファスナーしか記載していないと、審査官から「連結部材では抽象的なので請求項の記載をファスナーに限定せよ」のような補正指令を受けてしまうことがあります。実施するかどうか、実用的かどうかはこの際度外視して、たとえば連結部材であればホック式、スライドレール式、磁石式など、思いつく限り具体例を挙げてください。


2・【発明の効果】の記載について。この項目には本発明の基本的な効果のみを記載すればよいが、請求の範囲に記載した各請求項の構成による効果は実施の形態のところでできるだけ(考えつく限り)記載すること。


3・実施の形態での具体的構成はできるだけ図面を使って説明すること。

出願後の明細書の記載を補正することは現行法では厳しく制限されており、最初に提出した明細書や図面に記載していなかったことは(効果なども)、いっさい追加することができません。ただし図面にしっかりと描いてあれば、万が一言葉が足りなかった場合にその図面を根拠に書き加えることが可能になります。


4・請求項と実施の形態による具体的構成とが1対1で対応している必要は無いが、実施の形態の記載で請求項の内容と効果がすべて網羅されるように注意すること。

 

こんなところです。これを参考に明細書をひととおり完成させてみてください。

健闘を祈ります。
 

 

上記抜粋部分は、沢山のやり取りをさせていただいていたほんの一部ですが、“Mさん” の存在がなければ結果は違ったものになっていたであろうことは想像に難くありませんでした。


 

■長くなりましたが最後までお読み頂き、有難うございました。





あなたの日常が素敵でかけがえのないものでありますように願いを篭めて。

 

 

サクラサク

 

 

【Re-Bone Wallet/リボーンウォレット 製品開発秘話】

 

 

素朴な疑問や、特許や実用新案、意匠や商標など特許庁については


特許庁ホームページ

〒100-8915 東京都千代田区霞が関3丁目4番3号 電話番号:03-3581-1101(代表)

*入館には身分証明書を提示して訪問票に記入。手荷物検査を経て入館票をいただいて入館できます。

 

特許情報プラットホーム

特許や実用新案、意匠や商標などを検索するなら

 

発明協会(会館)へのアクセス

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“最後の面接”<ひとりではない>特許出願体験記【12】

2022-12-15 19:30:01 | YouTube
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2014年から2016年の2年間に渡る実体験を綴る特許にまつわる彼是(アレコレ)

自身の体験を基にした初物づくしの特許出願ドラマチックストーリー第十二話

 

希望の光

 

“最後の面接”<ひとりではない>

 

返答期限のリミットは “7月19日”

 

気持ちも時間もギリギリの状況でしたが、7月4日“Mさん” から【反論趣旨】と【補正書案】が送られてきます。

その時に
『ぎりぎりになってしまいましたが、できれば審査官と面接し、補正案の可否につき意見をもらい、以下の反論で納得できそうか感触を当たってみてください。今回の補正が不適切である、あるいは反論が納得できないという感じであれば権利化は難しいと思います。

そう書き添えられていました。

 

人事異動


早速その日のうちに特許庁に電話して審査官の方をお願いすると、受付の方から意外なことを言われました。

審査官の方が6月いっぱいで人事異動により自分の特許出願の審査官から外れて、別の審査官に変更したというのです。


後で知ったのですが、人事異動でも案件は引き継ぐことが多いので、審査途中での審査官の変更は特許庁でも珍しいことらしいです。

期日直前での審査官の変更が何を意味するのか分かりませんが、追って新しい審査官からの連絡を待つように言われました。

7月19日が返答期限なので、出来るだけ早い日程での面接を希望している旨をお伝えして特許庁からの連絡を待ちました。

 

ふれあい

 

ひとりではない

程無くして新しい審査官の方からご連絡を受け、翌日7月5日の15時30分に面接が決まりました。

翌日に面接が決定したことをご報告した“Mさん”から、温かい励ましのお言葉をいただきました。


がんばってください。
 

一応念押しですが、本願発明のポイントは次の点です。
 

ここに特許性が認められるかどうかで結論が左右されます。

 つまり本願発明は引用例のような単なる着脱自在な収納具ではなく、連結部材を介して互いに連結可能な多種多様な表装具の一群全体が発明の構成要素なのであり、この表装具群がユーザーに提供されることで初めて発明の目的を達成することができるのです。この点を審査官に強調して下さい。

 

“Mさん”からのメールはいつでも温かく、そして寛容でした。
 

最初は、一人で歩き始めた道が ‘ひとりではない’ そう思えることがこんなにも心強く感じる日がくるなんて思いもよりませんでした。

 

 

最後の面接

新しく担当になった審査官の方は、人当たりの良い女性の方でした。

ご連絡させていただいてから早々の面接日を提案していただいたことへの御礼と、初めてお会いしたことへのご挨拶を済ませると早速、実際の製品を持参していたので、それらを持って説明を加えながら【反論趣旨】と【補正書案】に目を通していただいて、ご意見を伺いました。

 

“天か地か” ドキドキの瞬間でした。



『今回の補正が不適切である、あるいは反論が納得できないという感じであれば権利化は難しいと思います。』

“Mさん” のお言葉が頭を駆け巡ります。

 

長い沈黙のあとに審査官の方からでた言葉は

 


『補正案は拒絶理由通知に対する補正の要件を満たしていると思います。』

 

反論要旨についても

『たしかに、引用例との違いのポイントを明確に強調されているので大丈夫だと思います』

とのお言葉を頂きました。

 

続けて注意点として

『全てが無駄になってしまうので、期日だけは過ぎない様に提出して下さいね。』

とアドバイスいただき、直前での面接を快諾いただいた事も併せて再度御礼を告げて、特許庁をあとにしました。

 

 

日枝神社

 

 

そしていつも特許庁の帰りに寄っていた日枝神社で参拝と、本日の面接のご報告をしました。

この時の気持ちは、嬉しい気持ちよりも、少しだけ“ホッ” とした気持ちの方が大きかったです。

 

もしかしたら、特許庁の門をくぐることはこの日が最後になっていたもしれなかったからです。



特許取得に向けて、光が差し込んできたように感じていました。

 

【特許取得が絶対目標】としていたのには理由がありました。
 

何はともあれ、首の皮一枚つながったことは間違いなかったので、兎に角 “ホッと” した気持ちと共に、明日から期日に間に合うように明細書の補正をすることを肝に銘じながら、日枝神社の階段から街を眺めていました。

 

 

2016年当時に日枝神社の階段からみた風景


 

 

その∞へ続く

 

ひとりではない

 

 

【Re-Bone Wallet/リボーンウォレット 製品開発秘話】

 

 

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“原点に戻る”~実より名を取るー桜の咲く季節~個人で特許出願体験記【11】

2022-12-14 19:36:45 | ブログ
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2014年から2016年の2年間に渡る実体験を綴る特許にまつわる彼是(アレコレ)

自身の体験を基にした初物づくしの特許出願ドラマチックストーリー第十一話

 

高尾山から見た初日の出

 

“原点に戻る”~実より名を取るー桜の咲く季節~

 

様々な出来事があった2015年も終わり、新しい年を迎えました。

年末年始は子供たちを連れて母がいる実家で過ごしました。

 

2016年も明けて、12月2日に届いた【拒絶理由通知書】への返答期限まで一か月を切りました。

 

年末年始の慌ただしさも過ぎ去ってしまったと思った時には、1月も中旬に差し掛り

‘ハッ’ と我に返った時には、残りの日数に焦りも感じ始めていました。

 

自分なりに考えた拒絶理由の引用文献との相違点や、自分が主張したい要点などを“Mさん”にご一読いただき、それらを踏まえたアドバイスなどもいただきながら明細書を訂正して、どこをどう訂正したか忘れないように書き留めていきました。


 

冷たい空気の中暖かい輝きを放つ初日

 

 

実より名を取る

以前、お会いした弁理士の方から『〇〇と〇〇と〇〇等』と記載していた箇所について、この “など” だけど審査官から補正が入ると思うよ。
といわれていたのですが、案の定補正が入ったので訂正しました。

また、【拒絶理由通知】は、だいたい3つほどの引用文献を引き合いにだして、

『引用文献#1の中の一文+引用文献#2の一文+引用文献#3の一文=これらの文献を掛け合わせれば思いつくものであるから拒絶理由とする。』

みたいな書き方をするんだよね。

と言われていましたが、まさにそのような感じでした。

 


それらに対して、それぞれの引用文献との相違点を述べられるように請求項(明細書)を補正していくのですが、当初の出願権利を縮小せざるを得なくなりました。

 

その時に“Mさん” から
名より実を取るという言葉がありますが、特許の世界では実より名を取るということもあります。』

といった言葉を頂戴しました。

この先、どれほど実が削られようと絶対に名を取るんだ!
と、決意を新たにしていたことを思い出します。

審査官の方から、補正によって今回の拒絶通知は解消される可能性が高いが請求項を限定することによって新たな拒絶理由(引用文献)が見つかる可能性も示唆されました。

でもこの時は ‘もしかしたらこれで辿り着けるかもしれない’


そんな淡い期待もどこかでしている自分がいました。
 

桜の咲く季節

 

桜の咲く季節

“Mさん” の多大なご尽力のお蔭でなんとか一月末ぎりぎりに、【請求項】を全て補正(当然そこに呼応する明細書も全て補正)請求項を7つにして、FAXで審査官のご意見を賜り【補正書】【意見書】を提出することができました。

自分で作成したホームページに別れを告げて、新たにブランディングページを製作してもらう為の打ち合わせや写真撮影などをしていたのもこの頃でした。

 

そうしていつの間にやら桜の咲く季節となっていました。

 

厳しい冬の寒さを越えて新しい命が芽吹くような、なんだか嬉しい季節です。

 

嬉しい一報が届いたら….そんな淡い期待をどこかで抱きながらも、4月も終わりを迎えようとしていました。

 

 

5月になっても特許庁からの郵便物は来ないままに、ゴールデンウィークも終わりを告げると同時に、特許庁ではなく母の入院先の病院から連絡が入りました。




桜の咲く季節は切なくも終わりを告げて

 

 

3日前に合ったとき、部活をしていた次男の試合が近いことを告げると

 

『私も頑張るから、試合頑張れって伝えて』


と言ってくれていたのですが…



桜が咲くのはほんの一瞬で、風に舞う桜の花びらのように
 

子供たち三人に看取られながら母が旅立っていきました。


父の時も、祖母の時も立ち会うことができなかったので、母の最期に立ち会うことができたことは幸いでした。


いつも病室で“Mさん”への感謝と共に、『特許取得に向けて頑張って』と励ましてくれていた母でした。
 

2016年5月6日の金曜日に母を看取り、母の日の5月8日に見送りました。



週明けの9日月曜日には会社に出社して仕事していたのですが、さすがにこの日だけは仕事に身が入らずに、いつもより早めに会社を閉めて帰りました。



何にも声も音もしない、たった一人の空間がとても空しいような気がして



傍らで見守ってくれていた母の姿が、昨日のことのように思えました。


 

 

 

原点に戻る


母の葬儀もすませてから1~2週間後、 ‘ホッ’ と一息ついた頃に “ソレ” は届きました。5月中旬のことです。

 


不安と淡い期待の中で開封すると・・・・

 

 

2回目の【拒絶理由通知】でした。

 

 

覚悟はしていたつもりでしたが、この時ばかりはその場に崩れ落ちてしまいました。
 

権利化が一番遠くに感じた瞬間でした。

 

 

 

でも落ち込んでばかりはいられないので、気を取り直して【拒絶理由通知】に目を通しました。

 

引用文献は、今回新たに米国の特許文献3つを含む5つ明記されていたので、早速全ての引用文献を特許情報プラットフォームへいって番号検索して明細書を印刷して“Mさん” へご報告しました。


今回の拒絶理由と、その根拠となる引用文献がどの程度権利化を阻む可能性があるのかを知りたかったのでプロのご意見を伺いました。

“Mさん” からの返答は

『ざっと目を通した段階だけど今回は強敵のようだが、時間はまだあるのでじっくりと対応しましょう。』


本件発明と引用文献との相違点を中心に検討しておくようにとお返事をいただきました。

 

【二度目の拒絶理由通知】のうち1つはかなりの強敵でありました。

 

“Mさん” も『私が審査官でもこの引例を見つけたら同じ理由で拒絶するでしょう』と仰っていました。


 

東京の夜景

 

 

気がつけば2か月あった返答期限もひと月を切っていました。


なかなか決定的な打開策も見つからぬままに時間だけが過ぎていきます。

返答期限までの残りも数週間と迫っています。

 

何度も何度も引用文献を読み直して、その相違点から対抗する手段として “Mさん” と自分が出した答えは同じでした。

 

初めてお会いした時に、ものの数分で “Mさん” から言い当てられた本件の本来の趣旨である

“原点に戻ろう”でした。

 

たとえば、今までトレーニングしてつけた沢山の筋肉の鎧を脱ぎ捨てて、Re-Bone Wallet の、本来の趣旨(コンセプト)である “Bone(骨)” <他者との関わり>の部分で勝負しようということです。

 

数十人の弁理士の方にご相談させていただいてきましたが、お会いしてからものの数分でその趣旨を的確にご理解して言葉にされたのは“Mさん”ただ一人だったので、何か運命的なものを感じていました。

 

 

長男が幼い頃に一緒に描いた絵(アヒルとカエル)

 

 

拒絶理由の引用文献を何度も読み返して、その趣旨を理解して本願との相違点やその根拠などを書き綴って“Mさん”に目を通していただいて、“Mさん”からご提案していだいた補正書案を読んで、意見や拙い質問などのやりとりが続きました。


いつの間にやら返答期限の7月に突入していました。


返答期限のリミットは “7月19日”


気持ちも時間もギリギリの状況でしたが、7月4日“Mさん” から【反論趣旨】【補正書案】が送られてきます。

その時に

『ぎりぎりになってしまいましたが、できれば審査官と面接し、補正案の可否につき意見をもらい、以下の反論で納得できそうか感触を当たってみてください。今回の補正が不適切である、あるいは反論が納得できないという感じであれば権利化は難しいと思います。


そう書き添えられていました。

 


早速その日のうちに特許庁に電話して審査官の方をお願いすると、受付の方から意外なことを言われました。

 

 

 

その12へ続く

 

 

チンアナゴ

 

 

【Re-Bone Wallet/リボーンウォレット 製品開発秘話】

 

 

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