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回想:母の交通事故 1

2021-09-22 18:36:00 | 日記
私の母は、
父を亡くしてから5年目、今から8年前に
たかちゃんがリハビリ病院に移り、2ヶ月が経ったら頃、交通事故にあった。

母は一人暮らしをして、
田舎では車がないと不便であり、運転の大好きな母は毎日運転していた。

交通事故の1ヶ月前に、母は姉夫婦に連れられてたかちゃんのリハビリ病院にお見舞いに来てくれた。
たかちゃんは、難病の免疫抑制剤とステロイドを服用をしていたため、別人のように顔が変わりつつある頃だった。


姉から

お母ちゃんが事故ったの、
運転しているときに対向車とぶつかって、頭を打って腕と手首の骨を折っている。」
私は、ちょうどたかちゃんのリハビリ病院にいた時で、たかちゃんにそれを伝えて、車で180キロの道のりを急いだ。

なんでそんなことになったのよ
死んじゃったらどうしよう、
運転しながらこみ上げてくる想いをこらえながら、安全に行かなくちゃと車を走らせた。

運ばれた救急病院に着くと、
母はベットに横になって
「◯◯子、来てくれたの」
とニコニコ笑顔だった。
「お母ちゃん、大丈夫なの?痛くないの?何で笑ってんのよ?
母「◯◯子が来てくれてうれしくて」

今もこの笑顔が忘れられない。

姉にどうして痛みがないのか聞いた。
上腕の骨が折れて、今にも皮膚を突き破って出てきそうだった。
手首も折れている、
頭は陥没骨折しているのにもかかわらず、痛くないと言う。
姉は、頭を強く打ち、神経が麻痺してるとしか思えない、そう答えた。



母はたかちゃんが入院した3、4年前から、
父が亡くなったショックなのか軽い認知症なのか区別が難しいくらいの、すぐ直前の事を忘れることがあった

私は、実家近くの認知症専門の病院に連れていった。
認知症だと脳の海馬というところが萎縮するのだが、顕著な萎縮はなかった。
認知症の検査で、引き算もできるし、見せられるものも後から思いだし言うこともできた。
文章を書かせれば私より漢字も文章も達者であった。

医者は、予防的に認知症の薬を出しましょうと話され、いつもかかっている内科で出してもらえるようにお願いした。
よく、その内科医に私から手紙を書いて、母に持たせた。


父が亡くなって一年くらい経ってからか、寂しいのかよく電話がきた。
それでこの交通事故がある当日の朝まで4年間、
生存確認と称して、私は、毎日夜の8時に電話をかけていた。
たまには昔話に花を咲かせて、一時間も話をしていたこともあった。

この交通事故の前日まで、電話での話はたかちゃんの様子はどうかと仕事が大丈夫なのかと毎日そればかりだった。



主治医からは、車の運転に支障がないなら大丈夫だよと言われていた。




(老人施設に入っていた頃の母、事故の影響でいつも頭をかしげていた)




























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