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回想:母の交通事故 2

2021-09-23 16:18:24 | 日記
(母の交通事故1からの続き)


翌日の民放新聞には、
78才の高齢者、車両衝突事故という見出しで、母が悪いような印象の書き方であった。

兄の話では、
事故現場を約1日通行止めにしての現場検証の結果、
母の過失ではなく相手側の全面的な過失になると警察から聞いた。

相手は40代女性で、携帯電話のメールかなにかをしながらの運転の可能性が疑われたが
この女性も頭を打ったということで病院に運ばれた。
その女性は、1週間で退院して、事故については記憶がないとの一点張りということだった。

その後、現場検証で過失割合が100%この女性の過失となったが、これを聞いたのはずいぶん後のことだった。

過失割合が決定する前に、
母の車の自賠責保険から、この女性は550万円を請求し支払われていた。
助手席に乗っていた母の友人には、同居していた娘さんから家の改装費に300万円が支払われた。
改装費は母の友人が退院しても生活できるようにバリアフリーにするためのものだった。
そのようなことを兄から聞かされた。


鉄道の下をくぐる形のトンネルで、緩いカーブがあるところ、今でも田舎に行った時にここで事故があったのかと複雑な思いになる。
相手の女性の対向車が母の車にぶつかってきたのは間違いなかった。

助手席に乗っていた母の友人も救急車で運ばれたが、今も元気に施設にいると聞いている。



たかちゃんが歩けなくなったのは、1月の末。
その正月には、
物忘れの母のことが心配で、姉と私とで相談し、母を私の家に連れていくことが決まっていた。
母の自宅はそのままにして、時々帰りながら私と生活するものだった。

たかちゃんも賛同してくれていた

たかちゃんは私の母と関わって
お母さんとは、私の母のようにいつも気遣ってくれて、あったかい気持ちにしてくれるものだなと、よく話していた。

私が仕事でたかちゃんが休みの時は、
たかちゃんが一人で母のところに行っていた。
母の好きなちらし寿司のおいしい寿司屋に二人で行ったり、母に天ぷら食べたいと言って、お土産に私の好きなさつまいもの天ぷらやかき揚げを持ち帰ってきたこともあった。

私もたかちゃんも、私とたかちゃんと母の3人とワンコの生活を描いていた。


しかし、その1月にたかちゃんの身体に異変があり、
姉から、
「今は◯◯さんが大変なんだから、お母ちゃんのことは私がみるから大丈夫だよ」
母との同居の話は、無くなってしまった。
姉は病院勤めの管理職で忙しい日々を送っていた。

田舎には、兄が母の自宅から車で10分もかからないところに住んでいたが、

母が季節が変わるとエアコンのリモコンの設定ができないからお願いと頼んでも、無理だと言われて、熱中症が心配で私が片道180キロを車で行ったことがあった。
母は兄と会うよりも、私と会うほうが多いよと話していた。
兄をあてにはしなかった。

救急病院で、腕の骨を整復する手術がされ、母は、姉のリハビリ病院の併設された老人施設に入ることになった。

事故の影響で、リハビリで歩くことはできるが、身体が左に傾き、頭もまっすぐに保つことができないため、車イスの生活になってしまった。

その時、たかちゃんはまだリハビリ病院に入院していた時期であった。
たかちゃんの身体の動きが悪くなり、思うようにリハビリが進まなかった時期でもある。
リハビリ病院の退院に向けて、自宅での生活ができるように、段差のない家のリフォームを考えなければならない時でもあった。

ワンコはいつもお留守番ばかりで、今思うとかわいそうな状態だった。




(老人施設に入っていた頃の写真、事故の影響で頭がいつも傾いていた)















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