あちらはいかがですか、たかちゃん?

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心療内科の受診

2021-10-19 06:00:00 | 日記
以前、知り合いから、
今の住まいから近い
心療内科を聞いていた。
電話をすると3ヶ月待ちの予約だった。

受診すると、
初診の人には
1時間の枠が取ってあり、
丁寧に今までのことや症状を聞いてくれた。
すべて肯定的に聞いてくれた。
もしかして、泣いてしまうかもと
思っていたが
私は、
まるで仕事の時のように淡々と話していた。

たかちゃんが亡くなって
5年以上の月日が経っていたからかもしれない。


女性の先生で
「今まで長いこと、鬱だったのね、それと
パニック障害もあるわね」
「薬を1年続けることになるけるど、良くなりますからね。」

鬱症状があるのは自覚していたが、
配偶者を亡くすという、
ストレスで一番のものなのだから
当たり前のことと捉えていた。

鬱症状と鬱病、
同じには捉えてはいなかった。
初めて鬱病ということを受け入れた。

鬱病よりも、
パニック障害で出かけられないこと
睡眠障害によって生活が乱れることが
困り事で
それさえ治ればよいと思っていた。


ネットで自分なりに調べてみた。

脳内には、
幸せホルモンと呼ばれるセロトニン
喜びのドパミン
意欲を調整をするノルアドレナリン
などの脳内ホルモンによって
バランスをとっている。

これが
ストレスにより少なくなることによって、
鬱病、パニック障害、睡眠障害、
その他もろもろの症状になるとのこと。

処方された薬は、
主に セロトニンの量を増やす作用の薬だった。

セロトニンは日々、体内で作られ、脳内のネットワークに作用するのだが、
毎日、処分され(取り込まれ)、また作られるというのが繰り返される。
薬はその処分される(取り込まれる)のを防ぎ、
脳内の量を減らすことなく
増やすものらしい。

ただ、
鬱病について調べるうちに
脳の記憶に関与する脳の部位である
海馬(かいば)が
鬱病によって、
萎縮したり神経新生の低下がおこるということに
目を引いた。

認知症の検査に、
脳内の海馬の萎縮を診ることがある。
認知症だと海馬が萎縮している。

ずっと鬱病だと認知症にもなり得るのか、、と。

でも、抗うつ剤によって、
それも防ぐことはできるようだ。



「幸せホルモンが少なくなるのは仕方ないよね、
たかちゃんが居ないのだから、
もう会うこともできないのだから、、」



先生は、
初めは強くないもので様子を見ましょうね
と話され、
初めての受診なので
次回は2週間後となった。

これで良くなるんだと
また、何かあってもここに来れるんだと
安心感で帰って来た。


上の写真は、
駅の道しもごうからの風景

心療内科 受診のきっかけ

2021-10-18 06:00:00 | 日記
関東に戻ってきてから
最後のハードな仕事を辞めて、
車の運転をしている時、
パニックになってしまった。

渋滞や高速道路のトンネル、
とくに湾岸のお台場の海底トンネルでの渋滞時に
動悸がして
一人で運転をしているのに
「車をおいて車外にでたい、どうしよう、、」


もともと閉所恐怖症があったのと、
息子が癌治療で6ヶ月の入院をしているとき
電車のなかで
「空気が少ない、酸素不足?
息が苦しい」

今でも満員電車は苦手で
コロナの前に乗ったとき、

あー、もうダメ、限界、降りよう、、
人が一杯で降りれない、どうしよう、、
「吐きそうなので降ろしてください」
と言ったら、
さっーと私の降りる道が空いた。


パニック障害。
何度もネットで検索した。

それと一緒に、
夜、眠れなくなってしまった。
仕事をしていた時は、
グッスリ眠れていたのに、、
一ヶ月に2度ほど、一睡もできない日があった。
夜、寝ようとしても延々眠れない。
寝ても3回も4回も目を覚まして
寝た気がしない。
以前、睡眠導入の薬を飲んだ時があるが
寝入る時の落ちる感覚が嫌で
飲むのをやめた。

睡眠障害もひどいな、、と思っていた。


北海道から
関東に戻ってきて、
犬を介して知り合いになった
Tさん。

犬の散歩をしてたらTさんが話しかけてきた。
「私も、この犬種の犬を飼っていたけど、
3ヶ月前に死んでしまったの。」

それから会う度に
少しずつ話をするようになって

Tさんは70才の女性で
同じマンションに住んでいた。
ご主人を7か月前にに亡くされ、
愛犬16歳も3ヶ月前に亡くなっていた。

その後、、
何度か話をしていたが、
姿が見えない日が続いた。

数ヶ月して会ったとき
うつ病で3ヶ月入院して、
まだ入院していたかったけれど、
3ヶ月だけと言われてと話をした。

Tさん「だけどね、とっても良くなったの。
薬ってすごいと思った。

それを聞いて、
私のパニック障害と睡眠障害も治るなら
病院に行ってみようかな、、
そう思った。


上の写真は
道の駅しもごうからの風景

一人暮らしの怖さ

2021-10-17 06:00:00 | 日記
昨日は、
朝、目が覚めてからも
前日までの旅で
疲れていた。
朝食をとって洗濯をして
お昼はリンゴと柿を食べて、また寝てしまった。

かなりグッスリと寝ていたようで、
目を覚まして時計を見ると、
5時15分。
「ブログのアップをしなくちゃ、
あれれ、どうして17時30分なの?
6時00にしなくちゃ」

ここのところ
ブログアップを6時ぴったりにしていたので
「私のブログの時間がおかしくなってる、、」


思い込みとは怖い。
すっかり、朝と思っていたので
そのままブログを6時にアップしてしまった。
自分は朝の6時だと思っていたけれど、
夕方の6時だった。

気づいたのは、その一時間後。

ちょっとしたパニックになっていた。
落ち着いてから
「あーあ、これだから一人暮らしはなぁ、、」
誰もいないから、こんなバカなことをしても
気づかれないけど、
娘や息子がいたら、
「もう、ボケちゃったんじゃないの?」
と言われるのは間違いない。


札幌のデイサービスで
曜日違いの看護師の方に言われた。
その看護師さんも未亡人で
私とはいろいろと共通のことがあり
何度かお茶をしていた。


その看護師の妹さんは
62才で亡くなられた。

その妹さんは50才の時に、夫を亡くして
60才まで働いていたようだが、
その後、一人暮らしであっという間に
若年性認知症になってしまい、

「あさりさんには、妹のようにならないように
ずっと働いてほしいわ
私も早く気づいてあげていたら」
と言われた。

その妹さんは、
自転車で、昔あった実家に向かっていたようだが、
途中の畑で
仰向けに両手を胸の上で組んで
亡くなられていたとのこと。
畑がお布団の上であったように
安らかな顔だったそうだ。

夫を亡くした時の年も
その妹さんと同じ50才でもあり、
一人暮らしも同じ。
その頃は、私も漠然と
ずっと働こうと思っていた。

今は、もうすぐ仕事を辞めて
2年近くになる。
最後の仕事は
娘の孫の発達障害ということで辞めた。
その仕事のハードさで、
精神が病み、
何度か次の仕事の面接まで行ったけれど、
ストレスに耐えきれなくなってしまい
自分から辞退してしまい
今に至っている。

ふと、その看護師さんの妹さんを
思い出した。


上の写真は、
先日の旅の途中、289号線の見晴らしのよいところで撮ったもの

フラッシュバックはいらない

2021-10-16 18:00:00 | 日記
たかちゃんが亡くなってから数年
フラッシュバックしていた。
たかちゃんの顔、一緒だった光景、しぐさ、、


今は、滅多にない、いや、無い。
いつから無くなったのだろう。

これがあって、苦しかった時期があった。

たかちゃんのことを考えてもない、
思い出してもないのに、
急に頭に浮かぶ、蘇る、たかちゃんの映像。


一緒に歩いた道でのしぐさだったり、
車で迎えに来たたかちゃんに
手を振った時のたかちゃんの顔だったり、
最期の亡くなった時のたかちゃんの顔や
葬儀で安置された棺の中のたかちゃんは、
よくフラッシュバックした。

それがある度に、苦しかった。

ボーっと、掃除機をかけているとき、買い物をしてるとき、歩いている時、何気ない時に、
やってきた。



そんな時、道を歩きながら、
涙が浮かんだならまだいい、
ボロボロと涙が溢れて、どうしようもなく、
下を向いて歩いていた時もあった。

ある時、
満員電車に乗っていたとき
涙が溢れてどうしようもなくしていたら、
ガムをクチャクチャ音をたてて噛んでいた、
怖そうな若者が、

私を人目につかないように、
見えないように立ってくれてた時には、
人を外見で判断してはいけないと思った。
駅で降りるときに、
その若者に無言で頭を下げた。

北海道に行っていた時も
フラッシュバックはあった。



また関東圏に戻って、
難病、癌の余命宣告され入院していた病院に、
カルテ、検査などの書類を取りに行ったときも、
フラッシュバックした。
入院中のたかちゃんが、蘇った。

これが
フラッシュバックした最後の記憶かもしれない。

この書類は、病院に頼んで、
入院、通院していたすべての記録を
お金を出して取り寄せたもの。
5年経過すると処分されるかもしれないので、
電話で取っておくように頼んでいた。

でも、なかなか取りに行こうとしなかった。

書類を取りに行った時、
一階の会計のところで、
入院、通院していた時と同じよう
お金を支払った。


入院していた時の、
たかちゃんの様子の看護記録を読んだとき、
私の知らなかった、たかちゃんがいた。

何日もかけて、読んだ。

癌がわからなかった時期
骨転移していた部位のレントゲン写真のCDを
パソコンで開いて、
ずっと見ていた。

過去をみていても仕方ないことは承知で、こんなことをしていた。




フラッシュバックした時は、たかちゃんを思い出す、懐かしむ、そんなものはなかった。

突然急に、過去に引き戻される、
そして、ただただ悲しくなる。

それは必要ないもの、そう思ってしまう。



たかちゃんが入院していた病院の駅、
電車で通りすぎる時見える病院、
今、行っても大丈夫だろうか、、、

書類を取りに行ってから
鬼門のように、行ってない。
余計な外出をしてない、
コロナのおかげもある。

このフラッシュバックと
セットのようになっているのが、
過去のたかちゃんの写真。

息子、娘に写真だけは捨てないでと言われ、
すべて持っている。

たかちゃんが亡くなってから、
たかちゃんを感じたくて
写真を見ては、泣いていた時期があったが、
今は、ほとんど、いや全く見てない。
部屋に飾ってある写真しか見てない。

フラッシュバックと重なって、
写真の映像までもが浮かびそうだからと
いうこともあるが、、、

フラッシュバックが無くなっただけで、
心が落ち着いてた。

もう、フラッシュバックはいらない。


自分が落ち着いて、
懐かしむたかちゃんだけでいい。

南会津まで、たかちゃんと行ったところをたどる

2021-10-16 06:00:00 | 日記
2021,10,15


一昨日のドックラン付きキャンプサイトに泊まり、
帰ろうかと思っていたら、

友人よりラインが入り、
朝、冷えているなら朝温泉ということで
甲子温泉(こうしおんせん)
旅館大黒屋を教えてもらった。

ナビ設定で那須岳の脇道で、
一山二山越えると
国道289号線に出た。
これをまっすぐ南会津のほうへ向かい、左に数百メートル下ったところに
甲子温泉がある。

車のナビをよく見てなかったのか
通りすぎて
道の駅しもごうまで行ってしまった。





案内を見ると
大内宿(おおうちじゅく)が、ここから22㎞。
行くしかない。
ここは、たかちゃんと15年前頃行ったところ。
また行こうねと言っていた、、

その手前の
塔のへつりにも寄り





また大内宿を目指して







国の文化財になっているが、
ここは普通に所有者が生活して、お店を出している。
15年前より、
特色のあるおみせや
休憩するお店も増えたようだ。
でも、15年前と同じ風景。

突き当たりまで行くと、
みんなこの階段を登るので、
私とワンコも
こんなところがあったんだと思いながら。



ここは、撮影スポットということで


早めのお昼に
ここの縁側で

ねぎをお箸にして、
ねぎをかじりながら
これが名物。

ねぎは食べても2センチがいいところ。


この道はたかちゃんと一緒に歩いた道。

たかちゃんとそばを食べたのかは
覚えてない。
15年の歳月は、
記憶を薄れさせる。



そばは新そばで、なかなか美味しく、
食べながら、向かいのおばあさんが気になり


これは、おばあさんが
取ってきた、つるうめもとき
というもので
山で取ってきて
葉っぱをとって、つるに実を配置したもの。

年を聞いたら90才。
まだまだ足腰が丈夫とのこと。
趣味と実益を兼ねて、健康で何より。

最近、
山に行って
熊に出くわしたことを
話してくれた。

私「それで、どうしたのですか」
おばあさん「逃げたら追いかけられるから、
じっと熊の目を見て睨んでやったら、
向こうから逃げてってくれて命拾いしたよ。

その辺中に、
熊出没しましたという、
黄色い看板をいくつも見かけた。


おばあさんから
まだ暖かい朝つきたての豆餅500円と
つるうめもとき300円
買って満足満足。
写真を撮っていいですかと許可をもらい、
「こんな年寄り、撮ってどうする?」
と照れ笑いしながら。



帰りの車の中で、柔らかいから一つおやつに。

玄関に飾る



最後に
甲子温泉(こうしおんせん)
旅館大黒屋へ


700円、日帰り温泉は15時まで
とても清潔で、大きくもなく小さくもなく、
高級感あり。
露天風呂は川の音を聞きながら、
紅葉はまだでしたが、解放感あり、
とってもよいお風呂でした。

泊まってみたい旅館。





なぜだか、
たかちゃんと行ったところは
今、再び一人で訪ねたいと
思ってしまう。
一時期は、行かれなかったけれど。

以前たかちゃんと
一緒に行ったところを訪ねることは
泣きたいくらいの悲しさはない。

物寂しいというのか、、
残念なだけ、とっても残念なだけ。

死別の理想的な過程の一つに
思い出の場所をたどる、
というのがNHKであったけれど、
どういうこと?

亡くなって月日が浅かったら、
悲しくて泣いていただろう。
でも、7年が過ぎたら
懐かしいのと、とてもとても残念な気持ち。

一人であることを確認して
死別の死を受け入れるってことなのですか?
と聞きたい。


もう7年も経って、
思い出も薄れてきたけれど、
本当に、死別の理想的過程の一つなんだろうか?
私にはわからない。

というより、

反抗的な気持ちになる。
本当に、これをして
死別の理想的な過程になるのですか?
私は、この過程を実践しているわけではなく、
ただ、行きたいから行くわけで。


こんなことを言ってること事態、
私は、
死別の理想的な過程をたどってないと思う。



女心と秋の空

一昨日は幸せを感じ、
昨日は、何かにつっかかり怒りを感じ、

よく、
怒り狂ってる老人がいるが、
そうはなりたくない。

穏やかに淡々と生きたいと思っている。




写真は
道の駅しもごうの駐車場

2021,10,13から2021,10,15までの走行距離
486㎞