今朝は、小学校に
絵本の読み聞かせに行き。

終わってから、校長室で
校長先生&読み聞かせのお仲間から
とても興味深いお話を聞いた

校長先生:「数学で、別々に見ていたものを
統合的に見ていくと、実は、ひとつのものなのです」
「整数のかけ算で、○の2つ分であると言えることが
小数のかけ算だと、○の2つ分であると言えなくなる。
でも、同じひとつのかけ算なんです。
別のものとして見ずに、すべては、ひとつのものなんですよ
という教え方が、ひじょうに難しいんです。」
「数学っていうのは、つめたいものですが
根源的な部分を、言い表しているところがありますね」とも。
・・・なるほど。。
わたしは、どうも高校から、数学は苦手なんだけれど
なんとなく感覚的に、校長先生のお話に感動・・・☆
そして。聞きながら
とても仏教的だなと思う。
もうすぐUPされる「女性2菩薩の部屋」で
昨日も、しんたいさんと熱く語らせていただき
そこでも
「すべては、お念仏ひとつに集約される」
というお話を、させていただいた。
生死は、世間一般には、真逆のことと見るけれど
仏教的には、生死一如。ひとつのもので。
この真実真理に出遇った驚きが、
わたしに
この道を歩ませている。
わたしの苦手とする数学も(笑)
仏教と通じているんだなぁ、、、。
今朝の校長室での感動を
お参りから帰った若院に、しゃべってみた。
すると、若院は俳句の
「客観写生」について語ってくれた。
若院:「花と、花を見ている自分を、さらにその外から
客観的に見つめていくと、その二者以外の他の景色が見えてくる。
自分の目には、見えていないものが、見えてくる。
見えていないところを詠むのが、究極の俳句の境地なんやって」
「客観写生」の他には「花鳥諷詠」というのがあって
花鳥諷詠は「そのまま自然を詠むこと、自分もまた
大自然の中の、小自然であることを忘れずに、やって」


そうなのかぁ、、、
すべては
わたしを、ズームアウトして
おおきな視点をもつことで
あれゆるものは、繋がっていて
ひとつであることが、わかるし
それまで見えていなかったものが
見えてくる・・・
新しい目が開かれるということか・・・
ということは、やっぱり
おおきな命の視点を、借りるしかない
なんまんだぶつ
外は雨だけれど

最高に爽やかな、1日の始まりとなった