今回は滋賀
MIHO MUSEUM
百の手すさび 近代の茶杓と数寄者往来
期間:10月20日(土)~12月2日(日)
前後期拝見しました。
茶杓 銘「川道㐂」千利休作
櫂先長く折撓、蟻腰の典型的な利休形の茶杓。
筒の「川道㐂」は京都の御粽司の初代・川端道喜のこと。また筒裏には「吹毛用了急須磨」と古渓宗陳が書いている。
解説には「利休の書体にはやや研究の余地を残す」とあり筒書には注意が必要だろう。
茶杓 銘「赤壁」千宗旦作
侘びた竹を用い櫂先は剣先、折撓。筒には「赤壁 不審」と宗旦が記す。
「赤壁」は中国の地名。三国志の時代「赤壁の戦い」や蘇軾が詠んだ「赤壁賦」で有名(ただし2つの場所は異なる)。宗旦は後者の意味で名付けたと思われる。
茶杓 銘「渋紙庵」小堀遠州作
露は兜巾形、折撓で節の上下に樋がある。節の上にシミが景色を成す。
「渋紙庵」とは茶人で伊達政宗の茶頭を務めた清水道閑のこと。小堀遠州から道閑に贈られた茶杓は他に数点が知られており、また手紙のやりとりも多い。伊達政宗に道閑を推挙したのも遠州である。
益田鈍翁旧蔵。
茶杓 銘「不鬼」江月宗玩作
上下片身替わりのシミ竹、丸撓の茶杓。
益田鈍翁旧蔵。
今回はなんと茶杓が100点以上も展示されている。大茶杓祭り!
ただやはり私としては近代より近世、戦国から江戸初期の茶杓がもっと見たい!!
まあ今回は近代数寄者がメインなのでしかたがありません。だから是非どこかでやってください!!!
兵庫県は御影
香雪美術館
川喜田半泥子を育てた名品 石水博物館の茶道具
期間:10月13日(土)~12月23日(日)
中院切 伝源実朝筆
藍と紫の飛雲をすき込み、金銀の箔を一面に撒いた料紙に「後拾遺和歌集」を書写した、元は冊子上下二冊本の断簡。鎌倉幕府三代・源実朝筆と伝わる。
江戸時代に公卿で能書であった中院通村が所持していた事から「中院切」と称される。
黒楽茶碗 長次郎作
半筒形、総釉の茶碗。高台内に利休のケラ判が朱書きされている。
「利判 長二郎作 (花押)」と千宗旦の箱書をしている。
竹茶杓 銘 寿 千利休作
櫂先長く、蟻腰・折撓の茶杓。
茶杓はこの他に利休(「寿」とは別)・宗及・遠州のものがありました。
他に利休作一重切花入「音曲」・常慶作黒楽茶碗「ぬり笠」など多数の展示がありました。
本興寺の近く
尼信会館
こちらでは「尼崎城絵図の世界」展を拝見。また常設展示では桜井松平家初代・松平信定所用「浅葱糸威二枚胴具足」や太刀「守家」などの展示がありました。
お次も近く
法園寺
こちらには
佐々成政墓碑
天正16年(1588)領地であった肥後国で起こった国人一揆の責任をとらされ、ここ法園寺にて切腹させられた。
ただしこちらは複製、本物は本堂内にあるそうです
お次は
廣徳寺
享禄4年(1531)、大物崩れの戦いで敗れた細川高国が切腹した場所。そして
「絵本太閤記」によれば天正10年(1582)秀吉が、明智光秀を追討するため、京都山崎へ向う途中、尼崎に着き、付近に禅寺を求めて休憩した話と、伏兵を避けるため逃げこんだ話とが伝わっています。
最後は
尼崎城
元和3年(1617)5万石の大名として入封した戸田氏鉄によって築かれた。
2019年3月復元天守がオープン予定
戸田左門氏鉄公顕彰碑
戸田氏鉄の尼崎転封400年を記念して建てられたもの。
以上で散歩は終了です。
松江歴史館
不昧公200年祭特別企画「きはる庵」月例茶会
「不昧公200年祭にあわせ、毎月1回、第3日曜にお茶席「きはる庵」を開催します。館内にある千利休が関わったとされる「伝利休茶室」で、本格的なお点前を見ながらも、気軽にご参加いただけます。」(公式より)
今回は縁から躙口を入って茶室に入りました。
不昧公200年祭にあわせ2018年4月から開催されている茶会(10月はお休み)。11月はそれまでの風炉から炉に釜を掛ける炉開きとの事。
茶の湯の正月と呼ばれ特別にぜんざいが出てきました。
「気軽にご参加」となっていますが、ぜんざいを食べるのにこれだけ苦労するとは・・・
お菓子は「錦の秋」
「桃山時代を語る名席」とも呼ばれる利休所縁の茶室での一服、是非体験を。
前回の続き
記念館の奥には
絲原家居宅
絲原家は藩政期に松江藩の5鉄師の一人に任ぜられ、鉄師頭取も務めた家。
賓客用の式台玄関
書院
御成門
藩主御成用
庭園
池泉回遊式の出雲流庭園
出雲流の飛び石組
茶室「為楽庵」
四畳半台目
「洗心乃路」露地門
腰掛待合
茶室「庭玉軒」
京都大徳寺の塔頭・真珠庵にある茶室同名ですが、昭和10年近衛文麿が来遊の際に、その紹介で建てたものだそう。
躙口ではなく潜り戸。この内側に
内露地があります
茶室の上り口は貴人口となっています。
本歌真珠庵の庭玉軒に入った事がありますが、控えの間から茶道口を通って入ったので、このアングルからは初めて見ました。
紅葉はこんな感じでした。
前回の可部屋集成館、今回の絲原記念館と「たたら製鉄」の世界を堪能できました。
そして不昧のスタンプラリ-もこれにて終了。それぞれ個性のある場所ばかりで面白かったですねぇ。
スタンプラリーも最後8館目
絲原記念館
たたら製鉄師であった絲原家の歴史を紹介する資料館
不昧公200年記念「奥出雲・絲原家に伝わる茶道具の美」
期間:9月13日(木)~平成31年3月10日(日)
千利休書状
万代屋宗安宛。宗安より依頼された茶碗の鑑定の返書「代金は銀子50両でしょう。内側は良い出来ですが、外側は不出来です」と述べている。
万代屋宗安は堺の商人で、茶人として豊臣秀吉の茶頭も務めた人物。また千利休の娘婿にあたる。
茂三茶碗 銘 秋風
雲州蔵帳上之部所載。日本より注文され朝鮮で作られた茶碗。淡紅色がさまざま景色を成し秋の風情を思わせる。箱書きは不昧による。
利休瀬戸茶入 銘 いその松
利休の指導とも好みともされる瀬戸焼の茶入。箆目に特徴をもつ。
金森宗和が銘名し箱書している。
他にも一行書「直透萬重関」澤庵宗彭筆・「布袋図・蘆雁図」狩野探幽筆・小堀遠州筆和歌二首など拝見できました。
JR木次線でやって来たのは
出雲三成駅
さらにバスで移動して目的地へ
可部屋集成館
「可部屋集成館は隣接する櫻井家に江戸期から伝わる美術工芸品、歴史資料を展示した歴史資料館です。櫻井家は松江松平藩の鉄師頭取を勤め、そこで使われていた“たたら製鉄”の道具や有形民俗資料、藩主お成りの際に使用された掛け軸、床飾り等の調度品などがあります。」(公式より)
そして更には
「櫻井家は島根県奥出雲町にある戦国の武将塙団右衛門の末裔家です。大坂夏の陣で始祖討死の後、嫡男直胤は母方の姓「櫻井」を名乗り広島の福島正則に仕えましたが、同家改易の時広島の郊外「可部郷」に住み鉄山業を営みました。」(公式より)
大名茶人・松平不昧が名付けた名勝 櫻井家庭園”岩浪”
期間:3月20日(火)~12月7日(金)
塙団右衛門直之所用 具足
兜は変わり兜、胴は現在鉄錆地で紺糸威。ちなみにもう一頭団右衛門所用の兜がありこちらも変わり兜(帽子形)。
塙団右衛門直之は大坂の陣で豊臣方として奮戦した武将。功名心が強かったようで何度も独断で動いた為、関ケ原の戦いでは主君・加藤嘉明の勘気を蒙り主家を出たり、大坂夏の陣の緒戦・樫井の戦いではとうとう討ち死にを遂げている。
竹茶杓 銘 時雨 松平不昧作
直腰で櫂先丸形の茶杓、筒には「時雨 紅のちしほの~」と和歌を書き付けて下部に宗納(不昧の別号)を記している。
「若松」扇面 伊川院画
扇面に松を描き、不昧が賛を書したもので、正月にふさわしい作品となっている。
伊川院こと狩野栄信は木挽町家狩野派8代目の絵師。不昧との親交は厚く、伊川院が画を不昧が賛と合作も多く、また工芸品の意匠も手掛けている。
他にも井戸脇茶碗・古萩塩筒茶碗・有沢明々庵(松江藩家老)作の竹花入・酒井抱一筆「日月の図」など拝見出来ました。
塙団右衛門の甲冑は以前から拝見したかったもので、ようやく見れたと感慨深かったです。