前回と同じく

根津美術館

【展示室6】 大師会と根津青山
期間:3月4日(土)~3月31日(金)
崔子玉座右銘断簡 空海(弘法大師)筆
後漢の人・崔子玉の座右銘を空海が草書で書したとされる。元は巻物であった。
高野山金堂の障壁画作成を行なった狩野探幽は代金を受け取らず、この座右銘を代わりに貰い受けた。
後に近代数寄者のひとり益田鈍翁はこの座右銘を入手し披露の為茶会を開いた。それが今も続く大師会の始まりだそう。
芽張柳蒔絵棗
黒漆に金平蒔絵で芽張柳を描いた大棗。
蓋裏に朱漆書きで「織部所持」とあり古田織部が所持していた事が分かる。
正意茶入 銘 六祖
中興名物。後窯正意の作。肩から腰にかけやや下膨れの曲線を示し、総体褐色で一筋黒釉のなだれが景色となっている。
細川三斎により正意の茶入6個に「初祖」~「六祖」と命銘された内のひとつ。
土屋相模守所持で、以降は沼津藩主水野出羽守が所持した。

根津美術館

【展示室6】 大師会と根津青山
期間:3月4日(土)~3月31日(金)
崔子玉座右銘断簡 空海(弘法大師)筆
後漢の人・崔子玉の座右銘を空海が草書で書したとされる。元は巻物であった。
高野山金堂の障壁画作成を行なった狩野探幽は代金を受け取らず、この座右銘を代わりに貰い受けた。
後に近代数寄者のひとり益田鈍翁はこの座右銘を入手し披露の為茶会を開いた。それが今も続く大師会の始まりだそう。
芽張柳蒔絵棗
黒漆に金平蒔絵で芽張柳を描いた大棗。
蓋裏に朱漆書きで「織部所持」とあり古田織部が所持していた事が分かる。
正意茶入 銘 六祖
中興名物。後窯正意の作。肩から腰にかけやや下膨れの曲線を示し、総体褐色で一筋黒釉のなだれが景色となっている。
細川三斎により正意の茶入6個に「初祖」~「六祖」と命銘された内のひとつ。
土屋相模守所持で、以降は沼津藩主水野出羽守が所持した。
南青山

根津美術館

メインは高麗仏画ですが、私の興味は
【展示室5】更紗の魅力
期間:3月4日(土)~3月31日(金)

唐物文琳茶入 銘 白玉
大名物。球形をした小型の茶入。
丸屋林斎が所持していた事から「丸屋文琳」とも呼ばれる。
伝来は林斎のあと東本願寺・仙台伊達家・徳川将軍家・徳川綱吉から松平伊賀守忠周が拝領した。
瀬戸茶入 銘 天筒山
中興名物。口広手の名の通り口が広い。黄釉のなだれが肩から掛かるのが見所。
天筒山とは越前朝倉義景の城があった場所ではあるが、義景所持ではないそう。
小堀遠州所持で、その後は酒井讃岐守・土屋相模守そして松平不昧と伝わった。
井戸茶碗 銘 宗及
大名物。ゆったりと開いた形の高麗茶碗。胴にはやや緑みの釉が流れ見所となっている。
箱に遠州が「井戸 宗及所持」と記しており、堺の商人津田宗及所持であった事が分かる。
堅手茶碗 銘 長崎
中興名物。丸みのある胴は総体に青みのある釉が掛かる。口縁が外へ強く捻り返された堅手では珍しい形。
京の医師・長崎昌斎が所持していた事から「長崎」と呼ばれる。その後小堀遠州が所持し、小堀家から大徳寺の孤篷庵に寄進されのち松平不昧が譲り受けた。

根津美術館

メインは高麗仏画ですが、私の興味は
【展示室5】更紗の魅力
期間:3月4日(土)~3月31日(金)

唐物文琳茶入 銘 白玉
大名物。球形をした小型の茶入。
丸屋林斎が所持していた事から「丸屋文琳」とも呼ばれる。
伝来は林斎のあと東本願寺・仙台伊達家・徳川将軍家・徳川綱吉から松平伊賀守忠周が拝領した。
瀬戸茶入 銘 天筒山
中興名物。口広手の名の通り口が広い。黄釉のなだれが肩から掛かるのが見所。
天筒山とは越前朝倉義景の城があった場所ではあるが、義景所持ではないそう。
小堀遠州所持で、その後は酒井讃岐守・土屋相模守そして松平不昧と伝わった。
井戸茶碗 銘 宗及
大名物。ゆったりと開いた形の高麗茶碗。胴にはやや緑みの釉が流れ見所となっている。
箱に遠州が「井戸 宗及所持」と記しており、堺の商人津田宗及所持であった事が分かる。
堅手茶碗 銘 長崎
中興名物。丸みのある胴は総体に青みのある釉が掛かる。口縁が外へ強く捻り返された堅手では珍しい形。
京の医師・長崎昌斎が所持していた事から「長崎」と呼ばれる。その後小堀遠州が所持し、小堀家から大徳寺の孤篷庵に寄進されのち松平不昧が譲り受けた。
早稲田

早稲田大学 會津八一記念博物館 富岡重憲コレクション展示室

茶の道具
期間:3月1日(水)~4月28日(金)
一重切花生 銘 こ乃君 小堀遠州作
遠州作の竹花入。胴中央に節を取り数ヶ所に雪割れが見られる。
銘の「こ乃君」とは竹の別名で中国の故事より採られた。
備前茶入 銘 霜夜
丸壺形の茶入。備前焼のひとつ伊部手の焼物で黒褐色の地に黄胡麻釉が掛かった景色が見事。
銘は江戸千家の流祖川上不白が付けた。
竹茶杓 蒲生氏郷作
黒々とした茶杓で樋が深く櫂先がぐぃっと持ち上がった姿が武将茶人らしい。
筒には「氏郷作」と仙台藩伊達家で茶頭として仕えた清水道竿が記している。
竹茶杓 銘 松露 烏丸光広作
櫂先の下のみ色が薄いのが特徴的な茶杓。櫂先はゆったりと曲げられ貴族らしい優美な姿だが、露は右肩上がりで個性的。
筒は銘も署名も金泥と珍しい。
富岡コレクションは以前別の場所で拝見し、久々となります。珍しい烏丸光広の茶杓を久々拝見できて良かったです。

早稲田大学 會津八一記念博物館 富岡重憲コレクション展示室

茶の道具
期間:3月1日(水)~4月28日(金)
一重切花生 銘 こ乃君 小堀遠州作
遠州作の竹花入。胴中央に節を取り数ヶ所に雪割れが見られる。
銘の「こ乃君」とは竹の別名で中国の故事より採られた。
備前茶入 銘 霜夜
丸壺形の茶入。備前焼のひとつ伊部手の焼物で黒褐色の地に黄胡麻釉が掛かった景色が見事。
銘は江戸千家の流祖川上不白が付けた。
竹茶杓 蒲生氏郷作
黒々とした茶杓で樋が深く櫂先がぐぃっと持ち上がった姿が武将茶人らしい。
筒には「氏郷作」と仙台藩伊達家で茶頭として仕えた清水道竿が記している。
竹茶杓 銘 松露 烏丸光広作
櫂先の下のみ色が薄いのが特徴的な茶杓。櫂先はゆったりと曲げられ貴族らしい優美な姿だが、露は右肩上がりで個性的。
筒は銘も署名も金泥と珍しい。
富岡コレクションは以前別の場所で拝見し、久々となります。珍しい烏丸光広の茶杓を久々拝見できて良かったです。
今回は東京

永青文庫

春期展示「熊本城 -加藤清正と細川家-」
期間:3/18(土)~6/4(日)

細川忠利像
黒の束帯に太刀を佩く姿の肖像画。賛は沢庵宗彭で寛永十八年忠利没後に製作された。
細川忠利は沢庵宗彭に深く帰依しており、永青文庫には多く沢庵の書簡が残されている。
紅梅鳩図 宮本武蔵 筆
梅の樹にとまる山鳩を描いた水墨画。真っ直ぐに伸びた若枝の描写は気迫があり剣の一振りを思わせる。ただし武蔵の画とするには上手すぎるとの評価もあるところ。
細川忠利所用 紫糸素懸威鉢巻形兜
表面を銀泥塗とした鉢巻形の変り兜。
忠利の甲冑としては島原の乱で着用した具足があり、それは父忠興に倣った具足だが、忠利自身はこのような兜を好んでいたのかも知れません。
細川忠利所用 羅紗陣羽織 淡茶紅裾替わり
袖なしで陣羽織よりマントに近い形状をしている。裾以外は薄茶色、裾が紅色。この様に一部分のみ紅色にするのは忠利の甲冑の草摺にも見られ意匠。
今回は熊本城に関する展示でした。そうあの地震から1年。
何度も訪れた熊本城の復活を心待ちにしています。またあの天守から町並みを眺めてみたいものです。

永青文庫

春期展示「熊本城 -加藤清正と細川家-」
期間:3/18(土)~6/4(日)

細川忠利像
黒の束帯に太刀を佩く姿の肖像画。賛は沢庵宗彭で寛永十八年忠利没後に製作された。
細川忠利は沢庵宗彭に深く帰依しており、永青文庫には多く沢庵の書簡が残されている。
紅梅鳩図 宮本武蔵 筆
梅の樹にとまる山鳩を描いた水墨画。真っ直ぐに伸びた若枝の描写は気迫があり剣の一振りを思わせる。ただし武蔵の画とするには上手すぎるとの評価もあるところ。
細川忠利所用 紫糸素懸威鉢巻形兜
表面を銀泥塗とした鉢巻形の変り兜。
忠利の甲冑としては島原の乱で着用した具足があり、それは父忠興に倣った具足だが、忠利自身はこのような兜を好んでいたのかも知れません。
細川忠利所用 羅紗陣羽織 淡茶紅裾替わり
袖なしで陣羽織よりマントに近い形状をしている。裾以外は薄茶色、裾が紅色。この様に一部分のみ紅色にするのは忠利の甲冑の草摺にも見られ意匠。
今回は熊本城に関する展示でした。そうあの地震から1年。
何度も訪れた熊本城の復活を心待ちにしています。またあの天守から町並みを眺めてみたいものです。
お次も大阪

大阪城天守閣

テーマ展 「桃山のTAKUMI―意匠・技巧・工匠―」
期間:3月18日(土)~5月7日(日)

秋草蒔絵硯箱
菊や萩など秋の草花を蒔絵とした硯箱。元々は豊臣秀吉が酒を燗するのに用いた鍋蓋であったが、秀吉より五島玄雅が拝領後硯箱に仕立て直した。肥前福江藩五島家伝来。
近衛信尹書状
閏十一月六日付。島津家の家臣に宛てた書状で関ヶ原合戦の翌年のものとされる。
内容は島津義久に上洛を促すもので、徳川と島津の戦後交渉の仲介役を信尹が務めている様子がみられる。
桐唐草文蒔絵矢筒
桐と唐草を蒔絵で表した矢を収納する為の容器。
豊臣秀次より家臣の雀部重政に与えられた。
雀部重政は別名・蒔田淡路守といい、千利休切腹の際には見届け役または介錯人を務めた。その後豊臣秀次切腹の時は介錯を行なったのち殉死している。
全く全然紹介していませんが、甲冑や刀剣の展示も多かったです、特に陣羽織は勢揃いだったのではないでしょうか?

大阪城天守閣

テーマ展 「桃山のTAKUMI―意匠・技巧・工匠―」
期間:3月18日(土)~5月7日(日)

秋草蒔絵硯箱
菊や萩など秋の草花を蒔絵とした硯箱。元々は豊臣秀吉が酒を燗するのに用いた鍋蓋であったが、秀吉より五島玄雅が拝領後硯箱に仕立て直した。肥前福江藩五島家伝来。
近衛信尹書状
閏十一月六日付。島津家の家臣に宛てた書状で関ヶ原合戦の翌年のものとされる。
内容は島津義久に上洛を促すもので、徳川と島津の戦後交渉の仲介役を信尹が務めている様子がみられる。
桐唐草文蒔絵矢筒
桐と唐草を蒔絵で表した矢を収納する為の容器。
豊臣秀次より家臣の雀部重政に与えられた。
雀部重政は別名・蒔田淡路守といい、千利休切腹の際には見届け役または介錯人を務めた。その後豊臣秀次切腹の時は介錯を行なったのち殉死している。
全く全然紹介していませんが、甲冑や刀剣の展示も多かったです、特に陣羽織は勢揃いだったのではないでしょうか?
今回は大阪

藤田美術館

ザ・コレクション
期間:3月4日(土)~6月11日(日)

曜変天目茶碗
国宝。言わずと知れた唐物茶碗の最高峰。見込みの斑紋が美しい輝きを放ち、まるで小宇宙のように観るものを幻惑する。
徳川家康より水戸藩主・徳川頼房に伝わり以降水戸徳川家に伝来。大正七年の売立により藤田家の所持となった。
玉子手茶碗 銘 薄柿
玉子手は高麗茶碗の一種で薄い黄みがかった乳白色の肌を持つ茶碗。胴の上部には網目のように貫入がめぐっている。
箱蓋には小堀遠州が「高麗 薄柿」と記している。土浦藩主・土屋相模守所持。
碁盤形蒔絵香合
八幡名物。細かな金粉をまいた蒔絵に黒漆で碁盤の目を引いた香合。室町幕府八代将軍・足利義政が所持した碁盤を模したとされる。
松花堂昭乗所持で、松花堂茶会記では寛永九年(1632)九月廿四日の江月宗玩、小堀遠州等を招いた茶会、同十一月三日の関白・近衛信尋を招いた茶会で使用されている。
藤田美術館のHPによると、この展覧会が終了すると現施設の全面的な建て替えを計画しているそうです。現在の展示棟は蔵を改修したもので夏・冬には展示ができないし、展示には向かない建物ではありますが無くなるとなると少々寂しいものです。

藤田美術館

ザ・コレクション
期間:3月4日(土)~6月11日(日)

曜変天目茶碗
国宝。言わずと知れた唐物茶碗の最高峰。見込みの斑紋が美しい輝きを放ち、まるで小宇宙のように観るものを幻惑する。
徳川家康より水戸藩主・徳川頼房に伝わり以降水戸徳川家に伝来。大正七年の売立により藤田家の所持となった。
玉子手茶碗 銘 薄柿
玉子手は高麗茶碗の一種で薄い黄みがかった乳白色の肌を持つ茶碗。胴の上部には網目のように貫入がめぐっている。
箱蓋には小堀遠州が「高麗 薄柿」と記している。土浦藩主・土屋相模守所持。
碁盤形蒔絵香合
八幡名物。細かな金粉をまいた蒔絵に黒漆で碁盤の目を引いた香合。室町幕府八代将軍・足利義政が所持した碁盤を模したとされる。
松花堂昭乗所持で、松花堂茶会記では寛永九年(1632)九月廿四日の江月宗玩、小堀遠州等を招いた茶会、同十一月三日の関白・近衛信尋を招いた茶会で使用されている。
藤田美術館のHPによると、この展覧会が終了すると現施設の全面的な建て替えを計画しているそうです。現在の展示棟は蔵を改修したもので夏・冬には展示ができないし、展示には向かない建物ではありますが無くなるとなると少々寂しいものです。
特別公開を利用しての茶室廻り

久昌院

奥平信昌の創建
見所として信昌の活躍した長篠合戦の襖絵などがあります。
さて肝心の茶室ですが、
遠州別好ノ席
三畳台目に給仕用板間が付いた間取り。天井も船底天井などを複合した造りで、かなり変化のある茶室でした。
お次は

西翁院

天正12年(1584)呉服商・藤村源兵衛が創建した金戒光明寺の塔頭寺院。
お茶室は
澱看席
貞享2年(1685)頃に宗旦四天王のひとりで藤村源兵衛の孫である藤村庸軒が造った茶室。
澱看席の「澱」とは淀川の事で南面の窓より淀・山崎方面まで遠望する事が出来たことに因む。
この席最大の特徴は、点前座と客座の仕切り「宗貞囲(道安囲)」がある事だろう。
最後は

聚光院

永禄9 年(1566) に三好義継が三好長慶の菩提を弔うために創建した大徳寺塔頭。
方丈庭園は利休作と伝わり、境内墓地には利休をはじめとする三千家の墓が有る。
茶室は
閑隠席
利休150回忌の際に表千家七代如心斎により寄進された茶室。
内部は三畳。古風な造りで窓も少ない利休好みの席。
枡床席
閑隠席の約七十年後に造られた四畳半の茶室。
半畳を踏み込み式の床の間とする「枡床」とし、これが席名の由来となっている。
天井が高く、また入口は貴人口にするなど開放的な造りは閑隠席と対比を成す。
三ヶ所の茶室を廻りましたが、それぞれ好みの違いにより見所も様々で面白かったです。

久昌院

奥平信昌の創建
見所として信昌の活躍した長篠合戦の襖絵などがあります。
さて肝心の茶室ですが、
遠州別好ノ席
三畳台目に給仕用板間が付いた間取り。天井も船底天井などを複合した造りで、かなり変化のある茶室でした。
お次は

西翁院

天正12年(1584)呉服商・藤村源兵衛が創建した金戒光明寺の塔頭寺院。
お茶室は
澱看席
貞享2年(1685)頃に宗旦四天王のひとりで藤村源兵衛の孫である藤村庸軒が造った茶室。
澱看席の「澱」とは淀川の事で南面の窓より淀・山崎方面まで遠望する事が出来たことに因む。
この席最大の特徴は、点前座と客座の仕切り「宗貞囲(道安囲)」がある事だろう。
最後は

聚光院

永禄9 年(1566) に三好義継が三好長慶の菩提を弔うために創建した大徳寺塔頭。
方丈庭園は利休作と伝わり、境内墓地には利休をはじめとする三千家の墓が有る。
茶室は
閑隠席
利休150回忌の際に表千家七代如心斎により寄進された茶室。
内部は三畳。古風な造りで窓も少ない利休好みの席。
枡床席
閑隠席の約七十年後に造られた四畳半の茶室。
半畳を踏み込み式の床の間とする「枡床」とし、これが席名の由来となっている。
天井が高く、また入口は貴人口にするなど開放的な造りは閑隠席と対比を成す。
三ヶ所の茶室を廻りましたが、それぞれ好みの違いにより見所も様々で面白かったです。