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SENgoKU anD VISIon -乱世を追う-

戦国・江戸時代 武将 甲冑・刀剣・茶道具 博物館・美術館・城・茶室などを巡る拝見記。その他の雑記もあり。

林原美術館 企画展「戦国の雄 池田家」

2012-01-30 | 探訪
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岡山城

今回は岡山にやって来ました。

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林原美術館 企画展「戦国の雄 池田家」
期間:10月30日)~12月25日
「戦国から江戸時代にかけて活躍し、池田家の築いた武将にまつわる文書・武具・所用の品々を展示し、池田家の系譜を振り返ります。」

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池田恒興 肖像画
池田輝政 肖像画
池田利隆 肖像画

池田家の礎を築いた3代の其々の肖像画、現在は恒興が鳥取県立博物館の所蔵で他の2人は林原美術館所蔵となっていますが、もとは3幅1セットで作られたものだそうで今回約350年ぶり一堂に集まったとの事。
池田恒興所用 黒塗黒糸威桶側胴具足
立物のないシンプルな頭形兜。胴は横板矧二枚胴。
恒興は織田信長の家臣であるが母(養徳院)が信長の乳母であり、恒興は信長の乳兄弟という立場であった。
信長の死後は柴田勝家・羽柴秀吉・丹羽長秀と共に四宿老となるが1584年小牧・長久手の戦いで戦死。
伽羅・袴裂
小牧・長久手の戦いで戦死した際に池田恒興が所持していた香木(伽羅)と着用していた小袴の一部(袴裂)と伝わるもの。
池田輝政所用 黒塗黒糸威頭形兜
恒興の兜に似てシンプルであるが、こちらは元々は前立があったようだ。
輝政は恒興の次男であるが、兄も小牧・長久手の戦いで戦死した為に輝政が家督を相続している。
豊臣秀吉の下では大垣・岐阜・吉田城主を務め、関ヶ原合戦後に播磨姫路52万石に加増のうえ転封。
現在見られる姫路城は輝政時代に築城された。
池田利隆所用 陣羽織
背に日輪が付いているが派手な印象ではない。
利隆は輝政の嫡男。関ヶ原合戦、大坂の陣に参戦するが1616年33歳の若さで亡くなっている。
跡は子の光政が継いだものの幼少を理由に鳥取に減転封(42万石→32万石)されている。
池田忠雄追悼歌 池田光政筆
1632年岡山藩主・池田忠雄が亡くなると幕府は家督を継いだ光仲が幼少であり要地岡山を治め難いとし鳥取藩主であった池田光政との国替えを命じた。
この追悼歌は光政が岡山に入る直前に記したもので、幼くして父を亡くしていた光政が叔父である忠雄を父のように慕い、亡くなった事を悲しんでいる様子がうかがえる。

こうして岡山藩池田家が確立されたのですが、どうも岡山での池田家は地味な感じで宇喜多家のが著名なような・・・
姫路城に関しても池田輝政のイメージがあまり無いような感じですが、どうしたもんでしょう・・・

丸亀市立資料館 「浅井三姉妹 初と京極」展

2012-01-29 | 探訪
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丸亀城

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丸亀市立資料館 「浅井三姉妹 初と京極」展
期間:10月15日~11月27日
「近世大名家としての丸亀京極家につながる礎を築いた京極高次、忠高、高和三代に関わる資料や数々の遺品を一堂に公開します。」
タイトルからも大河ドラマ「江~姫たちの戦国~」の影響が伺えます。「初」が先で「京極」が後なんですねぇ。展示は無料そしてオールカラーのパンフまでいただけましたよ。

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京極高次 肖像画
高次は織田信長や豊臣秀吉に仕え、大津城主・小浜城主等を歴任した。浅井三姉妹の次女・初(常高院)を正室とし秀吉の側室となった姉(妹とも)竜子の存在もあって蛍大名などと呼ばれる事もあるが、零落していた名門京極家を立て直した事には間違いない。
松の丸(京極竜子)所用 皺皮包一枚胴具足
胴は皺韋包で正面に「折敷に三文字」紋あしらわれ、兜には脇立用の角本があるが立物はない。
京極忠高 肖像
忠高は二代目小浜藩で後に松江藩24万石を領した。これは江戸時代の京極家最大石高であり近世大名京極家の全盛期であったともいえます。
忠高は高次の長男であるが初(常高院)の子ではない。正室の初姫は徳川秀忠と江の子であり、子を生さなかった初(常高院)としては妹の子を京極家に入れる事によって少しでも影響力を持とうとしていたのかもしれません。それを知っていたのか忠高と初姫の仲はあまり良くなかったようです。
脇差 ニッカリ青江
大阪冬の陣の際、徳川との和解に尽力した京極忠高に豊臣秀頼が与えたもの。柴田勝家や丹羽長秀も所持し、その後豊臣秀吉に渡った。
京極高和 肖像画
高和は忠高の甥。松江藩主であった忠高に継嗣が無いまま亡くなった事から京極家は改易処分となりますが、長年の忠義により高和に龍野6万石が与えられます。後に丸亀に移り京極家は幕末まで丸亀藩主として続きました。
多賀家伝来 白萌黄糸威朱塗二枚胴具足
炎の脇立が印象的な甲冑。京極家の家老を務めた多賀家に伝わった。

彦根城博物館 企画展 「武門の絆-徳川将軍家と井伊家-」

2012-01-22 | 探訪
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彦根城博物館 企画展 「武門の絆-徳川将軍家と井伊家-」
期間:10月28日~11月27日
「井伊家の地位と役割、徳川将軍家との関係を、政治・儀礼・文化など多様な側面から紹介します。」(公式より)
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東照宮御影(4月17日拝礼
徳川家康の命日に将軍とその近親のみが拝礼した特別な肖像画。現在でも重要なものであるらしく、借り先より早く返せと言われるくらいのものだそうw
徳川家康所用 歯朶具足
関ヶ原合戦にて家康が着用し、大阪の陣でも身近に置いた特別な甲冑。「歯朶具足」の名は附属の前立が歯朶の葉をかたどったものだからなのだが、兜には何故かこの立物を付ける装置がない。
井伊直政画像
彦根藩井伊家の藩祖。束帯姿で死後間もなくに描かれたそう。
井伊直孝画像
直孝は直政の次男。兄が病弱であったことから直孝が家督を継承したとされています。
大老職に代表される井伊家の役割は直孝時代に形成され代々引き継がれていったそうです。
唐物肩衝茶入 銘 初花
楢柴・新田と並ぶ天下三肩衝のひとつ。足利義政が所持し「初花」の銘も義政がつけた。信長・秀吉・家康も所持した大名物。
井伊直弼画像
桜田門外の変で亡くなった大老井伊直弼の肖像画で亡くなる直前の正月に描かせたとされる。
直弼の後は子の直憲が継いだが、井伊家の幕府における役割は終えたともいえる。
蕪蒔絵螺鈿鞍
徳川家茂が井伊直弼に与えた品で元は徳川吉宗の常用品。

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彦根城

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天秤櫓特別展~甲冑でみる武将(おとこ)たちの関ヶ原

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こちらが西軍

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こちらが東軍となっております。

レプリカですがこれだけ大量にあると見応えがあります。
もちろん本物が一番ですが。

京都国立博物館 「細川家の至宝」展

2012-01-15 | 探訪

京都国立博物館 「細川家の至宝 珠玉の永青文庫コレクション」
期間:10月8日~11月23日

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「展覧会は、前半が細川家に伝来した作品、後半が護立のコレクションを中心に構成されています。歴史を見抜いた確かな目が選んだ名品から、さらに厳選された至宝の数々を、この機会にぜひともお楽しみください」(公式HPより)
私の関心は前半部分でしたが、後半の絵画等も興味深かったです。なお展示替えがあり2度観ています。

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細川忠興所用 黒糸威二枚胴具足
山鳥の尾の頭立が特徴的な越中頭形兜。忠興が関ヶ原合戦で用いた具足。
2009年に熊本で拝見して以来久々に観ました。

細川藤孝所用 柏木菟螺鈿鞍
鎌倉時代の鞍で藤孝が室町幕府13代将軍である足利義輝より拝領したと伝わります。

細川忠利所用 紫糸素懸威鉢巻形兜
布を前結びした様を模した変り兜で初代熊本藩主である忠利の兜。

織田信長自筆感状
堀秀政副状

細川忠興の戦功を称した信長直筆の書状。堀秀政の副状にも信長直筆の旨が記されている。
信長の直筆文書は希少だそうで、確実なものはこの一通のみ(可能性のあるものも数件だそう)。

細川忠興所用 露払
細川ガラシャが夫である忠興のために織って仕立てた衣装で雨具として用いられたもの。

唐物尻膨茶入 利休尻ふくら
千利休の所持品で豊臣秀吉主催の北野大茶湯でも使用された名物茶道具のひとつ。

茶杓 銘 ゆがみ 千利休作
利休自作の茶杓で元は細川三斎(忠興)が所持していたが、親交のあった賤ヶ岳の七本槍のひとり平野長泰に贈ったもので、後に平野家より熊本藩4代藩主細川宣紀に再度贈られた。三斎はこれを最高の茶杓であるとしている。
「ゆがみ」の由来は節の上から左に傾いていることからだとされていますが、利休はこの形状で何を表現したかったのでしょうか。

安国寺恵瓊所用 短刀 名物 庖丁正宗
「庖丁」の名をもつ正宗は3口現在しているが、これは毛利家の外交僧だった安国寺恵瓊が所持していた物。
関ヶ原合戦後に恵瓊を捕縛した奥平信昌の手に渡っている。

生駒一正所用 刀 金象嵌銘 光忠 生駒讃岐守所持
生駒親正の子で織田信長や豊臣秀吉に仕えた生駒一正の所持品と伝わる。

大名家の伝来品(近代の収集品も含まれるが)の中でも質・量ともにトップクラス。現在は九州国立博物館での展示がスタートしているが、観て損のない特別展だと思います。

注目はコレだ! (2011年10月から12月)

2012-01-04 | 探訪
2011年10月(土佐行の残りも)から12月。個別記事以外で注目の展示品を紹介

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宿毛歴史館 企画展「山内家伝来の美術工芸品in宿毛」
期間:9月16日~11月6日
毛利勝永所用 白糸威水牛兜
普通「水牛」兜だと脇立に水牛の角が付くが、これは兜自体が角の形をしている。銀色の巨大な角が素晴らしい一品。

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大坂青山歴史文学博物館 特別展「天下統一-信長と戦国の武将たち-」
期間:10月1日~11月27日
織田信長所用 軍配団扇
元は金箔押であったが、現在はほとんど剥落している。長篠合戦の時に信長から丹羽長秀に与えられ以降、丹羽家に伝来した。

福井市立郷土歴史博物館 館蔵品ギャラリ ー「真田幸村ゆかりの品」
期間:9月6日~10月30日
真田幸村所用 六十二間小星兜
真田幸村所用 薙刀
真田幸村所用 采配

大坂夏の陣で幸村を討ち取ったとされる西尾家に伝わり、兜はいつの時点にか外部に流出、それ以外は越前松平家に献上された。

長浜城歴史博物館 特別企画「関ヶ原合戦と石田三成」
期間:10月1日~11月4日
真田昌幸所用 昇梯子皺韋包二枚胴具足
矢沢頼幸所用 唐冠形兜(豊臣秀吉より拝領)

この他にも昌幸が秀吉より与えられた蓮華王の茶壷・卯の花の茶壷等、石田三成ではなく真田家の展示みたいになってました。
矢沢頼幸の兜は2006年以来久々に観れて良かった。

斎宮歴史博物館 特別展「後醍醐‐最後の斎王とその父‐」
期間:10月8日~11月13日
騎馬武者像
「足利尊氏像」として有名な画であるが、現在では尊氏家臣である高師直またはその一族のだれかと考えられている。どちらにせよ兜をかぶらず総髪で刀を肩に担ぐ、その荒々しい姿は時代を代表する作品だと思う。

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松阪市文化財センター 特別展「氏郷の遺したもの」
期間:10/9~12/4
蒲生氏郷所用 具足
氏郷が初陣で着用したと伝わる。完全な形で残っておらず、威糸がないためバラバラの状態であるのが残念である。

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奈良国立博物館 「第63回正倉院展」
期間:10月29日~11月14日
黄熟香(蘭奢待)
足利義政、織田信長、明治天皇など歴代の権力者が切り取った天下第一の名香。14年ぶりの公開だそうで、人だかりが凄かったです。

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<大阪城天守閣復興80周年記念特別展>天守閣復興
期間:10月8日~11月27日
豊臣秀吉所用 富士御神火文黒黄羅紗陣羽織
噴火する富士を表現した大胆意匠の陣羽織。

遊就館 名作「刀剣・甲冑展」
期間:11月12日~12月11日
黒漆塗兎耳形兜
長く伸びた兎耳が特徴的。豊臣秀吉から大津の京極家に贈られたとも伝わる一品。
日根野高吉所用 唐冠形兜
日根野三代(弘就・高吉・吉明)が考案「日根野頭形兜」を用いた兜。脇立は鍾馗を象ったものとされています。
高吉は豊臣秀吉より諏訪を与えられ、浮城とよばれる高島城を築いた。
福島正則所用 鉄錆地十二間兜
奈良の甲冑師「春田宗定作」の銘がある。福島正則より家臣の堀田兵部へ与えられた兜。
九鬼守隆所用 軍扇
守隆が朝鮮出兵の際に用いたと伝わる。