響きあうA"LIFE & ~『ピッコロの冒険』~

ピッコロの自分探し、広大な内なる意識へと冒険の旅の物語
&つれづれの内なる対話、 A"LIFE&ONENESS

ウオッチング ”デズモンドモリス”

2011-01-28 18:12:47 | 冒険者たちへのオマージュ

 

 

それから
『モリス自叙伝-動物とわたし』も面白い。 角川書店

彼らしいユーモアのサービス精神に貫かれていて、彼の育った環境や、パートナーとの出会い、動物達との愉快なエピソード満載です。

 

*ひとつ抜粋
彼の先生のひとりであるノーベル賞受賞、雁の研究、”刷り込み”で有名な、コンラート.ローレ

ンツ博士のガチョウの研究観察のフィールドワークでのこと。

ローレンツ博士はガチョウを何世代も続けて飼育し、その間、つがいや社会的関係を記録して

いた。ある日彼は若い女性の助手につがいの記録を調べて、ガチョウは誠実に一夫一婦を守っ

ていると考えられている点を確かめるように頼んだ。 

 

しばらくして戻ってきた助手のお嬢さんは、

意外にも、「ある割合で実際には浮気をしている夫婦があります」と告げた。

 

これを聞いたローレンツがちょっと困った顔をした。

すると、この助手嬢は先生を元気づけようとしてこう言ったそうである。

 

「気になさることは在りませんわ、先生、ガチョウも所詮人間ですもの」これには教授も大笑いをしたとか。


モリスは、若い頃から美術へ傾倒していて自作の前衛的な映像なども創ったりして、

アマチュア映画賞まで受賞しています。

 

その後は、生物学へと膨大な時を過ごすことになりますが、

そんなアート嗜好と相まって、社会に出た若きモリスは、動物の行動や可能性を紹介するテレビシリーズの番組を作り、それは人気番組となっていました。(その頃助手の一人が、後にアフリカでチンパンジーの研究でノーベル賞を受賞した、ご存知ジュイン.グドールだったそうです)

 

その時の人気レギュラーがチンパンジーのコンゴでした。

ふとしたきっかけで、ひらめいたモリスは、コンゴに絵筆を与えます。

コンゴは絵画に、素早く能力を発揮します。

 

1957にはロンドンで、コンゴによるペインティングやドローイングの展覧会も主催することになったのです。

 

その際、そのギャラリーは、人間の?アーテストのれっきとしたギャラリーだったので、

猿!?の絵を展示することに対して、美術界に物議をかもしたのです。

 

しかし、当のギャラリーがコンゴの作品を立派なアートとして認め、展覧会は実現したのでした。


彼の絵は買い手あまたで、思うにコンゴは当時過労気味だったんじゃないでしょか?


 

ここでコンゴの絵をみることができます。
http://www.artistsezine.com/WhyChimp.htm

コンゴの作品、色彩感覚がいいですよね。

 

若い頃から描いていたモリス自身も50歳を超えた頃、

あらためて、シュールレアリズムの画家としてデヴュウ!ご覧下さい。

何冊かの本の表紙を飾ったりもしています。

 

デスモンド.モリスの絵の、きれいなサイトです。
http://www.desmond-morris.com/dm_art/late.htm

 

 

自伝を読むと若い頃から美術や映画の作風は、もともと、シュールレアリズム!

本人のキャラクターもそうだし、

デズモンドモリスは、生まれつき普遍的知性に支えられた前衛の人だったんだな..。

 

学生時代からの人生のパートナー、ラモーナとはうらやましいくらい絶妙な相性。

ふたりの冒険的なさまざまなエピソードも、この自伝に見ることができます。

 

 

そうそう、ひとつモリスの面白い発見がありました。

あるとき、アルタミラの洞窟絵を見物に行った彼は、動物達の絵を見て何か変!と妙に気にな

るのですが、いったい..なぜ気になるんだろう?と。



 

実は、

その後、気づくんですが、それは生きていた動物を礼賛した絵ではなく、狩りをした獲物、

つまり死んだ動物を描いたんだ!いう発見!狩りへの感謝の儀式だったのかもですね?

 

このことって洞窟絵の意味あいが、全く違ってきますよね?!

 

 

最後にデスモンド.モリスへのオマージュとして、

エーゲ海の旅行社のサイトに、彼自身の一番最近の (2008年10月24日)ポステイングした家族写真を御紹介!





デズモンド モリス 1『裸のサル』

2011-01-15 12:19:05 | 冒険者たちへのオマージュ

 


デズモンド・モリス(Desmond Morris、1928年1月24日 - )は、イギリスの動物学者。動物行動学と人間行動学に関する啓蒙的な著作で知られる。


カールセーガンを想起する時、同時にデズモンド.モリスに連なります。

デズモンド.モリスの『裸のサル』同じ想いを持っていらっしゃる方も多いんじゃないでしょうか。

この本も、『エデンの恐竜』と同じく、種としての人というものをベーッシックに受け入れることが出来たという私にとってエポックな本です。
 

 

日常的生涯読書趣味の私ですが、本をピックアップすることに於いて、一切、何の紹介とか見るでもなく、本屋でその都度、自分の嗅覚に導かせて、買うんですが..。 

私の”裸のサル”との出会いというのが..
 

あるとき(随分昔ですが)、テレビの深夜番組で、タイトルも知らないまま..面白そうな出だしの映画が始まって.....

それは博物館らしいところで、原人からホモサピセンスまで、等身大のケースが並んでいるらしいんです。

一人の男性の足下がアップで映されて、次々と標本のケースを見ていく様子。ケースも当然足下しか映りませんが、そこに人類の進化の推移に伴って猿から原人というふうに、ネームプレートが映し出されていきます。

その男性は次々と標本の前に立っては、移動して、最後にホモサピエンスの標本の前で立ち止まります。(最初から、ずっと、このくだりはすべて足下だけ映されていきます)

そして、その男性は、ホモサピエンスのネームプレートの位置で、おもむろにズボンを脱ぎ、裸になって、ホモサピエンスのケースに立つのです。(ここも足下だけを映して想像させるんですが..)

ふ~~ん?この映画って、な~~に?と興味を引かれ見てしまったのが、映画「裸のサル』でした。(1973年の作品)

人類10万年の歴史を性の営みを通して軽く描いたユニークなコメディなんですが、随所に、しゃれたアニメーションも挿入されていて、これが、かなり、いい!

全編軽妙で面白く..この映画ちょっと風変わりで、強く印象に残ったのでした。

 

それから、数年経った頃でしょうか、あるとき本屋で文庫本の『裸のサル』に遭遇!
あの映画の原本があったなんて!と、大喜びで買いました。

今は細かいところは忘れていますが、その内容は私の中にしっかり入っていると思います。おかげさまの本のひとつです。
 

 

まさに”裸のサル”という観点が画期的だったんですね。人という種の様々な行動、表現が、たとえ、服を着て、そしらぬ顔をしているようでも、他の生物と同じように、いかに本能に支配されているか...

いい意味で思い知らされたと同時に、人の(自分をふくめて)本能の発露に対する、余計なあれこれの批判じみた、それまでの抑圧的な観念的思考を、自他ともに向けることを排除してくれました。



人間を他の生物と並列に考察したこの本で、私たち人間は、いくらか謙譲になったんじゃないでしょうか?

そういう意味でデズモンド.モリスの功績は大きいですね。


彼のキャラクターはイギリス人的なユーモアーに充ちていて、チャーミングな人柄、

好きな学者です。

カールセーガンと同じように闊達で精力的な科学のセールスマンですね。

その後は、有名な『マンウオッチング』や...様々なウオッチングシリーズ..

彼は、日本にも来日して、花見で浮かれる日本人、大の相撲大好き、日本人ウオッチングもしていましたね。

下はウキペデイアのデズモンド.モリスのサイトです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%82%BA%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%A2%E3%83%AA%E3%82%B9

 

書ききれないほどの沢山の著書がありますが、

やはり名著『裸のサル』でしょ!



(そうそう、それからずっと後にビデオショップで、映画『裸のサル』を偶然見つけて、借りて再び見た覚えがあります。興味がある方、チャンスがあったら是非!珍品です。映画館未公開ですし。)


 

デズモンド モリスは,つづく~

 

 

 

余談ですが、
その頃私は、『裸のサル』から興味が派生していって、いくつか読んだ本の中で、これもアメリカではベストセラーだった『ノンバーバルコミュニケーション』という本がありました。

イラスト入りの、あえて軽い感じの作りの本でしたが、非言語コミュニケーションにおける、メッセージのやりとり、無意識的意識的な人の情動の表現を解説した内容で、これは具体的に、私のコミュニケーションの領域を広げてくれました。これも感謝!

言葉以外のメッセージを読み取る非言語コミュニケーションは、たがいの感情を正確に読み取ることを、より可能にします。

言いにくいこと、聞きにくいことなど、それを使えば、ストレスも減って、理解度も自由度も増しますしね.(*^_^*)
 


『ノンバーバル・コミュニケーション—ことばによらない伝達』
W.フォン・ラフラー・エンゲル

 

 


カール セーガン『エデンの恐竜』1

2010-12-25 03:25:09 | 冒険者たちへのオマージュ



  カール・エドワード・セーガン       
  (Carl Edward Sagan 1934-1996 )

  ”エデンの恐竜 ”ー 知能の源流をたずねて
          はるかな記憶 - 人間に刻まれた進化の歩み 
          百億の星と千億の生命

                              
  この本には随分と思い入れがあります。
  もう30年近く前?!になりますが、
  この本を読んだ時,とても興奮しました。
  目からウロコ!がこの本にいっぱい詰まってました。

  私はカールセーガンのファンです!
 「僕も!」そんな自己紹介で親友になったボーイフレンドもいましたね。

 『エデンの恐竜』は、
  人の意識を含めた私なりの宇宙観の科学的考察の基盤になった本のひと
  つです。今,久しぶりに思い出してみると、
  あらためて"カール セーガン"へのオマージュ..大きいなあ..と感じ
  ます。


  宇宙の歴史150億年を一年間の年表にした    
  あの「宇宙カレンダー」の発明!それは衝撃的でした。

  あのとき始めて、ビッグバーンから、人類が出現した悠久の150億年
  のスパンを一年のカレンダーから把握することができました。
  人類の出現が、12月31日の大晦日とは!

  あの宇宙カレンダーは、それ以来、あたりまえのように引用されています
  よね。

  宇宙の広大さ、銀河や星の数は、まさに天文学的数字そのものですが、
  私がその時に感銘したのは、脳細胞もまた、天文学的数字だという..
  その実感をもてたこと。


  それって?!
  感じたのは...宇宙のスペースと脳のスペースは同じじゃないかという..

  それ以来、私が内視野で描く広義の意識のイメージは、
  自分の脳から広がり出て、宇宙へとスペースがつながっている、
  そんなイメージになってます。

  そのように私たちは、宇宙とスペースを共有してるんだろうと。
  つまり、すべてはひとつ..


  そして、もうひとつ、
  脳細胞の情報回路シナプスがビットという二乗、二乗で広がっていくと
  いうこと。

  このことをイメージできたのも、興奮!でした。
  脳の神経細胞の伝達のすごいスピード感と広がりを想像したりして!


  私は、その伝達のスピードって、ひょっとしたら光速を超えているんじゃ
  ないだろうか?!などと思ったりして、かってにわくわくするんです。

  それもまた、私の中で、何かが『解った!』と思う時、今まで使ってな
  かった記憶の回路がビット、ビットで繋がり広がっていくというイメージ
  するようになりました。


  自分に、いろんな問いを発したら、どれだけ可能性があるだろう。
  私の体験では、解らないことを問うと、かならず、なんらかの答えが出て
  きます。

  だから、もともと私たちは”知ってる”状態なんですね。
  脳の使われていない所はOFF状態になっていて、求めれば、きっとそれが
  ONになるんだと..。脳というのは、おおかたコンピューターと同じ仕組み
  ですね。(自分がもう、必要としない古い観念や、ネガテブな想念パター
  ンなど、解除できたり..しますし)

  ただ,私たちの意思、求める..、選択する.. 、
  その私の、その意識、意思こそが脳のオーナーであって、脳自体は私たち
  の素晴らしい道具なんじゃないでしょうか。

  そう考えると、

  私たちの本質は、
  脳も肉体も超えたところの、意識、エネルギー、
  というのが真実なんじゃないのか。

  そして、その俯瞰した意識から、自分を、世界を、投影している..。

  まあ、わたくし的哲学はそのように理解しているわけです。



  そういえば、ニューロンと宇宙のこんな画像があります。

  脳細胞と宇宙構造 The New York Timesより

   左、マウスの脳細胞、ニューロンが伸びていく様子
   右、宇宙の構造をコンピュータでシュミレーションした画像




 ほら、やっぱりそう?!



http://www.carlsagan.com/
これは英語のサイトですが、追悼の感じがして、しみじみ美しいです。



科学の伝道師と言われたカールセーガンの略歴はWikipediaで。
http://ja.wikipedia.org/wiki/カール・セーガン


ガートルード.ベル&アラビアのロレンス

2010-12-11 02:41:20 | 冒険者たちへのオマージュ

上のコラージュはイラク建国の立役者たちです。

 

『砂漠の女王 イラク建国の母ガートルード・ベルの生涯 』

この本を読んだとき、
イラクに関して、今までの自分の理解の漠然度!に驚きました。

もともと、ヴェドインなどの砂漠の部族として、放浪と点在の民の土地であり、彼らは国家という概念を持ったことが無かったんですね。(二度の湾岸戦争後の現在も、国としての秩序を見いだせない理由(わけ)が分かる気がします。)

それを、現在地図で見るようなアラビア半島、
そして、部族というものから国という枠組みの民となったのは1921年のイラク建国の時でした。

今のイラクは、この時代にイギリスを筆頭の列強の思惑が絡んで...このように出来ていたんですねえ。

そして、机上でアラビア半島の国々の国境の直線ラインを引いたのが、大英帝国の情報部員だった、このガートルード.ベルでした。

随分以前に、ロレンスに関する本を読みんでみたことがありましたが、このような、ひときわ大きな存在として活躍した女性がいたことは、まったく知りませんでした。

イギリスの鋼鉄王の娘として生まれ、その頃まだ、高学歴の女子は敬遠される時代に、オクスフォード大学を優秀な成績で卒業、社交界デヴュウはしても、恋愛は悲恋に終わり、結婚には至らず、登山や、考古学、アラビア語などに傾倒し、時の大英帝国の権威をバックに
中東への旅に....つまり、ハマったんですね。

父親の冒険心と気性を受け継いでいて、言うなればファザコンでしょうか。日々のほとんどの出来事を父親に逐一、手紙で書き綴っています。
その他、継母、その他.政府の高官など..
手紙が多いので、この彼女の伝記が、この土地の、時系列的な状況の流れを伝え、彼女の波乱の人生を伝え、伝記として充実してるんですね。


ベルとロレンス、イラク建国の舞台裏で、それぞれ重要な働きをしています。
ロレンスとベルの最初の遺跡での接触...、
ロレンスは、彼女に比べると、小僧っ子という年齢差でした。
ロレンスが幾分エキセントリックでちょっとユニークなファッションしてたんじゃないの?って感じられるくだりがあります。うんうん、わかるわかるって感じ。

ロレンスの「知恵の七柱」を読むと、感情や価値観の襞など、彼の全体像、個性が見えてきます。

二人とも、中東の考古学から、砂漠に導き入れられたんですね。

奇しくも二人は、砂漠に魅せられ、砂漠の民に共感し、働き方は違いましたが...

共にイギリスの情報部員として、ベルは部族の有力者達と対等に付き合って、人望を得つつ、見解にそって根回しし、ロレンスは、ご存知「アラビアのロレンス」映画でもおなじみで、トルコ軍の鉄道爆破など、ファイサルと同行したり、ゲリラ的な作戦にも従事ています。

ふたりとも、ファイサルをイラクの国王にすべき、そして彼らの国を彼らが治めるように願うのですが、イギリス政府は結局、裏切るんですね。


いやはや、どの本を読んでも..、
その頃の大英帝国というのは...傲慢というか..つまり、
後の時代に自国に於いても批判に晒されるところの、まさに帝国主義!なんです。

この時代、国民がいかにイギリス国民であることに誇りと奢りを持っていただろうか....そして、狭い国土を地球中に大きく広げ、統治したエジプトやインドへと、そして日本まで優雅な周遊の船旅に繰り出しただろうかと..。

たとえ、私の好きなキプリングであれ、この二人の心の中にも、そんな心情をかいま見ることができます。
しかし、その時代背景のまっただ中にいる場合、人々の心ってそういうものですよねぇ..。


イラク建国へ向けて、彼らのいのちの輝きはピークだったんですね。
その後ふたりの運命は次第にフェードアウトしていきます。

そうしてベルは、睡眠薬過剰摂取で、ロレンスはオートバイ事故で命を落としています。





翻訳の文章は、ひっかかりぎみで、お気に入りではありませんが、政治的な逐一の成り行きや,交錯する,行き届いた情報の、時にそった流れが、彼女の人生と、イラク建国へと向かう波乱の歴史とが,充実していて興味深く、どんどん,先を急がされました。

砂漠の族の精神性や気性も、今、私たちが,ニュースで見たりする..それゆえの、問題なのかと、つながって、なるほど、なるほどと、心に頭脳に,しっかりと刻まれ、読んで良かったと思える一冊です。

 

『砂漠の女王 イラク建国の母ガートルード・ベルの生涯 』

 
   
 

  

 

ガートルード・ベル(1868 - 1926

T.E.ロレンス (1888-1935)

 

 

 

 

 

 

 


グレイトゲーム(The Great game) 3.パリジェンヌのラサ旅行(アレキサンドラ.ダヴィット=ネール)

2010-09-18 23:26:33 | 冒険者たちへのオマージュ



私はキップリングが現した、あの世界情勢と時代にわくわくするんです。
というの世界はまさに”冒険探検”の時代に突入するからです。

その頃は、まだ、ヒマラヤやチベットなど西洋諸国には、
日本人にもまた..ほとんど知られていませんでした。
グレイトゲ−ムをきっかけに未知の秘境の存在をかいま見た瞬間に、
考古学的調査に、イギリスはもちろん、それぞれ西欧諸国は、国の威信をかけて、探検合戦も展開されるんですね。

グレイトゲームのプレイヤーである軍人たちや、
駒であるパンデットたち..。
おなじみ、桜蘭 、さまよえる湖ラブノールを発見した、
スエーデンのヘディンや、
スタイン、日本からは大谷探検隊など。

また、遥かな秘境にあるという,シャンバラとか、プレスタージョンという伝説的なキリスト教の国があるらしいとか....
ラサをめざして、宗教心に駆られた修行者、
また逆にキリスト教化をもくろむイエズス会の伝道師やら...
そして、考古学的価値に目がくらみ...のトレージャーハンターや商人たち。

噂に想像力と冒険心をかきたてられて、
国の威信を背後に、
一斉にアフガニスタン、中央アジア、チベット、
ヒマラヤに向かって、探検に出かけたのです。ブームですね。

そして、目的の色は違えど、我こそはと走破した..発見と苦難の、
興味深い
旅行記が残されたのです。


日本人だと河口慧海の「チベット旅行」これは有名、ですね。三巻までは実に面白い。語り口が愉快で、時をおいて三たびくらいは楽しめる。


なかでも、異色なのは、
「パリジェンヌのラサ旅行」(東洋文庫 )
これは面白いというより、ともかく、このアレキサンドラという女性が凄いんです。

雲南からラサまで、フランス人女性、アレキサンドラ.ダヴィット=ニールが、若いラマ僧を養子にして、巡礼を装って....

顔にすすを塗って変装し、4度も捕まっては国外退去を余儀なくされたりしながら、鎖国中のチベットを猛烈な意思力をもってラサへと向かう。そのとき彼女は50歳。
(私も51歳のとき、6ヶ月のインド一人旅をしましたが..私なりの大冒険!)


これはもう..そこまでやる!?...
彼女はチベット密教や、その総本山であり神秘的な”ラサ”に憧れ、信仰心に裏打ちされた、修行、道を行く、修める!という狂信的なまでのモチベーションとそれに見合う
体力と知力の持ち主だったんしょうね。
猛烈を爽やかに超えてるんです。

そういえば、彼女は、もともと裕福な生まれなのですが..
若い頃、オペラ歌手をやっていて、
時に旅の資金を得ていたんだそうですが、

それって..なんとなく..違和感を感じるほどのキャパというか..
能力の幅がすごい人だな....

幼い頃から冒険、真理への憧憬を抱いて、
肉体も精神も鍛えることが、好き!
そんな人だから、結婚して一週間後には旅に出てしまったそうですよ!

それはそうと
ラサの旅から無事にフランスに帰国したとき、
大歓迎と大興奮が待ち受けていたそうです。

その後、有名なギメ美術館での講演や、研究、執筆、
そして度々の旅行など...その後も充分な時を..。

というのも..
彼女は信仰と冒険にほとんど幼い頃から全人生をかけて、
たくさんの書物も残して..
100歳と10ヶ月、生き抜いたんですから!

人生という旅の達人でもあったんですね?!

修行者としては..高レヴェルの成就者だったのかもしれません。
100歳という長寿は、密教の教えを体現し証明したと言えるでしょう?

なんとも..凄い人です!



東洋文庫
A.ダヴィッド.ネール
『パリジェンヌのラサ旅行1.2』


この方の日本語の翻訳がほとんど無いのが残念です。(他に一冊だけ)
著書は多いのででフランスではかなり著名のはず。


ラサへの雲南から出発前に、日本にも立ち寄っています。京都と鎌倉に滞在したんだそうで、河口慧海とも再会して、写真入りの新聞記事が残っています。






ちょっとかっこいいスウエン.ヘディンの写真発見!







グレイトゲーム(THE GREAT GAME) 2 ヤングハズバンドとパンデット

2010-09-10 18:55:25 | 冒険者たちへのオマージュ





小説「キム」に出て来る、個性豊かな登場人物の何人かは、グレイトゲームの主要なプレイヤーである実在のパンデットや、彼らを訓練し、スパイとして現地に送り出していた実在のイギリス将校がモデルと言われています。


『大ヒマラヤ探検史 』
                      
”インド測量局とその密偵たち”  
薬師 義美「 (白水社)



この本は、グレートゲームをリアルに演じたプレイヤーたちとその活動の詳細を見ることが出来ます。

地図とにらめっこしてわくわくしながらの、『大ヒマラヤ探検史』は、ことさらに面白かった!

イギリスのインド測量局が訓練し、仕込んだ現地人のスパイ、彼らを”パンデット”と称
するのですが、その一人一人の素性や性格も含め、その困難な探検の足取りと、歩くこ
と(訓練した正しい歩幅)で量った距離や、杖に仕込んだ携帯用の測量器でヒマラヤやカラコルムの高峰の測量、その結果作られた各地方の地図、また、その後の彼らの運命が、記録を収集して克明に書かれています。


写真の中のサー.フランシス.ヤングハズバンドは探検家でもあり、軍人としてグレイトゲームの中で、とりわけ大きな役を演じた人物です。

余談ですが、この人も最終的には精神世界への道の探検に至ったといお話。(私は,ずっと以前にスピリチュアルの本の中に彼と奥さんの名前を読み,名前がヤングハズバンド!?ってことで覚えていたんです!)


つまり、その当時の彼らの命をかけた働きによって、やっと、我々はエヴェレストやカンチュンジュンガ、K2などの存在を知り、圧倒的なその高さを知ったんですね。それは、なんとも感慨深いことです。

現地の人々にはチョモランマと呼ばれていた山が、イギリスのインド測量局によって,世界最高峰と確認されて、測量局の前長官ジョージ.エベレスト大佐に因んで、そのとき、エヴェレストと名ずけらたのだそうです。


曲がりくねった大河、マニプトラ河(ヤルツアンポ河)の流域、それはどのように流れているのか、周辺の険しく妖しい神秘的な周辺の調査の為の探検....
ほの暗い湿度ムンムンの,密林で、身を潜めながら..(想像するだに、わくわくしますが..)うろうろしてるのが見つかったりしてて、運が悪かったら、そのあたりの原住民に殺されることだってあります。(実際そうだった)

また谷や、裾野は、虎やその他の猛獣の出没するジャングル、そこはマラリアの巣窟だとか言われていて...と戦いつつ..、

沢山の人が命をかけて、そして命を落としています。無事に帰って来ても、
その後マラリアで亡くなった人も多かったんですね。



グレイトゲームの背後の密偵パンデットたちのリアルな冒険、艱難を超えて
出来上がっていく地図をたどる...これが読み手としても面白いんです。
測量というのは,敵を制する為には、もちろん、大事な作戦なんですね。


河口慧海と接点があったインド人チベット学者、サラット・チャンドラ・ダースは、
まさにイギリスの秘密諜報員だったのです。
慧海もスパイと見なされ、這々の体でラサから一直線でダージリンに逃げ帰ります。
一回目のチベットへの旅でした。


なるほど、結果的に諜報合戦だったのが、チェスに見立てての、
The Great Gameと呼ばれる所以だったんですね。







Sir Francis Edward Younghusband(1863-1942)
中央アジアとチベットの利権をめぐって英露清がしのぎを削っていた19世紀末—。当時の紛争地をことごとく踏破し、虚々実々の駆け引きを繰り広げた英国の 軍人・探検家、フランシス・E.ヤングハズバンドの生涯を、残された日記と膨大な資料をもとに生き生きと描いた初の評伝。 (白水社)






グレイトゲーム & キップリングと『 キム』1

2010-09-07 03:40:05 | 冒険者たちへのオマージュ

The great game                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                             
グレイトゲームという言葉を知ったのは、キップリングの小説『キム』を読んだときでした。(日本版は「少年キム」)

ほう..此の時代19世紀から20世紀にかけて、アフガニスタンの争奪で、緊迫したイギリスとロシアのせめぎ合い、水面下でのスパイ合戦、もちろん東には清という中国もいて....プレイヤーにはアメリカやその他の国々もまた虎視眈々..

インドを支配下に置いたイギリスはことのほか、ロシアの南下を警戒していて...チベットやアフガニスタン、中央アジアを取り囲み、にらみ合いをしていたんだあ..

それを、アーサー・コノリーという人がチェスのゲームに例えて
The great game(闇戦争とか大勝負)と命名したんですね。
それから、キップリングが『kim』の中で、この言葉を使って、この呼び方が一般的に広まり、今に至っています。


キップリングはその状況を時代背景として、キム少年を、そしてインドの風土、人情、を活き活きと描き出しているのです。
もともとキップリングはインド生まれのイギリス人ですから、実態も知ってる、思い入れもあるんですね。

インドという国やインド人に何らかの郷愁を感じている人ならば、(ちなみに、私はすご~く感じているので)この本は、より共感するところがあるに違いありません。


小説『キム』は、キップリングの縦横無尽な筆力と感性的な天分が、ぐぐっと豊かに走ったみたいな、インドらしく濃厚でありながら、冒険という道行きが、清浄な愛に貫かれて.....

というのも、キムの慕うお坊さんは解脱を目指しての旅路であり、修行を積んだ精神の透明さ、高邁さにキムは出会った瞬間から、無意識的に感応したんですね。

彼は、行きがかり的にスパイの手先となって、インド育ちの少年らしく(実はイギリス人の孤児なんですが)、賢く、はしこく走り回り役割を果たしつつ、
かたや、浮世離れしているお坊さんの身辺で、かいがいしく面倒を見る。
ある期間、離ればなれになっても、互いの純粋な愛が貫かれ、ふたりのそれぞれのヴィジョンである目的へと向かう..

ほかの好きな本と同じように、時をおいては、くりかえして、また楽しませてもらえる..そんな本のひとつです。

そして『キム』によってグレイトゲーム(The great game)へと私の冒険!の矛先は向かったのです。



つづく                                    
                           




追記

世界には『キム』のファンは多いですね。
ある期間、キップリングは帝国主義とされ、最近まで、あまり表立ってとりあげられなかったそうですが、確かにイギリス帝国主義のプロガバンダ的な、というより、まさにその為の詩など、そう言われても仕方がない作品がありますが。..最近ではまた、見直されてきたというお話。

しかし、物書きとしては飛び抜けて力量の持ち主であることは、誰もが認めるんじゃないでしょうか。その都度、歯に衣を着せぬ、自分の感じたことを言い切る強い性格だからこそ、名文、名作も出来るんだろうと思います。

余談ですが彼のもう一冊、お気に入りの旅行記があります。
『キップリングの日本発見』
キップリングの豊かな感受性と見識と筆力に感服です。そして、内容は日本のその頃の素敵さに涙がでそうです。
そしてもちろん、面白い!
読み手が日本人なら、なお面白い!


















Shadows of maharaja (シャドウズ オブ マハラジャ)

2010-08-19 15:21:16 | 冒険者たちへのオマージュ

Copyright(C) S.Takeda     



栄華を誇ったムガール帝国の最後の華、マハラジャの終焉も、
かの大英帝国の帝国主義による時代の変遷をまぬがれることは出来ませんでした。

夢のアラビアンナイトの、まさにそのようなに装置を彩ったドラマテックな世界。
着飾ったハーレムの女たち、細工によりをかけ、贅を尽くしたお城や調度品...象に乗ってのサファリなど..
そして、もちろん、領土を守ったり、拡張したりの勇ましい戦いとか..


そこには華やかさゆえの終焉への歴史のプロセスによるさまざまな深い感情の皺が、
見るものに、なんともいえない思いを醸させるのです。


今でも、パンジャブ、ラジャスタンあたりのマハラジャの現在の生活を、
テレビなどで紹介されたりしますが、その土地の名士であり、政治活動や、家族伝来のお城をホテルとして、
訪れた観光客に、さまざまな独自のイヴェントでもてなしたり..。
その地方では、いまなお殿様として、それなりの役割を自ら任じて..、
そんな存在なんでしょうね。


何年か前、テレビで見たのですが、ラホールのマハラジャの末裔の、たしか姉君と弟君だったでしょうか、それは、ひときわ印象に残っています。


没落して、幾く年月...ゲートからあたりいちめん植物に覆われて、石組みの建物の残骸のようななかに、ふたりは黒い精悍なドーベルマンと、ひっそり暮らしている....


ぽつんとあるテーブルの上には、いかにも堂々としたグラスやお皿でテーブルセッテングされていて...。
ほかには、ほとんど生活を満たすようなものは見当たらないのです。


しかし、なにより驚くのは、二人の存在感でした、とくに姉君は、空高く羽ばたく鷲のように堂々と誇り高く..というより、誇りそのものとでもいいましょうか!


二人だけのこの状況においても、なお、ヒエラルキーは、しっかりとあって、彼女が君主で弟が彼女に仕えているという......

実に、ここにおいてもOne of Maharajya、マハラジャ、健在!


草の生い茂ったゲートで、取材班を出迎え引き入れ導いた召使い風の男と
威風堂々の黒いドーベルマンが、尊大であるべき形を演出していました。


その有り様、表情は、マハラジャの高貴だと自認するDNAしか滲みだせないもの.....

それは言うに言えない、たくさんの情報を読み取った感動となって、心に残ります。













プラントハンター

2010-08-16 23:40:28 | 冒険者たちへのオマージュ



プラントハンター


大英帝国華やかし頃、未知の植物を求めてるべく、
プラントハンターとして、彼らは世界へ放たれた。
とりわけ、彼らは、遠いアジアのお茶や、
エキゾチックな花木を求めて 、中国や、日本を訪れました。

中には、ヒマラヤ諜報活動をになって..暗殺されたプラントハンターもいたとか..
エキゾチシズムに命をかける冒険者たち
そしてかの大英帝国の繁栄を..彼らもまた支えていたんですね。
憧れのイングリシュローズもリッチなアフタヌーンティーも、
プラントハンターという冒険者がいたからこそなんですね。





実は、わたしもプラントハンターよろしくお散歩の時はいつも、
ガーデニングバックにハサミをしのばせて..いるのです



ワンダフルなインドミニアチュール画家 Kailash Raj

2010-08-13 00:33:45 | 冒険者たちへのオマージュ
圧倒的な色彩センス、繊細で優美!
技の確かさゆえの流麗な筆の流れ、特に鳥や、動物など、なんとも可愛らしく素晴らしい!
沢山の細密画の中から、この作者の作品は一目でわかります。
透明でヴィヴィッドな力があって、感動します。
ひとつひとつ、大きな画像で見て下さい。その素晴らしさ、美しさに、にっこり!嬉しくなりますから!!

これからスライドショウをアップしようとしていますが、出来るまでに一つだけ、ここにアップしておきます。





カイラッシュ ラジは 伝統的ジャイプール画家の家族の子孫である。彼は祖父Nanu Lal.また、彼の偉大な祖父、Amba Shankharno仕事に強い影響を受けた.彼のファミリーは伝統を、また職人を育て今日まで、細密画の貴重なレヴェルを維持し、現在彼はワークショップや学校など主宰し、後輩の指導にもあたっている。




Kailash Raj さんの絵が、このサイトで見ることが出来ます。それに、もし欲しかったら買えますよ?!
Indian Art: Exotic India 
http://www.exoticindiaart.com/paintings/Hindu/

ボタニカルアーテスト Mrianne North (マリアンヌ ノース)

2010-08-07 01:43:23 | 冒険者たちへのオマージュ
(ボタニカルアーティスト Mrianne North






ヴィクトリア朝時代の女性旅行家マリアンヌ・ノース(1830-1890)は、
キュー・ガー デンのマリアンヌ・ノース・ギャラリーに収められた膨大な植物画でよく知られています。
幼少時代より父の友人であった科学者や知識人と接して育ち、若い頃から家族や父に連れられヨーロッパそして中近東へと旅して回り、父の亡き後、旅は彼女にとっての生きがいとなり、そして彼女の情熱は、恵まれた芸術面の才能をいかした植物の写生に向かいます。北南米、シンガポール、インド、オーストラリアなどなど、世界各地を訪れました。
日本へも1875年から76年にかけ、横浜、神戸、京都周辺を訪問しています。

こうして書き溜められた植物画の一般公開のため、キューガーデン ノース・ギャラリーが 1882年にオープン。
彼女の功績を称えた王立植物園は、5種の植物に彼女にちなんだ命名をしています。
「シリーズ − アジアを旅したヴィクトリア朝時代の女性たち」抜粋





とびきり美しいコレクションをクリッくして、どうぞ!











ramni わくわくワールド<本.アート.冒険者たち>

こちらもよろしくお願いします。 http://ramni.blog.so-net.ne.jp/

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