goo blog サービス終了のお知らせ 

羅漢さんの托鉢日記

私の勤める、葬儀社羅漢では、お客様お一人お一人を訪問する、営業方法をとっています。これを托鉢と称します。  

戦国時代の糸島(二十七)―高祖城抗戦―

2009-11-13 12:41:30 | 戦国時代の糸島
四月十日、笠大炊助と波多江種賢の両名が高祖へ帰ってきた。
その夜、城内の大広間では、抗戦か降伏か、運命を決する大評定が行われた。
論議は深夜におよんでも尽きない。

やがて雷山山脈の頂が白みはじめた頃、
秋月城に出していた使者が帰ってきた。

秋月氏は、原田とその祖先を同じとする関係から、
常に親しく行き来し、秀吉西下についても、
島津とともに抗戦する盟約をむすんでいたのだが・・・

秋月城の中にも、笠大炊助と波多江種賢らと同じ考えを持つ老臣がおり、
秀吉軍を向こうに回して抗戦することの不可能を説き、
自ら腹をかき切って城主を諫めたため、
秀吉軍に投じることとなり、島津攻めの先鋒に加えられたというのである。

しかし、この情報はあくまで抗戦を主張してきた城主原田信種にとっては、
かえって火に油を注ぐ結果となった。
「裏切ったか秋月!こうなれば高祖ひとり戦うまでだ。
生きて武門の恥をさらそうよりは華々しく武士の最後を飾ろうぞ
皆の者どうじゃ、老人どもは命が惜しくば戦わなくともよいぞ」

「殿、老いぼれの命など露ほどおしいとは思いませぬ。
ただこの場合、降参のみが原田家の今後の生きる道でござります。
もし、老いぼれの命にてお心が静まりますならば、このしわ首、いつでも差し上げまする」
血を吐くような老臣、笠大炊助の叫びであった。

「後に残った女房子供、出入りの商人、さらに民百姓の苦しみはどうなさるおつもりですか。
この高祖、怡土志摩の地が修羅の場となるばかりか、
未来永劫に逆賊の汚名をきせられまする」
両頬につたう涙もぬぐいをせず、必死の諌言をくりかえす老臣であったが・・・

「もう言うな大炊、これが武門の意地だ。拙者ひとりになってもこの意地はつらぬいてみせる。
戦いたくない者は去れ。これで評議は決した」

こうして高祖城は、ついに抗戦となった。


私の勤める まごころ葬儀羅漢はこちらです

羅漢の携帯サイトはこちらです

最新の画像もっと見る