その時、親種は不在だった。
大友の使者を待たせたまま、高祖城は小田原評定さながらに時はむなしく過ぎていく。
以下、『怡土・高祖城落城記』―岩森道子著―より引用します。
このくだりは誰しも衝撃をうけざるを得ない。
待つこと五時間、ようやく付き人を連れて親種さまとその妻、珠さまが帰っていらっしゃいました。
「この危急なとき、どこに行っておった」
曾祖父了栄(語り手輝姫)は声を荒げました。
小次郎秀種さまが亡くなって今日で五年になります。
生きていれば十五歳なっていらっしゃいました。親種さまは妻の珠さまと話し合って、
小次郎さまが祭られている今宿叶ヶ嶽の地蔵尊にお参りに行かれていたのでした。
彼らは月に一度は足を運んでいらっしゃいます。今日がその日でした。
書状を手にした親種さまに苦渋の色が見えました。
(戦になれば勝ち目はない)
唇をかんで書状にしばらく目を落としていらっしゃいました。
(この戦、火を消し止める以外、方法はない。さもなければ、怡土は滅びるだろう)
親種さまは考えあぐね、
(相手は天下の武将だ。こちらの腹をみせれば、わからぬ男ではない)
毅然としてお顔をあげられると、
「父上、この下知状、拙者にお任せくだされ」
胸に手をおいておっしゃいました。
何を決断なさったのでしょうか。彼は付き人に、
「ここを動くではないぞ」
と言い残されて城の外に出て行かれました。
付き人は親種さまのご様子に殺気を感じて、急ぎその後を追いました。
城の一角に伊勢城戸口のやぐらが建っています。
親種さまはそこへ行き着くや、やぐらに梯子をかけられました。
心配して外に出てきた重臣たちは、何事かとあっけにとられて見守りました。
彼は素早く梯子を登っていかれました。
いち早く主君の危険を察した家臣がやぐらを見上げて、
「殿、何をなさいます」
と叫びました。親種さまはやぐらから見下ろして、
「登ってくるでない」
と申されると、かけていた梯子を引き上げてしまわれたのです。
「大友の使いの者たちを、丁重にこの下に案内されよ」
穏やかな口調でございました。
間もなく三人の使いの者たちが連れてこられました。
「そなたたち、大友宗麟の使いの者に相違ないな」
親種さまが確かめると、やぐらを見上げていた使いの者たちはひれ伏しました。
「では、大友宗麟の、使いの者に、もの申す」
親種さまは、ゆっくりと、大音声で申されました。
森閑とした高祖山の森の中から、やまびこが、ゆっくり返ってきました。
「拙者が今から申すことを、しかと聞き、大友宗麟に申し伝えよ。原田了栄の首が欲しいと聞いた。
だが無駄な戦をして、尊い血を流したくない。よって、ここに四十五代城主原田親種の首を献上する。
大友宗麟に、わしの首をしかと手渡せ」
左手で自分の髷をつかむと、右手で首を斬って投げ落とされたのでございます。
親種さまのお体は前のめりに倒れて、真っ逆さまに地上に落ちていきました。
驚いた家臣たちは立ちつくしました。殿っ、殿っ、と親種さまの周りに駆け寄って、
「なぜ、かようなことを」
「ほかに方法があったものを」
あとは声になりません。おろおろと、なすすべもなく、とりすがって号泣されました。
曾祖父了栄は、目の前の惨事の重大さを把握できずに、家臣の後ろの方で自失呆然として
立ちつくしていらっしゃいます。
重臣たちは輪になって急ぎ協議なさいました。
(若殿は大殿の身代わりになって命を絶たれ、怡土の危急をお救い下さったのだ。
若殿の意志を大切にせねばならぬ。それには、後々大友から難題を持ち込まれては
若殿の死が無駄になる。そのためにも、ご遺骸が四十五代原田種親殿と間違いないことの確認を、
使者たちに請うべきだ)
意見はまとまりました。(中略)
「この首級(しるし)頂戴つかまつる。持ち帰り、ご返答は帰国したうえ親書にて申し上げたい」
と申し出たのでございます。
「無礼者っ。何を申す。」
さがれっ、さがれっ、祖父了栄は使いの者を一喝、握りしめていた拳を震わせて、烈火のごとく
お怒りになりました。
この恨みが尾を引いて、再び大友との戦に拍車をかけていくのでございます。
―その夜、十数人の重臣や家臣たちが親種を慕って、割腹して果てた。
知らせを受けた大友宗麟宗は、親種の豪胆な気迫を賞賛し、その死を惜しんだ。
原田に奇襲された恨みは骨髄に達していた宗麟であったが、親種の意志を尊んで、引き下がった。
親種三十一歳。惜しまれる若さであった。
私の勤める
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