受験生のための『世界史B』 もくじ
↑ここから各項目に入れます。
前回はちょっともったいぶった書き方をしてしまいましたが、今日の内容はタイトルを見れば明白です。
内容に入る前に、イスラーム帝国が次々と成立してきた複雑な過程を復習しておきましょう。
まず、アリーの死を境にウマイヤ朝が生まれました(7c)。これに対して、正統なイスラーム帝国をめざしてアッバース朝が興ります(8c)。ウマイヤ朝の王族はイベリア半島(現在のスペイン、ポルトガル)に逃れ、後ウマイヤ朝を建国(8c)。アッバース朝はハールーン=アッラシードのもとで繁栄するも、10cになると北アフリカにファーティマ朝なるものが出現。この時点でカリフは3人! おまけに、ブワイフ朝という軍事政権がアッバース朝を圧迫して、大アミールという称号を手に入れます。
そんなブワイフ朝を滅ぼしたのがトゥグリル=ベクのセルジューク朝(11c)。マムルークという強力な軍隊の前には北方のビザンツ帝国もたじたじ。
一方、北アフリカでもファーティマ朝の後をアイユーブ朝が受け継ぎ、そのスルタンであるサラーフ=アッディーンは十字軍との戦いでも成功を収めます(12c)が、しばらくしてこれはマムルーク朝に滅ぼされました(13c)。
[モンゴル帝国の襲来]
マムルーク朝が興った13世紀は、モンゴルの時代だと言われます。
13世紀=モンゴルの世紀、というのはぜひ覚えておいてください。なにかと便利です。
東アジア史のほうでも紹介しますが、チンギス=ハンのもとにモンゴル高原で興ったモンゴル帝国は、東西に猛烈な勢いで広がります。その勢いはヨーロッパまで及び、1241年にワールシュタットというところでドイツ・ポーランドの連合軍を破ったほとです。
当然イスラーム世界にもその影響は現れ、フラグという男率いるモンゴル軍がとうとう、アッバース朝の首都たるバグダードを占領してしまいます。
そう、これが400年に渡って続いたアッバース朝の最期です。
イラン・イラクの地域は、モンゴルによりイル=ハン国として統治されることになります。
真のイスラーム帝国として誇り高くあったアッバース朝の終わり。
なんと悲しい……。
というわけでもありません。アッバース朝が滅んだとはいえ、イスラーム教徒の精神は強く生き続けていました。
その証拠に、イル=ハン国の君主、ガザン=ハンはイスラーム教を国教に定め、イスラーム文化の成熟を促しました。
このころ、イブン=バットゥータという人物がモロッコから中国に至るまでの広大な世界を旅した記録『三大陸周遊記』を残しています。
さて、アッバース朝が滅んだ今、マムルーク朝は自らがイスラーム帝国であるとの自覚を深めていきます。
マムルーク朝は侵入したモンゴル軍を撃退し(!)、メッカとメディナを保護下におき、アッバース朝のカリフをカイロに復活させました。やったじゃん!!
マムルーク朝はこの後、16世紀まで長生きすることになります。
◎今日のポイント
・イスラーム諸国の系譜を自分なりに整理してみよう。
・イスラーム世界に侵入したモンゴル軍を率いていたのは誰か。
・イル=ハン国においてイスラーム教を国教化したのは誰か。
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前回はちょっともったいぶった書き方をしてしまいましたが、今日の内容はタイトルを見れば明白です。
内容に入る前に、イスラーム帝国が次々と成立してきた複雑な過程を復習しておきましょう。
まず、アリーの死を境にウマイヤ朝が生まれました(7c)。これに対して、正統なイスラーム帝国をめざしてアッバース朝が興ります(8c)。ウマイヤ朝の王族はイベリア半島(現在のスペイン、ポルトガル)に逃れ、後ウマイヤ朝を建国(8c)。アッバース朝はハールーン=アッラシードのもとで繁栄するも、10cになると北アフリカにファーティマ朝なるものが出現。この時点でカリフは3人! おまけに、ブワイフ朝という軍事政権がアッバース朝を圧迫して、大アミールという称号を手に入れます。
そんなブワイフ朝を滅ぼしたのがトゥグリル=ベクのセルジューク朝(11c)。マムルークという強力な軍隊の前には北方のビザンツ帝国もたじたじ。
一方、北アフリカでもファーティマ朝の後をアイユーブ朝が受け継ぎ、そのスルタンであるサラーフ=アッディーンは十字軍との戦いでも成功を収めます(12c)が、しばらくしてこれはマムルーク朝に滅ぼされました(13c)。
[モンゴル帝国の襲来]
マムルーク朝が興った13世紀は、モンゴルの時代だと言われます。
13世紀=モンゴルの世紀、というのはぜひ覚えておいてください。なにかと便利です。
東アジア史のほうでも紹介しますが、チンギス=ハンのもとにモンゴル高原で興ったモンゴル帝国は、東西に猛烈な勢いで広がります。その勢いはヨーロッパまで及び、1241年にワールシュタットというところでドイツ・ポーランドの連合軍を破ったほとです。
当然イスラーム世界にもその影響は現れ、フラグという男率いるモンゴル軍がとうとう、アッバース朝の首都たるバグダードを占領してしまいます。
そう、これが400年に渡って続いたアッバース朝の最期です。
イラン・イラクの地域は、モンゴルによりイル=ハン国として統治されることになります。
真のイスラーム帝国として誇り高くあったアッバース朝の終わり。
なんと悲しい……。
というわけでもありません。アッバース朝が滅んだとはいえ、イスラーム教徒の精神は強く生き続けていました。
その証拠に、イル=ハン国の君主、ガザン=ハンはイスラーム教を国教に定め、イスラーム文化の成熟を促しました。
このころ、イブン=バットゥータという人物がモロッコから中国に至るまでの広大な世界を旅した記録『三大陸周遊記』を残しています。
さて、アッバース朝が滅んだ今、マムルーク朝は自らがイスラーム帝国であるとの自覚を深めていきます。
マムルーク朝は侵入したモンゴル軍を撃退し(!)、メッカとメディナを保護下におき、アッバース朝のカリフをカイロに復活させました。やったじゃん!!
マムルーク朝はこの後、16世紀まで長生きすることになります。
◎今日のポイント
・イスラーム諸国の系譜を自分なりに整理してみよう。
・イスラーム世界に侵入したモンゴル軍を率いていたのは誰か。
・イル=ハン国においてイスラーム教を国教化したのは誰か。
おもしろいです。
なるべく早く書きますね!
うーん、どうしよう……。
ブログ、ときどき拝見してます。
またコメントさせてください。