受験生のための『世界史B』 もくじ
↑ここから各項目に入れます。
さて、前回まで、中東やインド、エジプトといった地域でのイスラーム世界の移り変わりを見てきました。
それでは翻って、西方はどうだったのでしょう?
すでに記憶のかなたかもしれませんが、イベリア半島(現在のスペインとポルトガル)に進出した後ウマイヤ朝って、どうなったんでしたっけ?
……実は、こちらでは800年に渡る激しい戦いが繰り広げられていたんですね!(胸アツ!)
その相手は誰か?
キリスト教徒です。
[キリスト教徒の悲願]
時代はさかのぼって8世紀、イベリア半島を支配していたのは、西ゴート王国でした。
以前、ヨーロッパ世界のところでもお話したように、西ゴート王国はゲルマン人の王国ですが、キリスト教に改宗しています。
つまり、当時イベリア半島はキリスト教化が進んでいたということになります。
しかし、そこにイスラーム勢力が侵攻してくるんでしたよね。ウマイヤ朝です。
イスラームの攻勢の前に、西ゴート王国=キリスト教側は滅亡。
しかし、後ウマイヤ朝=イスラームが建つころ(756)、西ゴート=キリスト側の生き残りを名乗る貴族がイスラーム勢力に立ち向かい、ささやかな勝利を収めています。
それはイスラーム側にとっては取るに足りない出来事でしたが、キリスト教徒側からすると、
「お! 意外といけるじゃん! イベリア半島をキリスト教徒の手に取り戻そうぜ!」
と気合いが入ってしまいました。
モンスターを次々と倒しレベルアップしていく、スクエア=エニックスのゲームを『ドラゴンクエスト(Dragon Quest)』といいますが、あれは「ドラゴンを探し出す」ぐらいの意味です。そこに"Con"が加わると、"Conquest"「征服する」の意味になります。
ここから始まる、イベリア半島をキリスト教徒が「再征服」しようという動きはレコンキスタ(国土回復運動)と呼ばれました。
Re-Conquestということですね。
これは当時の後ウマイヤ朝の支配地域です。

おそらくここに住む王家の人々は、キリスト教徒が実に800年に渡る闘争を今まさに開始しようとしているとは、夢にも思わなかったことでしょう。
[後ウマイヤ朝の滅亡と北アフリカからの援軍]
後ウマイヤ朝は、1031年に滅亡します。
その後は、小さなイスラーム王国がいくつか乱立するばかり。
そのスキにつけこんだのが、アラゴン王国やカスティーリャ王国といったキリスト教国でした。
実は、ポルトガルが成立するのはこのころ(1143年!)。
キリスト教側は「国土回復」を成し遂げたかに思えましたが、思わぬ事態が発生します。
北アフリカを支配していた、ベルベル人によるムラービト朝とムワッヒド朝がイベリア半島に進出してきたのです。
北アフリカにはもともと、クシュ王国、アクスム王国、そして内陸のガーナ王国があったのですが、いずれもイスラーム王朝であるムラービト朝に敗れ、北アフリカのみならず内陸にまでイスラームが浸透していました。
[イベリア半島最後のイスラーム王朝]
しかし、ベルベル人による支援むなしく、イスラーム勢力はキリスト教勢力に圧迫され続けます。
グラナダを首都とするナスル朝が、イベリア半島最後のイスラーム王朝となってしまいました。

このアルハンブラ宮殿で有名なナスル朝の支配地域は、

わずかにこれだけ。
ついに1492年、アラゴンとカスティーリャの両キリスト教王国によってグラナダは陥落しました。
1492年は、コロンブスが新大陸を「発見」した年でもあります。
ひとつの時代の終わりと始まりが偶然、重なったわけですね。
◎今日のポイント
・ムラービト、ムワッヒド両王朝を建国したのは何という民族か。
・レコンキスタの中心となったキリスト教王国を2つ挙げよ。
・ナスル朝の首都は何という都市か。
↑ここから各項目に入れます。
さて、前回まで、中東やインド、エジプトといった地域でのイスラーム世界の移り変わりを見てきました。
それでは翻って、西方はどうだったのでしょう?
すでに記憶のかなたかもしれませんが、イベリア半島(現在のスペインとポルトガル)に進出した後ウマイヤ朝って、どうなったんでしたっけ?
……実は、こちらでは800年に渡る激しい戦いが繰り広げられていたんですね!(胸アツ!)
その相手は誰か?
キリスト教徒です。
[キリスト教徒の悲願]
時代はさかのぼって8世紀、イベリア半島を支配していたのは、西ゴート王国でした。
以前、ヨーロッパ世界のところでもお話したように、西ゴート王国はゲルマン人の王国ですが、キリスト教に改宗しています。
つまり、当時イベリア半島はキリスト教化が進んでいたということになります。
しかし、そこにイスラーム勢力が侵攻してくるんでしたよね。ウマイヤ朝です。
イスラームの攻勢の前に、西ゴート王国=キリスト教側は滅亡。
しかし、後ウマイヤ朝=イスラームが建つころ(756)、西ゴート=キリスト側の生き残りを名乗る貴族がイスラーム勢力に立ち向かい、ささやかな勝利を収めています。
それはイスラーム側にとっては取るに足りない出来事でしたが、キリスト教徒側からすると、
「お! 意外といけるじゃん! イベリア半島をキリスト教徒の手に取り戻そうぜ!」
と気合いが入ってしまいました。
モンスターを次々と倒しレベルアップしていく、スクエア=エニックスのゲームを『ドラゴンクエスト(Dragon Quest)』といいますが、あれは「ドラゴンを探し出す」ぐらいの意味です。そこに"Con"が加わると、"Conquest"「征服する」の意味になります。
ここから始まる、イベリア半島をキリスト教徒が「再征服」しようという動きはレコンキスタ(国土回復運動)と呼ばれました。
Re-Conquestということですね。
これは当時の後ウマイヤ朝の支配地域です。

おそらくここに住む王家の人々は、キリスト教徒が実に800年に渡る闘争を今まさに開始しようとしているとは、夢にも思わなかったことでしょう。
[後ウマイヤ朝の滅亡と北アフリカからの援軍]
後ウマイヤ朝は、1031年に滅亡します。
その後は、小さなイスラーム王国がいくつか乱立するばかり。
そのスキにつけこんだのが、アラゴン王国やカスティーリャ王国といったキリスト教国でした。
実は、ポルトガルが成立するのはこのころ(1143年!)。
キリスト教側は「国土回復」を成し遂げたかに思えましたが、思わぬ事態が発生します。
北アフリカを支配していた、ベルベル人によるムラービト朝とムワッヒド朝がイベリア半島に進出してきたのです。
北アフリカにはもともと、クシュ王国、アクスム王国、そして内陸のガーナ王国があったのですが、いずれもイスラーム王朝であるムラービト朝に敗れ、北アフリカのみならず内陸にまでイスラームが浸透していました。
[イベリア半島最後のイスラーム王朝]
しかし、ベルベル人による支援むなしく、イスラーム勢力はキリスト教勢力に圧迫され続けます。
グラナダを首都とするナスル朝が、イベリア半島最後のイスラーム王朝となってしまいました。

このアルハンブラ宮殿で有名なナスル朝の支配地域は、

わずかにこれだけ。
ついに1492年、アラゴンとカスティーリャの両キリスト教王国によってグラナダは陥落しました。
1492年は、コロンブスが新大陸を「発見」した年でもあります。
ひとつの時代の終わりと始まりが偶然、重なったわけですね。
◎今日のポイント
・ムラービト、ムワッヒド両王朝を建国したのは何という民族か。
・レコンキスタの中心となったキリスト教王国を2つ挙げよ。
・ナスル朝の首都は何という都市か。
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