こんなにブログを詳しく書いて意味があるんだろうか……
なんか結構文章量の少ないブログが上位だし……
と、そんなことを考えつつも
やっぱり
折角なら書いた方がみなさんに喜んでもらえるかなと思って
書いちゃう俺です!!
頑張ります!!
・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・
「応援するよ!」のサインに1クリックお願いします^^/ その1クリックの応援で次の街へと旅できます♪
にほんブログ村
・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・
"ブハラ"はイスラーム世界の文化的中中心として繁栄を誇った街です。
ブハラの黄金期は9世紀のサーマーン朝時代に始まり、イスラーム王朝庇護のもと、優秀な学者や宗教者、神学生、商人などを各地から集め、発展していきました。
しかし、1220年のチンギス・ハーンの来襲で破壊されてしまいます。
彼はモスクに集められた群衆を前にコーランを蹴散らし
「私は諸君の罪ゆえに、罰として紙に遣わされたのだ」
と豪語したという。まぁ迷惑なことで……
その後16世紀のシャイバニ朝の時代になって、モスクやメドレセが再建され、現在の姿に至ったのです!!
その姿がこちら!!
では、朝食を食べた後、各自に分かれて
さっそくこの街を歩いて行きます!
みんなそれぞれおかしいやろ(笑)
こちらがブハラで1番有名な
『ナディール・ディヴァンベギ・メドレセ』
1622年にナディール・ディヴァンベギによって建立された神学校です。
この正面入り口の色タイルの
2羽の鳳凰が爪で白いシカを掴んで、太陽に向かって飛んでいる絵は
ブハラを象徴しているといっても過言ではないと思います
この絵を見て何か感じませんか?
イスラームの崇拝のタブーは
そう!!偶像崇拝を否定しているのです。
この絵もそのタブーに触れています。当時は街中の話題になったでょうねぇ
ちなみにもとはキャラバンサライとして建てはじめたが、ハーンがこれをみて
「素晴らしいメドレセ」
と言ったため、メドレセにしたらしい
てか、ただハーン間違っただけだろう(笑)
現在の中はこんな感じで、お土産屋になっています^^
そこでのベストショット
可愛いですね
この北側にあるのが
『クカリダシュ・メドレセ』
1568年に建立されたメドレセで160のフジュラのある大きなメドレセです。
中はこのようにお土産屋となっています。
そして、歩いていると
恐怖!!
何だお前は!!
若干映画『ソウ』のやつに似てない?(笑)
その後昼間から飲んでる二人組とちょっと飲んで
おばちゃんにスカーフを売られようとし
(ちなみにスカーフは8$くらいです)
それっぽいベストショットを撮りつつ
次へ
近くにあるこのロバに乗ったおっさんは
『フッジャ・ナスシッディン像』
実はこの人、イスラーム神学校の教師で学生にかなり好かれていたらしい
結構面白い逸話もあって
その1
「リャビ・ハウズに落ちた高利貸しが溺れかけていました。
けちなこの男は「出す」のは何でもきらいだったので、周りの人々が「助けてやるから手を出して!」といっても手を出さなかったそうです。
そこへ通りかかったフッジャ・ナスレッディンが、
コインを見せて、「ほらこれをあげるよ」というと、
溺れていた男は思わず手を出したので、周りに人々がその手をつかんで助けあげれて、めでたしめでたし。」
その2
ティムールから「自分は天国に行けるか」と尋ねられた時のこと、
彼は、「天国なんかはつまらないところだ。チンギスハンやアレクサンダーが待っているから地獄に行ったら」と答えたそうな
その3
ある夜彼は隣に寝ていた奥さんを起こしたそうだ。
そして「俺のメガネはどこだ?」と尋ねました。
なぜかというと
「夢の中に素晴らしい美人がいたから、もっとよく見たかったんだ」
と言ったそうだ。
そりゃあ、こんなおっさん好きになるでしょう
てか、最後とか寝ぼけてただけだろう(笑)
その横にある
『ラビハウズ』
ハウズは池。力ずくというラビという意味は、土地の持ち主の女性を無理やり退去させて作った池だからだそうです。
そして、この西にあるのは
『ナディール・ディヴァンベギ・ハナカ』
1619年に建てられた比較的新しいメドレセです。
中にはスザニが売っています。
スザニとは女の子が生まれると同時に母親が縫い始め、嫁入り道具に持たせる刺繍が施された布です
ちょっと歩いて
この横に入ると工房が入っています
皿やアクセサリ、服、バックなど売っているのですが
作っている様子も見ることが出来ます^^
まずはお皿の制作の様子
木彫りでも使ってオッケーの万能皿
次は洋服やバック屋
結構可愛くないですか?
ここはお人形屋
ここはアクセサリ屋
このおばさんのデザインはとてもよくて、やはり米雑誌に紹介されてました。
その所為か撮られ慣れてますね(笑)
そこからお土産屋のある
『タキ・サラファン』を通って行きます。
タキとは交差点を丸屋根で覆ったバザールで、今はお土産屋や宝石、両替屋が並んでいますが、
昔16世紀頃は専門的な要素の強い宝石・様々な帽子・外貨や金が売られていたようです。
ここは両替屋商が多いタキ
そして、そこを通ると
『マゴキ・アッタリ・モスク』
これは埋もれていたものを採掘したモスクです。
6世紀には仏教寺院があり、その時はこの辺にバザールがあり、木や香辛料、偶像などが売られていたんだそうです。
しかし、アラブの支配後、ここに礼拝用にモスクが建てらた、が焼失しまた再建。チンギスハーンの襲来によって破壊、また再建。
壁面が下の彫刻されたレンガの層、アラベクモスク模様・一番新しいそうに分かれていて三層になっています。
これはその破壊と再建を繰り返した歴史を物語っているのです。
その側で絵を描いていた青年のショット
なかなかいい感じですね^^
もう一枚
メディナさんが自転車に乗ってます(笑)
ここは主に帽子市場ですが、ほかにも沢山のお土産屋が並んでいます^^
ここでめっちゃ絡まれて
帽子を買え買え言われました
「お兄さんカッコいいネ!帽子被ったらもっとカッコいいヨ!!」
うるさいわっ!!そんなこと言われても嬉しくないんだからねっ!!
1$まで値下がり
ちょっと嬉しかったんですが、やっぱ買わなかったです
なぜなら
どうみても……
似合わんからや!!
そこから
ちょっと陶芸の工房を覗いたりなんかして
絨毯屋を覗くと素晴らしい絵が
これ絨毯で刺繍により絵が描かれているのです!!
それに感動しつつ
昔ここには沢山のコウノトリが巣を作りきたそうで、それがブハラのシンボルになったそうです。
このような形ですが、きちんと動き、簡単に布や紙を切れるほどの切れ味があります
私もお土産は全く買わなかったのですが
この工房で一つ購入!!
というのも
いつか奥さんに子供が出来たらプレゼントしよう考えたからです^^
コウノトリは日本じゃ子供を運んでくる幸せの鳥だし
記念になるし、裁縫とかに便利だから喜んでもらえるかなぁと^^
さらに先端に「You are me」という言葉を彫ってもらいました。
この言葉の意味は『A THOUSAND WORDS』という映画で観てください^^
家族が出来たらこの言葉を贈りたいなと思います
………
……………
…………………
うっわキザ!!
まぁやりたくなるよね男のロマン?ですから!!(笑)
そんなことを勝手に妄想してテンションあげつつ←アホ
そして、ここは
『アブドゥールアジス・ハーン・メドレセ』
装飾にはインドやオスマン・トルコ帝国からの影響がみられることから、200年間にイスラーム建築がかなり変化したことが分かるような気がする(笑)
その正面の
『ウルグベルグ・メドレセ』
この神学校は15世紀のもので、このメドレセの門にはウルグベルグの格言「知識欲こそ、ムスリムになくてはならぬもの」が彫られているそうです。
正直どれだかわからなかったのですが(笑)
そこから西に行き最後のタキ
『タキ・ザルガラン』ここは主に宝石が売られています。
中心の道をずっと北上していくと
ブハラのシンボル
『カラーン・ミナレット』(塔)
カラーンとはタジク語で"大きい"ミナレットは"光塔"
その名の通り46mの高さがあり、塔の基底部は9m、土台部分は10mも下に潜っているということもあり本当に素晴らしいものです。
1127年カラハーン朝のアルスラン・ハーンによって建てられたもので、塔身は14層の帯状に分かれ、それぞれレンガを異なる積み方で装飾しています。
灯火用の窓の下の一層だけ蒼タイルが使われているのが、印象的ですね。
このミナレットは金曜日ごとに信者にお祈りを呼びかけるという本来の役割のほかに、見張りの塔でもあり、旅人の目印で、砂漠からくるキャラバンにとって大切な道しるべでもあったらしいです^^
ちなみに、このカラーン・ミナレットは町中が崩壊した地震にも耐えたこともありいくつか逸話があります。そのうちの一つを紹介。
チンギス・ハーンにも破壊されなかったこのミナレット。
なぜか。
昔むかし
チンギス・ハーンがやって来て塔を見上げたら、帽子が落ちてしまったらしい。
それを思わず腰を屈めて拾い上げると彼は言った。
「この塔は私に頭を下げさせた立派な塔だ。壊してはいけない」\((( ̄( ̄( ̄▽ ̄) ̄) ̄)))/
だから塔は壊されなかったのです。めでたし、めでたし。
逸話と言うかもうなんか
チンギス・ハーン気分屋だったんかなぁとしか思わん(笑)
んで、このミナレットと繋がっているのが、
『カラーン・モスク』(右)
上載ミナレット写真の右
現在の建物は1514年。シャイバニ朝時代に建てられたのものです。
非常に広いモスクで、広さは1ヘクタールあり、1万人の信者が礼拝できます。
ソ連時代には倉庫になっていたらしい
ちなみに回廊の柱は208本の柱で天井を支え、288の丸屋根で覆われています。
その正面にあるのが
『ミル・アラブ・メドレセ』(左)
植物模様と文字模様を組み合わせているのが素晴らしい神学校です。
この装飾は、末期ティムール様式の典型的な模様らしいですね。
ちなみにソ連時代に中央アジアで開校を認められていた数少ない神学校らしい。
しかし、このメドレセは1536年にウバイドゥッラー・ハーンの資金により建てられたのだが、奴隷3000人以上のペルシャ人奴隷を売って建設資金を捻出したので、
「このメドレセの土台はレンガと人でなく、人々の涙と地と悲しみだ」と歴史家が記しているのです。
この美しさの裏にもこんな人身売買の歴史があるんですね……
そこから西に歩いていきます
お皿やスカーフなどが路上で売られています
そしてそこで会ってしまいました
ブラハの商人
上の三枚目の女の子
その写真は皿を買わされそうになって断ったら
「こっち!!このスカーフは!?」o(*≧д≦)o″))
と腕をカップル組で捕まえて、思いっきり連行され
スカーフをかけられた時の写真です
マジで、商売人
しつこいとかいうレベルではない。売り方が清々しく強引
気圧される感じ
しかし!!俺も旅では初心者ではなくなった!!
荷物も重くなるし、断る力も身につけてる
ここは断るんだ!!
「ここに俺の欲しいものはない!!断る!!」
違う店に連れていかれ買いました☆
いやもう根負けって感じ……ε-(ーдー)ハァ
でも27$から10$だから俺も頑張ったと思う……
いやブハラの商人マジ凄いっす
ちなみにコップをおまけしてくれました^^
ちょっと疲れつつ
絨毯を売っている広場を過ぎて
さらに西にあるのが、歴史ブラハ・ハーンの居城
『アルク城』
7世紀に女王フッタ・ハウトンがこの城でアラブと闘い、モンゴル来襲の際には、立てこもった多くの町民がチンギス・ハーンに虐殺されたところです。
何度も来襲を受ける度壊されて、建て直された歴史もあり、この城自体は18世紀のもので、1920年にソ連に攻略されて滅亡されるまで、歴史ブラハ・ハーンの居城として機能していたらしい。
かなり気になります。なので、中に入ろうとしたのですが、おっさんに止められました。
「現在改修中だから入れないよ」
まじか
「でも20000so'm払うなら入れるよ」
∑(ノ ̄┏Д┓ ̄)ノ ウオオォォォォォォォー!!
でも高ぇ!!
実際は4000co'm相当なので、5倍ほどの値段
で、でも入りたい!!
「安くしてよ!!学生だから!!お願い」
お得意の値段交渉開始!!
「んーなら10000co'm」
「お願い8000co'mしかないの!!」
「いや駄目だ。10000co'm」
半額でも高いので、ちょっと考えて
もう一回
「8000co'm!!」
「いや10000co'm」
ちくしょう!!
諦めて一回離れてみたけど入りたい
ふとアルク城を見ると
おっさんがちょっと離れたらたら警官が出てきました
ダメもとで言ってみる
「お願い8000co'mで入れない!?」
ちょっと考えて警官
「仕方ないな。いいよ。」
よっしゃああああ!!
おっさんより警官だぁ!!
でも警官それじゃあかんやろぉぉぉぉおおおお!!
けど、ありがたく入場☆
このように城の中で街が一つ構成されています。
では
入り口、住民の住まい、謁見の間、造幣局、兵舎、モスク(順番に)
などが入っている。広さは約4ヘクタールあり、他にも監獄や官公庁、小さな博物館かも入っており、見学出来るのですが、今回は入れませんでした。
1712年に建てられたハーン専用のモスクです。祝いの日ここまでハーンは絨毯の上を歩いてここまで来たんだとか
ブラハでは他には見られないアイヴァンと言う建築様式。テラス状の空間、軒の正面や天井に赤や緑などカラフルに装飾されているのが特徴です。
ここでは釣りが出来、魚が釣れるそうです(笑)
そこからさらに南西へ歩いて行くと
公園があって、その中にあるのが
デーン!!
おばちゃん!!
ちょっと神々しさを感じつつ
『イスマイール・サーマーニ廟』へ
これは世界中の考古学者や建築家に注目されているイスラーム初期の建築様式の霊廟です。
892~943年と最古のイスラーム建築で、1925年に発掘された。
モンゴル来襲で街が破壊された時も、土の中に埋もれており、さらに周りが墓地だったため破壊されずに残ったらしい
日干し煉瓦を積み上げ、半球ドーム型の屋根の単純に見える構造かもしれないですが、
壁面を日干し煉瓦だけで様々な模様に積み上げているは見事です!!
レンガの凹凸だけで明暗が変わる……建築者たちの美意識と技術はとても高かったことが分かります
さてその近くにある預言者の泉に行く
途中に子供たちと触れ合い
工房を見学し
ちなみにこいつら全裸で泳いでました。なんかカシュガルを思い出しますね
そして最後に
『チャシュマ・アイユブ』
昔むかし、人々が水不足で苦しんだとき、旧約聖書に出てくる預言者ヨブがここを杖で叩いたら、イズミが湧き出たそうな。
その後、眼病に効くといわれて大勢の人が遠くからやってきたが、疫病の流行で禁止されたのですが
現在ではこのように飲めるようになっています^^あと昔の写真
正直飲んだ感想は美味しくなかった(笑)
目が良くなったら報告します!1
さて次はウズベキスタンのシルクロードの名所第3弾
聖都『ヒヴァ』
当時の城壁が残り、そこに未だ暮らしが存在する古代の街とは一体!?
勾ご期待!!
・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・
「読んだよ!」のサインに1日1クリックお願いします^^/ その1クリックの応援で次の街へと旅できます♪
にほんブログ村
・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・―・