†意識の記録† 理解のブログ

私の私の視点による私の経験の記録。私の視点で見る限り誤りのない認識で記事を書いている。一切の苦情は受け付けない。

コロナ禍 2

2020-05-29 20:12:14 | Diary
こんばんは。

先月に引き続き、新型コロナウイルスに関連した話題にしようと思います。
過去、二ヶ月に渡り同じ話題をしたことはないはずですので、相当な事態と私自身感じているところであります。

さて、私のリモートワークも更に延長され、来月半ばまでが予定されています。
本来より一ヶ月程度の延長になりますね。


前回の記事では、かなりきつい言い回しをしてしまったと思います。
読んで辛い思いをされた方も居られるでしょう。その点については申し訳なく思います。
しかし、経済とは残酷なものです。今回、廃業等、好ましくない事態を迎えた方々は、痛感されておられることでしょう。いかに、世の中が冷たいものなのか。そして、寄付等で上手く切り抜けられた方々はその逆で、いかに世の中が温かいものなのか痛感されたことと思います。

なぜ、そのような違いが生じたのかについて論じるつもりはありませんが、生きるのは簡単ではなく、常に順風満帆などということはない。
こういう時、心の平穏を保ち、生きる、という活力を失わぬ為には、やはり信心というものが重要です。

その対象は、何か宗教であってもよいし、思想であってもよい。何か、明るい意味で信じられる何かを、普段から持っていることが重要です。
そういう意味で、いわゆる新興宗教というものは、一時的にも、荒れた心を癒すことができる存在だと思いますし、悪しき目的を裏に隠していることが常なるとも言えない。偏見を以て、常に警戒しなければならない存在ではありません。無論、何の疑問も持たず完全にのめり込むべきであるとは言いませんけれども、何を信じているにせよ、それで心の平穏が保たれ、平和に暮らせていると本人が思っているのであれば、それを強制的に終息させねばならぬというものでもない。

尚、以前述べたように、私自身は独自の思想と言いますが、世界観を持っておりますから、何か特定の宗教、宗派には属しておりません。
特に私の世界観は、キリスト教的世界観、仏教的世界観とは相容れません。敢えて言うならば神道的世界観が近いので、特に問われた時は、日本神道でありますと答えております。


今回は信心の話がしたいわけではないので、横道はここまでにしましょう。

最近、トレードオフ、という言葉を目に致しました。

新型コロナウイルス対策(命を守ること)と、経済被害は、トレードオフの関係にあると。
確かにその通りです。

非情になって考えてみれば、以下のような単純計算ができます。

日本の GDP は約 500 兆円です。対して人口は、 1 億 2 千万超。従って、一人当たり 400 万円ほどと言えます。
最悪のシナリオでは、新型コロナウイルスに依る死者数は 40 万人超とされておりましたから、単純に掛ければ、 1 兆 6 千億円の GDP 損失が見込まれたわけです。

これは感染拡大を黙認して、集団免疫を目指した場合の単純計算です。
これだけの死者数となると、日本人の半数は、知人が死んだ、という状態になるでしょう。
(知人の平均は 200 人程度らしいです。 40 万人の死者は、日本人口の 300 分の 1 ですから、知人の一人ぐらいは死んでしまいます。)

ただ今回、政府は、非常事態宣言等を行い、それに従って、各自治体が飲食店等の自粛要請を行いました。
結果、現時点の死者数は 800 人程度と非常に少ない水準へ抑えられています。
勿論、現時点で集団免疫が獲得されているわけではありませんので、死者数は今後も漸増していくことは明らかですが、破局的事態に至る道は回避されていると捉えて問題ないでしょう。
その代わり、経済対策の事業規模は 200 兆円を超えるとんでもない額です。財政支出のみに目を向けても、先の単純な試算を遥かに超えます。


ここで、どうでしょう?

200 兆円掛けて死者数 800 人か。お金は掛けないが知人を一人失うか。
このような非常に悲しいトレードオフ。

もちろん、 200 兆円は湧いて出てくるものではありませんので、我々の懐から少しずつ出さねばなりません。
生産人口で考えれば、一人頭 100 万円でも足りない支出です。

でも、逆に考えれば、一人 100 万円払えば、知人を失わないで済むとも言える。(当たり前ですが、知人というのは家族や親友も含みます。)
日本全体で見れば莫大な出費ですが、知人を守るために 100 万円程度の出費なら、出せるとは思いませんか。


ということで、今回は、命とお金のトレードオフを、単純計算で見てみました。
実際の経済はこんな単純なものではありませんし、日本国内だけで捉えることもまたできませんけれども、この世の終わり、というほどの事態でもない。
むしろ、我々は、この世の終わり、誰もが一人程度の知人を失う哀しい未来を回避できたのだと思えば、少しは明るく平穏な気持ちになれたのではありませんか。



以上。
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