皆さん、こんばんは。
アメリカに、ジェラルド・ワインバーグという人が居ました。
これがまあ、知っている人は知っている大変な有名人です。
彼の言葉は、コンサルティングに関するものが特に有名です。
その中から一つ、今日はご紹介します。
レッテルの法則
「われわれはたいがい、商品ではなくレッテルを買う。」
(コンサルタントの秘密 第四章)
ワインバーグ氏の言葉は、マーフィーの法則のようなものが多いです。
つまり、ユーモアに溢れていながら、どうにも否定出来ない真理のようなものです。
レッテルの法則は、もちろん、コンサルタント側から見れば、レッテルを買わせる、という事であり、これはマーケティングの大原則です。
それこそ、お菓子一つとっても、買うのはレッテルです。
ブラックサンダーを買うのは、ブラックサンダーを買っているのでなければ、チョコレートを買っているのでもなく、“美味しいもの”というレッテルを買っているのです。
だって、“まずいもの”というレッテルを買うはずがありませんから。
ブラックサンダーの持つ“美味しいもの”というレッテルには、それだけの対価を払う価値があるのです。
或いは、人を雇うという事を考えましょう。
勿論、来た人をそのまま採用するはずはなく、面接するなりして、その人物に何かしらのレッテルを貼るのです。
そして、そのレッテルが、我々の支払う給与に見合うものであれば、雇う事になるわけです。
もし、自分が雇われる側であれば、自分に貼られるレッテルを、いかに給与に見合うものであると見せるか、という事になる。
これがマーケティングでなくて何だというのでしょう。
ここで「買う」という言葉を「対価を支払う」と広く捉えなおしてみましょう。
すると、人生とはまさに、というところに行きつく。
あなたと誰かが恋人になる、これも、同じ事だと捉えられる。
恋人になるとは、相手の為に自分の時間を提供できるという事です。
労働とは、自分の時間をお金に変換する行為ですから、これはお金を支払っている事と同等の行為です。
※ むしろ、労働に対して支払うものとして、お金が産まれたと捉えても良いぐらいです。
という事は、恋人となる相手を「買っている」のと同じ。
恋人となる相手に、あなたはどんなレッテルを貼り、それを「買った」のでしょう。
相手からしても同じ話。相手はあなたに、何かしらのレッテルを貼り、それが対価に見合うと考えたから、買ったのです。
もちろん、こういう捉え方は、心理的に嫌だという人も多いでしょう。
しかし、物事の本質とは、得てして汚く感じるものです。
結婚にしても、結局は、自身の配偶者を、他者に横取りされない為の権利を買うに等しいですし、子作りをしてよい権利とも捉えられる。
法的には全くそのように書かれているわけです。
純粋に生物的な事を言えば、男性側から子作りという一点を見た時、一人の女性だけを選ばねばならないのは非効率です。
それこそ、毎日別の女性と子作りする事は可能なわけで、そういう強い男性を、本来的には女性も選びたがるわけです。
ところが、それだと多くの男性が不利になってしまいますから、結婚制度を作り、弱者救済をしているというのが真実なわけです。
選挙も同じですよね。
自分が誰に投票するか? まさに相手のレッテルを買っているわけです。
だから、“悪い人”レッテルを貼った相手に投票はしません。
相手がどれだけ素晴らしい事を言っていても、共産党推薦と書いてあったら投票しない、という事はあるわけです。
(もちろん、自民党推薦だから投票しない、という事もあるでしょう。)
或いはもっと単純に、女だから投票しない、或いは、女だから投票する、という事もあるでしょう。
他にも、若いからとか、選挙カーから手を振ってくれたから、という事もあるでしょう。
物事は、全く別の性質のものであるように見えて、その実、動く原理は同一であったりするものなのです。
以上。
アメリカに、ジェラルド・ワインバーグという人が居ました。
これがまあ、知っている人は知っている大変な有名人です。
彼の言葉は、コンサルティングに関するものが特に有名です。
その中から一つ、今日はご紹介します。
レッテルの法則
「われわれはたいがい、商品ではなくレッテルを買う。」
(コンサルタントの秘密 第四章)
ワインバーグ氏の言葉は、マーフィーの法則のようなものが多いです。
つまり、ユーモアに溢れていながら、どうにも否定出来ない真理のようなものです。
レッテルの法則は、もちろん、コンサルタント側から見れば、レッテルを買わせる、という事であり、これはマーケティングの大原則です。
それこそ、お菓子一つとっても、買うのはレッテルです。
ブラックサンダーを買うのは、ブラックサンダーを買っているのでなければ、チョコレートを買っているのでもなく、“美味しいもの”というレッテルを買っているのです。
だって、“まずいもの”というレッテルを買うはずがありませんから。
ブラックサンダーの持つ“美味しいもの”というレッテルには、それだけの対価を払う価値があるのです。
或いは、人を雇うという事を考えましょう。
勿論、来た人をそのまま採用するはずはなく、面接するなりして、その人物に何かしらのレッテルを貼るのです。
そして、そのレッテルが、我々の支払う給与に見合うものであれば、雇う事になるわけです。
もし、自分が雇われる側であれば、自分に貼られるレッテルを、いかに給与に見合うものであると見せるか、という事になる。
これがマーケティングでなくて何だというのでしょう。
ここで「買う」という言葉を「対価を支払う」と広く捉えなおしてみましょう。
すると、人生とはまさに、というところに行きつく。
あなたと誰かが恋人になる、これも、同じ事だと捉えられる。
恋人になるとは、相手の為に自分の時間を提供できるという事です。
労働とは、自分の時間をお金に変換する行為ですから、これはお金を支払っている事と同等の行為です。
※ むしろ、労働に対して支払うものとして、お金が産まれたと捉えても良いぐらいです。
という事は、恋人となる相手を「買っている」のと同じ。
恋人となる相手に、あなたはどんなレッテルを貼り、それを「買った」のでしょう。
相手からしても同じ話。相手はあなたに、何かしらのレッテルを貼り、それが対価に見合うと考えたから、買ったのです。
もちろん、こういう捉え方は、心理的に嫌だという人も多いでしょう。
しかし、物事の本質とは、得てして汚く感じるものです。
結婚にしても、結局は、自身の配偶者を、他者に横取りされない為の権利を買うに等しいですし、子作りをしてよい権利とも捉えられる。
法的には全くそのように書かれているわけです。
純粋に生物的な事を言えば、男性側から子作りという一点を見た時、一人の女性だけを選ばねばならないのは非効率です。
それこそ、毎日別の女性と子作りする事は可能なわけで、そういう強い男性を、本来的には女性も選びたがるわけです。
ところが、それだと多くの男性が不利になってしまいますから、結婚制度を作り、弱者救済をしているというのが真実なわけです。
選挙も同じですよね。
自分が誰に投票するか? まさに相手のレッテルを買っているわけです。
だから、“悪い人”レッテルを貼った相手に投票はしません。
相手がどれだけ素晴らしい事を言っていても、共産党推薦と書いてあったら投票しない、という事はあるわけです。
(もちろん、自民党推薦だから投票しない、という事もあるでしょう。)
或いはもっと単純に、女だから投票しない、或いは、女だから投票する、という事もあるでしょう。
他にも、若いからとか、選挙カーから手を振ってくれたから、という事もあるでしょう。
物事は、全く別の性質のものであるように見えて、その実、動く原理は同一であったりするものなのです。
以上。
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