トランプ大統領がやんちゃぶりをいかんなく発揮して大変なことになっていますね。アメリカはどんなにジャイアンぶりを発揮しても(少なくとも形式的な)民主主義の最低ラインを超えることはないと思っていましたが、それも早晩決壊しそうな勢いです。
それに合わせて急遽事業計画を調整しなければいけなくなって、年度末なのにそっちでてんやわんやになっている人も多いんじゃないかと想像しています。でも、こうなる可能性が高いことは1~2年前からわかってもいたので、大きな企業なんかはプランB、プランCをすでに策定していたでしょう、きっと。
僕は常々「悪の総量は変わらない」と思っています。
今のアメリカもいわゆるマイノリティの声が大きくなりすぎたり、ホワイト社会が行き過ぎた結果、行き場を失った「悪」が彼の当選という形になって出てきたんだろうなと。
声が大きくなったら、その時点でマイノリティはもうマイノリティでさえないですから、往々にして行き過ぎますよね。ずっと前に有吉弘行さんが「『ワタシは弱者です』って公に向けて宣言した時点で、それはただの暴力なんだよ、バカ野郎。」という意味のことを言っていて、まさにそうだなと思いました。
「悪の総量」が日本ではどのように出てきているかと言うと、暴力団の活動を縛る法律などが功を奏して彼らが暗躍する場が少なくなってきていますが、それで社会が安全で平和になったかと言うとそうではなく、その代わりにまず半グレのような人間がはばをきかせるようになりましたね。行き場のなくなった「悪」を彼らが担うようになった。
その半グレが問題化して監視の目が届くようになると、今度は善良なはずの一般人が「悪」を担うようになる。
論破ブームに乗っかってど正論で他人を攻撃するような若い人たちです。下手をすれば誰かが命を落とすようなことにだってなるのにね、お構いなしです。でも、そういう攻撃を批判されれば「自分は間違ったことは言っていない」と開きなおる。ま、そう言われればそれ以上糾弾することもできないわけですが、言ってる内容はど正論で「善」でも、それで他者を攻撃するという行為の裏側には「悪」の原動力があるんだと思いますね。
そこそこの「悪」はなあなあで残しておかないと、誰かがえげつない方法で「悪」を行使するようになる。
大切なのはバランスですよね。
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