アルゼンチンから砂漠の国へ

2005年~2009年のオリジナル記事に、シンガポール時代の記事と、2009年以降のアメブロの旅行記を転記しました。

あこがれのシンガポール

2020年06月14日 | 旅行
1994年~1997年のシンガポール赴任の記録です。
当時、ブログシステムはなく、ホームページに記録していた記事を転記しました。


10 July 1994

1994年7月10日、伊丹の大阪国際空港を飛び立ったジャンボ機は一路シンガポールへ向かっていた。はじめて座る、二階席のビジネスクラスのシートに身を沈め、ちょうど半年前のことを思い出していた。


94年の正月休みにはじめて家族4人で海外旅行に出かけた。行き先はシンガポール。会社の海外拠点のひとつ、シンガポールの工場を拡張するプロジェクトには多くの同僚、先輩が参加していた。その中の友人の一人に「シンガポールに遊びに行くので、一度夕食でもどうですか。」とアレンジを頼んでいたところ、オーチャード高島屋にある中華料理店にプロジェクトのメンバーが10人も集まってくれ、外は30度の暑い夜、われわれ家族4人を温かく迎えてくれた。

TPCの I 工場長は元工務部長。PCSの今回のプロジェクトマネージャー(PM)をしておられるNさんは、ついこの間まで愛媛工場の製造部長をされており、たまたま私がその製造部を担当していたので顔なじみだった。入社以来10年あまり工務部で、直属の上司として仕事を指導してもらったHさん、そして今回のアレンジをしてくれたOさん等、友人、知人が集まってくれた。
この真夏のシンガポールで仕事をしているわりには、メンバーの顔色があまりよくない。プロジェクトの仕事が忙しくて、日焼けをするゆとりもないのだろう。「忙しそうですね。どうです、私を呼んでくれませんか。愛媛も仕事が無くて、暇を持て余しているんですよ。」とさりげなく言ってみた。


事実その時、愛媛で二件の韓国ジョブを抱えていたが、いずれも技術移転の仕事がほぼ片付き、建設が始まったら、韓国に一時駐在することになるかもしれなかった。ハングルは、通信講座を修了して幼稚園児並に読むことはできるようになったものの、会話は簡単なあいさつ程度、生活するのにも不安のほうが大きかった。何度か行ったソウルの冬の寒さも考えると、生活するなら英語の通じるシンガポールのほうがいい。

シンガポールから帰って、二月には私の赴任が決まっていたらしい。ただ、本人には数ヶ月後の内示まで知らされず、期待とあきらめとのチャンポンの何となく不安定な気持ちで過ごしていた。

愛媛工場に転勤になって以来、仕事が比較的暇なせいもあり、英会話を本格的に始めた。それから4年、そろそろ実地で使ってみたいと考えていたので、PCSのプロジェクトはいいチャンスだった。正式に内示をもらったのは約1ヶ月前だったが、シンガポールのPM(プロジェクトマネジャー)に電話で挨拶すると、私が単身赴任すると知り、PMのNさんは「予想外だな。」と不満そうな声で言った。(これはまずい。)人事異動が直前でひっくり返ることもあるのではと、正式辞令をもらうまではヒヤヒヤものだった。

片道切符で搭乗した飛行機で、ほとんどが観光客と思える日本人の中で、自分はこれから赴任するんだと、少し力んだ気持ちになっていた。隣に座った人に話しかけると、松下電器の人で、シンガポール駐在5年目だと言う。一時帰国で、これからまた現地にもどるとのこと。
(そうかここはビジネスクラスだった。)急に肩の力が抜けてしまった。
ビジネスクラスを利用できたのは、後にも先にもこのときだけ。親会社もPCSもだんだん財布のヒモがかたくなっていった。

空港には、Nさんがひとりで迎えに来てくれ、運転手付きの専用車で市内に向かった。ついた先はパンパシフィックホテル。正月のメンバーがまた歓迎会で集まってくれていた。翌日は、勝手がわからないのでNさんの車で会社に送ってもらい、PCSから正式辞令をもらって、晴れて現地の社員となった。
思えば、Nさんにちやほや世話をしてもらったのはこの日まで。その後帰国するまではこわいPMとしてわれわれプロジェクトメンバーの上に君臨することになった。
(ホテルニューオータニ)


ホテルニューオータニに滞在しながら週末はアパート探し。一ヶ月後に引っ越した日は、シンガポールのナショナルデー(独立記念日)8月9日だった。オーチャードの中心部、高島屋から歩いて5分の Grangeford Apartment。 単身赴任のため2ベッドルーム(2LDK)のアパートを選んだが、床面積110m2(日本の4LDKマンションより広い)の超豪華マンション。家賃3900S$。その後オーナーがかわり4500S$に値上げ。プール、テニスコート付き。日本では一生こんな生活はできないだろう。
(3年余り過ごしたアパート)


ここで、3年二ヶ月のシンガポール生活がスタートした。


(これからしばらく、シンガポール赴任時代の旅行記が続きます。)


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